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源氏物語全講会 | 岡野弘彦

源氏物語全講会

第181回 「御法」より その2

紫の上が姿を隠してしまう回。紫の上は可愛がっている三の宮(後の匂宮、当時五歳)に大人になったら二条院にお住み下さいと伝える。秋には中宮が見舞いに来て、源氏も部屋に入り、紫の上を看取る。源氏は夕霧を呼び寄せる。

三の宮は、あまたの御中に、

三の宮は、あまたの御中に、いとをかしげにて歩きたまふを、御心地の隙には、前に据ゑたてまつりたまひて、人の聞かぬ間に、
「まろがはべらざらむに、思し出でなむや」
と聞こえたまへば、
「いと恋しかりなむ。まろは、内裏の上よりも宮よりも、婆をこそまさりて思ひきこゆれば、おはせずは、心地むつかしかりなむ」
とて、目おしすりて紛らはしたまへるさま、をかしければ、ほほ笑みながら涙は落ちぬ。

「大人になりたまひなば、

「大人になりたまひなば、ここに住みたまひて、この対の前なる紅梅と桜とは、花の折々に、心とどめてもて遊びたまへ。さるべからむ折は、仏にもたてまつりたまへ」
と聞こえたまへば、うちうなづきて、御顔をまもりて、涙の落つべかめれば、立ちておはしぬ。取り分きて生ほしたてまつりたまへれば、この宮と姫宮とをぞ、見さしきこえたまはむこと、口惜しくあはれに思されける。

・近代以降の歌人が誤解した「題詠」
 折口信夫の歌会
 写実主義・自然主義と恋の歌
 気の毒な与謝野鉄幹

  年々におもひやれども 山水を汲みて遊ばむ 夏(とし)なかりけり
  (明治天皇御製 明治37年)

  大君はあそばずありき。 髣髴(おもかげ)に 夏山河(がわ)を見つつ なげけり
  (釈迢空 「春のことぶれ」)

秋待ちつけて、

秋待ちつけて、世の中すこし涼しくなりては、御心地もいささかさはやぐやうなれど、なほともすれば、かことがまし。さるは、身にしむばかり思さるべき秋風ならねど、露けき折がちにて過ぐしたまふ。

中宮は、参りたまひなむとするを、

中宮は、参りたまひなむとするを、今しばしは御覧ぜよとも、聞こえまほしう思せども、さかしきやうにもあり、内裏の御使の隙なきもわづらはしければ、さも聞こえたまはぬに、あなたにもえ渡りたまはねば、宮ぞ渡りたまひける。
かたはらいたけれど、げに見たてまつらぬもかひなしとて、こなたに御しつらひをことにせさせたまふ。

「こよなう痩せ細りたまへれど、

「こよなう痩せ細りたまへれど、かくてこそ、あてになまめかしきことの限りなさもまさりてめでたかりけれ」と、来し方あまり匂ひ多く、あざあざとおはせし盛りは、なかなかこの世の花の薫りにもよそへられたまひしを、限りもなくらうたげにをかしげなる御さまにて、いとかりそめに世を思ひたまへるけしき、似るものなく心苦しく、すずろにもの悲し。

風すごく吹き出でたる夕暮に、

風すごく吹き出でたる夕暮に、前栽見たまふとて、脇息に寄りゐたまへるを、院渡りて見たてまつりたまひて、
「今日は、いとよく起きゐたまふめるは。この御前にては、こよなく御心もはればれしげなめりかし」
と聞こえたまふ。かばかりの隙あるをも、いとうれしと思ひきこえたまへる御けしきを見たまふも、心苦しく、「つひに、いかに思し騒がむ」と思ふに、あはれなれば、

「おくと見るほどぞはかなきともすれば 風に乱るる萩のうは露」

げにぞ、折れかへりとまるべうもあらぬ、よそへられたる折さへ忍びがたきを、見出だしたまひても、

「ややもせば消えをあらそふ露の世に 後れ先だつほど経ずもがな」

とて、御涙を払ひあへたまはず。宮、

「秋風にしばしとまらぬ露の世を 誰れか草葉のうへとのみ見む」

と聞こえ交はしたまふ。
御容貌ども、あらまほしく、見るかひあるにつけても、「かくて千年を過ぐすわざもがな」と思さるれど、心にかなはぬことなれば、かけとめむ方なきぞ悲しかりける。

