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源氏物語全講会 | 岡野弘彦

源氏物語全講会

第58回 「葵」その6~「賢木」その1

二条に戻って源氏は紫の上と新手枕を交し合う。弘徽殿の女御は右大臣が朧月夜を源氏にどうか、という考えに反対する。正月に源氏は左大臣邸を訪問する。賢木の巻では伊勢へ下る御息所を源氏が訪れる。

二条院には、方々払ひみがきて、男女、待ちきこえたり。

 二条院には、方々払ひみがきて、男女、待ちきこえたり。上臈ども皆参う上りて、我も我もと装束き、化粧じたるを見るにつけても、かのゐ並み屈じたりつるけしきどもぞ、あはれに思ひ出でられたまふ。
 御装束たてまつり替へて、西の対に渡りたまへり。衣更えの御しつらひ、くもりなくあざやかに見えて、よき若人童女の、形、姿めやすくととのへて、「少納言がもてなし、心もとなきところなう、心にくし」と見たまふ。
 姫君、いとうつくしうひきつくろひておはす。
 「久しかりつるほどに、いとこよなうこそ大人びたまひにけれ」
 とて、小さき御几帳ひき上げて見たてまつりたまへば、うちそばみて笑ひたまへる御さま、飽かぬところなし。
 「火影の御かたはらめ、頭つきなど、ただ、かの心尽くしきこゆる人に、違ふところなくなりゆくかな」
 と見たまふに、いとうれし。
 近く寄りたまひて、おぼつかなかりつるほどのことどもなど聞こえたまひて、
 「日ごろの物語、のどかに聞こえまほしけれど、忌ま忌ましうおぼえはべれば、しばし他方にやすらひて、参り来む。今は、とだえなく見たてまつるべければ、厭はしうさへや思されむ」
 と、語らひきこえたまふを、少納言はうれしと聞くものから、なほ危ふく思ひきこゆ。「やむごとなき忍び所多うかかづらひたまへれば、またわづらはしきや立ち代はりたまはむ」と思ふぞ、憎き心なるや。
 御方に渡りたまひて、中将の君といふに、御足など参りすさびて、大殿籠もりぬ。
 朝には、若君の御もとに御文たてまつりたまふ。あはれなる御返りを見たまふにも、尽きせぬことどものみなむ。

いとつれづれに眺めがちなれど、何となき御歩きも、

 いとつれづれに眺めがちなれど、何となき御歩きも、もの憂く思しなられて、思しも立たれず。
 姫君の、何ごともあらまほしうととのひ果てて、いとめでたうのみ見えたまふを、似げなからぬほどに、はた、見なしたまへれば、けしきばみたることなど、折々聞こえ試みたまへど、見も知りたまはぬけしきなり。
 つれづれなるままに、ただこなたにて碁打ち、偏つぎなどしつつ、日を暮らしたまふに、心ばへのらうらうじく愛敬づき、はかなき戯れごとのなかにも、うつくしき筋をし出でたまへば、思し放ちたる年月こそ、たださるかたのらうたさのみはありつれ、しのびがたくなりて、心苦しけれど、いかがありけむ、人のけぢめ見たてまつりわくべき御仲にもあらぬに、男君はとく起きたまひて、女君はさらに起きたまはぬ朝あり。
 人びと、「いかなれば、かくおはしますならむ。御心地の例ならず思さるるにや」と見たてまつり嘆くに、君は渡りたまふとて、御硯の箱を、御帳のうちにさし入れておはしにけり。
 人まにからうして頭もたげたまへるに、引き結びたる文、御枕のもとにあり。何心もなく、ひき開けて見たまへば、
 「あやなくも隔てけるかな夜をかさね
  さすがに馴れし夜の衣を」
 と、書きすさびたまへるやうなり。「かかる御心おはすらむ」とは、かけても思し寄らざりしかば、
 「などてかう心憂かりける御心を、うらなく頼もしきものに思ひきこえけむ」
 と、あさましう思さる。

