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源氏物語全講会 | 岡野弘彦

源氏物語全講会

第125回 「真木柱」より その5

三月になり、源氏は玉葛を思い文を出すが、それを読んだ(髭黒)大将が返事を書く。源氏は、大層いまいましいことだと思う。十一月に、玉葛は大層美しい男子を生んだ。かの内の大殿の御女(近江の君)を宰相中将(夕霧)がたしなめる。最後に、本居宣長『古事記伝 神代一之巻』を解説。

引き広げて、玉水のこぼるるやうに思さるるを、

 引き広げて、玉水のこぼるるやうに思さるるを、「人も見ば、うたてあるべし」と、つれなくもてなしたまへど、胸に満つ心地して、かの昔の、尚侍の君を朱雀院の后の切に取り籠めたまひし折など思し出づれど、さしあたりたることなればにや、これは世づかずぞあはれなりける。
 「好いたる人は、心からやすかるまじきわざなりけり。今は何につけてか心をも乱らまし。似げなき恋のつまなりや」
 と、さましわびたまひて、御琴掻き鳴らして、なつかしう弾きなしたまひし爪音、思ひ出でられたまふ。あづまの調べを、すが掻きて、
 「玉藻はな刈りそ」
 と、歌ひすさびたまふも、恋しき人に見せたらば、あはれ過ぐすまじき御さまなり。

内裏にも、ほのかに御覧ぜし御容貌ありさまを、心にかけたまひて、

 内裏にも、ほのかに御覧ぜし御容貌ありさまを、心にかけたまひて、  「赤裳垂れ引き去にし姿を」  と、憎げなる古事なれど、御言種になりてなむ、眺めさせたまひける。御文は、忍び忍びにありけり。身を憂きものに思ひしみたまひて、かやうのすさびごとをも、あいなく思しければ、心とけたる御いらへも聞こえたまはず。  なほ、かの、ありがたかりし御心おきてを、かたがたにつけて思ひしみたまへる御ことぞ、忘られざりける。

三月になりて、六条殿の御前の、藤、

 三月になりて、六条殿の御前の、藤、山吹のおもしろき夕ばえを見たまふにつけても、まづ見るかひありてゐたまへりし御さまのみ思し出でらるれば、春の御前をうち捨てて、こなたに渡りて御覧ず。
 呉竹の籬に、わざとなう咲きかかりたるにほひ、いとおもしろし。
 「色に衣を」
 などのたまひて、

 「思はずに井手の中道隔つとも
  言はでぞ恋ふる山吹の花
 顔に見えつつ」

 などのたまふも、聞く人なし。かく、さすがにもて離れたることは、このたびぞ思しける。げに、あやしき御心のすさびなりや。
 かりの子のいと多かるを御覧じて、柑子、橘などやうに紛らはして、わざとならずたてまつれたまふ。御文は、「あまり人もぞ目立つる」など思して、すくよかに、
 「おぼつかなき月日も重なりぬるを、思はずなる御もてなしなりと恨みきこゆるも、御心ひとつにのみはあるまじう聞きはべれば、ことなるついでならでは、対面の難からむを、口惜しう思ひたまふる」
 など、親めき書きたまひて、

 「同じ巣にかへりしかひの見えぬかな
  いかなる人か手ににぎるらむ
 などか、さしもなど、心やましうなむ」

 などあるを、大将も見たまひて、うち笑ひて、
 「女は、まことの親の御あたりにも、たはやすくうち渡り見えたてまつりたまはむこと、ついでなくてあるべきことにあらず。まして、なぞ、この大臣の、をりをり思ひ放たず、恨み言はしたまふ」
 と、つぶやくも、憎しと聞きたまふ。
 「御返り、ここにはえ聞こえじ」
 と、書きにくくおぼいたれば、
 「まろ聞こえむ」
 と代はるも、かたはらいたしや。

 「巣隠れて数にもあらぬかりの子を
 いづ方にかは取り隠すべき
 よろしからぬ御けしきにおどろきて。すきずきしや」

 と聞こえたまへり。
 「この大将の、かかるはかなしごと言ひたるも、まだこそ聞かざりつれ。めづらしう」
 とて、笑ひたまふ。心のうちには、かく領じたるを、いとからしと思す。

かの、もとの北の方は、月日隔たるままに、あさましと、ものを思ひ沈み、

 かの、もとの北の方は、月日隔たるままに、あさましと、ものを思ひ沈み、いよいよ呆け疾れてものしたまふ。大将殿のおほかたの訪らひ、何ごとをも詳しう思しおきて、君達をば、変はらず思ひかしづきたまへば、えしもかけ離れたまはず、まめやかなる方の頼みは、同じことにてなむものしたまひける。
 姫君をぞ、堪へがたく恋ひきこえたまへど、絶えて見せたてまつりたまはず。若き御心のうちに、この父君を、誰れも誰れも、許しなう恨みきこえて、いよいよ隔てたまふことのみまされば、心細く悲しきに、男君たちは、常に参り馴れつつ、尚侍の君の御ありさまなどをも、おのづからことにふれてうち語りて、
 「まろらをも、らうたくなつかしうなむしたまふ。明け暮れをかしきことを好みてものしたまふ」
 など言ふに、うらやましう、かやうにても安らかに振る舞ふ身ならざりけむを嘆きたまふ。あやしう、男女につけつつ、人にものを思はする尚侍の君にぞおはしける。

