源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第38回 「若紫」より その5

古事記、古代の3つの叙事詩、あまがたりうた、『出雲風土記』の国引きの段、延喜式の大祓えの祝詞についてや「いろごのみ」の観点における『源氏物語』の読み解きについて。源氏は桐壷帝に拝謁する。

出雲系の物語と歌の中にうかがえる古代人の理想

・八千矛の神の歌について

この八千矛(やちほこ)の神、高志(こし)の国の沼河比賣(ぬなかはひめ)を婚(よば)はむとして
幸(い)でましし時、 その沼河比賣の家に到(いた)りて歌ひたまひしく

「倭建というのは、『日本書紀』にはああいう書き方はしていない。『古事記』の中の倭建神話というものは、大国主の言ってみれば近代版みたいなものですが、それだけに非常に細やかに、そして様々な女性たちの心優しい、まず叔母さんの倭比売、弟橘(おとたちばな)比売、美夜受(みやず)比売、そんな優しい優れた力を持った女性たちの助けがあって、愛を一つ一つ獲得しながら、見事な使命を遂げていくわけですね。そして最後にあんな悲劇的な死を遂げる。そこがまた人々の心を大変引きつけるわけですけれども、その原型みたいなもの、その典型みたいなものが大国主であるわけですね。」

八千矛の神の歌 1

八千矛(やちほこ)の 神(かみ)の命(みこと)は
八島國(やしまくに) 妻(つま)枕(ま)きかねて
遠々(とほどほ)し 高志(こし)の國(くに)に
賢(さかし)し女(め)を 有(あ)りと聞(き)かして
麗(くは)し女(め)を 有(あ)りと聞(き)こして
さ婚(よば)ひに 在立(ありた)たし
婚(よば)ひに 在通(ありかよ)はせ
太刀(たち)が緒(を)も いまだ解(と)かずて
襲(おすひ)をも いまだ解(と)かねば
嬢子(をとめ)の 寝(な)すや板戸(いたど)を
押(お)そぶらひ 我(わ)が立(た)たせれば
引(ひ)こづらひ 我(わ)が立(た)たせれば

青山(あおやま)に ぬえは鳴(な)きぬ
さ野(の)つ鳥(とり) 雉(きざし)は響(とよ)む
庭(には)つ鳥(とり) 鶏(かけ)は鳴(な)く
うれたくも 鳴(な)くなる鳥(とり)か
この鳥(とり)も 打(う)ち止(や)めこせね

ここにその沼河比賣(ぬなかはひめ)、未だ戸を開かずて、内(うち)より歌ひたまひしく、

八千矛(やちほこ)の 神(かみ)の命(みこと)
萎(ぬえ)え草(くさ)の 女(め)にしあれば
我(わ)が心(こころ) 浦渚(うらす)の鳥(とり)ぞ
今(いま)こそは 我鳥(わどり)にあらめ
後(のち)は 汝鳥(などり)にあらむを
命(いのち)は な死(し)せたまひそ
いしたふや 海人馳使(あまはせづかひ)
事(こと)の 語(かた)り言(こと)も こをば

八千矛の神の歌 2

・八千矛の神と須勢理毘売

甚(い)たく嫉妬(うはなりねた)みしたまひき
かれ、その日子遅(ひこぢ)の神わびて
出雲より大和に上(のぼ)りまさむとして、装束(よそひ)し立(た)たす時に
片御手(かたみて)は御馬(みうま)の鞍(くら)に繋(か)け、片御足はその御(み)鐙(あぶみ)に踏(ふ)み入れて
ぬばたまの 黒(くろ)き御衣(みけし)を
ま具(つぶさ)に 取(と)り装(よそ)ひ
沖(おき)つ鳥(とり) 胸見(むなみ)る時(とき)
羽叩(はたた)ぎも これは相鷹(ふさ)はず
邊(へ)つ波(なみ) 背(そ)に脱(ぬ)ぎ棄(う)て
そに鳥の 青(あお)き御衣(みけし)を
ま具(つぶさ)に 取(と)り装(よそ)ひ
沖(おき)つ鳥(とり) 胸(むな)見(み)る時(とき)
羽(は)叩(たた)ぎも 此(こ)も相鷹(ふさ)はず
邊(へ)つ波(なみ) 背(そ)に脱(ぬ)ぎ棄(う)て
山縣(やまがた)に 蒔(ま)きし 藍蓼(あたね) (つ)き
染木(そめき)が 汁(しる)に 染衣(しめごろも)を
ま具(つぶさ)に 取(と)り装(よそ)ひ
沖(おき)つ鳥(とり) 胸(むな)見(み)る時(とき)
羽(は)叩(たた)ぎも 此(こ)し良(よ)ろし

