源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第44回 「若紫」より その11

二条に移り若紫も戸惑うが源氏は「女はやはらかなむよき」と説く。紫の縁の歌の手習いなどをさせる。講義の後半に三矢先生と折口先生のお祭りの話、神様にささげる詞としての祝詞や長歌の話等。

二条院は近ければ、まだ明(あか)うならぬ程におはして、

 二条院は近ければ、まだ明(あか)うならぬ程におはして、西の対に御車寄せて降り給ふ。若君をば、いと軽らかに、掻き抱きて降ろし給ふ。少納言、「なほいと夢のこゝちし侍るを、いかにし侍るべき事にか」と、やすらへば。(源氏)「そは心ななり。御みづから渡し奉りつれば、帰りなむとあらば送りせむかし」と宣ふに、わらひて降りぬ。俄にあさましう、胸も静かならず、「宮の思し宣はむ事。いかになり果(は)て給ふべき御有様にか。とてもかくても、たのもしき人々に後(おく)れ給へるがいみじさ」と思ふに、涙の止まらぬを、さすがにゆゝしければ、念じゐたり。

こなたは住み給はぬ対なれば、御帳などもなかりけり。

 こなたは住み給はぬ対なれば、御帳などもなかりけり。惟光召して、御帳御屏風など、あたりあたり、したてさせ給ふ。御几帳の帷子(かたびら)引き下し、御座(おまし)など、たゞひきつくろふばかりにてあれば、東(ひんがし)の対に、御宿直(とのゐ)もの召しに遣はして、大殿籠(おほとのごも)りぬ。若君は、いとむくつけう、いかにする事ならむ、と、ふるはれ給へど、さすがに声たててもえ泣き給はず。(若宮)「少納言がもとに寝む」と宣ふ声、いと若し。(源氏)「今はさは大殿籠るまじきぞよ」と教へ聞え給へば、いとわびしくて、泣き臥し給へり。乳母はうちも臥されす、ものも覚えず起きゐたり。

明け行くまゝに見わたせば、大殿(おとど)の造りざま、しつらひざま、

 明け行くまゝに見わたせば、大殿(おとど)の造りざま、しつらひざま、さらにも言はず。庭の砂子(すなご)も玉を重ねたらむやうに見えて、かゝやくこゝちするに、はしたなく思ひゐたれど、こなたには、女なども侍はざりけり。うとき客(まら)人(うど)などの参るをりふしの方なりければ、男どもぞ御簾(みす)の外(と)にありける。かく人迎へ給へり、とほの聞く人は、「誰ならむ。おぼろげにはあらじ」とさゝめく。

御手水(てうづ)御粥などこなたに参る。日高う寝起き給ひて、

 御手水(てうづ)御粥などこなたに参る。日高う寝起き給ひて、(源氏)「人なくてあしかめるを、さるべき人々、夕づけてこそは迎へさせ給はめ」と宣ひて、対に童女(わらはべ)召しにつかはす。「小さきかぎり、ことさらに参れ」とありければ、いとをかしげにて四人(よたり)参りたり。君は御衣(ぞ)にまとはれて臥し給へるを、せめて起こして、(源氏)「かう心憂くなおはせそ。すゞろなる人は、かうはありなむや。女は心やはらかなるなむよき」など、今より教え聞え給ふ。御かたちは、さしはなれて見しよりも、いみじう清らにて、なつかしううち語らひつゝ、をかしき絵、あそび物ども、取りにつかはして見せ奉り、御心につく事どもをし給ふ。やうやう起き居て見給ふに、にび色のこまやかなるが、うち萎(な)えたるどもを着て、何心なくうちゑみなどして居給へるが、いとうつくしきに、われもうちゑまれて見給ふ。

東(ひんがし)の対にわたり給へるに、立ち出でて、

 東(ひんがし)の対にわたり給へるに、立ち出でて、庭の木立(こだち)、池の方(かた)などのぞき給へば、霜枯(しもがれ)の前栽、絵にかけるやうにおもしろくて、見も知らぬ四位五位こきまぜに、ひまなう出で入りつゝ、「げにをかしき所かな」と思す。御屏風どもなど、いとをかしき絵を見つゝ、慰めておはするも、はかなしや。

君は二日三日内へも参り給はで、この人をなつけ語らひ聞え給ふ。

 君は二日三日内へも参り給はで、この人をなつけ語らひ聞え給ふ。やがて本(ほん)にと思すにや、手習ひ絵など、様々に書きつゝ見せ奉り給ふ。いみじうをかしげに書き集め給へり。「武蔵野と云へばかこたれぬ」と紫の紙に書い給へる墨つきの、いと殊なるを取りて見ゐ給へり。少し小さくて、

