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源氏物語全講会 | 岡野弘彦

源氏物語全講会

第171回 「夕霧」より その3

夕霧は(落葉)宮に手紙を出すが、宮は読もうともしない。律師が御息所(宮の母)に夕霧の様子を語り、御息所は宮の女房(小少将)に真偽を問う。女房は詳しく話す。宮は御息所に会うが、話はしないで水入らずの食事を摂る。

かやうの歩き、慣らひたまはぬ心地に、

かやうの歩き、慣らひたまはぬ心地に、をかしうも心尽くしにもおぼえつつ、殿におはせば、女君の、かかる濡れをあやしと咎めたまひぬべければ、六条院の東の御殿に参うでたまひぬ。まだ朝霧も晴れず、ましてかしこにはいかに、と思しやる。
「例ならぬ御歩きありけり」
と、人びとはささめく。しばしうち休みたまひて、御衣脱ぎ替へたまふ。常に夏冬といときよらにしおきたまへれば、香の御唐櫃より取う出て奉りたまふ。御粥など参りて、御前に参りたまふ。

かしこに御文たてまつりたまへれど、

かしこに御文たてまつりたまへれど、御覧じも入れず。にはかにあさましかりしありさま、めざましうも恥づかしうも思すに、心づきなくて、御息所の漏り聞きたまはむことも、いと恥づかしう、また、かかることやとかけて知りたまはざらむに、ただならぬふしにても見つけたまひ、人のもの言ひ隠れなき世なれば、おのづから聞きあはせて、隔てけると思さむがいと苦しければ、
「人びとありしままに聞こえ漏らさなむ。憂しと思すともいかがはせむ」と思す。
親子の御仲と聞こゆる中にも、つゆ隔てずぞ思ひ交はしたまへる。よその人は漏り聞けども、親に隠すたぐひこそは、昔の物語にもあめれど、さはた思されず。人びとは、
「何かは、ほのかに聞きたまひて、ことしもあり顔に、とかく思し乱れむ。まだきに、心苦し」
など言ひあはせて、いかならむと思ふどち、この御消息のゆかしきを、ひきも開けさせたまはねば、心もとなくて、
「なほ、むげに聞こえさせたまはざらむも、おぼつかなく、若々しきやうにぞはべらむ」
など聞こえて、広げたれば、
「あやしう、何心もなきさまにて、人にかばかりにても見ゆるあはつけさの、みづからの過ちに思ひなせど、思ひやりなかりしあさましさも、慰めがたくなむ。え見ずとを言へ」
と、ことのほかにて、寄り臥させたまひぬ。
さるは、憎げもなく、いと心深う書いたまうて、
「魂をつれなき袖に留めおきて
わが心から惑はるるかな
ほかなるものはとか、昔もたぐひありけりと思たまへなすにも、さらに行く方知らずのみなむ」
など、いと多かめれど、人はえまほにも見ず。例のけしきなる今朝の御文にもあらざめれど、なほえ思ひはるけず。人びとは、御けしきもいとほしきを、嘆かしう見たてまつりつつ、
「いかなる御ことにかはあらむ。何ごとにつけても、ありがたうあはれなる御心ざまはほど経ぬれど」
「かかる方に頼みきこえては、見劣りやしたまはむ、と思ふも危ふく」
など、睦ましうさぶらふ限りは、おのがどち思ひ乱る。御息所もかけて知りたまはず。

・短歌雑誌を読んで
桑原武夫の「第二芸術論」に触発せられて、いくつかの短歌批判の論がでたが、その中では小野十三郎「奴隷の韻律」という論文にはある共感をもった。
・短歌も俳句も死に瀕している、滅びかかっている。
文語を越える口語にはお目にかかれない。
「言葉が変われば、そこに注ぎ込まれる思想も感情も変わるわけなんです。」
・文語は復活することがないでしょう。
「口語の表現の能力と、文語の表現の奥深い、そして心の、胸の、深々とした思いを伝える、あるいは激しい感情を伝える能力とは、非常に開きがあります。」
・文化伝統の持っている重さ

