源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第129回 「藤裏葉」より その2

夕霧と雲居雁は歌を交わし合い、六年の恋が遂げられる夜を持った。夕霧からの後朝の文を、ご覧になる父の内大臣には、夕霧に対する偏見がすっかりなくなっている。上賀茂神社の御阿礼祭りに六条院の方々が参詣され、大臣(源氏)は車争いの場面を思い出す。宰相中将(夕霧)は、祭りの使いの藤典侍(密かに情けを交わし合われる仲)に文を出す。紫の上は姫君の実母に当たる明石の上を後見役として推薦する。紫の上と明石の君は対面しされる。源氏は、安心し、出家遁世のことを思う。

男君は、夢かとおぼえたまふにも、

 男君は、夢かとおぼえたまふにも、わが身いとどいつかしうぞおぼえたまひけむかし。女は、いと恥づかしと思ひしみてものしたまふも、ねびまされる御ありさま、いとど飽かぬところなくめやすし。
  「世の例にもなりぬべかりつる身を、心もてこそ、かうまでも思し許さるめれ。あはれを知りたまはぬも、さま異なるわざかな」
  と、怨みきこえたまふ。
  「少将の進み出だしつる『葦垣』の趣きは、耳とどめたまひつや。いたき主かなな。『河口の』とこそ、さしいらへまほしかりつれ」
  とのたまへば、女、いと聞き苦し、と思して、

  「浅き名を言ひ流しける河口は
   いかが漏らしし関の荒垣
  あさまし」

  とのたまふさま、いとこめきたり。すこしうち笑ひて、

  「漏りにける岫田の関を河口の
   浅きにのみはおほせざらなむ

年月の積もりも、いとわりなくて悩ましきに、ものおぼえず」

 年月の積もりも、いとわりなくて悩ましきに、ものおぼえず」
  と、酔ひにかこちて、苦しげにもてなして、明くるも知らず顔なり。人びと、聞こえわづらふを、大臣、
  「したり顔なる朝寝かな」
  と、とがめたまふ。されど、明かし果てでぞ出でたまふ。ねくたれの御朝顔、見るかひありかし。

御文は、なほ忍びたりつるさまの心づかひにてあるを、

 御文は、なほ忍びたりつるさまの心づかひにてあるを、なかなか今日はえ聞こえたまはぬを、もの言ひさがなき御達つきじろふに、大臣渡りて見たまふぞ、いとわりなきや。
  「尽きせざりつる御けしきに、いとど思ひ知らるる身のほどを。堪へぬ心にまた消えぬべきも、
   とがむなよ忍びにしぼる手もたゆみ
   今日あらはるる袖のしづくを」
  など、いと馴れ顔なり。うち笑みて、
  「手をいみじうも書きなられにけるかな」
  などのたまふも、昔の名残なし。
  御返り、いと出で来がたげなれば、「見苦しや」とて、さも思し憚りぬべきことなれば、渡りたまひぬ。
  御使の禄、なべてならぬさまにて賜へり。中将、をかしきさまにもてなしたまふ。常にひき隠しつつ隠ろへありきし御使、今日は、面もちなど、人びとしく振る舞ふめり。右近将監なる人の、むつましう思し使ひたまふなりけり。

六条の大臣も、かくと聞こし召してけり。

 六条の大臣も、かくと聞こし召してけり。宰相、常よりも光添ひて参りたまへれば、うちまもりたまひて、
  「今朝はいかに。文などものしつや。賢しき人も、女の筋には乱るる例あるを、人悪ろくかかづらひ、心いられせで過ぐされたるなむ、すこし人に抜けたりける御心とおぼえける。
  大臣の御おきての、あまりすくみて、名残なくくづほれたまひぬるを、世人も言ひ出づることあらむや。さりとても、わが方たけう思ひ顔に、心おごりして、好き好きしき心ばへなど漏らしたまふな。
  さこそおいらかに、大きなる心おきてと見ゆれど、下の心ばへ男々しからず癖ありて、人見えにくきところつきたまへる人なり」
  など、例の教へきこえたまふ。ことうちあひ、めやすき御あはひ、と思さる。
  御子とも見えず、すこしがこのかみばかりと見えたまふ。ほかほかにては、同じ顔を写し取りたると見ゆるを、御前にては、さまざま、あなめでたと見えたまへり。
  大臣は、薄き御直衣、白き御衣の唐めきたるが、紋けざやかにつやつやと透きたるをたてまつりて、なほ尽きせずあてになまめかしうおはします。
  宰相殿は、すこし色深き御直衣に、丁子染めの焦がるるまでしめる、白き綾のなつかしきを着たまへる、ことさらめきて艶に見ゆ。

