本文へ

ホーム > 日本の古典 > ;源氏物語全講会 > 第100回 「玉葛」より その2

源氏物語全講会 | 岡野弘彦

源氏物語全講会

第100回 「玉葛」より その2

大夫監は、姫君(玉葛)の乳母の息子たちを呼び集めて説得する。祖母おとど(乳母)が対面し、当座をしのぐ。次郎は仲間に引き込まれたので、乳母は長男の豊後介と娘の兵部の君(あてき)を連れ玉葛と脱出する。京にたどり着く。頼るところのない一行は、岩清水八幡を詣で、初瀬観音を参詣する。夕顔の侍女だった右近も詣でていた。

源氏物語全講会第100回を迎えて

・源氏物語を三回半講義した本居宣長先生
・物語の最初の生き生きとした感動を心に甦らせてくれる玉葛の巻
・角川書店『短歌1月号』に掲載する歌
・歌会始選歌を終えて(お題「火」)

この男子どもを呼びとりて、語らふことは、

 この男子どもを呼びとりて、語らふことは、
 「思ふさまになりなば、同じ心に勢ひを交はすべきこと」
 など語らふに、二人は赴きにけり。
 「しばしこそ、似げなくあはれと思ひきこえけれ、おのおの我が身のよるべと頼まむに、いと頼もしき人なり。これに悪しくせられては、この近き世界にはめぐらひなむや」
 「よき人の御筋といふとも、親に数まへられたてまつらず、世に知られでは、何のかひかはあらむ。この人のかくねむごろに思ひきこえたまへるこそ、今は御幸ひなれ」
 「さるべきにてこそは、かかる世界にもおはしましけめ。逃げ隠れたまふとも、何のたけきことかはあらむ」
 「負けじ魂に、怒りなば、せぬことどももしてむ」
と言ひ脅せば、
 「いといみじ」
と聞きて、中の兄なる豊後介なむ、
 「なほ、いとたいだいしく、あたらしきことなり。故少弐ののたまひしこともあり。とかく構へて、京に上げたてまつりてむ」
と言ふ。

娘どもも泣きまどひて、「母君のかひなくてさすらへたまひて、

 娘どもも泣きまどひて、
 「母君のかひなくてさすらへたまひて、行方をだに知らぬかはりに、人なみなみにて見たてまつらむとこそ思ふに」
 「さるものの中に混じりたまひなむこと」
 と思ひ嘆くをも知らで、「我はいとおぼえ高き身」と思ひて、文など書きておこす。手などきたなげなう書きて、唐の色紙、香ばしき香に入れしめつつ、をかしく書きたりと思ひたる言葉ぞ、いとだみたりける。

みづからも、この家の次郎を語らひとりて、うち連れて来たり。

 みづからも、この家の次郎を語らひとりて、うち連れて来たり。
 三十ばかりなる男の、丈高くものものしく太りて、きたなげなけれど、思ひなし疎ましく、荒らかなる振る舞ひなど、見るもゆゆしくおぼゆ。色あひ心地よげに、声いたう嗄れてさへづりゐたり。懸想人は夜に隠れたるをこそ、よばひとは言ひけれ、さまかへたる春の夕暮なり。秋ならねども、あやしかりけりと見ゆ。
 心を破らじとて、祖母おとど出で会ふ。

「故少弐のいと情けび、きらきらしくものしたまひしを、

 「故少弐のいと情けび、きらきらしくものしたまひしを、いかでかあひ語らひ申さむと思ひたまへしかども、さる心ざしをも見え聞こえずはべりしほどに、いと悲しくて、隠れたまひにしを、その代はりに、いかうに仕うまつるべくなむ、心ざしを励まして、今日は、いとひたぶるに、強ひてさぶらひつる。
 このおはしますらむ女君、筋ことにうけたまはれば、いとかたじけなし。ただ、なにがしらが私の君と思ひ申して、いただきになむささげたてまつるべき。おとどもしぶしぶにおはしげなることは、よからぬ女どもあまたあひ知りてはべるを聞こしめし疎むななり。さりとも、すやつばらを、人並みにはしはべりなむや。わが君をば、后の位に落としたてまつらじものをや」
 など、いとよげに言ひ続く。
 「いかがは。かくのたまふを、いと幸ひありと思ひたまふるを、宿世つたなき人にやはべらむ、思ひ憚ることはべりて、いかでか人に御覧ぜられむと、人知れず嘆きはべるめれば、心苦しう見たまへわづらひぬる」
 と言ふ。
 「さらに、な思し憚りそ。天下に、目つぶれ、足折れたまへりとも、なにがしは仕うまつりやめてむ。国のうちの仏神は、おのれになむ靡きたまへる」
 など、誇りゐたり。
 「その日ばかり」と言ふに、「この月は季の果てなり」など、田舎びたることを言ひ逃る。

