本文へ

ホーム > 日本の古典 > 古事記 > 古事記が語る原風景-本居宣長・折口信夫・小林秀雄を辿って (5)

古事記が語る原風景-本居宣長・折口信夫・小林秀雄を辿って (5)

古事記が語る原風景-本居宣長・折口信夫・小林秀雄を辿って (5)

【セッション2】本居宣長をめぐっての対話

okano2A[1]

岡野弘彦 國學院大学名誉教授

  1. 本居宣長の『古事記伝』
  2. 日本の神話の柱
  3. 本居宣長の「もののあはれ」論

1.本居宣長の『古事記伝』


(再生時間 14分32秒)

  • 宣長以前は『日本書紀』のほうが圧倒的に評価が高かった
  • 『古事記』の再評価を生んだ宣長の仕事

天地初発之時。於高天原成神名天之御中主神。次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並独神成坐而。隠身也 (『古事記』「神代一之巻」)

アメツチノハジメノトキ タカマノハラニナリマセルカミノミナハ アメノミナカミヌシノカミ ツギニタカミムスビノカミ ツギニカミムスビノカミ コノミハシラノカミハ ミナヒトリガミナリマシテ ミミヲカクシタマヒキ

  • 戦後の西郷信綱による『古事記』注釈のなかにも宣長が生きている
  • 古代の大和言葉を丹念にさかのぼった宣長の偉業

2.日本の神話の柱


(再生時間 11分39秒)

  • 『日本書紀』の天地創造は漢意(からごころ)の説明

古に天地未だ剖れず、陰陽分れざりしとき、渾沌れたること鶏子の如くして、ほのかにして牙を含めり。其れ清陽なるものは、薄靡きて天と爲り、重濁れるものは、淹滞ゐて地と爲るに及びて、精妙なるが合へるは搏り易く、重濁れるが凝りたるは竭り難し。故、天先づ成りて地後に定まる。然して後に、神聖、其の中に生れます。故曰はく、開闢くる初に、洲壌の浮れ漂へること、譬へば游魚の水上に浮けるが猶し。時に、天地の中に一物生れり。状葦牙の如し。(『日本書紀』「神代上」)

葦牙(あしかび)のごと萌え騰(あが)る物に因りて成りませる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神 (『古事記』)

  • 日本の神話の柱/語ることと歌うこと
  • 日本人は神をどう考えてきたか

さて凡て迦微(カミ)とは、古御典等に見えたる天地の諸の神たちを始めて、(中略)尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云なり。すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪きもの奇しきものなども、よにすぐれて可畏きをば、神と云なり。(中略)又人ならぬ物には、雷は常にも鳴神神鳴など云ば、さらにもいはず。(中略)すぐれてあやしき物にて、可畏ければ神なり、木霊とは、俗にいはゆる天狗にて、漢籍に魑魅など云たぐひの物ぞ。(本居宣長『古事記伝』)

3.本居宣長の「もののあはれ」論


(再生時間 6分32秒)

  • 日本における文芸論の先駆け
  • 歌と物語の響き合いのなかに「もののあはれ」の展開をみた宣長
  • 国学者としての宣長/日本人の「モラスセンス」を追求する
  • 契沖、真淵を継承しつながらも国学を一段進めた本居宣長

 

コンテンツ名 エンゼル・フォーラム「日本人の心の源郷『日本語(やまとことば)』 ~本居宣長・折口信夫・小林秀雄を辿って~」
収録日 2003年3月8日
講師 岡野弘彦

主催:エンゼル財団
収録映像:著作権者 財団法人エンゼル財団
2003年3月、エンゼル財団主催によるエンゼル・フォーラム「日本人の心の源郷『日本語(やまとことば)』 ~本居宣長・折口信夫・小林秀雄を辿って~」が、開催されました。講師に岡野弘彦先生、渡部昇一先生のおふたりをお招きし、松田義幸先生のコーディネートのもと、「『古事記』と日本人」を中心テーマにおいて「日本語の本質」「日本人の精神」を議論し、母国語としての日本語を大切にした心豊かな生活像について議論が交わされました。 本コンテンツでは、当日の模様をお伝えします。

このエントリーをはてなブックマークに追加

ページのトップへ戻る