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混迷の時代の叡智-フィレンツェ・ルネサンスに学ぶ (5)

混迷の時代の叡智-フィレンツェ・ルネサンスに学ぶ (5)

パネル討論「フィレンツェ・ルネサンスに学ぶ」

taiwa

今道友信 東京大学名誉教授
樺山紘一 印刷博物館館長
田中英道 東北大学名誉教授

コーディネーター
松田義幸 実践女子大学教授・エンゼル財団理事

 

パネル討論「フィレンツェ・ルネサンスに学ぶ」(1)


(再生時間 26分16秒)

1.はじめに

平均寿命の延びた現代、生涯における自由時間は長くなりつつある。 そもそも、自由時間(レジャー/スコレー)をいかに生きるかは、古代ギリシア人の課題であった。「働くこと」は「スコレーがないこと」であり、それがビジネス、オキュペーションということの意味であった。今、日本人は、芸術・文学・スポーツなどを通じた、豊かなスコレーのある社会を再構築することができるはずである。(松田義幸)

2.哲学とは何か?

具体的に物事を考えることを常とする歴史家であっても、人に説得力をもって説明したり、立場の異なる人と議論するうえでは、物事(現象)を根源まで突き詰めて考えることが必要になる。その根源まで突き詰めて考える努力のなかに哲学があると考える。(樺山紘一)

そもそも哲学は西洋起源の言葉。「フィロソフィア」は知を愛すること、つまり「考える」である。「考える」ということは日本人も行なってきたのに、世界的な大思想家が日本にはなぜいないのか。 日本人は「思想」を必要としなかったからではないか。神道において観念化した神が必要ないのと同様に、日本人は哲学を必要としなかった。(田中英道)

3.「混迷の時代の叡智」というテーマについて

「ミネルヴァの梟は夕闇に飛翔する」…社会が混沌としている時代に、叡智力(哲学の力)は強くなる。現代の日本は夕闇どころか暗闇である。それは、哲学教育に問題があるのではないか。文化・芸術は、経済・軍事を超えた力をもち、時代を救う。しかし、現代の日本の大学では哲学の教育が衰えているのではないだろうか(松田義幸)

「フィロソフィー」という言葉は、ソクラテスが混迷の時代に作り出したものである。ソクラテスは「フィロソフィー」を「魂の世話」と定義している。我々は、食事や体調管理のように「肉体の世話」は無意識のうちにしているが、「魂の世話」をしているとはいえるだろうか。孔子の「里仁為美」や、ペトラルカの言葉もまさに哲学である。「魂の世話」としての哲学は、時代・地域にかかわらず大切である。(今道友信)

パネル討論「フィレンツェ・ルネサンスに学ぶ」(2)


(再生時間 16分33秒)

4.「多言語の時代」について

現代の日本の言語教育の荒廃、象徴的なコミュニケーション力の低下に対し、これからの言語教育はいかにあるべきか。また、日本の芸術系大学は『意味を表す』ことを失い、『造形』に偏重しているのではないか。音楽教育においても、技術教育のみならず、教養教育が必要ではないか。その際に言語の教育が関わってくるのではないだろうか。(松田義幸)

ルネッサンスを「諸言語の饗宴」あるいは「言語を鍛えあげていく時代」として捉える見方はこれまであまりなかった。 言語をもって自分の思想を語る技術力やモチベーションが不足していることが、現代の言語状況の危機である。月並みではあるが、「本を読むこと」が必要。まとまったメッセージである本を読むことは、それを書いた人間と対話することであり、本の内容について自ら表現すること、人と議論すること、自分のなかで反芻することでも対話は可能である。 教育においては、「言葉を正確に使うこと」のみならず、「言葉を使って表現すること」や「言葉を使って自分を理解すること」が求められる。(樺山紘一)

日本人は哲学者を必要としないというのは、必ずしもすべてを言語で表現する必要がない、言語ですべて表現できるわけではないということを経験的に知っているからではないか。古代の日本人は漢語の導入に慎重で、導入後も「訓読み」を大事にした。西洋の言語が入ってからも日本人の言語観は失われていない。神道は教典をもたないにもかかわらず、宗教として日本に根付いている。美術についてみれば、祖母から伝え聞いた仏教の言葉、神仏習合的な信仰が棟方志功の表現の核になっている。つまり、言葉になるものだけが哲学になるではなく、伝統の脈絡のなかに生きているものを涵養することが重要なのである。(田中英道)

パネル討論「フィレンツェ・ルネサンスに学ぶ」(3)


(再生時間 29分29秒)

5.日本の言語教育への提言

日本人の言語観の素晴らしさは和歌に現われている。和歌は短くて覚えやすく、和歌の傑作を覚えることが大事である。ダンテも物語のなかにウェルギリウスを登場させている。ダンテがウェルギリウスの詩を覚えていたように、ダンテ以降のイタリア人はダンテの詩を覚えるようになった。これと同様に、和歌を何度も詠み、覚えることで、自分が作った歌でなくとも、日本語の美しさを口に出すことができる。やがて、自分もそのように表してみたくなることもなる。 教育で詩を覚えさせていけば、言葉に対する愛が生まれるのではないか。あえて詩の感想を求めなくとも、沈黙の中で味わうのでよい。言葉の美しさを体験させる教育が求められる。(今道友信)

6.日本の芸術教育について

芸術教育はガルブレイスのいう「レジャーの楽しみ方」の核となるところではないか。(松田義幸)

戦争とイデオロギーの20世紀に対し、21世紀は観光・文化の時代にならねばならない。そのためには、見て感動することの訓練が必要であり、その際に教養が要求される。ドナテッロが批判の目を求めてパドヴァからフィレンツェに帰ったという逸話が示すように、芸術に対する自律した見方を教育することが必要になる。(田中英道)

戦後日本の音楽・美術教育において、実技教育は発達したが、鑑賞教育は決定的に欠けている。大人は子供に対して、美術館やコンサートホールで芸術を鑑賞する見方・聴き方を手ほどきしてほしい。(樺山紘一)

作品のよさを発見するというクリティークの精神。志(こころざし)を復活させるためには、教育の厳粛さも必要になる。(今道友信)

美術、音楽、書物、いずれにおいても世界のよいものを見聞きすることが重要である。これからのより深い芸術・文化交流の時代において、日本人には内外の世界遺産への配慮が求められる。 (松田義幸)

コンテンツ名 ダンテフォーラム2008 「混迷の時代の叡智―フィレンツェ・ルネサンスに学ぶ」
収録日 2008年3月15日
講師 今道友信、樺山紘一、田中英道、松田義幸

会場:イタリア文化会館
主催:財団法人エンゼル財団・イタリア文化会館・日本経済新聞社
収録映像:著作権者 財団法人エンゼル財団
本コンテンツでは、2008年3月15日、イタリア文化会館で開催されたダンテフォーラム2008「混迷の時代の叡智―フィレンツェ・ルネサンスに学ぶ」(約3時間半)の模様を配信しています。

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プロフィール

講師:今道友信

(東京大学名誉教授)

講師:樺山紘一

(印刷博物館館長)

講師:田中英道

(東北大学名誉教授)

コーディネーター:松田義幸

(実践女子大学教授・森永エンゼル財団理事)

肩書などはコンテンツ収録時のものです

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