灌仏率てたてまつりて、御導師遅く参りければ、日暮れて、

 灌仏率てたてまつりて、御導師遅く参りければ、日暮れて、御方々より童女出だし、布施など、公ざまに変はらず、心々にしたまへり。御前の作法を移して、君達なども参り集ひて、なかなか、うるはしき御前よりも、あやしう心づかひせられて臆しがちなり。

宰相は、静心なく、いよいよ化粧じ、ひきつくろひて出でたまふを、

 宰相は、静心なく、いよいよ化粧じ、ひきつくろひて出でたまふを、わざとならねど、情けだちたまふ若人は、恨めしと思ふもありけり。年ごろの積もり取り添へて、思ふやうなる御仲らひなめれば、水も漏らむやは。
  主人の大臣、いとどしき近まさりを、うつくしきものに思して、いみじうもてかしづききこえたまふ。負けぬる方の口惜しさは、なほ思せど、罪も残るまじうぞ、まめやかなる御心ざまなどの、年ごろ異心なくて過ぐしたまへるなどを、ありがたく思し許す。
  女御の御ありさまなどよりも、はなやかにめでたくあらまほしければ、北の方、さぶらふ人びとなどは、心よからず思ひ言ふもあれど、何の苦しきことかはあらむ。按察使の北の方なども、かかる方にて、うれしと思ひきこえたまひけり。

かくて、六条院の御いそぎは、二十余日のほどなりけり。

 かくて、六条院の御いそぎは、二十余日のほどなりけり。対の上、御阿礼に詣うでたまふとて、例の御方々いざなひきこえたまへど、なかなか、さしも引き続きて心やましきを思して、誰も誰もとまりたまひて、ことことしきほどにもあらず、御車二十ばかりして、御前なども、くだくだしき人数多くもあらず、ことそぎたるしも、けはひことなり。

祭の日の暁に詣うでたまひて、かへさには、物御覧ずべき御桟敷におはします。

 祭の日の暁に詣うでたまひて、かへさには、物御覧ずべき御桟敷におはします。御方々の女房、おのおの車引き続きて、御前、所占めたるほど、いかめしう、「かれはそれ」と、遠目よりおどろおどろしき御勢ひなり。
  大臣は、中宮の御母御息所の、車押し避けられたまへりし折のこと思し出でて、
  「時により心おごりして、さやうなることなむ、情けなきことなりける。こよなく思ひ消ちたりし人も、嘆き負ふやうにて亡くなりにき」
  と、そのほどはのたまひ消ちて、
  「残りとまれる人の、中将は、かくただ人にて、わづかになりのぼるめり。宮は並びなき筋にておはするも、思へば、いとこそあはれなれ。すべていと定めなき世なればこそ、何ごとも思ふままにて、生ける限りの世を過ぐさまほしけれと、残りたまはむ末の世などの、たとしへなき衰へなどをさへ、思ひ憚らるれば」
  と、うち語らひたまひて、上達部なども御桟敷に参り集ひたまへれば、そなたに出でたまひぬ。

 

講義中で触れている「車争い」については こちらをご参照ください
「源氏物語全講会」 第54回 「葵」その2
https://angel-zaidan.org/genji/054/

近衛司の使は、頭中将なりけり。

 近衛司の使は、頭中将なりけり。かの大殿にて、出で立つ所よりぞ人びとは参りたまうける。藤典侍も使なりけり。おぼえことにて、内裏、春宮よりはじめたてまつりて、六条院などよりも、御訪らひども所狭きまで、御心寄せいとめでたし。
  宰相中将、出で立ちの所にさへ訪らひたまへり。うちとけずあはれを交はしたまふ御仲なれば、かくやむごとなき方に定まりたまひぬるを、ただならずうち思ひけり。