八千矛の神の歌 3

いとこやの 妹(いも)の命(みこと)
群鳥(むらとり)の 我(わ)が群(む)れ往(い)なば
引(ひ)け鳥(とり)の 我(わ)が引(ひ)け往(い)なば
泣(な)かじとは 汝(な)は云(い)ふとも
山處(やまと)の 一本(ひともと)薄(すすき)
項傾(うなかぶ)し 汝(な)が泣(な)かさまく
朝雨(あさあめ)の さ霧(きり)に立(た)たむぞ
若草(わかくさ)の 妻(つま)の命(みこと)
事(こと)の 語(かた)り言(こと)も こをば
ここにその后((須勢理毘賣))、大御(おおみ)酒杯(さかづき)を取らして、
立ち依(よ)り指挙(ささ)げて、歌ひたまひしく、

八千矛(やちほこ)の 神(かみ)の命(みこと)や 吾(あ)が大國主(おおくにぬし)
汝(な)こそは 男(を)にいませば
うち廻(み)る 島(しま)の埼々(さきざき)
かき廻(み)る 磯(いそ)の埼(さき)落(お)ちず
若草(わかくさ)の 妻(つま)持(も)たせらめ
吾(あ)はもよ 女(め)しにあれば
汝(な)を置(き)て 男(を)は無(な)し
汝(な)を置(き)て 夫(つま)は無(な)し
文垣(あやがき)の ふはやが下(した)に
衾(むしぶすま) 柔(にこ)やが下(した)に
栲衾(たくぶすま) さやぐが下(した)に
沫雪(あわゆき)の 若(わか)やる胸(むね)を

栲綱(たくづの)の 白(しろ)き腕(ただむき)
素手(そだ)抱(た)き 手抱(たた)き抜(まな)がり
眞玉手(またまで) 玉手(たまで)さし枕(ま)き
股長(ももなが)に 寝(い)をし寝(な)せ
豊御酒(とよみき) 献(たてまつ)らせ

かく歌ひて即ち盃(うき)結(ゆひ)して、項繋(うながけ)りて、今に至るまで鎮(しず)まり坐(ま)す。
これを神語(かむがたり)といふ。

出雲と折口信夫

・出雲系の社のそばに墓をつくった折口信夫

もっとも苦しき たたかひに、最もくるしみ 死にたる
むかしの陸軍中尉 折口春洋 ならびにその 父信夫の墓

「出雲系の信仰、須佐之男、大国主の信仰、そして古典を本当に心深く読めば、出雲系の方にこそ宗教的な要素がより濃密にある。大和系のものはどうも政治的な形で、殊に『日本書紀』は政治的な形で整理せられてしまって、一番大事な魂の言葉があるべきところに、いわゆる中国風な天壤無窮の神勅とか稲穂の神勅と言われるような漢文風の言葉があって、あそこで非常に大事な力ある歌が当然あったはずなんだけれども、それが宮廷で記録せられる段階で変わってしまっている。
それから見ると、出雲系の神話、あるいは出雲系の神話の中の歌、海人族の神話、あのロマン的な海洋性を持った、伸び伸びとして、しかも恋の情熱の深さを歌っている歌を格にした日本人の持つ活力、生きる情熱、それこそ我々がこれから深めていかなければならないものなんだと思ったわけですね。 」

・幕末の国学者/矢野玄道のこと

橿原の御世にかへると思ひしはあらぬ夢みてありけるものを

・阿治志貴日子根の神の歌

天(あめ)なるや 弟棚機(おとたなばた)の
項(うな)がせる 玉(たま)の御統(みすまる)
御統(みすまる)に 穴玉(あなたま)はや
み谷(たに) 二渡(ふたわた)らす
阿治(あぢ)志貴(しき) 高(たか)日(ひ)子(こ)根(ね)の神(かみ)ぞ
赤玉(あかだま)は 緒(を)さへ光(ひか)れど
白玉(しらたま)の 君(きみ)が装(よそひ)し 貴(たふと)くありけり

