本文へ

ホーム > 日本の古典 > ;源氏物語全講会 > 第75回 「澪標」より その2

源氏物語全講会 | 岡野弘彦

源氏物語全講会

第75回 「澪標」より その2

明石の君の姫君が重陽の節句に五十日に当たり祝う。その秋、住吉神社に参詣するが、時を同じくして、明石の君も参詣する。大殿腹の若君(夕霧)の美しい様にひきかえて、我子は、と悲しむ。先生の詠まれた母の歌について。

女君には、言にあらはしてをさをさ聞こえたまはぬを、

「前の回から比べますと、体も心も大分健やかに戻りました。(中略) この前の最後の一章、明石の君のことを紫の上に初めて少し細やかに話しするところ、非常に大事なところだったんですが、後から考えると、我ながら疲れていまして、あそこのところが十分に訳の心が届いていなかったと思いますので、ちょっと戻りますけれども、そこのところから始めることにいたします。」

女君には、言(こと)にあらはしてをさをさ聞こえたまはぬを、聞きあはせたまふこともこそ、と思して、
 「さこそあなれ。あやしうねぢけたるわざなりや。さもおはせなむと思ふあたりには、心もとなくて、思ひの外(ほか)に、口惜しくなむ。女にてあなれば、いとこそものしけれ。尋ね知らでもありぬべきことなれど、さはえ思ひ捨つまじきわざなりけり。呼びにやりて見せたてまつらむ。憎みたまふなよ」
 と聞こえたまへば、面(おもて)うち赤みて、
 「あやしう、つねにかやうなる筋のたまひつくる心のほどこそ、われながら疎ましけれ。もの憎みは、いつならふべきにか」
 と怨(ゑん)じまたへば、いとよくうち笑みて、
 「そよ。誰(た)がならはしにかあらむ。思はずにぞ見えたまふや。人の心より外(ほか)なる思ひやりごとして、もの怨じなどしたまふよ。思へば悲し」
 とて、果て果ては涙ぐみたまふ。年ごろ飽かず恋しと思ひきこえたまひし御心のうちども、折々の御文の通ひなど思し出(い)づるには、「よろづのこと、すさびにこそあれ」と思ひ消(け)たれたまふ 。

この人を、かうまで思ひやり言問ふは、なほ思ふやうのはべるぞ。

 「この人を、かうまで思ひやり言(こと)問ふは、なほ思ふやうのはべるぞ。まだきに聞こえば、またひが心得たまふべければ」
 とのたまひさして、
 「人がらのをかしかりしも、所からにや、めづらしうおぼえきかし」
 など語りきこえたまふ。
 あはれなりし夕べの煙、言ひしことなど、まほならねど、その夜の容貌(かたち)ほの見し、琴の音(ね)のなまめきたりしも、すべて御心とまれるさまにのたまひ出づるにも、
 「われはまたなくこそ悲しと思ひ嘆きしか、すさびにても、心を分けたまひけむよ」
 と、ただならず、思ひ続けたまひて、「われは、われ」と、うち背き眺めて、
 「あはれなりし世のありさまかな」
 と、独り言のやうにうち嘆きて、
 「思ふどちなびく方にはあらずとも
    われぞ煙に先立ちなまし」
 「何とか。心憂や。
    誰(た)れにより世を海山に行きめぐり
    絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ
 いでや、いかでか見えたてまつらむ。命こそかなひがたかべいものなめれ。はかなきことにて、人に心おかれじと思ふも、ただ一つゆゑぞや」
 とて、箏(さう)の御琴引き寄せて、掻き合せすさびたまひて、そそのかしきこえたまへど、かの、すぐれたりけむもねたきにや、手も触れたまはず。いとおほどかにうつくしう、たをやぎたまへるものから、さすがに執念(しふね)きところつきて、もの怨じしたまへるが、なかなか愛敬(ぎやう)づきて腹立ちなしたまふを、をかしう見どころありと思す 。