「今は渡らせたまひね。

「今は渡らせたまひね。乱り心地いと苦しくなりはべりぬ。いふかひなくなりにけるほどと言ひながら、いとなめげにはべりや」
とて、御几帳引き寄せて臥したまへるさまの、常よりもいと頼もしげなく見えたまへば、
「いかに思さるるにか」
とて、宮は、御手をとらへたてまつりて、泣く泣く見たてまつりたまふに、まことに消えゆく露の心地して、限りに見えたまへば、御誦経の使ひども、数も知らず立ち騷ぎたり。先ざきも、かくて生き出でたまふ折にならひたまひて、御もののけと疑ひたまひて、夜一夜さまざまのことをし尽くさせたまへど、かひもなく、明け果つるほどに消え果てたまひぬ。

日本の文化伝統

・世田谷文学館で行う講演について
・連句
 長谷川櫂さん(宗匠)、三浦雅士さんと連句を巻く
・日本の定型詩の発生
・形式的な近代化に迎合していった日本

宮も、帰りたまはで、

宮も、帰りたまはで、かくて見たてまつりたまへるを、限りなく思す。誰れも誰れも、ことわりの別れにて、たぐひあることとも思されず、めづらかにいみじく、明けぐれの夢に惑ひたまふほど、さらなりや。
さかしき人おはせざりけり。さぶらふ女房なども、ある限り、さらにものおぼえたるなし。院は、まして思し静めむ方なければ、大将の君近く参りたまへるを、御几帳のもとに呼び寄せたてまつりたまひて、
「かく今は限りのさまなめるを、年ごろの本意ありて思ひつること、かかるきざみに、その思ひ違へてやみなむがいといとほしき。御加持にさぶらふ大徳たち、読経の僧なども、皆声やめて出でぬなるを、さりとも、立ちとまりてものすべきもあらむ。この世にはむなしき心地するを、仏の御しるし、今はかの冥き途のとぶらひにだに頼み申すべきを、頭おろすべきよしものしたまへ。さるべき僧、誰れかとまりたる」
などのたまふ御けしき、心強く思しなすべかめれど、御顔の色もあらぬさまに、いみじく堪へかね、御涙のとまらぬを、ことわりに悲しく見たてまつりたまふ。

「御もののけなどの、

「御もののけなどの、これも、人の御心乱らむとて、かくのみものははべめるを、さもやおはしますらむ。さらば、とてもかくても、御本意のことは、よろしきことにはべなり。一日一夜忌むことのしるしこそは、むなしからずははべなれ。まことにいふかひなくなり果てさせたまひて、後の御髪ばかりをやつさせたまひても、異なるかの世の御光ともならせたまはざらむものから、目の前の悲しびのみまさるやうにて、いかがはべるべからむ」
と申したまひて、御忌に籠もりさぶらふべき心ざしありてまかでぬ僧、その人、かの人など召して、さるべきことども、この君ぞ行なひたまふ。

年ごろ、何やかやと、

年ごろ、何やかやと、おほけなき心はなかりしかど、「いかならむ世に、ありしばかりも見たてまつらむ。ほのかにも御声をだに聞かぬこと」など、心にも離れず思ひわたりつるものを、「声はつひに聞かせたまはずなりぬるにこそはあめれ、むなしき御骸にても、今一度見たてまつらむの心ざしかなふべき折は、ただ今よりほかにいかでかあらむ」と思ふに、つつみもあへず泣かれて、女房の、ある限り騷ぎ惑ふを、
「あなかま、しばし」
と、しづめ顔にて、御几帳の帷を、もののたまふ紛れに、引き上げて見たまへば、ほのぼのと明けゆく光もおぼつかなければ、大殿油を近くかかげて見たてまつりたまふに、飽かずうつくしげに、めでたうきよらに見ゆる御顔のあたらしさに、この君のかくのぞきたまふを見る見るも、あながちに隠さむの御心も思されぬなめり。

