源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第140回 「若菜上」より その10

御方(明石の君)が入道の文をご覧になり、尼君と語り合う。宮(東宮)からは早く参内するようにとのお召しがある。明石の君は御息所に入道からの手紙を見せる。明石入道一族について講義する。

はじめに~近況報告

御方は、南の御殿におはするを、

 御方は、南の御殿におはするを、「かかる御消息なむある」とありければ、忍びて渡りたまへり。重々しく身をもてなして、おぼろけならでは、通ひあひたまふこともかたきを、「あはれなることなむ」と聞きて、おぼつかなければ、うち忍びてものしたまへるに、いといみじく悲しげなるけしきにてゐたまへり。
火近く取り寄せて、この文を見たまふに、げにせきとめむかたぞなかりける。よその人は、何とも目とどむまじきことの、まづ、昔来し方のこと思ひ出で、恋しと思ひわたりたまふ心には、「あひ見で過ぎ果てぬるにこそは」と、見たまふに、いみじくいふかひなし。
涙をえせきとめず、この夢語りを、かつは行く先頼もしく、
「さらば、ひが心にて、わが身をさしもあるまじきさまにあくがらしたまふと、中ごろ思ひただよはれしことは、かくはかなき夢に頼みをかけて、心高くものしたまふなりけり」
と、かつがつ思ひ合はせたまふ。

尼君、久しくためらひて、

 尼君、久しくためらひて、
「君の御徳には、うれしくおもただしきことをも、身にあまりて並びなく思ひはべり。あはれにいぶせき思ひもすぐれてこそはべりけれ。
数ならぬ方にても、ながらへし都を捨てて、かしこに沈みゐしをだに、世人に違ひたる宿世にもあるかな、と思ひはべしかど、生ける世にゆき離れ、隔たるべき仲の契りとは思ひかけず、同じ蓮に住むべき後の世の頼みをさへかけて年月を過ぐし来て、にはかにかくおぼえぬ御こと出で来て、背きにし世に立ち返りてはべる、かひある御ことを見たてまつりよろこぶものから、片つかたには、おぼつかなく悲しきことのうち添ひて絶えぬを、つひにかくあひ見ず隔てながらこの世を別れぬるなむ、口惜しくおぼえはべる。

世に経し時だに、人に似ぬ心ばへにより、

 世に経し時だに、人に似ぬ心ばへにより、世をもてひがむるやうなりしを、若きどち頼みならひて、おのおのはまたなく契りおきてければ、かたみにいと深くこそ頼みはべしか。いかなれば、かく耳に近きほどながら、かくて別れぬらむ」
と言ひ続けて、いとあはれにうちひそみたまふ。御方もいみじく泣きて、
「人にすぐれむ行く先のことも、おぼえずや。数ならぬ身には、何ごとも、けざやかにかひあるべきにもあらぬものから、あはれなるありさまに、おぼつかなくてやみなむのみこそ口惜しけれ。
よろづのこと、さるべき人の御ためとこそおぼえはべれ、さて絶え籠もりたまひなば、世の中も定めなきに、やがて消えたまひなば、かひなくなむ」
とて、夜もすがら、あはれなることどもを言ひつつ明かしたまふ。

「昨日も、大殿の君の、

 「昨日も、大殿の君の、あなたにありと見置きたまひてしを、にはかにはひ隠れたらむも、軽々しきやうなるべし。身ひとつは、何ばかりも思ひ憚りはべらず。かく添ひたまふ御ためなどのいとほしきになむ、心にまかせて身をももてなしにくかるべき」
とて、暁に帰り渡りたまひぬ。
「若宮はいかがおはします。いかでか見たてまつるべき」
とても泣きぬ。
「今見たてまつりたまひてむ。女御の君も、いとあはれになむ思し出でつつ、聞こえさせたまふめる。院も、ことのついでに、もし世の中思ふやうならば、ゆゆしきかね言なれど、尼君そのほどまでながらへたまはなむ、とのたまふめりき。いかに思すことにかあらむ」
とのたまへば、またうち笑みて、
「いでや、さればこそ、さまざま例なき宿世にこそはべれ」
とて喜ぶ。この文箱は持たせて参う上りたまひぬ。