下りて行く際に、歌詠ままほしかりければ、やや久しう思ひめぐらして、

 下りて行く際に、歌詠ままほしかりければ、やや久しう思ひめぐらして、
 「君にもし心違はば松浦なる
  鏡の神をかけて誓はむ
 この和歌は、仕うまつりたりとなむ思ひたまふる」
 と、うち笑みたるも、世づかずうひうひうしや。あれにもあらねば、返しすべくも思はねど、娘どもに詠ますれど、
 「まろは、ましてものもおぼえず」
 とてゐたれば、いと久しきに思ひわづらひて、うち思ひけるままに、
 「年を経て祈る心の違ひなば
  鏡の神をつらしとや見む」
 とわななかし出でたるを、
 「待てや。こはいかに仰せらるる」
 と、ゆくりかに寄り来たるけはひに、おびえて、おとど、色もなくなりぬ。娘たち、さはいへど、心強く笑ひて、
 「この人の、さまことにものしたまふを、引き違へはべらば、思はれむを、なほ、ほけほけしき人の、神かけて、聞こえひがめたまふなめりや」
 と解き聞かす。
 「おい、さり、さり」とうなづきて、「をかしき御口つきかな。なにがしら、田舎びたりといふ名こそはべれ、口惜しき民にははべらず。都の人とても、何ばかりかあらむ。みな知りてはべり。な思しあなづりそ」
 とて、また、詠まむと思へれども、堪へずやありけむ、往ぬめり。

次郎が語らひ取られたるも、いと恐ろしく心憂くて、この豊後介を責むれば、

 次郎が語らひ取られたるも、いと恐ろしく心憂くて、この豊後介を責むれば、
 「いかがは仕まつるべからむ。語らひあはすべき人もなし。まれまれの兄弟は、この監に同じ心ならずとて、仲違ひにたり。この監にあたまれては、いささかの身じろきせむも、所狭くなむあるべき。なかなかなる目をや見む」
 と、思ひわづらひにたれど、姫君の人知れず思いたるさまの、いと心苦しくて、生きたらじと思ひ沈みたまへる、ことわりとおぼゆれば、いみじきことを思ひ構へて出で立つ。妹たちも、年ごろ経ぬるよるべを捨てて、この御供に出で立つ。
 あてきと言ひしは、今は兵部の君といふぞ、添ひて、夜逃げ出でて舟に乗りける。大夫の監は、肥後に帰り行きて、四月二十日のほどに、日取りて来むとするほどに、かくて逃ぐるなりけり。

姉おもとは、類広くなりて、え出で立たず。

 姉おもとは、類広くなりて、え出で立たず。かたみに別れ惜しみて、あひ見むことの難きを思ふに、年経つる故里とて、ことに見捨てがたきこともなし。ただ、松浦の宮の前の渚と、かの姉おもとの別るるをなむ、顧みせられて、悲しかりける。

 「浮島を漕ぎ離れても行く方や
  いづく泊りと知らずもあるかな」

 「行く先も見えぬ波路に舟出して
  風にまかする身こそ浮きたれ」

 いとあとはかなき心地して、うつぶし臥したまへり。

「かく、逃げぬるよし、おのづから言ひ出で伝へば、

 「かく、逃げぬるよし、おのづから言ひ出で伝へば、負けじ魂にて、追ひ来なむ」と思ふに、心も惑ひて、早舟といひて、さまことになむ構へたりければ、思ふ方の風さへ進みて、危ふきまで走り上りぬ。響の灘もなだらかに過ぎぬ。
 「海賊の舟にやあらむ。小さき舟の、飛ぶやうにて来る」
 など言ふ者あり。海賊のひたぶるならむよりも、かの恐ろしき人の追ひ来るにやと思ふに、せむかたなし。

 「憂きことに胸のみ騒ぐ響きには
  響の灘もさはらざりけり」

「川尻といふ所、近づきぬ」と言ふにぞ、

 「川尻といふ所、近づきぬ」
 と言ふにぞ、すこし生き出づる心地する。例の、舟子ども、
 「唐泊より、川尻おすほどは」
 と歌ふ声の、情けなきも、あはれに聞こゆ。
 豊後介、あはれになつかしう歌ひすさみて、
 「いとかなしき妻子も忘れぬ」
 とて、思へば、
 「げにぞ、皆うち捨ててける。いかがなりぬらむ。はかばかしく身の助けと思ふ郎等どもは、皆率て来にけり。我を悪しと思ひて、追ひまどはして、いかがしなすらむ」と思ふに、「心幼くも、顧みせで、出でにけるかな」
 と、すこし心のどまりてぞ、あさましき事を思ひ続くるに、心弱くうち泣かれぬ。
 「胡の地の妻児をば虚しく棄て捐てつ」
 と誦ずるを、兵部の君聞きて、
 「げに、あやしのわざや。年ごろ従ひ来つる人の心にも、にはかに違ひて逃げ出でにしを、いかに思ふらむ」
 と、さまざま思ひ続けらるる。
 「帰る方とても、そこ所と行き着くべき故里もなし。知れる人と言ひ寄るべき頼もしき人もおぼえず。ただ一所の御ためにより、ここらの年つき住み馴れつる世界を離れて、浮べる波風にただよひて、思ひめぐらす方なし。この人をも、いかにしたてまつらむとするぞ」
 と、あきれておぼゆれど、「いかがはせむ」とて、急ぎ入りぬ。