沖(おき)つ鳥(とり) 鴨(かも)著(ど)く島(しま)に
我(わ)が率(ゐ)寝(ね)し 妹(いも)は忘(わす)れじ 世(よ)の盡(ことごと)に

宇陀(うだ)の 高城(たかき)に 鴫(しぎ)羂(わな)張(は)る
我(わ)が待(ま)つや 鴫(しぎ)は障(さや)らず
いすくはし 鯨(くぢら)障(さや)る
前妻(こなみ)が 肴(な)乞(こ)はさば
立(たち) (そ) (ば)の 實(み)の無(な)けくを 扱(こ)きしひゑね
後妻(うはなり)が 肴(な)乞(こ)はさば
いちさかき 實(み)の多(おほ)けくを 許多(こきだ)ひゑね
ええ しやこしや こはいのごふぞ
あし しやこしや こは嘲笑(あざわら)ふぞ

折口信夫「贖罪」

・折口信夫 「贖罪」(昭和22年雑誌「八雲」において発表)

すさのを我 こゝに生まれて
はじめて 人とうまれて―
ひとり子と 生(ヲ)ひ成(ナ)りにけり。
ちゝのみの 父のひとり子―
ひとりのみあるが、すべなさ
天地は いまだ物なし―
山川も たゞに黙(モク)して
草も木も 鳥けだものも
生ひ出でぬはじめの時に、
人とあることの苦しさ―。

すさのをに 父はいませど、
母なしにあるが すべなき―。
母なしに 我(ア)を産(ナ)し出でし
わが父ぞ、慨(ウレタ)かりける
いと憎き 父の老男(ヒコジ)よ。
母産(ナ)さば、斯く産すべしや―
胎(ハラ)なしに 生ひ出でし我
胞(エ)なしに やどりし我
天地(アメツチ)の私生(ワタクシバラ)と
胎(ハラ)裂かで 現(ア)れ出でしはや―。

父の子の 片(カタ)生(ナ)り 我は、
不具(カタハ)なる命を享(ウ)けて、
我(ワ)が見る 世のことごと
天の下 四方(ヨモ)の物ども
まがりつゝ 傾き立てり。

男なる父の 泌(ヒ)物 凝りて
成り出でし 純男(モハラヲトコ)と
あゝ満(タ)れる面わもなしや―
我が脚は 真直に蹈まず、
舟舵(フナカジ)如(ト) 横に折れたり―

父の身に居ること 百世(モモヨ)―。
生(ウマ)れいでゝ 白髪生ひたり。
白髪なす髯も 垂れたり。
剣刃(バ)と 歯は生ひ並び、
深々し 頬のうへの皺。

わがあぐる産声(ウブゴエ)を聞け。
老い涸れて 四方にとゞろく―。
わが息に触りぬるものは―
青山は枯れて 白(シラ)みぬ。
大海はあせて 波なし。

我が力 物をほろぼす―
憤 (イキドホロ)し 我が活(イ)き力(ヂカラ)
わが父や 我を遁(ノガ)ろへ、
我や 我が父に憎まえ、
追放(ヤラ)はれぬ。海(ワタ)のたゞ中

わたつみの最(モ)中(ナカ)に立ちて
我は見ぬ。我が周囲(モトホリ)を―
我は見ぬ。露(アラ)膚(ハダ)われを―
我は見ぬ。我が現(ウツ)し身(ミ)を
吠えおらぶ我が 足掻(アガ)きを―

更に見ぬ。わが生みの子の
八千つゞき 八よろづ続き
穢れゆく血しほの 沈澱(ヲドミ)―。
あはれ其(ソ)を あはれ其奴(ソヤツ)らを
予(アラカヂ)め 亡しおかむ―。
物皆を 滅亡(ツクシ)の力 我に出で来よ