五月五日にぞ、五十日には当たるらむ

 「五月五日にぞ、五十日(いか)には当たるらむ」と、人知れず数へたまひて、ゆかしうあはれに思しやる。「何ごとも、いかにかひあるさまにもてなし、うれしからまし。口惜しのわざや。さる所にしも、心苦しきさまにて、出で来たるよ」と思す。「男君ならましかば、かうしも御心にかけたまふまじきを、かたじけなういとほしう、わが御宿世(すくせ)も、この御ことにつけてぞかたほなりけり」と思さるる。
 御使出(い)だし立てたまふ。
 「かならずその日違(たが)へずまかり着け」
 とのたまへば、五日に行き着きぬ。思しやることも、ありがたうめでたきさまにて、まめまめしき御訪(とぶ)らひもあり。
 「海(うみ)松(まつ)や時ぞともなき蔭にゐて
    何のあやめもいかにわくらむ
 心のあくがるるまでなむ。なほ、かくてはえ過ぐすまじきを、思ひ立ちたまひね。さりとも、うしろめたきことは、よも」
 と書いたまへり。
 入道、例の、喜び泣きしてゐたり。かかる折は、生けるかひもつくり出でたる、ことわりなりと見ゆ 。

 

ここにも、よろづ所狭きまで思ひ設けたりけれど、

 ここにも、よろづ所狭(せ)きまで思ひ設けたりけれど、この御使なくは、闇の夜にてこそ暮れぬべかりけれ。乳母(めのと)も、この女君のあはれに思ふやうなるを、語らひ人にて、世の慰めにしけり。をさをさ劣らぬ人も、類に触れて迎へ取りてあらすれど、こよなく衰へたる宮仕へ人などの、巌(いはほ)の中尋ぬるが落ち止まれるなどこそあれ、これは、こよなうこめき思ひあがれり。
 聞きどころある世の物語などして、大臣(おとど)の君の御ありさま、世にかしづかれたまへる御おぼえのほども、女心地(ごこち)にまかせて限りなく語り尽くせば、「げに、かく思し出づばかりの名残とどめたる身も、いとたけくやうやう思ひなりけり。御文ももろともに見て、心のうちに、
 「あはれ、かうこそ思ひの外(ほか)に、めでたき宿世(すくせ)はありけれ。憂きものはわが身こそありけれ」
 と、思ひ続けらるれど、「乳母のことはいかに」など、こまかに訪(とぶ)らはせたまへるも、かたじけなく、何ごとも慰めけり 。

御返りには、「数ならぬみ島隠れに鳴く鶴を

 御返りには、
  「数ならぬみ島隠れに鳴く鶴(たづ)を
   今日もいかにと問ふ人ぞなき
 よろづに思うたまへ結ぼほるるありさまを、かくたまさかの御慰めにかけはべる命のほども、はかなくなむ。げに、後ろやすく思うたまへ置くわざもがな」
 とまめやかに聞こえたり。
 うち返し見たまひつつ、「あはれ」と、長やかにひとりごちたまふを、女君、しり目に見おこせて、
 「浦よりをちに漕ぐ舟の」
 と、忍びやかにひとりごち、眺めたまふを、
 「まことは、かくまでとりなしたまふよ。こは、ただ、かばかりのあはれぞや。所のさまなど、うち思ひやる時々、来し方のこと忘れがたき独り言を、ようこそ聞き過ぐいたまはね」
 など、恨みきこえたまひて、上包(うはづつみ)ばかりを見せたてまつらせたまふ。手などのいとゆゑづきて、やむごとなき人苦しげなるを、「かかればなめり」と、思す 。

お形見の偲ぶ草

「高松宮妃殿下がお亡くなりになって、ちょうど一昨日、大きな段ボール箱が届きまして、昔のきれいな絹綿ではない、もめん綿が重ねてあって、その中にこのくらいの紙の包みが出てきたんです。中はどうも箱らしいんですけれども、お形見の偲ぶ草をちょうだいしたわけですけれども、それが厚い和紙で、上にツリシノブの蒔絵が施してある硯箱、そして硯と水差しですけれども、その硯は恐らく日常お使いになっていて、平仮名の多い和歌や手紙をお書きになった硯だろうと思います。そんなに大きくないんです。金の縁がついているんですけれども、よく使われていて、下の縁なんかは欠けているんですけれども、妃殿下の字で「シノブグサの模様の硯箱」と書いてある。」