その年の十一月に、いとをかしき稚児をさへ抱き出でたまへれば、

 その年の十一月に、いとをかしき稚児をさへ抱き出でたまへれば、大将も、思ふやうにめでたしと、もてかしづきたまふこと、限りなし。そのほどのありさま、言はずとも思ひやりつべきことぞかし。父大臣も、おのづから思ふやうなる御宿世と思したり。
 わざとかしづきたまふ君達にも、御容貌などは劣りたまはず。頭中将も、この尚侍の君を、いとなつかしきはらからにて、睦びきこえたまふものから、さすがなる御けしきうちまぜつつ、
 「宮仕ひに、かひありてものしたまはましものを」
 と、この若君のうつくしきにつけても、
 「今まで皇子たちのおはせぬ嘆きを見たてまつるに、いかに面目あらまし」
 と、あまりのことをぞ思ひてのたまふ。
 公事は、あるべきさまに知りなどしつつ、参りたまふことぞ、やがてかくてやみぬべかめる。さてもありぬべきことなりかし。

まことや、かの内の大殿の御女の、尚侍のぞみし君も、

 まことや、かの内の大殿の御女の、尚侍のぞみし君も、さるものの癖なれば、色めかしう、さまよふ心さへ添ひて、もてわづらひたまふ。女御も、「つひに、あはあはしきこと、この君ぞ引き出でむ」と、ともすれば、御胸つぶしたまへど、大臣の、
 「今は、なまじらひそ」
 と、制しのたまふをだに聞き入れず、まじらひ出でてものしたまふ。
 いかなる折にかありけむ、殿上人あまた、おぼえことなる限り、この女御の御方に参りて、物の音など調べ、なつかしきほどの拍子打ち加へてあそぶ。秋の夕べのただならぬに、宰相中将も寄りおはして、例ならず乱れてものなどのたまふを、人びとめづらしがりて、
 「なほ、人よりことにも」
 とめづるに、この近江の君、人びとの中を押し分けて出でゐたまふ。
 「あな、うたてや。こはなぞ」
 と引き入るれど、いとさがなげににらみて、張りゐたれば、わづらはしくて、
 「あうなきことや、のたまひ出でむ」
 と、つき交はすに、この世に目馴れぬまめ人をしも、
 「これぞな、これぞな」
 とめでて、ささめき騒ぐ声、いとしるし。人びと、いと苦しと思ふに、声いとさはやかにて、

 「沖つ舟よるべ波路に漂はば
  棹さし寄らむ泊り教へよ
 棚なし小舟漕ぎ返り、同じ人をや。あな、悪や」

 と言ふを、いとあやしう、
 「この御方には、かう用意なきこと聞こえぬものを」と思ひまはすに、「この聞く人なりけり」
 と、をかしうて、

 「よるべなみ風の騒がす舟人も
  思はぬ方に磯伝ひせず」

 とて、はしたなかめり、とや。

本居宣長『古事記伝 神代一之巻』 <その1>

神名は迦微能那波と訓べきことも、首巻に云り、迦微と申す名義は未思得ず、
旧く説けることども皆あたらず、
さて凡て迦微とは、古御典等に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れ
る社に坐御霊をも申し、又人はさらにも云ず、鳥獣木草のたぐい海山など、其
余何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云なり、
すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功しきことなどの、優れたるのみを云
に非ず、悪しきもの奇しきものなども、よにすぐれて可畏きをば、神と云な
り、さて人の中の神は、先かけまくもかしこき天皇は、御世々々みな神に坐
こと、申すもさらなり...

参考資料:『古事記伝 神代一之巻』PDF形式(16KB)

・日本人の心の伝統を深く考える人であった宣長

・日本人が仏教伝来以前から生きていた自分たち固有の神に対するこころ

・阿修羅像が初めて東京に来た時の折口信夫の講演

・興福寺の阿修羅像を作った人たちは自分たち固有の神を形象化したいという情熱があったに違いない(折口信夫)

本居宣長『古事記伝 神代一之巻』  <その2>

・海を統率している霊的なもの”わたつみ”、山を統率している霊的なもの”やまつみ”

・天皇は御言持

・宣長の没後の門人、平田篤胤、伴信友

・折口信夫を惹きつけた柳田国男の日本民俗学

・古事記にくらべ観念的なところがない宣長の源氏解釈

・宣長の源氏解釈に惹かれた折口信夫

・宣長の源氏解釈”もののあわれ論”

本居宣長『古事記伝 神代一之巻』  <その3>

・過疎の村になってしまった郷里、そこに一番近い町に宣長先生がいた

・自分にとって非常に身近な存在であった宣長

・古今調の歌を作り続けた宣長

・光源氏を「もののあわれ」の具現者とみていた宣長

・日本人の道徳を説いて物証と考えていた折口信夫

 

コンテンツ名 源氏物語全講会 第125回 「真木柱」より その5
収録日 2009年5月9日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成21年春期講座

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「源氏物語巻名歌」から

プロフィール

講師:岡野弘彦
(国学院大学名誉教授)

歌人。大正13年(1924年)、三重県に生まれる。國學院大學国文科に在学中より折口信夫に学び、雑誌「鳥船」に参加。折口の没年まで師事する。 昭和42年、処女歌集「冬の家族」で現代歌人協会賞を受賞。昭和54年から宮中歌会始の選者を努める。
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