源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第20回 「帚木」より その11

小君に消息をたのむ源氏。小君と源氏の心のありようは濃やかに描かれている。再び逢おうとするも、帚木の歌に譬え、空蝉は慎み深い態度をとる。余談にスポーツと和歌の関わりの話など。

この程は大殿にのみおはします。

 このほどは大殿にのみおはします。なほいとかき絶えて、思ふらむことのいとほしく御心にかかりて、苦しく思しわびて、紀伊守を召したり。

 「かの、ありし中納言の子は、得させてむや。らうたげに見えしを。身近く使ふ人にせむ。主上にも我奉らむ」とのたまへば、

 「いとかしこき仰せ言にはべるなり。姉なる人にのたまひみむ」

 と申すも、胸つぶれて思せど、

 「その姉君は、朝臣の弟や持たる」

 「さもはべらず。この二年ばかりぞ、かくてものしはべれど、親のおきてに違へりと思ひ嘆きて、心ゆかぬやうになむ、聞きたまふる」

 「あはれのことや。よろしく聞こえし人ぞかし。まことによしや」とのたまへば、
 「けしうははべらざるべし。もて離れてうとうとしくはべれば、世のたとひにて、睦びはべらず」と申す。

さて、いつかむゆかありて、この子ゐて参れり。

 さて、五六日ありて、この子率て参れり。こまやかにをかしとはなけれど、なまめきたるさまして、あて人と見えたり。召し入れて、いとなつかしく語らひたまふ。童心地に、いとめでたくうれしと思ふ。いもうとの君のことも詳しく問ひたまふ。さるべきことは答へ聞こえなどして、恥づかしげにしづまりたれば、うち出でにくし。されど、いとよく言ひ知らせたまふ。

 かかることこそはと、ほの心得るも、思ひの外なれど、幼な心地に深くしもたどらず。御文を持て来たれば、女、あさましきに涙も出で来ぬ。この子の思ふらむこともはしたなくて、さすがに、御文を面隠しに広げたり。いと多くて、

 「見し夢を逢ふ夜ありやと嘆くまに
  目さへあはでぞころも経にける
 寝る夜なければ」

 など、目も及ばぬ御書きざまも、霧り塞がりて、心得ぬ宿世うち添へりける身を思ひ続けて臥したまへり。

またの日、小君召したれば、参るとて、

 またの日、小君召したれば、参るとて御返り乞ふ。

 「かかる御文見るべき人もなし、と聞こえよ」

 とのたまへば、うち笑みて、

 「違ふべくものたまはざりしものを。いかが、さは申さむ」

 と言ふに、心やましく、残りなくのたまはせ、知らせてけると思ふに、つらきこと限りなし。

 「いで、およすけたることは言はぬぞよき。さは、な参りたまひそ」とむつかられて、

 「召すには、いかでか」とて、参りぬ。

 紀伊守、好き心にこの継母のありさまをあたらしきものに思ひて、追従しありけば、この子をもてかしづきて、率てありく。

 君、召し寄せて、

 「昨日待ち暮らししを。なほあひ思ふまじきなめり」

 と怨じたまへば、顔うち赤めてゐたり。

 「いづら」とのたまふに、しかしかと申すに、

 「言ふかひなのことや。あさまし」とて、またも賜へり。

(源氏)「あこは知らじな。その伊予のおきなよりはさきに見し人ぞ。

 「あこは知らじな。その伊予の翁よりは、先に見し人ぞ。されど、頼もしげなく頚細しとて、ふつつかなる後見まうけて、かく侮りたまふなめり。さりとも、あこはわが子にてをあれよ。この頼もし人は、行く先短かりなむ」

 とのたまへば、「さもやありけむ、いみじかりけることかな」と思へる、「をかし」と思す。

 この子をまつはしたまひて、内裏にも率て参りなどしたまふ。わが御匣殿にのたまひて、装束などもせさせ、まことに親めきてあつかひたまふ。

 御文は常にあり。されど、この子もいと幼し、心よりほかに散りもせば、軽々しき名さへとり添へむ、身のおぼえをいとつきなかるべく思へば、めでたきこともわが身からこそと思ひて、うちとけたる御答へも聞こえず。ほのかなりし御けはひありさまは、「げに、なべてにやは」と、思ひ出できこえぬにはあらねど、「をかしきさまを見えたてまつりても、何にかはなるべき」など、思ひ返すなりけり。

君は、おぼし怠る時のまもなく、

 君は思しおこたる時の間もなく、心苦しくも恋しくも思し出づ。思へりし気色などのいとほしさも、晴るけむ方なく思しわたる。軽々しく這ひ紛れ立ち寄りたまはむも、人目しげからむ所に、便なき振る舞ひやあらはれむと、人のためもいとほしく、と思しわづらふ。