(源氏)「ねは見ねど哀れとぞ思ふ武蔵野の露わけわぶる草のゆかりを」

とあり。(源氏)「いで君も書い給へ」とあれば、(若君)「まだようは書かず」とて見上げ給へるが、なに心なくうつくしげなれば、うちほゝゑみて、(源氏)「よからねど、むげに書かぬこそわろけれ。教へ聞えむかし」と宣へば、うちそばみて書い給ふ手つき、筆とり給へる様の、幼なげなるも、らうたうのみ覚ゆれば、心ながらあやしと思す。(若君)「書き損なひつ」と、恥ぢて隠し給ふを、せめて見給へば、

(若君)「かこつべきゆゑを知らねばおぼつかないかなる草のゆかりなるらむ」

と、いと若けれど、生(お)ひ先(さき)見えてふくよかに書い給へり。故尼君のにぞ似たりける。「今めかしき手本ならはば、いとよう書い給ひてむ」と見給ふ。雛(ひいな)など、わざと屋ども造りつづけて、もろともに遊びつゝ、こよなき物思ひの紛らはしなり。

かのとまりにし人々、宮わたり給ひて尋ね聞え給ひけるに、

 かのとまりにし人々、宮わたり給ひて尋ね聞え給ひけるに、聞えやる方なくてぞ、侘(わ)びあへりける。「しばし人に知らせじ」と、君も宣ひ、少納言も思ふ事なれば、せちに口がためやりたり。たゞ、「行方(ゆくへ)も知らず、少納言がゐて隠し聞えたる」とのみ聞えさするに、宮もいふかひなう思して、「故尼君も、かしこにわたり給はむ事を、いとものしと思したりし事なれば、乳母の、いとさしすぐしたる心ばせのあまり、おいらかに、わたさむを便(びん)なし、などは言はで、心にまかせて、ゐてはふらかしつるなめり」と、泣く泣く帰り給ひぬ。(父宮)「もし聞き出で奉らば告げよ」と宣ふもわづらはしく。僧都の御もとにも尋ね聞え給へど、あとはかなくて、あたらしかりし御かたちなど、恋しく悲しと思す。北の方も、母君を憎しと思ひ聞え給ひける心も失せて、わが心にまかせつべう思しけるに、違(たが)ひぬるは、口惜しう思しけり。

やうやう人参り集まりぬ。御遊(あそび)がたきの童女(わらはべ)ちごども、

 やうやう人参り集まりぬ。御遊(あそび)がたきの童女(わらはべ)ちごども、いとめづらかに今めかしき御有様どもなれば、思ふことなくて、遊びあへり。君は、男君のおはせずなどして、さうざうしき夕暮などばかりぞ、尼君を恋ひ聞え給ひて、うち泣きなどし給へど、宮をばことに思ひ出で聞え給はず。もとより見ならひ聞え給はでならひ給へれば、今はたゞこののちの親を、いみじう睦(むつ)びまつはし聞え給ふ。物よりおはすれば、まづ出で迎ひて、あはれにうち語らひ、御懐(ふところ)に入りゐて、いさゝか疎く恥づかしとも思ひたらず。さるかたに、いみじくらうたきわざなりけり。

さかしら心あり、なにくれとむつかしき筋になりぬれば、

 さかしら心あり、なにくれとむつかしき筋になりぬれば、わがこゝちも、  少し違(たが)ふふしも出で来(く)や、と心おかれ、人も恨みがちに、思ひのほかの事、  おのづから出で来るを、いとをかしきもて遊びなり。むすめなどはた、か  ばかりになれば、心安くうちふるまひ、隔(へだて)なきさまに臥し起きなどは、えしもすまじきを、これは、いと様(さま)変はりたるかしづきぐさなり、とおぼいためり。

おわりに/三矢重松先生の『源氏物語』研究

・『源氏物語』を核にして日本の文法を研究
・三矢重松先生の卒業論文「『源氏物語』の価値」
・難解な折口信夫の卒業論文「言語情緒論」
・折口信夫による三矢先生への挽歌

十日着て裾わゝけくる形見衣わが師はつひに貧しかりにし (折口信夫)

コンテンツ名 源氏物語全講会 第44回 「若紫」より その11
収録日 2003年11月13日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成15年秋期講座

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