(休憩)「怨愛 尽くる時なし」

「つまり母親のことを詠んでいるわけです。別にこの歌のとおりの母親だったというわけではございません。デフォルメして、フィクショナルに、自分の心の中の母親を、ある部分は非常に巨大にしてみたり、ある部分は消してみたりしているわけですから、自叙伝などとは全く違います。「怨愛」の怨も、普通は恩義の恩、御恩を受けるという恩を書くわけですけれども、それだけでは母親との思いというのは足りない気がして、怨念の怨。これは私の造語だと思いますけれども、『怨愛 尽くる時なし』という題をかぶせたわけです。」

怨愛 尽くる時なし

白玉のをとめなりしを 現身(うつせみ)に 吾(あ)をみごもりし 母しかなしも

よるべなきはかなきをとめ。大正の大(おほ)地震(なゐ)の夜に みごもりぬらし

たましひは 未生の闇に生(あ)れいでて 形成しくるほどの かそけさ

あたたかくつつみ育(はぐく)む 女(め)の器(うつは)。か寄り かく寄り 冥(くら)くただよふ

み祖神(おやがみ) 内は洞(ほら)ほら 外は統(す)ぷすぷ われの十月(とつき)を はぐくみましき

生みをへて 血の気うせたる母の貌。くらき灯かげに 息づきてをり

後産(あとざん)のをさまらざりし薄き身に かき抱き かき抱く かぼそき腕(かひな)

けぶる眼に 笑まひやさしく近づきて おぼろにゆらぐ十八の母

生(あ)るる日の記憶かたれば 母ひとり わがひたぶるを諾(うべ)なひましき

星合ひの宵に生まれて 情(じやう)ふかき性(さが)のあはれを 母はいたみき

乳涸れて われを疎める母を泣く。谷川のみづ凍りゆく夜

口ひびく 乳房に塗りし陀羅尼助。鬼子母の貌にかはりゆく母

たぎつ瀬にすくと立ちたり。黒髪の丈(たけ)なす母は われを憐(めぐ)まず

男(を)をにくむ女神いざなみ あをざめて 黄泉津比良坂を 塞(せ)きて立たせり

澄みとほる怒りの眼もて 凶(まが)まがと わが男(を)のしるしみつめゐにけり

身の絆(ほだし)。この子捨てむとさすらひし むごき心を告げたまふなり

くるほしく 山また山をわたりゆく 姥の怒りの わたくし子 われ

伊勢・大和 二国かけし青萱原。 母に負はれて押しなびけ行く

のがれきて六道の辻にさらばへる 羅刹の母に われはすがれる

涸れはてて現身をわれにゆだねくる 心そらなる母を抱けり

老い母を湯に漬(ひた)しつつ 胸せまる 姥捨よりもむごき心ぞ

皺ふかく乾く胸乳をぬぐひをり。この垂乳根に うつつなかりき

わが命生ましし母よ。乳(ち)も保登も ほほけゆだねて かなしきろかも

母逝きてのちの二十年(はたとせ)。年ごとに身によみがへるなげき あたらし

家いでで妻めとりたる後の世の ひと日も われを許すなかりし

幾たびか 生み出しことを嘆きけむ。海山ふかき 怨愛の母

 

かく、この御心とりたまふほどに、花散里を離れ果てたまひぬるこそ、

 かく、この御心とりたまふほどに、花散里を離(か)れ果てたまひぬるこそ、いとほしけれ。公(おほやけ)事も繁く、所狭(せ)き御身に、思し憚(はばか)るに添へても、めづらしく御目おどろくことのなきほど、思ひしづめたまふなめり。
 五月雨(さみだれ)つれづれなるころ、公(おほやけ)私(わたくし)もの静かなるに、思し起こして渡りたまへり。よそながらも、明け暮れにつけて、よろづに思しやり訪(とぶ)らひきこえたまふを頼みにて、過ぐいたまふ所なれば、今めかしう心にくきさまに、そばみ恨みたまふべきならねば、心やすげなり。年ごろに、いよいよ荒れまさり、すごげにておはす。
 女御の君に御物語聞こえたまひて、西の妻戸には夜更かして立ち寄りたまへり。月おぼろにさし入りて、いとど艶(えん)なる御ふるまひ、尽きもせず見えたまふ。いとどつつましけれど、端(はし)近ううち眺めたまひけるさまながら、のどやかにてものしたまふけはひ、いとめやすし。水鶏(くひな)のいと近う鳴きたるを、
 「水鶏だにおどろかさずはいかにして
  荒れたる宿に月を入れまし」
 と、いとなつかしう、言ひ消(け)ちたまへるぞ、
 「とりどりに捨てがたき世かな。かかるこそ、なかなか身も苦しけれ」と思す 。

