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源氏物語全講会 | 岡野弘彦

源氏物語全講会

第159回 「柏木」より その2

芭蕉の連句に触れ山伏の話題から本文へ。女三の宮の返事に、柏木はすっかり弱ってしまう。女三の宮は男君(のちの薫)を産むが、源氏の態度に、出家を望む。出家した父の朱雀院が見舞いに来る。

中にもせいの高き山伏 翁

人ごみに諏訪の涌湯の夕まぐれ
曲水

中にもせいの高き山伏

いふことをただ一方へ落としけり
珎碩

・「行く春を近江の人とおしみけり」に対する曲水の批判

宮もものをのみ恥づかしうつつましと思したるさまを語る。

宮もものをのみ恥づかしうつつましと思したるさまを語る。さてうちしめり、面痩せたまへらむ御さまの、面影に見たてまつる心地して、思ひやられたまへば、げにあくがるらむ魂や、行き通ふらむなど、いとどしき心地も乱るれば、
「今さらに、この御ことよ、かけても聞こえじ。この世はかうはかなくて過ぎぬるを、長き世のほだしにもこそと思ふなむ、いとほしき。心苦しき御ことを、平らかにとだにいかで聞き置いたてまつらむ。見し夢を心一つに思ひ合はせて、また語る人もなきが、いみじういぶせくもあるかな」
など、取り集め思ひしみたまへるさまの深きを、かつはいとうたて恐ろしう思へど、あはれはた、え忍ばず、この人もいみじう泣く。

紙燭召して、御返り見たまへば、

紙燭召して、御返り見たまへば、御手もなほいとはかなげに、をかしきほどに書いたまひて、
「心苦しう聞きながら、いかでかは。ただ推し量り。『残らむ』とあるは、

立ち添ひて消えやしなまし憂きことを思ひ乱るる煙比べに

後るべうやは」
とばかりあるを、あはれにかたじけなしと思ふ。

「いでや、この煙ばかりこそは、

「いでや、この煙ばかりこそは、この世の思ひ出でならめ。はかなくもありけるかな」
と、いとど泣きまさりたまひて、御返り、臥しながら、うち休みつつ書いたまふ。言の葉の続きもなう、あやしき鳥の跡のやうにて、

「行方なき空の煙となりぬとも思ふあたりを立ちは離れじ

夕べはわきて眺めさせたまへ。

夕べはわきて眺めさせたまへ。咎めきこえさせたまはむ人目をも、今は心やすく思しなりて、かひなきあはれをだにも、絶えずかけさせたまへ」
など書き乱りて、心地の苦しさまさりければ、
「よし。いたう更けぬさきに、帰り参りたまひて、かく限りのさまになむとも聞こえたまへ。今さらに、人あやしと思ひ合はせむを、わが世の後さへ思ふこそ口惜しけれ。いかなる昔の契りにて、いとかかることしも心にしみけむ」
と、泣く泣くゐざり入りたまひぬれば、

 

・掛詞、縁語、枕詞
・大意と現代語訳

例は無期に迎へ据ゑて、

例は無期に迎へ据ゑて、すずろ言をさへ言はせまほしうしたまふを、言少なにても、と思ふがあはれなるに、えも出でやらず。御ありさまを乳母も語りて、いみじく泣き惑ふ。大臣などの思したるけしきぞいみじきや。
「昨日今日、すこしよろしかりつるを、などかいと弱げには見えたまふ」
と騷ぎたまふ。
「何か、なほとまりはべるまじきなめり」
と聞こえたまひて、みづからも泣いたまふ。

宮は、この暮れつ方より悩ましうしたまひけるを、

宮は、この暮れつ方より悩ましうしたまひけるを、その御けしきと、見たてまつり知りたる人びと、騷ぎみちて、大殿にも聞こえたりければ、驚きて渡りたまへり。御心のうちは、
「あな、口惜しや。思ひまずる方なくて見たてまつらましかば、めづらしくうれしからまし」
と思せど、人にはけしき漏らさじと思せば、験者など召し、御修法はいつとなく不断にせらるれば、僧どもの中に験ある限り皆参りて、加持参り騒ぐ。

夜一夜悩み明かさせたまひて、

夜一夜悩み明かさせたまひて、日さし上がるほどに生まれたまひぬ。男君と聞きたまふに、
「かく忍びたることの、あやにくに、いちじるき顔つきにてさし出でたまへらむこそ苦しかるべけれ。女こそ、何となく紛れ、あまたの人の見るものならねばやすけれ」
と思すに、また、
「かく、心苦しき疑ひ混じりたるにては、心やすき方にものしたまふもいとよしかし。さても、あやしや。わが世とともに恐ろしと思ひしことの報いなめり。この世にて、かく思ひかけぬことにむかはりぬれば、後の世の罪も、すこし軽みなむや」
と思す。
人はた知らぬことなれば、かく心ことなる御腹にて、末に出でおはしたる御おぼえいみじかりなむと、思ひいとなみ仕うまつる。

 

・折口信夫の日記に関する黒住真の記述に関連して
霊的なものに較差をつけない折口信夫

御産屋の儀式、

御産屋の儀式、いかめしうおどろおどろし。御方々、さまざまにし出でたまふ御産養、世の常の折敷、衝重、高坏などの心ばへも、ことさらに心々に挑ましさ見えつつなむ。
五日の夜、中宮の御方より、子持ちの御前の物、女房の中にも、品々に思ひ当てたる際々、公事にいかめしうせさせたまへり。御粥、屯食五十具、所々の饗、院の下部、庁の召次所、何かの隈まで、いかめしくせさせたまへり。宮司、大夫よりはじめて、院の殿上人、皆参れり。
七夜は、内裏より、それも公ざまなり。致仕の大臣など、心ことに仕うまつりたまふべきに、このころは、何ごとも思されで、おほぞうの御訪らひのみぞありける。
宮たち、上達部など、あまた参りたまふ。おほかたのけしきも、世になきまでかしづききこえたまへど、大殿の御心のうちに、心苦しと思すことありて、いたうももてはやしきこえたまはず、御遊びなどはなかりけり。

