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源氏物語全講会 | 岡野弘彦

源氏物語全講会

第69回 特別講義 大祓と日本人の原罪意識

水無月の大祓の祝詞を折口信夫の訳にも触れて講義。「光源氏の心の中にも、藤壺の心の中にも、大祓の祝詞の中に「天つ罪」「国つ罪」というふうにしてつばらかに述べている罪の条々、箇条箇条が、具体的に自分の身を照らすものとしてあったに違いない」。

大祓と日本人の原罪意識

「須磨が終わりまして、今度、明石へ入ることになるわけですが、きょうの四時間は源氏から少し離れまして、全く離れるわけではなくて、源氏の内容と重い関係を持っているわけですけれども、大祓の講義と日本人の原罪意識。恐らく耳慣れない言葉でいらっしゃるだろうと思いますけれども、キリスト教の原罪というのは、キリスト教の大問題というよりは、厳としたキリスト教の教義の根底でありまして、あるいはキリスト教を信ずる民族の倫理の根底でもあるわけですが、それに匹敵するものが日本にはあるんだということをかなり早い時期から繰り返し講義をし、論文にも書いていたのが折口信夫先生でありました。

(中略) (源氏物語の)あの時代の人々の心に常に大きくあったのは、延喜式の中にも収められている祝詞の中の、また非常に大事な祝詞である六月晦と十二月晦、それから災いや穢れがあったときに臨時の大祓を行う、その大祓のときに唱える祝詞であります。延喜式の中に収まっているわけで、延喜式の中に収まっているということは、当然平安時代初期から奈良時代までさかのぼれる日本人の心の大きな柱のような形で、折口信夫の言い方で言えば、日本人の原罪意識の核になっているものですね。光源氏の心の中にも、藤壺の心の中にも、大祓の祝詞の中に「天つ罪」「国つ罪」というふうにしてつばらかに述べている罪の条々、箇条箇条が、具体的に自分の身を照らすものとしてあったに違いない。

(中略) そういうことを考えますと、ちょうど須磨の巻が終わったところで、大祓の祝詞の講義をして、さらに日本人の原罪意識というものについて考えてみることは大事なことだろうと思いますので、きょうはその話をすることにいたします。」

六月の晦の大祓(おおはらえ)

