源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第6回 「桐壺」より その5

実践女子大学の学祖下田歌子の話から、『源氏物語』の本文に。帝は更衣の死を悲しんでいる。やがて月日が経ち、若宮が参内するようになる。

はじめに

国文学離れがすすむ現代


・國學院大學の学生時代
・下田歌子「源氏物語講義」の思い出
・文語が読めなくなってしまった現代の学生
・口語による和歌の表現力の限界

尋ねゆくまぼろしもがなつてにてもたまのありかをそこと知るべく

 (主上)「尋ねゆくまぼろしもがなつてにてもたまのありかをそこと知るべく」

絵にかける楊貴妃のかたちは、いみじき絵師といへども、筆かぎりありければ、いとにほひすくなし。太液の芙蓉未央の柳も、げに、かよひたりしかたちを、からめいたるよそひは、うるはしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしをおぼしいづるに、はなとりの色にも音にも、よそふべきかたぞなき。あさゆふのことぐさに、はねを並べ、枝をかはさむと契らせ給ひしに、かなはざりける命のほどぞ、尽きせず、うらめしき。

風のおと虫のねにつけて、もののみ悲しう思さるゝに

 風のおと虫のねにつけて、もののみ悲しう思さるゝに、弘徽殿には、久しくうへの御つぼねにもまうのぼり給はず、月のおもしろきに、夜ふくるまで、遊びをぞし給ふなる。いとすさまじう、ものし、と、聞しめす。このごろの御けしきを見奉るうへ人女房などは、かたはらいたし、と聞きけり。いとおしたちかどかどしき所ものし給ふ御かたにて、ことにもあらずおぼしけちて、もてなし給ふなるべし。

月も入りぬ

 月も入りぬ。

(主上)「雲の上も涙にくるゝ秋の月いかですむらむあさぢふのやど」

おぼしめしやりつゝともし火をかゝげ尽くして、起きおはします。右近のつかさのとのゐまうしの声きこゆるは、丑になりぬるなるべし。人めをおぼして、夜のおとゞに入らせ給ひても、まどろませ給ふこと、かたし。あしたに起きさせたまふとても、明くるも知らで、と、おぼしいづるにも、なほ、あさまつりごとはおこたらせ給ひぬべかめり。

ものなども聞しめさず、あさがれひの気色ばかり触れさせ給ひて

 ものなども聞しめさず、あさがれひの気色ばかり触れさせ給ひて、大床子のおものなどは、いとはるかにおぼしめしたれば、陪膳に侍ふ限りは、心苦しき御気色を見奉り嘆く。すべて、近う侍ふ限りは、をとこをんな、「いとわりなきわざかな」と言ひ合はせつゝ嘆く。「さるべき契りこそはおはしましけめ、そこらの人のそしりうらみをも憚らせ給わはず、この御ことにふれたる事をば、道理をも失はせ給ひ、今はた、かく、世の中の事をも、思ほし棄てたるやうになりゆくは、いとたいだいしきわざなり」と、人のみかどのためしまで引き出で、さゝめき嘆きけり。

月日へて、若宮まゐり給ひぬ

 月日へて、若宮まゐり給ひぬ。いとゞ、この世のものならず、きよらにおよずけ給へれば、いとゆゝしうおぼしたり。あくる年の春、坊さだまり給ふにも、いとひきこさまほしうおぼせど、御うしろみすべき人もなく、また世のうけひくまじきことなりければ、なかなかあやふくおぼしはゞかりて、色にもいださせ給はずなりぬるを、「さばかりおぼしたれど、限りこそありけれ」と、世の人も聞え、女御も御心おちゐ給ひぬ。
かの御おば北の方、慰むかたなくおぼししづみて、おはすらむ所にだに尋ね行かむ、と、願ひ給ひししるしにや、つひにうせ給ひぬれば、又これを悲しびおぼすこと限りなし。みこ、六つになり給ふ年なれば、このたびはおぼし知りて、恋ひ泣き給ふ。年ごろ馴れむつび聞え給ひつるを、見奉り置く悲しびをなむ、かへすがへす宣ひける。

今はうちにのみ侍ひ給ふ

 今はうちにのみ侍ひ給ふ。七つになり給へば、ふみはじめなどせさせ給ひて、世に知らずさとうかしこくおはすれば、あまりおそろしきまで御覧ず。
(主上)「今は誰れも誰れもえ憎み給はじ。母君なくてだにらうたうし給へ」とて、弘徽殿などにも、わたらせ給ふ御ともには、やがてみすのうちに入れ奉り給ふ。いみじきもののふ、あたかたきなりとも、見てはうちゑまれぬべきさまのし給へれば、えさしはなち給はず。をんな御子たちふたところ、この御はらにおはしませど、なずらひ給ふべきだにぞなかりける。御かたがたも隠れ給はず。今よりなまめかしう恥づかしげにおはすれば、いとをかしう、うちとけぬ遊びぐさに、誰れも誰れも思ひ聞え給へり。
わざとの御学問はさるものにて、ことふえのねにも、雲居をひゞかし、すべて言ひ続けば、ことごとしううたてぞなりぬべき人の御さまなりける。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第6回 「桐壺」より その5 
収録日 2001年9月27日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

講座名:平成13年秋期講座

収録講義映像著作権者:実践女子大学生活文化学科生活文化研究室

刊行書籍

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