もののけにわづらひたまふ人は、

もののけにわづらひたまふ人は、重しと見れど、さはやぎたまふ隙もありてなむ、ものおぼえたまふ。日中の御加持果てて、阿闍梨一人とどまりて、なほ陀羅尼読みたまふ。よろしうおはします、喜びて、
「大日如来虚言したまはずは。などてか、かくなにがしが心を致して仕うまつる御修法、験なきやうはあらむ。悪霊は執念きやうなれど、業障にまとはれたるはかなものなり」
と、声はかれて怒りたまふ。いと聖だち、すくすくしき律師にて、ゆくりもなく、
「そよや。この大将は、いつよりここには参り通ひたまふぞ」
と問ひ申したまふ。御息所、
「さることもはべらず。故大納言のいとよき仲にて、語らひつけたまへる心違へじと、この年ごろ、さるべきことにつけて、いとあやしくなむ語らひものしたまふも、かくふりはへ、わづらふを訪らひにとて、立ち寄りたまへりければ、かたじけなく聞きはべりし」
と聞こえたまふ。
「いで、あなかたは。なにがしに隠さるべきにもあらず。今朝、後夜に参う上りつるに、かの西の妻戸より、いとうるはしき男の出でたまへるを、霧深くて、なにがしはえ見分いたてまつらざりつるを、この法師ばらなむ、『大将殿の出でたまふなりけり』と、『昨夜も御車も返して泊りたまひにける』と、口々申しつる。
げに、いと香うばしき香の満ちて、頭痛きまでありつれば、げにさなりけりと、思ひあはせはべりぬる。常にいと香うばしうものしたまふ君なり。このこと、いと切にもあらぬことなり。人はいと有職にものしたまふ。
なにがしらも、童にものしたまうし時より、かの君の御ためのことは、修法をなむ、故大宮ののたまひつけたりしかば、一向にさるべきこと、今に承るところなれど、いと益なし。本妻強くものしたまふ。さる、時にあへる族類にて、いとやむごとなし。若君たちは、七、八人になりたまひぬ。
え皇女の君圧したまはじ。また、女人の悪しき身をうけ、長夜の闇に惑ふは、ただかやうの罪によりなむ、さるいみじき報いをも受くるものなる。人の御怒り出で来なば、長きほだしとなりなむ。もはら受けひかず」
と、頭振りて、ただ言ひに言ひ放てば、
「いとあやしきことなり。さらにさるけしきにも見えたまはぬ人なり。よろづ心地の惑ひにしかば、うち休みて対面せむとてなむ、しばし立ち止まりたまへると、ここなる御達言ひしを、さやうにて泊りたまへるにやあらむ。おほかたいとまめやかに、すくよかにものしたまふ人を」
と、おぼめいたまひながら、心のうちに、
「さることもやありけむ。ただならぬ御けしきは、折々見ゆれど、人の御さまのいとかどかどしう、あながちに人の誹りあらむことははぶき捨て、うるはしだちたまへるに、たはやすく心許されぬことはあらじと、うちとけたるぞかし。人少なにておはするけしきを見て、はひ入りもやしたまへりけむ」と思す。

律師立ちぬる後に、

律師立ちぬる後に、小少将の君を召して、
「かかることなむ聞きつる。いかなりしことぞ。などかおのれには、さなむ、かくなむとは聞かせたまはざりける。さしもあらじと思ひながら」
とのたまへば、いとほしけれど、初めよりありしやうを、詳しう聞こゆ。今朝の御文のけしき、宮もほのかにのたまはせつるやうなど聞こえ、
「年ごろ、忍びわたりたまひける心の内を、聞こえ知らせむとばかりにやはべりけむ。ありがたう用意ありてなむ、明かしも果てで出でたまひぬるを、人はいかに聞こえはべるにか」。
律師とは思ひも寄らで、忍びて人の聞こえけると思ふ。ものものたまはで、いと憂く口惜しと思すに、涙ほろほろとこぼれたまひぬ。見たてまつるも、いといとほしう、「何に、ありのままに聞こえつらむ。苦しき御心地を、いとど思し乱るらむ」と悔しう思ひゐたり。
「障子は鎖してなむ」と、よろづによろしきやうに聞こえなせど、
「とてもかくても、さばかりに、何の用意もなく、軽らかに人に見えたまひけむこそ、いといみじけれ。うちうちの御心きようおはすとも、かくまで言ひつる法師ばら、よからぬ童べなどは、まさに言ひ残してむや。人には、いかに言ひあらがひ、さもあらぬことと言ふべきにかあらむ。すべて、心幼き限りしも、ここにさぶらひて」
とも、えのたまひやらず。いと苦しげなる御心地に、ものを思しおどろきたれば、いといとほしげなり。気高うもてなしきこえむとおぼいたるに、世づかはしう、軽々しき名の立ちたまふべきを、おろかならず思し嘆かる。
「かうすこしものおぼゆる隙に、渡らせたまうべう聞こえよ。そなたへ参り来べけれど、動きすべうもあらでなむ。見たてまつらで、久しうなりぬる心地すや」
と、涙を浮けてのたまふ。参りて、
「しかなむ聞こえさせたまふ」
とばかり聞こゆ。