 六月(みなづき)の晦(つごもり)の大祓(おおはらへ) 十二月(しはす)はこれに准(なら)へ
 「集(うご)侍(な)はれる親王(みこたち)・諸王(おほきみたち)・諸臣(まへつぎみたち)・百(もも)の官人(つかさびと)等(たち)、諸聞(もろもろきこ)しめせ」と宣(の)る。
 「天皇(すめら)が朝廷(みかど)に仕(つか)へまつる、領巾(ひれ)挂(か)くる伴(とも)の男(を)・手襁(たすき)挂(か)くる伴(とも)の男(を)・靫負(ゆぎお)ふ伴(とも)の男(を)・剱(たち)佩(は)く伴(とも)の男(を)、伴(とも)の男(を)の八十(やそ)伴(とも)の男(を)を始(はじ)めて、官官(つかさつかさ)に仕へまつる人(ひと)等(ども)の過(あやま)ち犯しけむ雑(くさ)雑(ぐさ)の罪を、今年の六月(みなづき)の晦(つごもり)の大祓(おほはらへ)に、祓(はら)へたまひ清めたまふ事を、諸聞しめせ」と宣(の)る。
 「高天(たかま)の原に神(かむ)留(づま)ります、皇(すめ)親(むつ)神(かむ)ろき神ろみの命もちて、八百万(やほよろづ)の神(かみ)等(たち)を神集(かむつど)へ集へたまひ、神議(かむはか)り議りたまひて、『我(あ)が皇(すめ)御孫(みま)の命は、豊葦原の水穂の国を、安国と平らけく知ろしめせ』と事(こと)依さしまつりき。かく依さしまつりし国中(くぬち)に、荒ぶる神等をば神(かむ)問(と)はしに問はしたまひ、神掃(かむはら)ひに掃ひたまひて、語(こと)問(と)ひし磐(いは)ね樹立(こだち)、草の片(かき)葉(は)をも語(こと)止(や)めて、天(あめ)の磐(いは)座(くら)放れ、天(あめ)の八重雲をいつの千(ち)別(わ)きに千別きて、天降(あまくだ)し依さしまつりき、かく依さしまつりし四方(よも)の国中に、大倭(おほやまと)日(ひ)高見(たかみ)の国を安国と定めまつりて、下(しも)つ磐(いは)ねに宮柱太敷き立て、高天の原に千木(ちぎ)高知りて、皇御孫の命の瑞(みづ)の御舎(みあらか)仕へまつりて、天の御蔭・日の御蔭と隠(かく)りまして、安国と平らけく知ろしめさむ国中に、成り出でむ天の益人(ますひと)等(ら)が過(あやま)ち犯しけむ雑(くさ)雑(ぐさ)の罪事は、天つ罪と、畦放(あはな)ち・溝埋(みぞう)み・樋放(ひはな)ち・頻(しき)蒔(ま)き・串刺(くしさ)し・生(い)け剥(は)ぎ・逆剥(さかは)ぎ・屎(くそ)戸(へ)、許多(ここだく)の罪を天つ罪と法(の)り別(わ)けて、国つ罪と、生(いき)膚(はだ)断(だ)ち・死(しに)膚(はだ)断(だ)ち・白人(しろひと)・こくみ・おのが母犯せる罪・おのが子犯せる罪・母と子と犯せる罪・子と母と犯せる罪・畜(けもの)犯せる罪・昆(は)ふ虫(むし)の災(わざはひ)・高つ神の災・高つ鳥の災・畜(けもの)仆(たふ)し、蟲物(まじもの)する罪、許多(ここだく)の罪出でむ。かく出でば、天つ宮事もちて、大中(おほなか)臣(とみ)、天つ金木(かなぎ)を本(もと)うち切り末うち断(た)ちて、千座(ちくら)の置(おき)座(くら)に置き足(たら)はして、天つ菅曾(すがそ)を本苅(もとか)り断(た)ち末苅り切りて、八針(やはり)に取り辟(さ)きて、天(あま)つ祝詞(のりと)の太(ふと)祝詞(のりと)事(ごと)を宣れ。かく宣らば、天つ神は天(あめ)の磐門(いはと)を押し披(ひら)きて天の八重雲をいつの千(ち)別(わき)きに千別きて聞しめさむ 国つ神は高山の末(すゑ)・短山(ひきやま)の末に上(のぼ)りまして、高山のいゑり・短山のいゑりを撥(か)き別けて聞しめさむ。かく聞しめしては皇御孫の命の朝廷(みかど)を始めて、天の下四方(よも)の国には、罪といふ罪はあらじと、科(しな)戸(ど)の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く、朝(あした)の御(み)霧(ぎり)・夕べの御霧を朝風・夕風の吹き掃(はら)ふ事の如く、大津(おほつ)辺(べ)に居(を)る大船を、舳解き放ち・艫(とも)解き放ちて、大海(おほみ)の原に押し放つ事の如く、彼方(をちかた)の繁(しげ)木(き)がもとを、焼(やき)鎌(がま)の敏(と)鎌(がま)もちて、うち掃(はら)ふ事の如く、遺(のこ)る罪はあらじと祓(はら)へたまひ清めたまふ事を、高山(たかやま)・短山(ひきやま)の末(すゑ)より、さくなだりに落ちたきつ速(はや)川(かは)の瀬(せ)に坐(ま)す瀬(せ)織(おり)つひめといふ神、大海の原に持ち出でなむ。かく持ち出で往(い)なば、荒塩(あらしほ)の塩の八(や)百(ほ)道(ぢ)の、八(や)塩(しほ)道(ぢ)の塩の八百(やほ)会(あひ)に坐(ま)す速(はや)開(あき)つひめといふ神、持(も)ちかか呑(の)みてむ。かくかか呑みては、気(い)吹(ぶき)戸(ど)に坐(ま)す気(い)吹(ぶき)戸(ど)主(ぬし)といふ神、根の国・底の国に気吹(いぶ)き放ちてむ。かく気吹(いぶ)き放ちては、根の国・底の国に坐す速(はや)さすらひめといふ神、持ちさすらひ失ひてむ。かく失ひては、天皇(すめら)が朝廷(みかど)に仕へまつる官官(つかさつかさ)の人(ひと)等(ども)を始めて、天の下四方(よも)には、今日より始めて罪といふ罪はあらじと、高天の原に耳振り立てて聞く物と馬牽(ひ)き立てて、今年の六月(みなつき)の晦(つごもり)の日の、夕日の降(くだ)ちの大祓(おほはらへ)に、祓へたまひ清めたまふ事を、諸(もろもろ)聞しめせ」と宣(の)る。
 「四国(よくに)の卜部(うらべ)等(ども)、大川道(ぢ)に持ち退(まか)り出でて、祓(はら)へ却(や)れ」と宣る。

解説1 「天つ罪」

「もちろん個々の言葉については、なかなか難しい部分があって、わからない部分もあるわけですけれども、この文章の文脈の流れはこんなふうになっているわけです。声で唱えていますと、本当に爽やかな感じがしてくるわけです。そして具体的には、人形(ひとがた)――人形にもいろんな人形がありますけれども、一番簡便な整った形で言えば、人間の形に切り抜いた紙を自分の体になすりつけて、罪・穢れをそれに託して、水に流しやるという形に今でもなっているわけですが、ああいう形に整ってくるまでに、それぞれ時代により、地方によって、いろんな形があるわけですけれども。」