昼つかた、渡りたまひて、

 昼つかた、渡りたまひて、
 「悩ましげにしたまふらむは、いかなる御心地ぞ。今日は、碁も打たで、さうざうしや」
 とて、覗きたまへば、いよいよ御衣ひきかづきて臥したまへり。人びとは退きつつさぶらへば、寄りたまひて、
 「など、かくいぶせき御もてなしぞ。思ひのほかに心憂くこそおはしけれな。人もいかにあやしと思ふらむ」
 とて、御衾をひきやりたまへれば、汗におしひたして、額髪もいたう濡れたまへり。
 「あな、うたて。これはいとゆゆしきわざぞよ」
 とて、よろづにこしらへきこえたまへど、まことに、いとつらしと思ひたまひて、つゆの御いらへもしたまはず。
 「よしよし。さらに見えたてまつらじ。いと恥づかし」
 など怨じたまひて、御硯開けて見たまへど、物もなければ、「若の御ありさまや」と、らうたく見たてまつりたまひて、日一日、入りゐて、慰めきこえたまへど、解けがたき御けしき、いとどらうたげなり。

その夜さり、亥の子餅参らせたり。

 その夜さり、亥の子餅参らせたり。かかる御思ひのほどなれば、ことことしきさまにはあらで、こなたばかりに、をかしげなる桧破籠などばかりを、色々にて参れるを見たまひて、君、南のかたに出でたまひて、惟光を召して、
 「この餅、かう数々に所狭きさまにはあらで、明日の暮れに参らせよ。今日は忌ま忌ましき日なりけり」
 と、うちほほ笑みてのたまふ御けしきを、心とき者にて、ふと思ひ寄りぬ。惟光、たしかにも承らで、
 「げに、愛敬の初めは、日選りして聞こし召すべきことにこそ。さても、子の子はいくつか仕うまつらすべうはべらむ」
 と、まめだちて申せば、
 「三つが一つかにてもあらむかし」
 とのたまふに、心得果てて、立ちぬ。「もの馴れのさまや」と君は思す。人にも言はで、手づからといふばかり、里にてぞ、作りゐたりける。

君は、こしらへわびたまひて、今はじめ盗みもて来たらむ人の心地するも、

 君は、こしらへわびたまひて、今はじめ盗みもて来たらむ人の心地するも、いとをかしくて、「年ごろあはれと思ひきこえつるは、片端にもあらざりけり。人の心こそうたてあるものはあれ。今は一夜も隔てむことのわりなかるべきこと」と思さる。
 のたまひし餅、忍びて、いたう夜更かして持て参れり。「少納言はおとなしくて、恥づかしくや思さむ」と、思ひやり深く心しらひて、娘の弁といふを呼び出でて、
 「これ、忍びて参らせたまへ」
 とて、香壷の筥を一つ、さし入れたり。
 「たしかに、御枕上に参らすべき祝ひの物にはべる。あな、かしこ。あだにな」
 と言へば、「あやし」と思へど、
 「あだなることは、まだならはぬものを」
 とて、取れば、
 「まことに、今はさる文字忌ませたまへよ。よも混じりはべらじ」
 と言ふ。若き人にて、けしきもえ深く思ひ寄らねば、持て参りて、御枕上の御几帳よりさし入れたるを、君ぞ、例の聞こえ知らせたまふらむかし。

人はえ知らぬに、翌朝、この筥をまかでさせたまへるにぞ、

 人はえ知らぬに、翌朝、この筥をまかでさせたまへるにぞ、親しき限りの人びと、思ひ合はすることどもありける。御皿どもなど、いつのまにかし出でけむ。花足いときよらにして、餅のさまも、ことさらび、いとをかしう調へたり。
 少納言は、「いと、かうしもや」とこそ思ひきこえさせつれ、あはれにかたじけなく、思しいたらぬことなき御心ばへを、まづうち泣かれぬ。
 「さても、うちうちにのたまはせよな。かの人も、いかに思ひつらむ」
 と、ささめきあへり。