九条に、昔知れりける人の残りたりけるを訪らひ出でて、

 九条に、昔知れりける人の残りたりけるを訪らひ出でて、その宿りを占め置きて、都のうちといへど、はかばかしき人の住みたるわたりにもあらず、あやしき市女、商人のなかにて、いぶせく世の中を思ひつつ、秋にもなりゆくままに、来し方行く先、悲しきこと多かり。
 豊後介といふ頼もし人も、ただ水鳥の陸に惑へる心地して、つれづれにならはぬありさまのたづきなきを思ふに、帰らむにもはしたなく、心幼く出で立ちにけるを思ふに、従ひ来たりし者どもも、類に触れて逃げ去り、本の国に帰り散りぬ。

 住みつくべきやうもなきを、母おとど、明け暮れ嘆きいとほしがれば、
 「何か。この身は、いとやすくはべり。人一人の御身に代へたてまつりて、いづちもいづちもまかり失せなむに咎あるまじ。我らいみじき勢ひになりても、若君をさるものの中にはふらしたてまつりては、何心地かせまし」
 と語らひ慰めて、
 「神仏こそは、さるべき方にも導き知らせたてまつりたまはめ。近きほどに、八幡の宮と申すは、かしこにても参り祈り申したまひし松浦、筥崎、同じ社なり。かの国を離れたまふとても、多くの願立て申したまひき。今、都に帰りて、かくなむ御験を得てまかり上りたると、早く申したまへ」
 とて、八幡に詣でさせたてまつる。それのわたり知れる人に言ひ尋ねて、五師とて、早く親の語らひし大徳残れるを呼びとりて、詣でさせたてまつる。

「うち次ぎては、仏の御なかには、初瀬なむ、日の本のうちには、

 「うち次ぎては、仏の御なかには、初瀬なむ、日の本のうちには、あらたなる験現したまふと、唐土にだに聞こえあむなり。まして、わが国のうちにこそ、遠き国の境とても、年経たまへれば、若君をば、まして恵みたまひてむ」
 とて、出だしたてまつる。ことさらに徒歩よりと定めたり。ならはぬ心地に、いとわびしく苦しけれど、人の言ふままに、ものもおぼえで歩みたまふ。
 「いかなる罪深き身にて、かかる世にさすらふらむ。わが親、世に亡くなりたまへりとも、われをあはれと思さば、おはすらむ所に誘ひたまへ。もし、世におはせば、御顔見せたまへ」
 と、仏を念じつつ、ありけむさまをだにおぼえねば、ただ、「親おはせましかば」と、ばかりの悲しさを、嘆きわたりたまへるに、かくさしあたりて、身のわりなきままに、取り返しいみじくおぼえつつ、からうして、椿市といふ所に、四日といふ巳の時ばかりに、生ける心地もせで、行き着きたまへり。

歩むともなく、とかくつくろひたれど、足のうら動かれず、

 歩むともなく、とかくつくろひたれど、足のうら動かれず、わびしければ、せむかたなくて休みたまふ。この頼もし人なる介、弓矢持ちたる人二人、さては下なる者、童など三、四人、女ばらある限り三人、壷装束して、樋洗めく者、古き下衆女二人ばかりとぞある。
 いとかすかに忍びたり。大御燈明のことなど、ここにてし加へなどするほどに日暮れぬ。家主人の法師、
 「人宿したてまつらむとする所に、何人のものしたまふぞ。あやしき女どもの、心にまかせて」
 とむつかるを、めざましく聞くほどに、げに、人びと来ぬ。

これも徒歩よりなめり。よろしき女二人、下人どもぞ、

 これも徒歩よりなめり。よろしき女二人、下人どもぞ、男女、数多かむめる。馬四、五つ牽かせて、いみじく忍びやつしたれど、きよげなる男どもなどあり。
 法師は、せめてここに宿さまほしくして、頭掻きありく。いとほしけれど、また、宿り替へむもさま悪しくわづらはしければ、人びとは奥に入り、他に隠しなどして、かたへは片つ方に寄りぬ。軟障などひき隔てておはします。
 この来る人も恥づかしげもなし。いたうかいひそめて、かたみに心づかひしたり。
 さるは、かの世とともに恋ひ泣く右近なりけり。年月に添へて、はしたなき交じらひのつきなくなりゆく身を思ひなやみて、この御寺になむたびたび詣でける。

講義第100回を祝して岡野先生へ花束贈呈

源氏全講会講義第100回を祝して、岡野先生へ花束贈呈

コンテンツ名 源氏物語全講会 第100回 「玉葛」より その2
収録日 2007年12月1日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成19年秋期講座

このエントリーをはてなブックマークに追加

「源氏物語巻名歌」から

プロフィール

講師:岡野弘彦
(国学院大学名誉教授)

歌人。大正13年(1924年)、三重県に生まれる。國學院大學国文科に在学中より折口信夫に学び、雑誌「鳥船」に参加。折口の没年まで師事する。 昭和42年、処女歌集「冬の家族」で現代歌人協会賞を受賞。昭和54年から宮中歌会始の選者を努める。
詳しくはこちら

ページのトップへ戻る