源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第29回 「夕顔」より その7

紫式部の歌や宣長の「まくらの山」三百首の歌への評価、歌と俳句の溝のこと、さらに、中東バグダッドへの思いを語る。夕顔の亡骸を前に源氏は激しい悲しみの感情を顕わにする。

はじめに

平成15年春期講義のはじめに

・物語と響き合う、紫式部の和歌
・「宣長は歌の下手な人」という「常識」への疑問

「バグダッド燃ゆ」

イラク戦争に思う


「そういう痛ましい者たちが、僕たちのこの国の中で大量に発生することのないように、僕たちの生活は真剣でなければならない。それから、毅然として考え、毅然として言うべきことは言う人間でなければならないというふうな思いがいたします。そして、短歌という文学は、こういうことをこういうときの中で言わないではいられない、表現しないではいられない文学だと思うんです。」
日本の黄砂に濁る空の果てむごき戦を人は戦う
少年の日の魔法のランプまかがやく炎の中のシェヘラザード
油火を灯し連ねて遊びたる黒衣の姫も滅びなむとす
砂嵐土を削りてすさぶ野に爆死せし子を抱きて立つ母
東京を焼き滅ぼせし戦火いまイスラムの民に再び迫る
コーランの祈りの声は砲声のしばらく止みし丘より響く
焼け原に重なるむくろ目も鼻も焼けとろろぎて虚ろの眼下
名も知らず女男を分かたぬむくろ幾つ焼け原の土に埋めゆきたり
我が二十歳の夜の炎に焼けうせし幻の桜ああ弥生人
かくまでも異教の民を虐ぐる神を許さじと憤り立つ
千年の神の掟に背く者ここ過ぎて暑き砂にさすらへ
ジハードを我戦うと立ち行きて面は幼き者ら帰らず
専制の国といえども若きらは神の戦に潔く死す
我が友の面はつぶさに浮かびくる爆薬を抱く少年の顔
町にみつる阿鼻叫喚の声にすらためらひもなく火を浴びせゆく
かく酷き戦を許し白々と天にまします神は何もの
信厚き大統領は異教徒をはふり尽くして事たるとせむ
草木にも優しく宿る我らが神破れし後も疑わずいぬ
千万の人の死にゆく暁に日本の桜哀れ散りゆく
バグダッド業火に焼くる戦いを病み伏す妻に告げざらむとす
夜を通す氷雨にしとどぬれし身は翼重たく地に立ち尽くす
鍋鶴のひしめく冬田丈高く歩む真鶴を見放ちがたし
北を指し今たちていく鶴群の万羽の声は空をとよもす
去りがたく曙の空飛びめぐり鳴き交わすなり哀れ鶴群
同級の友板倉シン大尉かの日特攻隊を率いてここをたち行きし
特攻機連ね行きたる我が友の幻見ゆる雨の鶴群
海に出て群れ整うる鶴群の大きうねりをはるか見守る
目指し行く北の荒野は草燃えのまだ遠からぬつつがなく行け

戦火ふたたび
やまとたける ここに果てにき。青芦原 大和にむきてひたすら靡く
死をせまる国の運命にしたがひて かの若者ら 命はてにき
うら若く戦ひ死にし友の顔。老いのおぼろの夢にいでくる
いまふたたび 一国の民にせまりくる 死のおののきの身を焦がす朝
キリストか、アツラーか知らず。人間をほろぼす神を 我うべなはず
テポドンのせまる時の間 すべもなく呆れぼれとしてわれらあらむか
意志をもて戦ふはよし。草の芽の萎えゆくごとき 幼らあはれ

からうじて惟光の朝臣まゐれり。

 からうじて惟光の朝臣まゐれり。よなかあかつきと言はず、御心に従へる者の、こよひしもさぶらはで、召しにさへおこたりつるを、憎しとおぼすものから、召し入れて、宣ひ出でむことのあへなきに、ふとものも言はれ給はず。右近、大夫のけはひ聞くに、初めよりの事うち思ひ出でられて、泣くを、君をえ堪へ給はで、我ひとりさかしがり、いだき持(も)給へりけるに、この人にいきをのべ給ひてぞ、悲しき事もおぼされける。とばかりいといたく、えもとゞめず泣き給ふ。

やゝためらひて、(源氏)「こゝにいとあやしき事のあるを、

 やゝためらひて、(源氏)「こゝにいとあやしき事のあるを、あさましと言ふにも余りてなむある。『かゝるとみの事には、誦経(ずきやう)などをこそはすなれ』とて、その事どももせさせむ、願(ぐわん)などもたてさせむとて、阿闍梨(あざり)ものせよと言ひやりつるは」と宣ふに、(惟光)「昨日山へまかりのぼりにけり。まづいとめづらかなる事にも侍るかな。かねて例ならず御こゝちのものせさせ給ふ事や侍りつらむ」(源氏)「さる事もなかりつ」とて泣き給ふさま、いとをかしげにらうたく、見奉る人もいと悲しくて、おのれもよゝと泣きぬ。

さ言へど、年うちねび、世の中のとある事としほじみぬる人こそ、

 さ言へど、年うちねび、世の中のとある事としほじみぬる人こそ、もののをりふしは頼もしかりけれ、いづれもいづれも若きどちにて、言はむかたもなけれど、(惟光)「この院守(ゐんも)りなどに聞かせむ事は、いと便(びん)なかるべし。この人ひとりこそ、むつまじくもあらめ、おのづから、もの言ひ漏(も)らしつべき眷属(くゑんぞく)も、立ち交じりたらむ。まづ、この院を出でおはしましね」と言ふ。(源氏)「さて、これより人少ななる所は、いかでかあらむ」と、宣ふ。(惟光)「げに、さぞ侍らむ。かのふるさとは、女房などの悲しびに堪へず、泣きまどひ侍らむに、隣(となり)しげく咎(とが)むる里人(さとびと)おほく侍らむに、おのづから聞え侍らむを、山寺こそ、なほかやうのこと、おのづから行(ゆ)きまじり、もの紛るゝ事はべらめ」と、思ひまはして、(惟光)「昔見給へし女房の、尼(あま)にて侍る、ひんがし山の辺(へん)に、移し奉らむ。惟光が父の朝臣(あそん)のめのとに侍りし者の、みづはぐみて住み侍るなり。あたりは人しげきやうに侍れど、いとかごかに侍り」と、聞えて、開けはなるゝ程の紛れに、御車寄す。

この人をえいだき給ふまじければ、うはむしろにおしくゝみて、

 この人をえいだき給ふまじければ、うはむしろにおしくゝみて、惟光乗せ奉る。いとさゝやかにて、うとましげもなくらうたげなり。したゝかにしもえせねば、髪はこぼれいでたるも、目くれまどひて、あさましう悲しとおぼせば、なりはてむさまを見む、と、おぼせど、(惟光)「はや御馬にて二条の院へおはしまさむ。人さわがしくなり侍らぬ程に」とて、右近を添へて乗すれば、かちより、君に馬は奉りて、くゝり引上げなどして、かつはいとあやしく、おぼえぬ送りなれど、御気色のいみじきを見奉れば、身を捨てて行くに、君はものもおぼえ給はず、われかのさまにておはし着きたり。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第29回 「夕顔」より その7
収録日 2003年4月10日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成15年春期講座

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