渡りたまはむとて、

渡りたまはむとて、御額髪の濡れまろがれたる、ひきつくろひ、単衣の御衣ほころびたる、着替へなどしたまひても、とみにもえ動いたまはず。
「この人びともいかに思ふらむ。まだえ知りたまはで、後にいささかも聞きたまふことあらむに、つれなくてありしよ」
と思しあはせむも、いみじう恥づかしければ、また臥したまひぬ。
「心地のいみじう悩ましきかな。やがて直らぬさまにもありなむ、いとめやすかりぬべくこそ。脚の気の上りたる心地す」
と、押し下させたまふ。ものをいと苦しう、さまざまに思すには、気ぞ上がりける。

少将、「上に、

少将、
「上に、この御ことほのめかし聞こえける人こそはべけれ。いかなりしことぞ、と問はせたまひつれば、ありのままに聞こえさせて、御障子の固めばかりをなむ、すこしこと添へて、けざやかに聞こえさせつる。もし、さやうにかすめきこえさせたまはば、同じさまに聞こえさせたまへ」
と申す。
嘆いたまへるけしきは聞こえ出でず。「さればよ」と、いとわびしくて、ものものたまはぬ御枕より、雫ぞ落つる。
「このことにのみもあらず、身の思はずになりそめしより、いみじうものをのみ思はせたてまつること」
と、生けるかひなく思ひ続けたまひて、「この人は、かうても止まで、とかく言ひかかづらひ出でむも、わづらはしう、聞き苦しかるべう」、よろづに思す。「まいて、いふかひなく、人の言によりて、いかなる名を朽たさまし」
など、すこし思し慰むる方はあれど、「かばかりになりぬる高き人の、かくまでも、すずろに人に見ゆるやうはあらじかし」と、宿世憂く思し屈して、夕つ方ぞ、
「なほ、渡らせたまへ」
とあれば、中の塗籠の戸開けあはせて、渡りたまへる。

苦しき御心地にも、

苦しき御心地にも、なのめならずかしこまりかしづききこえたまふ。常の御作法あやまたず、起き上がりたまうて、
「いと乱りがはしげにはべれば、渡らせたまふも心苦しうてなむ。この二、三日ばかり見たてまつらざりけるほどの、年月の心地するも、かつはいとはかなくなむ。後、かならずしも、対面のはべるべきにもはべらざめり。まためぐり参るとも、かひやははべるべき。
思へば、ただ時の間に隔たりぬべき世の中を、あながちにならひはべりにけるも、悔しきまでなむ」
など泣きたまふ。
宮も、もののみ悲しう取り集め思さるれば、聞こえたまふこともなくて見たてまつりたまふ。ものづつみをいたうしたまふ本性に、際々しうのたまひさはやぐべきにもあらねば、恥づかしとのみ思すに、いといとほしうて、いかなりしなども、問ひきこえたまはず。
大殿油など急ぎ参らせて、御台など、こなたにて参らせたまふ。もの聞こし召さずと聞きたまひて、とかう手づからまかなひ直しなどしたまへど、触れたまふべくもあらず。ただ御心地のよろしう見えたまふぞ、胸すこしあけたまふ。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第171回 「夕霧」より その3
収録日 2012年8月25日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成24年春期講座

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「源氏物語巻名歌」から

プロフィール

講師:岡野弘彦
(国学院大学名誉教授)

歌人。大正13年(1924年)、三重県に生まれる。國學院大學国文科に在学中より折口信夫に学び、雑誌「鳥船」に参加。折口の没年まで師事する。 昭和42年、処女歌集「冬の家族」で現代歌人協会賞を受賞。昭和54年から宮中歌会始の選者を努める。
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