 例の、内裏に日数経たまふころ、さるべき方の忌み待ち出でたまふ。にはかにまかでたまふまねして、道のほどよりおはしましたり。

 紀伊守おどろきて、遣水の面目とかしこまり喜ぶ。小君には、昼より、「かくなむ思ひよれる」とのたまひ契れり。明け暮れまつはし馴らしたまひければ、今宵もまづ召し出でたり。

 女も、さる御消息ありけるに、思したばかりつらむほどは、浅くしも思ひなされねど、さりとて、うちとけ、人げなきありさまを見えたてまつりても、あぢきなく、夢のやうにて過ぎにし嘆きを、またや加へむ、と思ひ乱れて、なほさて待ちつけきこえさせむことのまばゆければ、小君が出でて往ぬるほどに、

 「いとけ近ければ、かたはらいたし。なやましければ、忍びてうち叩かせなどせむに、ほど離れてを」
 とて、渡殿に、中将といひしが局したる隠れに、移ろひぬ。

さる心して、人とく静めて、御せうそこあれど、

 さる心して、人とく静めて、御消息あれど、小君は尋ねあはず。よろづの所求め歩きて、渡殿に分け入りて、からうしてたどり来たり。いとあさましくつらし、と思ひて、

 「いかにかひなしと思さむ」と、泣きぬばかり言へば、

 「かく、けしからぬ心ばへは、つかふものか。幼き人のかかること言ひ伝ふるは、いみじく忌むなるものを」と言ひおどして、「『心地悩ましければ、人びと避けずおさへさせてなむ』と聞こえさせよ。あやしと誰も誰も見るらむ」

 と言ひ放ちて、心の中には、「いと、かく品定まりぬる身のおぼえならで、過ぎにし親の御けはひとまれるふるさとながら、たまさかにも待ちつけたてまつらば、をかしうもやあらまし。しひて思ひ知らぬ顔に見消つも、いかにほど知らぬやうに思すらむ」と、心ながらも、胸いたく、さすがに思ひ乱る。「とてもかくても、今は言ふかひなき宿世なりければ、無心に心づきなくて止みなむ」と思ひ果てたり。

君は、いかにたばかりなさむと、まだ幼きをうしろめたく、

 君は、いかにたばかりなさむと、まだ幼きをうしろめたく待ち臥したまへるに、不用なるよしを聞こゆれば、あさましくめづらかなりける心のほどを、「身もいと恥づかしくこそなりぬれ」と、いといとほしき御気色なり。とばかりものものたまはず、いたくうめきて、憂しと思したり。

 「帚木の心を知らで園原の
  道にあやなく惑ひぬるかな
 聞こえむ方こそなけれ」

 とのたまへり。女も、さすがに、まどろまざりければ、

 「数ならぬ伏屋に生ふる名の憂さに
  あるにもあらず消ゆる帚木」
 と聞こえたり。
 小君、いといとほしさに眠たくもあらでまどひ歩くを、人あやしと見るらむ、とわびたまふ。

例の、人々はいぎたなきに、

 例の、人びとはいぎたなきに、一所すずろにすさまじく思し続けらるれど、人に似ぬ心ざまの、なほ消えず立ち上れりける、とねたく、かかるにつけてこそ心もとまれと、かつは思しながら、めざましくつらければ、さばれと思せども、さも思し果つまじく、

 「隠れたらむ所に、なほ率て行け」とのたまへど、

 「いとむつかしげにさし籠められて、人あまたはべるめれば、かしこげに」

 と聞こゆ。いとほしと思へり。

 「よし、あこだに、な捨てそ」
 とのたまひて、御かたはらに臥せたまへり。若くなつかしき御ありさまを、うれしくめでたしと思ひたれば、つれなき人よりは、なかなかあはれに思さるとぞ。

春期の講義を終えて

失われた祭りの情熱とサッカーW杯

「不思議に、サッカーと和歌とは言葉のスポーツと肉体のスポーツの違いだけで、根は全く同じなんですね。そういう面白い日本の文化の上の一つの事実もあるわけです。だから定家、あのあたりの連中たちのころの和歌とサッカー、つまり蹴鞠とは、非常に深いつながりがあるわけです。それと歌合というのは、言葉によるスポーツとして、あの時代の人々の間で自然に行われていたのは極めて当然のことだと思うんです。」

コンテンツ名 源氏物語全講会 第20回 「帚木」より その11
収録日 2002年6月6日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

講座名:平成14年春期講座

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