眠れないときの読みもの/池田亀鑑 『源氏物語』

「池田亀鑵さんの源氏の話を読んでいて、ふっと残月の空、明け方の四時ぐらいの空を見ていまして、こんなふうに葵の巻が終わりに近くて、やっと賢木の巻に入ろうとしているわけですけれども、それでもまだ『源氏物語』全体から見れば十分の二くらいですね。やっと十分の二ぐらい済んだところですけれども、それでも、もちろん桐壺の更衣がいないのは当然ですけれども、葵の上も姿を消した。賢木の巻に入れば、桐壺の帝も姿を消しておしまいになる。

(中略)そんなことを思いながら、東京の空には、月のほかには、星はほとんど見えないのですけれども、あるものは光を消していったり、あるものは光を新しく加えてきたりする満天の空を見ているような、『源氏物語』というのはちょうどそういう感じだなと思いながら、今朝、空を見ておりました。」

かくて後は、内裏にも院にも、あからさまに参りたまへるほどだに、

 かくて後は、内裏にも院にも、あからさまに参りたまへるほどだに、静心なく、面影に恋しければ、「あやしの心や」と、我ながら思さる。通ひたまひし所々よりは、うらめしげにおどろかしきこえたまひなどすれば、いとほしと思すもあれど、新手枕の心苦しくて、「夜をや隔てむ」と、思しわづらはるれば、いともの憂くて、悩ましげにのみもてなしたまひて、
 「世の中のいと憂くおぼゆるほど過ぐしてなむ、人にも見えたてまつるべき」
 とのみいらへたまひつつ、過ぐしたまふ。

今后は、御匣殿なほこの大将にのみ心つけたまへるを、

 今后は、御匣殿なほこの大将にのみ心つけたまへるを、
 「げにはた、かくやむごとなかりつる方も失せたまひぬめるを、さてもあらむに、などか口惜しからむ」
 など、大臣のたまふに、「いと憎し」と、思ひきこえたまひて、
 「宮仕へも、をさをさしくだにしなしたまへらば、などか悪しからむ」
 と、参らせたてまつらむことを思しはげむ。
 君も、おしなべてのさまにはおぼえざりしを、口惜しとは思せど、ただ今はことざまに分くる御心もなくて、
 「何かは、かばかり短かめる世に。かくて思ひ定まりなむ。人の怨みも負ふまじかりけり」
 と、いとど危ふく思し懲りにたり。

「かの御息所は、いといとほしけれど、

 「かの御息所は、いといとほしけれど、まことのよるべと頼みきこえむには、かならず心おかれぬべし。年ごろのやうにて見過ぐしたまはば、さるべき折ふしにもの聞こえあはする人にてはあらむ」など、さすがに、ことのほかには思し放たず。
 「この姫君を、今まで世人もその人とも知りきこえぬも、物げなきやうなり。父宮に知らせきこえてむ」と、思ほしなりて、御裳着のこと、人にあまねくはのたまはねど、なべてならぬさまに思しまうくる御用意など、いとありがたけれど、女君は、こよなう疎みきこえたまひて、「年ごろよろづに頼みきこえて、まつはしきこえけるこそ、あさましき心なりけれ」と、悔しうのみ思して、さやかにも見合はせたてまつりたまはず、聞こえ戯れたまふも、苦しうわりなきものに思しむすぼほれて、ありしにもあらずなりたまへる御ありさまを、をかしうもいとほしうも思されて、
 「年ごろ、思ひきこえし本意なく、馴れはまさらぬ御けしきの、心憂きこと」と、怨みきこえたまふほどに、年も返りぬ。

朔日の日は、例の、院に参りたまひてぞ、

 朔日の日は、例の、院に参りたまひてぞ、内裏、春宮などにも参りたまふ。それより大殿にまかでたまへり。大臣、新しき年ともいはず、昔の御ことども聞こえ出でたまひて、さうざうしく悲しと思すに、いとどかくさへ渡りたまへるにつけて、念じ返したまへど、堪へがたう思したり。
 御年の加はるけにや、ものものしきけさへ添ひたまひて、ありしよりけに、きよらに見えたまふ。立ち出でて、御方に入りたまへれば、人びともめづらしう見たてまつりて、忍びあへず。
 若君見たてまつりたまへば、こよなうおよすけて、笑ひがちにおはするも、あはれなり。まみ、口つき、ただ春宮の御同じさまなれば、「人もこそ見たてまつりとがむれ」と見たまふ。
 御しつらひなども変はらず、御衣掛の御装束など、例のやうにし掛けられたるに、女のが並ばぬこそ、栄なくさうざうしけれ。