宮は、さばかりひはづなる御さまにて、

宮は、さばかりひはづなる御さまにて、いとむくつけう、ならはぬことの恐ろしう思されけるに、御湯などもきこしめさず、身の心憂きことを、かかるにつけても思し入れば、
「さはれ、このついでにも死なばや」
と思す。大殿は、いとよう人目を飾り思せど、まだむつかしげにおはするなどを、取り分きても見たてまつりたまはずなどあれば、老いしらへる人などは、
「いでや、おろそかにもおはしますかな。めづらしうさし出でたまへる御ありさまの、かばかりゆゆしきまでにおはしますを」
と、うつくしみきこゆれば、片耳に聞きたまひて、
「さのみこそは、思し隔つることもまさらめ」
と恨めしう、わが身つらくて、尼にもなりなばや、の御心尽きぬ。

夜なども、こなたには大殿籠もらず、

夜なども、こなたには大殿籠もらず、昼つ方などぞさしのぞきたまふ。
「世の中のはかなきを見るままに、行く末短う、もの心細くて、行なひがちになりにてはべれば、かかるほどのらうがはしき心地するにより、え参り来ぬを、いかが、御心地はさはやかに思しなりにたりや。心苦しうこそ」
とて、御几帳の側よりさしのぞきたまへり。御頭もたげたまひて、
「なほ、え生きたるまじき心地なむしはべるを、かかる人は罪も重かなり。尼になりて、もしそれにや生きとまると試み、また亡くなるとも、罪を失ふこともやとなむ思ひはべる」
と、常の御けはひよりは、いとおとなびて聞こえたまふを、
「いとうたて、ゆゆしき御ことなり。などてか、さまでは思す。かかることは、さのみこそ恐ろしかなれど、さてながらへぬわざならばこそあらめ」
と聞こえたまふ。

御心のうちには、

御心のうちには、
「まことにさも思し寄りてのたまはば、さやうにて見たてまつらむは、あはれなりなむかし。かつ見つつも、ことに触れて心置かれたまはむが心苦しう、我ながらも、え思ひ直すまじう、憂きことうち混じりぬべきを、おのづからおろかに人の見咎むることもあらむが、いといとほしう、院などの聞こし召さむことも、わがおこたりにのみこそはならめ。御悩みにことづけて、さもやなしたてまつりてまし」
など思し寄れど、また、いとあたらしう、あはれに、かばかり遠き御髪の生ひ先を、しかやつさむことも心苦しければ、
「なほ、強く思しなれ。けしうはおはせじ。限りと見ゆる人も、たひらなる例近ければ、さすがに頼みある世になむ」
など聞こえたまひて、御湯参りたまふ。いといたう青み痩せて、あさましうはかなげにてうち臥したまへる御さま、おほどき、うつくしげなれば、
「いみじき過ちありとも、心弱く許しつべき御さまかな」
と見たてまつりたまふ。

 

・丸谷才一に対するロングインタビュー(「すばる」2012年 1月号)

山の帝は、

山の帝は、めづらしき御こと平かなりと聞こし召して、あはれにゆかしう思ほすに、
「かく悩みたまふよしのみあれば、いかにものしたまふべきにか」
と、御行なひも乱れて思しけり。

さばかり弱りたまへる人の、

さばかり弱りたまへる人の、ものを聞こし召さで、日ごろ経たまへば、いと頼もしげなくなりたまひて、年ごろ見たてまつらざりしほどよりも、院のいと恋しくおぼえたまふを、
「またも見たてまつらずなりぬるにや」
と、いたう泣いたまふ。かく聞こえたまふさま、さるべき人して伝へ奏せさせたまひければ、いと堪へがたう悲しと思して、あるまじきこととは思し召しながら、夜に隠れて出でさせたまへり。

かねてさる御消息もなくて、

かねてさる御消息もなくて、にはかにかく渡りおはしまいたれば、主人の院、おどろきかしこまりきこえたまふ。
「世の中を顧みすまじう思ひはべりしかど、なほ惑ひ覚めがたきものは、子の道の闇になむはべりければ、行なひも懈怠して、もし後れ先立つ道の道理のままならで別れなば、やがてこの恨みもやかたみに残らむと、あぢきなさに、この世のそしりをば知らで、かくものしはべる」
と聞こえたまふ。御容貌、異にても、なまめかしうなつかしきさまに、うち忍びやつれたまひて、うるはしき御法服ならず、墨染の御姿、あらまほしうきよらなるも、うらやましく見たてまつりたまふ。例の、まづ涙落としたまふ。
「患ひたまふ御さま、ことなる御悩みにもはべらず。ただ月ごろ弱りたまへる御ありさまに、はかばかしう物なども参らぬ積もりにや、かくものしたまふにこそ」
など聞こえたまふ。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第159回 「柏木」より その2
収録日 2011年12月17日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成23年秋期講座

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「源氏物語巻名歌」から

プロフィール

講師:岡野弘彦
(国学院大学名誉教授)

歌人。大正13年(1924年)、三重県に生まれる。國學院大學国文科に在学中より折口信夫に学び、雑誌「鳥船」に参加。折口の没年まで師事する。 昭和42年、処女歌集「冬の家族」で現代歌人協会賞を受賞。昭和54年から宮中歌会始の選者を努める。
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