源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第19回 「帚木」より その10

廃仏毀釈などのことに触れ、講義へ。空蝉は中流階級の典型的な女性で、光源氏との出会いを覚悟し、心を定めて接する。ほどなく鶏も鳴き、後朝の別れとなる。

はじめに

アフガニスタンの仏像破壊に思う

「アフガニスタンの洞窟の仏像を壊したのなんか、一世紀余り前に、我々のじいさんやひいじいさんたちがむちゃくちゃなことをやったのをすっかり忘れて、けしからん、けしからんと言って、人類の文化の破壊だとか怒っていられる方がたくさんいたけれども、怒るのはいいですよ。ですけれども、ほんの一世紀余り前に、我々のじいさんやひいじいさんが、廃仏毀釈という猛烈な暴挙を日本全体各地で起こしたという、こんな近い歴史を忘れてしまう日本人というのはどうも危ないという気がしますね。」

消えまどへる気色、いと心苦しく、らうたげなれば、

 消えまどへる気色、いと心苦しくらうたげなれば、をかしと見たまひて、
 「違ふべくもあらぬ心のしるべを、思はずにもおぼめいたまふかな。好きがましきさまには、よに見えたてまつらじ。思ふことすこし聞こゆべきぞ」

 とて、いと小さやかなれば、かき抱きて障子のもと出でたまふにぞ、求めつる中将だつ人来あひたる。

(源氏)「やゝ」と宣ふに、あやしくてさぐりよりたるにぞ、

 「やや」とのたまふに、あやしくて探り寄りたるにぞ、いみじく匂ひみちて、顔にもくゆりかかる心地するに、思ひ寄りぬ。あさましう、こはいかなることぞと思ひまどはるれど、聞こえむ方なし。並々の人ならばこそ、荒らかにも引きかなぐらめ、それだに人のあまた知らむは、いかがあらむ。心も騷ぎて、慕ひ来たれど、動もなくて、奥なる御座に入りたまひぬ。

 障子をひきたてて、「暁に御迎へにものせよ」とのたまへば、女は、この人の思ふらむことさへ、死ぬばかりわりなきに、流るるまで汗になりて、いと悩ましげなる、いとほしけれど、例の、いづこより取う出たまふ言の葉にかあらむ、あはれ知らるばかり、情け情けしくのたまひ尽くすべかめれど、なほいとあさましきに、

 「現ともおぼえずこそ。数ならぬ身ながらも、思しくたしける御心ばへのほども、いかが浅くは思うたまへざらむ。いとかやうなる際は、際とこそはべなれ」

 とて、かくおし立ちたまへるを、深く情けなく憂しと思ひ入りたるさまも、げにいとほしく、心恥づかしきけはひなれば、
 「その際々を、まだ知らぬ、初事ぞや。なかなか、おしなべたる列に思ひなしたまへるなむうたてありける。

おのづから聞き給ふやうもあらむ。

おのづから聞きたまふやうもあらむ。あながちなる好き心は、さらにならはぬを。さるべきにや、げに、かくあはめられたてまつるも、ことわりなる心まどひを、みづからもあやしきまでなむ」

 など、まめだちてよろづにのたまへど、いとたぐひなき御ありさまの、いよいようちとけきこえむことわびしければ、すくよかに心づきなしとは見えたてまつるとも、さる方の言ふかひなきにて過ぐしてむと思ひて、つれなくのみもてなしたり。人柄のたをやぎたるに、強き心をしひて加へたれば、なよ竹の心地して、さすがに折るべくもあらず。

まことに心やましくて、あながちなる御心ばへを、

 まことに心やましくて、あながちなる御心ばへを、言ふ方なしと思ひて、泣くさまなど、いとあはれなり。心苦しくはあれど、見ざらましかば口惜しからまし、と思す。慰めがたく、憂しと思へれば、

 「など、かく疎ましきものにしも思すべき。おぼえなきさまなるしもこそ、契りあるとは思ひたまはめ。むげに世を思ひ知らぬやうに、おぼほれたまふなむ、いとつらき」と恨みられて、

 「いとかく憂き身のほどの定まらぬ、ありしながらの身にて、かかる御心ばへを見ましかば、あるまじき我が頼みにて、見直したまふ後瀬をも思ひたまへ慰めましを、いとかう仮なる浮き寝のほどを思ひはべるに、たぐひなく思うたまへ惑はるるなり。よし、今は見きとなかけそ」

 とて、思へるさま、げにいとことわりなり。おろかならず契り慰めたまふこと多かるべし。

鶏も鳴きぬ。人々起き出でて、

 鶏も鳴きぬ。人びと起き出でて、

 「いといぎたなかりける夜かな」
 「御車ひき出でよ」

 など言ふなり。守も出で来て、

 「女などの御方違へこそ。夜深く急がせたまふべきかは」など言ふもあり。

 君は、またかやうのついであらむこともいとかたく、さしはへてはいかでか、御文なども通はむことのいとわりなきを思すに、いと胸いたし。奥の中将も出でて、いと苦しがれば、許したまひても、また引きとどめたまひつつ、

 「いかでか、聞こゆべき。世に知らぬ御心のつらさも、あはれも、浅からぬ世の思ひ出では、さまざまめづらかなるべき例かな」
 とて、うち泣きたまふ気色、いとなまめきたり。

とりもしばしばなくに、心あわたゞしくて、

 鶏もしばしば鳴くに、心あわたたしくて、

 「つれなきを恨みも果てぬしののめに
  とりあへぬまでおどろかすらむ」

 女、身のありさまを思ふに、いとつきなくまばゆき心地して、めでたき御もてなしも、何ともおぼえず、常はいとすくすくしく心づきなしと思ひあなづる伊予の方の思ひやられて、「夢にや見ゆらむ」と、そら恐ろしくつつまし。

 「身の憂さを嘆くにあかで明くる夜は
  とり重ねてぞ音もなかれける」

 ことと明くなれば、障子口まで送りたまふ。内も外も人騒がしければ、引き立てて、別れたまふほど、心細く、隔つる関と見えたり。

御なほしなど着給ひて、南の高欄に、

 御直衣など着たまひて、南の高欄にしばしうち眺めたまふ。西面の格子そそき上げて、人びと覗くべかめる。簀子の中のほどに立てたる小障子の上より仄かに見えたまへる御ありさまを、身にしむばかり思へる好き心どもあめり。

 月は有明にて、光をさまれるものから、かげけざやかに見えて、なかなかをかしき曙なり。何心なき空のけしきも、ただ見る人から、艶にもすごくも見ゆるなりけり。人知れぬ御心には、いと胸いたく、言伝てやらむよすがだになきをと、かへりみがちにて出でたまひぬ。

 殿に帰りたまひても、とみにもまどろまれたまはず。またあひ見るべき方なきを、まして、かの人の思ふらむ心の中、いかならむと、心苦しく思ひやりたまふ。「すぐれたることはなけれど、めやすくもてつけてもありつる中の品かな。隈なく見集めたる人の言ひしことは、げに」と思し合はせられけり。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第19回 「帚木」より その10
収録日 2002年5月30日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

講座名:平成14年春期講座

刊行書籍

研究成果は『エンゼル叢書』シリーズ(PHP研究所)や
機関誌として刊行しています

詳しくはこちら

所蔵古典書

森永エンゼルカレッジで所蔵している
古典書をご紹介します

詳しくはこちら

さまざまな分野に精通し、経験、知識豊富な講師の方々をご紹介します。

講師プロフィール

pagetop