・靫負ふ伴の男/剱佩く伴の男
・ 祓へたまひ清めたまふ事を
・神議り議りたまひて
・事依さしまつりき
・皇御孫の命の瑞の御舎/
・ 天の御蔭・日の御蔭と隠りまして
・国中に、成り出でむ天の益人等が
・畦放ち・溝埋み・樋放ち・頻蒔き・串刺し
・生け剥ぎ・逆剥ぎ・屎戸

解説2 「国つ罪」

・生膚断ち/死膚断ち
・白人/こくみ
・おのが母犯せる罪/おのが子犯せる罪
・母と子と犯せる罪/子と母と犯せる罪
・畜犯せる罪
・昆ふ虫の災・高つ神の災・高つ鳥の災
・畜仆し、蟲物する罪

解説3 折口信夫「禊ぎと祓へと」

・ かく宣らば、天つ神は天(あめ)の磐門(いはと)を押し披(ひら)きて天の八重雲をいつの千(ち)別(わき)きに千別きて聞しめさむ

・罪の起源を解く 「つつみ」

「(折口信夫が)昭和十六年に書いた「禊ぎと祓へと」については、橿原神宮で行った神主さんを中心とした講座の中で講義したもので、何日間かかけて講義したらしいですけれども、その講義を筆記したものがまとまって全集に収まっております。
(中略)日本中のあちこちで禊ぎというのが流行したんです。そして国民全体が禊ぎをして、この戦争に勝ち抜こうというようなことを言ったんですけれども、そういうことに対して折口信夫が警告を発しているわけです。
大体、祓えと禊ぎの起源神話を考えても、そんなに明るい、いいことばっかりを期待した行動ではないのだ。祓えと禊ぎというものは、根底に穢れというものを自分たちの中で内省的に反省して、穢れを祓いやるというところに一番意味がある。そして苦しい生活の中で、やむを得ず自分たちが穢れに触れ、穢れを犯していく、罪を犯していく。そのことに対する内省というものがなければ――刻々と戦争が激しくなっている時期で、その翌々年には太平洋戦争が始まるわけですけれども、中国大陸では延々として戦いが拡大しているときなんです。そういうときの、戦いは穢れだという意思、その反省というものがなければ、前向きのいいことばっかりを言って、禊ぎ、禊ぎと言っている日本人の心を反省しなければいかんじゃないかという折口の意図は、文章を読んでいるとよくわかるわけです。 」

解説4 折口信夫「禊ぎと祓へと」続き

「また、(折口は)こういうことも言っているんです。日本の宮廷というものは、根底が農耕生活にあるんだ。だから農村のこういう習俗・信仰というものと宮廷の生活・信仰というものとが乖離したり、隔てがあり過ぎるというふうに考えるのは間違いなんだ。天子の生活というものは、それぞれの時代の、日本人の農耕の根源の役割としてあるんだというふうに言っています。これは今でもそうですね。天皇は、春には田植えをなさるし、秋には稲刈りを自ら田におりてなさるわけです。もちろん長靴を履いていられるわけだけれども、あれを素足でなさると、もう一つ、田の冷たい暗い不気味さというものが膚でおわかりになるかもしれないけれども、そこまではなさらなくてもおわかりになるわけです。ですから、農耕生活の一番根源のところに天子というものがあるわけです。そういう問題を考えていく上でも、罪の根源の天つ罪の神話というものは非常に大事なことなんです。」

「『源氏物語』の文章の表にあらわに出てきていなくても、今まで読んできた部分だけでも、殊に葵から賢木、そして須磨というふうに入ってくる、あのあたりの光源氏の、非常に年若いけれども、苦悩の思い、さらにそれよりも大きな思いを耐えていたであろう藤壺という女性、そういう人を考えると、日本人の罪の意識、あるいは折口の言う原罪的な自覚というふうなものは非常に大きな問題として、源氏を読んでいく上にも考えないではいられない問題だろうと思います。それでこんなふうに大祓の問題を組み込んでみました。」

コンテンツ名 源氏物語全講会 第69回 特別講義 大祓と日本人の原罪意識
収録日 2005年10月29日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成17年秋期講座

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「源氏物語巻名歌」から

プロフィール

講師:岡野弘彦
(国学院大学名誉教授)

歌人。大正13年(1924年)、三重県に生まれる。國學院大學国文科に在学中より折口信夫に学び、雑誌「鳥船」に参加。折口の没年まで師事する。 昭和42年、処女歌集「冬の家族」で現代歌人協会賞を受賞。昭和54年から宮中歌会始の選者を努める。
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