おしなべてたたく水鶏におどろかばうはの空なる月もこそ入れ

「おしなべてたたく水鶏(くひな)におどろかば
  うはの空なる月もこそ入(い)れ
 うしろめたう」
 とは、なほ言(こと)に聞こえたまへど、あだあだしき筋など、疑はしき御心ばへにはあらず。年ごろ、待ち過ぐしきこえたまへるも、さらにおろかには思されざりけり。
 「空な眺めそ」と、頼めきこえたまひし折のことも、のたまひ出でて、
 「などて、たぐひあらじと、いみじうものを思ひ沈みけむ。憂き身からは、同じ嘆かしさにこそ」
 とのたまへるも、おいらかにらうたげなり。例の、いづこの御言の葉にかあらむ、尽きせずぞ語らひ慰めきこえたまふ。

かやうのついでにも、かの五節を思し忘れず、

 かやうのついでにも、かの五節(ごせち)を思し忘れず、「また見てしがな」と、心にかけたまへれど、いとかたきことにて、え紛れたまはず。
 女、もの思ひ絶えぬを、親はよろづに思ひ言ふこともあれど、世に経(へ)むことを思ひ絶えたり。
 心やすき殿(との)造りしては、「かやうの人集(つど)へても、思ふさまにかしづきたまふべき人も出でものしたまはば、さる人の後見(うしろみ)にも」と思す。
 かの院の造りざま、なかなか見どころ多く、今めいたり。よしある受領(ずらう)などを選(え)りて、当て当てに催したまふ。
 尚侍(ないしのかん)の君、なほえ思ひ放(はな)ちきこえたまはず。こりずまに立ち返り、御心ばへもあれど、女は憂きに懲りたまひて、昔のやうにもあひしらへきこえたまはず。なかなか、所狭(せ)う、さうざうしう世の中、思さる 。

 

院はのどやかに思しなりて、時々につけて、

 院はのどやかに思しなりて、時々につけて、をかしき御遊びなど、好ましげにておはします。女御、更衣、みな例のごとさぶらひたまへど、春宮(とうぐう)の御母女御のみぞ、とり立てて時めきたまふこともなく、尚侍(かん)の君の御おぼえにおし消たれたまへりしを、かく引き変へ、めでたき御幸ひにて、離(か)れ出でて宮に添ひたてまつりたまへる。
 この大臣(おとど)の御宿直(とのゐ)所は、昔の淑景舎(しげいさ)なり。梨壷に春宮(とうぐう)はおはしませば、近隣の御心寄せに、何ごとも聞こえ通ひて、宮をも後見(うしろみ)たてまつりたまふ。

入道后の宮、御位をまた改めたまふべきならねば、

 入道后(きさい)の宮、御位をまた改めたまふべきならねば、太上天皇になずらへて、御封(みふ)賜らせたまふ。院司どもなりて、さまことにいつくし。御行なひ、功徳(くどく)のことを、常の御いとなみにておはします。年ごろ、世に憚りて出で入りも難く、見たてまつりたまはぬ嘆きをいぶせく思しけるに、思すさまにて、参りまかでたまふもいとめでたければ、大后は、「憂きものは世なりけり」と思し嘆く。
 大臣はことに触れて、いと恥づかしげに仕(つか)まつり、心寄せきこえたまふも、なかなかいとほしげなるを、人もやすからず、聞こえけり 。

兵部卿親王、年ごろの御心ばへのつらく思はずにて、

 兵部卿親王(みこ)、年ごろの御心ばへのつらく思はずにて、ただ世の聞こえをのみ思し憚りたまひしことを、大臣は憂きものに思しおきて、昔のやうにもむつびきこえたまはず。
 なべての世には、あまねくめでたき御心なれど、この御あたりは、なかなか情けなき節も、うち交ぜたまふを、入道の宮は、いとほしう本意(ほい)なきことに見たてまつりたまへり。
 世の中のこと、ただなかばを分けて、太政(おほき)大臣(おとど)、この大臣の御ままなり。
 権中納言の御女(むすめ)、その年の八月に参らせたまふ。祖父(おほぢ)殿ゐたちて、儀式などいとあらまほし。
 兵部卿宮の中の君も、さやうに心ざしてかしづきたまふ名高きを、大臣は、人よりまさりたまへとしも思さずなむありける。いかがしたまはむとすらむ 。