  「何とかや今日のかざしよかつ見つつ
   おぼめくまでもなりにけるかな
  あさまし」

  とあるを、折過ぐしたまはぬばかりを、いかが思ひけむ、いともの騒がしく、車に乗るほどなれど、

  「かざしてもかつたどらるる草の名は
   桂を折りし人や知るらむ
  博士ならでは」

  と聞こえたり。はかなけれど、ねたきいらへと思す。なほ、この内侍にぞ、思ひ離れず、はひまぎれたまふべき。

かくて、御参りは北の方添ひたまふべきを、

 かくて、御参りは北の方添ひたまふべきを、「常に長々しうえ添ひさぶらひたまはじ。かかるついでに、かの御後見をや添へまし」と思す。
  上も、「つひにあるべきことの、かく隔たりて過ぐしたまふを、かの人も、ものしと思ひ嘆かるらむ。この御心にも、今はやうやうおぼつかなく、あはれに思し知るらむ。かたがた心おかれたてまつらむも、あいなし」と思ひなりたまひて、
  「この折に添へたてまつりたまへ。まだいとあえかなるほどもうしろめたきに、さぶらふ人とても、若々しきのみこそ多かれ。御乳母たちなども、見及ぶことの心いたる限りあるを、みづからは、えつとしもさぶらはざらむほど、うしろやすかるべく」
  と聞こえたまへば、「いとよく思し寄るかな」と思して、「さなむ」と、あなたにも語らひのたまひければ、いみじくうれしく、思ふこと叶ひはべる心地して、人の装束、何かのことも、やむごとなき御ありさまに劣るまじくいそぎたつ。
  尼君なむ、なほこの御生ひ先見たてまつらむの心深かりける。「今一度見たてまつる世もや」と、命をさへ執念くなして念じけるを、「いかにしてかは」と、思ふも悲し。
  その夜は、上添ひて参りたまふに、さて、車にも立ちくだりうち歩みなど、人悪るかるべきを、わがためは思ひ憚らず、ただ、かく磨きたてたてまつりたまふ玉の疵にて、わがかくながらふるを、かつはいみじう心苦しう思ふ。

御参りの儀式、「人の目おどろくぼかりのことはせじ」と思しつつめど、

 御参りの儀式、「人の目おどろくぼかりのことはせじ」と思しつつめど、おのづから世の常のさまにぞあらぬや。限りもなくかしづきすゑたてまつりたまひて、上は、「まことにあはれにうつくし」と思ひきこえたまふにつけても、人に譲るまじう、「まことにかかることもあらましかば」と思す。大臣も、宰相の君も、ただこのことひとつをなむ、「飽かぬことかな」と、思しける。
  三日過ごしてぞ、上はまかでさせたまふ。

たち変はりて参りたまふ夜、御対面あり。

たち変はりて参りたまふ夜、御対面あり。
  「かくおとなびたまふけぢめになむ、年月のほども知られはべれば、疎々しき隔ては、残るまじくや」
  と、なつかしうのたまひて、物語などしたまふ。これもうちとけぬる初めなめり。ものなどうち言ひたるけはひなど、むべこそはと、めざましう見たまふ。
  また、いと気高う盛りなる御けしきを、かたみにめでたしと見て、「そこらの御中にもすぐれたる御心ざしにて、並びなきさまに定まりたまひけるも、いとことわり」と思ひ知らるるに、「かうまで、立ち並びきこゆる契り、おろかなりやは」と思ふものから、出でたまふ儀式の、いとことによそほしく、御輦車など聴されたまひて、女御の御ありさまに異ならぬを、思ひ比ぶるに、さすがなる身のほどなり。

いとうつくしげに、雛のやうなる御ありさまを、夢の心地して見たてまつるにも、

 いとうつくしげに、雛のやうなる御ありさまを、夢の心地して見たてまつるにも、涙のみとどまらぬは、一つものとぞ見えざりける。年ごろよろづに嘆き沈み、さまざま憂き身と思ひ屈しつる命も延べまほしう、はればれしきにつけて、まことに住吉の神もおろかならず思ひ知らる。
  思ふさまにかしづききこえて、心およばぬことはた、をさをさなき人のらうらうじさなれば、おほかたの寄せ、おぼえよりはじめ、なべてならぬ御ありさま容貌なるに、宮も、若き御心地に、いと心ことに思ひきこえたまへり。
  挑みたまへる御方々の人などは、この母君の、かくてさぶらひたまふを、疵に言ひなしなどすれど、それに消たるべくもあらず。いまめかしう、並びなきことをば、さらにもいはず、心にくくよしある御けはひを、はかなきことにつけても、あらまほしうもてなしきこえたまへれば、殿上人なども、めづらしき挑み所にて、とりどりにさぶらふ人びとも、心をかけたる女房の、用意ありさまさへ、いみじくととのへなしたまへり。
  上も、さるべき折節には参りたまふ。御仲らひあらまほしううちとけゆくに、さりとてさし過ぎもの馴れず、あなづらはしかるべきもてなし、はた、つゆなく、あやしくあらまほしき人のありさま、心ばへなり。

大臣も、「長からずのみ思さるる御世のこなたに」と、思しつる御参りの、

 大臣も、「長からずのみ思さるる御世のこなたに」と、思しつる御参りの、かひあるさまに見たてまつりなしたまひて、心からなれど、世に浮きたるやうにて、見苦しかりつる宰相の君も、思ひなくめやすきさまにしづまりたまひぬれば、御心おちゐ果てたまひて、「今は本意も遂げなむ」と、思しなる。
  対の上の御ありさまの、見捨てがたきにも、「中宮おはしませば、おろかならぬ御心寄せなり。この御方にも、世に知られたる親ざまには、まづ思ひきこえたまふべければ、さりとも」と、思し譲りけり。
  夏の御方の、時に花やぎたまふまじきも、「宰相のものしたまへば」と、皆とりどりにうしろめたからず思しなりゆく。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第129回 「藤裏葉」より その2
収録日 2009年8月29日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

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