「かく何ごともまだ変らぬけしきながら、

「かく何ごともまだ変らぬけしきながら、限りのさまはしるかりけるこそ」
とて、御袖を顔におしあてたまへるほど、大将の君も、涙にくれて、目も見えたまはぬを、しひてしぼり開けて見たてまつるに、なかなか飽かず悲しきことたぐひなきに、まことに心惑ひもしぬべし。御髪のただうちやられたまへるほど、こちたくけうらにて、露ばかり乱れたるけしきもなう、つやつやとうつくしげなるさまぞ限りなき。
灯のいと明かきに、御色はいと白く光るやうにて、とかくうち紛らはすこと、ありしうつつの御もてなしよりも、いふかひなきさまにて、何心なくて臥したまへる御ありさまの、飽かぬ所なしと言はむもさらなりや。なのめにだにあらず、たぐひなきを見たてまつるに、「死に入る魂の、やがてこの御骸にとまらなむ」と思ほゆるも、わりなきことなりや。

仕うまつり馴れたる女房などの、

仕うまつり馴れたる女房などの、ものおぼゆるもなければ、院ぞ、何ごとも思しわかれず思さるる御心地を、あながちに静めたまひて、限りの御ことどもしたまふ。いにしへも、悲しと思すこともあまた見たまひし御身なれど、いとかうおり立ちてはまだ知りたまはざりけることを、すべて来し方行く先、たぐひなき心地したまふ。

やがて、その日、

やがて、その日、とかく収めたてまつる。限りありけることなれば、骸を見つつもえ過ぐしたまふまじかりけるぞ、心憂き世の中なりける。はるばると広き野の、所もなく立ち込みて、限りなくいかめしき作法なれど、いとはかなき煙にて、はかなく昇りたまひぬるも、例のことなれど、あへなくいみじ。
空を歩む心地して、人にかかりてぞおはしましけるを、見たてまつる人も、「さばかりいつかしき御身を」と、ものの心知らぬ下衆さへ、泣かぬなかりけり。御送りの女房は、まして夢路に惑ふ心地して、車よりもまろび落ちぬべきをぞ、もてあつかひける。

昔、大将の君の御母君亡せたまへりし時の暁を思ひ出づるにも、

昔、大将の君の御母君亡せたまへりし時の暁を思ひ出づるにも、かれは、なほもののおぼえけるにや、月の顔の明らかにおぼえしを、今宵はただくれ惑ひたまへり。
十四日に亡せたまひて、これは十五日の暁なりけり。日はいとはなやかにさし上がりて、野辺の露も隠れたる隈なくて、世の中思し続くるに、いとど厭はしくいみじければ、「後るとても、幾世かは経べき。かかる悲しさの紛れに、昔よりの御本意も遂げてまほしく」思ほせど、心弱き後のそしりを思せば、「このほどを過ぐさむ」としたまふに、胸のせきあぐるぞ堪へがたかりける。

・「日本人は節度がなくなったなぁという感じがいたします。あるいは、我々の 持ってきた心の誇りと、そして慎ましい思い、心がどこに行っ ちゃったんだろ うという気がします。」
・前栽(せんざい)の持っている、そこに住んでいる主に対する影響
・「紫の縁(ゆかり)を考えるのに、源氏物語だけで考えるのは少し狭いと思う。」

コンテンツ名 源氏物語全講会 第181回 「御法」より その2
収録日 2013年6月8日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成25年春期講座

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「源氏物語巻名歌」から

プロフィール

講師:岡野弘彦
(国学院大学名誉教授)

歌人。大正13年(1924年)、三重県に生まれる。國學院大學国文科に在学中より折口信夫に学び、雑誌「鳥船」に参加。折口の没年まで師事する。 昭和42年、処女歌集「冬の家族」で現代歌人協会賞を受賞。昭和54年から宮中歌会始の選者を努める。
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