若菜の巻の特徴

・スケールの大きさをもった巻
・源氏の生き方の総決算みたいなことが書かれている巻
・明石入道一族の未来を予感させる決着がつき、大きな印象を読者に与える巻

贅沢な時間に明石入道の物語を考える

 窓からの景色を眺め、丸谷才一著『文学のレッスン』を楽しむ。『文学のレッスン』は、『源氏物語』がどんなに優れている小説であるかを、われわれに手っ取り早く納得させてくれる、ありがたい本。

「若菜」では、明石入道一族の物語といってもよい一族の話の結末的部分を語り終わる。明石入道の物語は、『源氏物語』をはみ出して、日本文学史上の、もう少し別の問題をも考えさせる要素を持っている。
血筋は中々の者たちの中から、地方に下って実力を蓄え、豪族として大きな力を持つ家筋が増えていく。そういう風な者から源氏と平家が大きな力を持っていく。

言葉に託した力の闘争
「貴族文化」の流れと違う道筋をたどっている「もののふの文化」

宮より、とく参りたまふべきよしのみあれば、

 宮より、とく参りたまふべきよしのみあれば、
「かく思したる、ことわりなり。めづらしきことさへ添ひて、いかに心もとなく思さるらむ」
と、紫の上ものたまひて、若宮忍びて参らせたてまつらむ御心づかひしたまふ。
御息所は、御暇の心やすからぬに懲りたまひて、かかるついでに、しばしあらまほしく思したり。ほどなき御身に、さる恐ろしきことをしたまへれば、すこし面痩せ細りて、いみじくなまめかしき御さましたまへり。
「かく、ためらひがたくおはするほど、つくろひたまひてこそは」
など、御方などは心苦しがりきこえたまふを、大殿は、
「かやうに面痩せて見えたてまつりたまはむも、なかなかあはれなるべきわざなり」
などのたまふ。

対の上などの渡りたまひぬる夕つ方、

 対の上などの渡りたまひぬる夕つ方、しめやかなるに、御方、御前に参りたまひて、この文箱聞こえ知らせたまふ。
「思ふさまにかなひ果てさせたまふまでは、取り隠して置きてはべるべけれど、世の中定めがたければ、うしろめたさになむ。何ごとをも御心と思し数まへざらむこなた、ともかくも、はかなくなりはべりなば、かならずしも今はのとぢめを、御覧ぜらるべき身にもはべらねば、なほ、うつし心失せずはべる世になむ、はかなきことをも、聞こえさせ置くべくはべりける、と思ひはべりて。
むつかしくあやしき跡なれど、これも御覧ぜよ。この願文は、近き御厨子などに置かせたまひて、かならずさるべからむ折に御覧じて、このうちのことどもはせさせたまへ。
疎き人には、な漏らさせたまひそ。かばかりと見たてまつりおきつれば、みづからも世を背きはべなむと思うたまへなりゆけば、よろづ心のどかにもおぼえはべらず。
対の上の御心、おろかに思ひきこえさせたまふな。

いとありがたくものしたまふ、

 いとありがたくものしたまふ、深き御けしきを見はべれば、身にはこよなくまさりて、長き御世にもあらなむとぞ思ひはべる。もとより、御身に添ひきこえさせむにつけても、つつましき身のほどにはべれば、譲りきこえそめはべりにしを、いとかうしも、ものしたまはじとなむ、年ごろは、なほ世の常に思うたまへわたりはべりつる。
今は、来し方行く先、うしろやすく思ひなりにてはべり」
など、いと多く聞こえたまふ。涙ぐみて聞きおはす。かくむつましかるべき御前にも、常にうちとけぬさましたまひて、わりなくものづつみしたるさまなり。この文の言葉、いとうたてこはく、憎げなるさまを、陸奥国紙にて、年経にければ、黄ばみ厚肥えたる五、六枚、さすがに香にいと深くしみたるに書きたまへり。
いとあはれと思して、御額髪のやうやう濡れゆく、御側目、あてになまめかし。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第140回 「若菜上」より その10
収録日 2010年7月10日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成22年春期講座

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