宮の御消息にて、

 宮の御消息にて、
 「今日は、いみじく思ひたまへ忍ぶるを、かく渡らせたまへるになむ、なかなか」
 など聞こえたまひて、
 「昔にならひはべりにける御よそひも、月ごろは、いとど涙に霧りふたがりて、色あひなく御覧ぜられはべらむと思ひたまふれど、今日ばかりは、なほやつれさせたまへ」
 とて、いみじくし尽くしたまへるものども、また重ねてたてまつれたまへり。かならず今日たてまつるべき、と思しける御下襲は、色も織りざまも、世の常ならず、心ことなるを、かひなくやはとて、着替へたまふ。来ざらましかば、口惜しう思さましと、心苦し。御返りに、
 「春や来ぬるとも、まづ御覧ぜられになむ、参りはべりつれど、思ひたまへ出でらるること多くて、え聞こえさせはべらず。
  あまた年今日改めし色衣
  着ては涙ぞふる心地する
 えこそ思ひたまへしづめね」
 と聞こえたまへり。御返り、
 「新しき年ともいはずふるものは
  ふりぬる人の涙なりけり」
 おろかなるべきことにぞあらぬや。

斎宮の御下り、近うなりゆくままに、御息所、もの心細く思ほす。

賢木

 斎宮の御下り、近うなりゆくままに、御息所、もの心細く思ほす。やむごとなくわづらはしきものにおぼえたまへりし大殿の君も亡せたまひて後、さりともと世人も聞こえあつかひ、宮のうちにも心ときめきせしを、その後しも、かき絶え、あさましき御もてなしを見たまふに、まことに憂しと思すことこそありけめと、知り果てたまひぬれば、よろづのあはれを思し捨てて、ひたみちに出で立ちたまふ。
 親添ひて下りたまふ例も、ことになけれど、いと見放ちがたき御ありさまなるにことつけて、「憂き世を行き離れむ」と思すに、大将の君、さすがに、今はとかけ離れたまひなむも、口惜しく思されて、御消息ばかりは、あはれなるさまにて、たびたび通ふ。対面したまはむことをば、今さらにあるまじきことと、女君も思す。「人は心づきなしと、思ひ置きたまふこともあらむに、我は、今すこし思ひ乱るることのまさるべきを、あいなし」と、心強く思すなるべし。

もとの殿には、あからさまに渡りたまふ折々あれど、

 もとの殿には、あからさまに渡りたまふ折々あれど、いたう忍びたまへば、大将殿、え知りたまはず。たはやすく御心にまかせて、参うでたまふべき御すみかにはたあらねば、おぼつかなくて月日も隔たりぬるに、院の上、おどろおどろしき御悩みにはあらで、例ならず、時々悩ませたまへば、いとど御心の暇なけれど、「つらき者に思ひ果てたまひなむも、いとほしく、人聞き情けなくや」と思し起して、野の宮に参うでたまふ。

 九月七日ばかりなれば、「むげに今日明日」と思すに、女方も心あわたたしけれど、「立ちながら」と、たびたび御消息ありければ、「いでや」とは思しわづらひながら、「いとあまり埋もれいたきを、物越ばかりの対面は」と、人知れず待ちきこえたまひけり。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第58回 「葵」その6~「賢木」その1
収録日 2005年2月5日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成16年秋期講座

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「源氏物語巻名歌」から

プロフィール

講師:岡野弘彦
(国学院大学名誉教授)

歌人。大正13年(1924年)、三重県に生まれる。國學院大學国文科に在学中より折口信夫に学び、雑誌「鳥船」に参加。折口の没年まで師事する。 昭和42年、処女歌集「冬の家族」で現代歌人協会賞を受賞。昭和54年から宮中歌会始の選者を努める。
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