その秋、住吉に詣でたまふ。願ども果たしたまふべければ、

 その秋、住吉に詣(まう)でたまふ。願ども果たしたまふべければ、いかめしき御ありきにて、世の中ゆすりて、上達部(かんだちめ)、殿上人、我も我もと仕うまつりたまふ。
 折しも、かの明石の人、年ごとの例のことにて詣づるを、去年(こぞ)今年は障(さは)ることありて、おこたりける、かしこまり取り重ねて、思ひ立ちけり。
 舟にて詣でたり。岸にさし着くるほど、見れば、ののしりて詣でたまふ人のけはひ、渚に満ちて、いつくしき神宝(かむたから)を持て続けたり。楽人(がくにん)、十列(とをつら)など、装束をととのへ、容貌(かたち)を選びたり。
 「誰(た)が詣でたまへるぞ」
 と問ふめれば、
 「内大臣殿の御願果たしに詣でたまふを、知らぬ人もありけり」
 とて、はかなきほどの下衆(げす)だに、心地よげにうち笑ふ。
 「げに、あさましう、月日もこそあれ。なかなか、この御ありさまを遥かに見るも、身のほど口惜しうおぼゆ。さすがに、かけ離れたてまつらぬ宿世(すくせ)ながら、かく口惜しき際(きは)の者だに、もの思ひなげにて、仕うまつるを色(いろ)節(ふし)に思ひたるに、何の罪深き身にて、心にかけておぼつかなう思ひきこえつつ、かかりける御響きをも知らで、立ち出でつらむ」
 など思ひ続くるに、いと悲しうて、人知れずしほたれけり 。

松原の深緑なるに、花紅葉をこき散らしたると見ゆる表の衣の、

 松原の深緑なるに、花紅葉をこき散らしたると見ゆる表(うへ)の衣(きぬ)の、濃き薄き、数知らず。六位のなかにも蔵人は青色しるく見えて、かの賀茂の瑞垣(みづがき)恨みし右近のじようも靫負(ゆげひ)になりて、ことことしげなる随身具したる蔵人なり。
 良清も同じ佐(すけ)にて、人よりことにもの思ひなきけしきにて、おどろおどろしき赤衣(あかぎぬ)姿、いときよげなり。
 すべて見し人びと、引き変へはなやかに、何ごと思ふらむと見えて、うち散りたるに、若やかなる上達部、殿上人の、我も我もと思ひいどみ、馬鞍などまで飾りを整へ磨きたまへるは、いみじき見物(みもの)に、田舎人(いなかびと)も思へり 。

御車を遥かに見やれば、なかなか、心やましくて、

 御車を遥かに見やれば、なかなか、心やましくて、恋しき御影をもえ見たてまつらず。河原の大臣(おとど)の御例をまねびて、童随身を賜りたまひける、いとをかしげに装束(さうぞ)き、みづら結(ゆ)ひて、紫裾濃(すそご)の元結(もとゆひ)なまめかしう、丈姿ととのひ、うつくしげにて十人、さまことに今めかしう見ゆ。
 大殿(おほとの)腹(ばら)の若君、限りなくかしづき立てて、馬添(ぞ)ひ、童のほど、皆作りあはせて、やう変へて装束きわけたり。
 雲居遥かにめでたく見ゆるにつけても、若君の数ならぬさまにてものしたまふを、いみじと思ふ。いよいよ御社(みやしろ)の方(かた)を拝みきこゆ 。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第75回 「澪標」より その2
収録日 2006年3月11日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成17年秋期講座

このエントリーをはてなブックマークに追加

「源氏物語巻名歌」から

プロフィール

講師:岡野弘彦
(国学院大学名誉教授)

歌人。大正13年(1924年)、三重県に生まれる。國學院大學国文科に在学中より折口信夫に学び、雑誌「鳥船」に参加。折口の没年まで師事する。 昭和42年、処女歌集「冬の家族」で現代歌人協会賞を受賞。昭和54年から宮中歌会始の選者を努める。
詳しくはこちら

ページのトップへ戻る