源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第174回 「夕霧」より その6

冒頭、國學院大學創立130周年記念事業に触れる。大将(夕霧)は弔問に来訪するが(落葉)宮には会えず、配下に指図して帰る。九月になり、大将のお見舞に宮は返事をしない。女君(雲居雁)が二人の間に疑念を持つが、大将は決心して小野に向かう。

恋歌

・11月1日に行われた國學院大學創立130周年記念事業公開シンポジウム「荷田春満と和歌」に関連して

江戸の国学は契沖から始まったと言って良いのだが、国学の四大人(荷田春満・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤)には入っていない。

・学部に進まなければ聞けなかった最高クラスの教授達の講義を予科1年から聞けるような計らいをした國學院

学徒出陣の壮行会での折口信夫の詩

三つある反歌のうちの一つ

「手の本をすててたたかふ身にしみて 恋しかるらし 学問の道」

・荷田春満に少し偏狭なもの、心の狭さを感じる。

春満は恋歌を一首も作らなかった。

・江戸時代までは、恋歌は和歌の中で最も大事な領域であった。

「恋の心というのは、実際に恋をするだけではなくって、常に、恋の心、人を恋る心、それをあらゆるものに対して、あるいは、自分の生活の細々にいつでももっている心が大事だと、日本人は考えてきた。」

・「宣長さんのような心の広さ、心の自在さ、柔軟な心じゃないと、古代人の心は、なかなかわかるものじゃない。」

・正岡子規、アララギ派、戦後の歌壇

・伝統定型詩のあり方も1500年くらいの視野の長さをもって見ていくことが必用。

心の持ち方が薄っぺらになっている言語芸術

常にさこそあらめとのたまひけることとて、

常にさこそあらめとのたまひけることとて、今日やがてをさめたてまつるとて、御甥の大和守にてありけるぞ、よろづに扱ひきこえける。
骸をだにしばし見たてまつらむとて、宮は惜しみきこえたまひけれど、さてもかひあるべきならねば、皆いそぎたちて、ゆゆしげなるほどにぞ、大将おはしたる。
「今日より後、日ついで悪しかりけり」
など、人聞きにはのたまひて、いとも悲しうあはれに、宮の思し嘆くらむことを推し量りきこえたまうて、
「かくしも急ぎわたりたまふべきことならず」
と、人びといさめきこゆれど、しひておはしましぬ。

ほどさへ遠くて、入りたまふほど、

ほどさへ遠くて、入りたまふほど、いと心すごし。ゆゆしげに引き隔てめぐらしたる儀式の方は隠して、この西面に入れたてまつる。大和守出で来て、泣く泣くかしこまりきこゆ。妻戸の簀子におし掛かりたまうて、女房呼び出でさせたまふに、ある限り、心も収まらず、物おぼえぬほどなり。
かく渡りたまへるにぞ、いささか慰めて、少将の君は参る。物もえのたまひやらず。涙もろにおはせぬ心強さなれど、所のさま、人のけはひなどを思しやるも、いみじうて、常なき世のありさまの、人の上ならぬも、いと悲しきなりけり。

・「ゆゆしげに」とはいかにも不吉なような気がすること

漢字を当てるとしたら「齋々し」、「忌々し」。「由々し」だと少し意味が変わってきてしまう。

ややためらひて、

ややためらひて、
「よろしうおこたりたまふさまに承りしかば、思うたまへたゆみたりしほどに。夢も覚むるほどはべなるを、いとあさましうなむ」
と聞こえたまへり。「思したりしさま、これに多くは御心も乱れにしぞかし」と思すに、さるべきとは言ひながらも、いとつらき人の御契りなれば、いらへをだにしたまはず。
「いかに聞こえさせたまふとか、聞こえはべるべき」
「いと軽らかならぬ御さまにて、かくふりはへ急ぎ渡らせたまへる御心ばへを、思し分かぬやうならむも、あまりにはべりぬべし」
と、口々聞こゆれば、
「ただ、推し量りて。我は言ふべきこともおぼえず」
とて、臥したまへるもことわりにて、
「ただ今は、亡き人と異ならぬ御ありさまにてなむ。渡らせたまへるよしは、聞こえさせはべりぬ」
と聞こゆ。この人びともむせかへるさまなれば、
「聞こえやるべき方もなきを。今すこしみづからも思ひのどめ、また静まりたまひなむに、参り来む。いかにしてかくにはかにと、その御ありさまなむゆかしき」
とのたまへば、まほにはあらねど、かの思ほし嘆きしありさまを、片端づつ聞こえて、
「かこちきこえさするさまになむ、なりはべりぬべき。今日は、いとど乱りがはしき心地どもの惑ひに、聞こえさせ違ふることどももはべりなむ。さらば、かく思し惑へる御心地も、限りあることにて、すこし静まらせたまひなむほどに、聞こえさせ承らむ」
とて、我にもあらぬさまなれば、のたまひ出づることも口ふたがりて、
「げにこそ、闇に惑へる心地すれ。なほ、聞こえ慰めたまひて、いささかの御返りもあらばなむ」
などのたまひおきて、立ちわづらひたまふも、軽々しう、さすがに人騒がしければ、帰りたまひぬ。