・「すさのお」

わたつみのけだものは、
人の如 脚に立ち
ひたすらに もの欲りて
人の如 泣きおらぶ。

我が耳や わが声聞かず
たゞに聞く けだものゝ声―
さびしさは わたのけだもの
もの欲(ホ)りて泣き哮(タケ)ぶらし―。

かき濁る泥海に
滑(カヅ)きつゝ 我が来れば
鼻も目も 泥(ヒヂ)懲(コ)りて
芥つくわが髪や―。

わがかひな 沙(ス)土(ヒヂ)にうもれ
八束脛(ハギ) 海 蹈みとほし
立ちながら 歌(ウ)泥(ヒヂ)とぢたり―。
行きがたし。海原の道―

堅(タチ)氷(ヒ)なす 立ちて苦しみ
泣けばたゞ 潮騒(シヲサイ)の音―。
額(ヌカ)にさす光りは見れど、
わが目らや つひに盲ひなむ

高天(タカアメ)の 我が姉よ―。
今助(ス)けに来よ。わがいろ姉(ネ)―。
わが咽喉は 火と燃えたり
たゞ欲りす。乳(チ)汁(シル)のしづく

わが御(ミ)姉 我を助けて
かき出でよ。汝(ナ)が胸(ムナ)乳(チ)
あはれはれ 死ぬばかり
いと恋し。汝が生(イキ)肌

・「天つ恋」

何にかく 心さわだつ―。
恋びとを見れば たのしなー。
然(シカ)はあれど 焦躁(イラナ)さつのり
面(ヲモ)火照(ホデ)り―怒るに似たり。
くちかわき 人に恥ぢつゝ
而もなほ 畏るゝごとし。

かゝはりなく その言ふことの
委曲(ツブツブ)に聴けばよろしき―。
ものがたる処女(ヲトメ)の背向(ソガヒ)
おのづから 眼(マブタ)濡れつゝ

静かなる思ひの湧くは―、
さわやけき 真清水の如
あはれ 我 人をほふりぬ―
むしろ 我 恋を (ツク)しぬ―。
恋びとは憎しといへど、
わが酬(ムク)い 君をころしき。
散る花の冴えざえしづむ
ほの白き 処女のむくろ―

青雲の向(むか)臥(ブ)すきはみ
高(タカ)天(マ)が原とほく○れつゝ
今ぞ竟(ヲ)ふる―恋の贖(アガナ)ひ。
天つ恋 雲と消えぬれ―
我が裔(スエ)の千(チ)五(イ)百(キ)子孫(ツマゴ)に
現界(ウツシミ)の身を ゆすり来る
国つ恋あれ

君は先づ内に参り給ひて、日頃の御物語など聞え給ふ。

 君は先づ内に参り給ひて、日頃の御物語など聞え給ふ。(主上)「いといたう衰へにけり」とて、ゆゝしと思し召したり。聖の尊かりけることなど問はせ給ふ。委しく奏し給へば、(主上)「阿闍梨などにもなるべき者にこそあなれ。行ひの臈(らう)は積りて、公(おほやけ)に知ろしめされざりけること」と尊がり宣はせけり。

大殿参り合ひ給ひて、(大臣)「御迎へにもと思ひ給へつれど、

 大殿参り合ひ給ひて、(大臣)「御迎へにもと思ひ給へつれど、忍びたる御ありきにいかゞ、と思ひはゞかりてなむ。のどやかに一二日(ひとひふつか)うち休み給へ」とて、(大臣)「やがて御送り仕うまつらむ」と申し給へば、さしも思さねど、ひかされて罷(まか)で給ふ。我が御車に乗せ奉り給うて、自らは引き入りて奉れり。もてかしづき聞え給へる御心ばへのあはれなるをぞ、さすがに心苦しく思しける。

殿にも、おはしますらむと心づかひし給ひて、久しく見給はぬ程に、

 殿にも、おはしますらむと心づかひし給ひて、久しく見給はぬ程に、いとど玉の台(うてな)に磨きしつらひ、よろづを整へ給へり。女君、例の這い隠れて、とみにも出で給はぬを、おとゞ切(せち)に聞え給ひて、からうじて渡り給へり。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第38回 「若紫」より その5
収録日 2003年10月2日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

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