今宵しもあらじと思ひつる事どものしたため、

今宵しもあらじと思ひつる事どものしたため、いとほどなく際々しきを、いとあへなしと思いて、近き御荘の人びと召し仰せて、さるべき事ども仕うまつるべく、おきて定めて出でたまひぬ。事のにはかなれば、削ぐやうなりつることども、いかめしう、人数なども添ひてなむ。大和守も、
「ありがたき殿の御心おきて」
など、喜びかしこまりきこゆ。「名残だになくあさましきこと」と、宮は臥しまろびたまへど、かひなし。親と聞こゆとも、いとかくはならはすまじきものなりけり。見たてまつる人びとも、この御事を、またゆゆしう嘆ききこゆ。大和守、残りのことどもしたためて、
「かく心細くては、えおはしまさじ。いと御心の隙あらじ」
など聞こゆれど、なほ、峰の煙をだに、気近くて思ひ出できこえむと、この山里に住み果てなむと思いたり。
御忌に籠もれる僧は、東面、そなたの渡殿、下屋などに、はかなき隔てしつつ、かすかにゐたり。西の廂をやつして、宮はおはします。明け暮るるも思し分かねど、月ごろ経ければ、九月になりぬ。

山下ろしいとはげしう、

山下ろしいとはげしう、木の葉の隠ろへなくなりて、よろづの事いといみじきほどなれば、おほかたの空にもよほされて、干る間もなく思し嘆き、「命さへ心にかなはず」と、厭はしういみじう思す。さぶらふ人びとも、よろづにもの悲しう思ひ惑へり。
大将殿は、日々に訪らひきこえたまふ。寂しげなる念仏の僧など、慰むばかり、よろづの物を遣はし訪らはせたまひ、宮の御前には、あはれに心深き言の葉を尽くして怨みきこえ、かつは、尽きもせぬ御訪らひを聞こえたまへど、取りてだに御覧ぜず、すずろにあさましきことを、弱れる御心地に、疑ひなく思ししみて、消え失せたまひにしことを思し出づるに、「後の世の御罪にさへやなるらむ」と、胸に満つ心地して、この人の御ことをだにかけて聞きたまふは、いとどつらく心憂き涙のもよほしに思さる。人びとも聞こえわづらひぬ。
一行の御返りをだにもなきを、「しばしは心惑ひしたまへる」など思しけるに、あまりにほど経ぬれば、
「悲しきことも限りあるを。などか、かく、あまり見知りたまはずはあるべき。いふかひなく若々しきやうに」と恨めしう、「異事の筋に、花や蝶やと書けばこそあらめ、わが心にあはれと思ひ、もの嘆かしき方ざまのことを、いかにと問ふ人は、睦ましうあはれにこそおぼゆれ。
大宮の亡せたまへりしを、いと悲しと思ひしに、致仕の大臣のさしも思ひたまへらず、ことわりの世の別れに、公々しき作法ばかりのことを孝じたまひしに、つらく心づきなかりしに、六条院の、なかなかねむごろに、後の御事をも営みたまうしが、わが方ざまといふ中にも、うれしう見たてまつりしその折に、故衛門督をば、取り分きて思ひつきにしぞかし。
人柄のいたう静まりて、物をいたう思ひとどめたりし心に、あはれもまさりて、人より深かりしが、なつかしうおぼえし」
など、つれづれとものをのみ思し続けて、明かし暮らしたまふ。

女君、なほこの御仲のけしきを、

女君、なほこの御仲のけしきを、
「いかなるにかありけむ。御息所とこそ、文通はしも、こまやかにしたまふめりしか」
など思ひ得がたくて、夕暮の空を眺め入りて臥したまへるところに、若君してたてまつれたまへる。はかなき紙の端に、
「あはれをもいかに知りてか慰めむ
あるや恋しき亡きや悲しき
おぼつかなきこそ心憂けれ」
とあれば、ほほ笑みて、
「先ざきも、かく思ひ寄りてのたまふ、似げなの、亡きがよそへや」
と思す。いとどしく、ことなしびに、
「いづれとか分きて眺めむ消えかへる
露も草葉のうへと見ぬ世を
おほかたにこそ悲しけれ」
と書いたまへり。「なほ、かく隔てたまへること」と、露のあはれをばさしおきて、ただならず嘆きつつおはす。

なほ、かくおぼつかなく思しわびて、

なほ、かくおぼつかなく思しわびて、また渡りたまへり。「御忌など過ぐしてのどやかに」と思し静めけれど、さまでもえ忍びたまはず、
「今はこの御なき名の、何かはあながちにもつつまむ。ただ世づきて、つひの思ひかなふべきにこそは」
と、思したばかりにければ、北の方の御思ひやりを、あながちにもあらがひきこえたまはず。
正身は強う思し離るとも、かの一夜ばかりの御恨み文をとらへどころにかこちて、「えしも、すすぎ果てたまはじ」と、頼もしかりけり。

九月十余日、野山のけしきは、

九月十余日、野山のけしきは、深く見知らぬ人だに、ただにやはおぼゆる。山風に堪へぬ木々の梢も、峰の葛葉も、心あわたたしう争ひ散る紛れに、尊き読経の声かすかに、念仏などの声ばかりして、人のけはひいと少なう、木枯の吹き払ひたるに、鹿はただ籬のもとにたたずみつつ、山田の引板にもおどろかず、色濃き稲どもの中に混じりてうち鳴くも、愁へ顔なり。
滝の声は、いとどもの思ふ人をおどろかし顔に、耳かしかましうとどろき響く。草むらの虫のみぞ、よりどころなげに鳴き弱りて、枯れたる草の下より、龍胆の、われひとりのみ心長うはひ出でて、露けく見ゆるなど、皆例のこのころのことなれど、折から所からにや、いと堪へがたきほどの、もの悲しさなり。

・伊勢神宮の長い変遷

岩楯(いわたて)、石室(いわむろ)、心御柱(しんのみはしら)

・形は変わっても、心の継承は意外と残っている。

パワースポットの感覚

四季の感覚が我々の感性に深い影響を与え、繊細な感性をもっているところがあるという、感じがする。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第174回 「夕霧」より その6
収録日 2012年11月10日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成24年秋期講座

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