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「源氏物語巻名歌」から

賢木 (さかき)

神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れるぞ 六条御息所

少女子があたりと思へば葉の香をなつかしみとめてこそ折れ 光源氏

・歌の背景
源氏二十三歳。源氏とのことを諦めて、伊勢に下ることになった六条御息所の住む野宮を訪れたが、長い無沙汰の弁解は決まりの悪いような思いがして、源氏は榊の小枝を御簾の下から挿し入れ、「変らぬ色をしるべにてこそ、斎垣も越えはべりにけれ。さも心憂く」と言葉をかけると、六条御息所が歌を贈ってくる。
・講義より

神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れるさかき

この野の宮の神垣の中には目印になる杉もございませんものを、一体何にまがへて、あなたはその榊をお折りになったのでございますか。一体何を目当てにして、何をもくろんで、その榊の枝をお折りになったのでございますか。この歌もなかなか厳しい歌ですね。

少女子があたりと思へば葉の香りをなつかしみとめてこそ折れ

こちらはとにかく優しく歌っているわけです。
清らかな神の少女の宿っているあたりと思いますからして、榊葉の香を懐かしんで、こうしてその香りを求めて折ったことでございますよというふうに答えたわけですね。

花散里 (はなちるさと)

橘の香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ 光源氏

・歌の背景
光源氏二十五歳。世の中を煩わしく思う源氏は、亡き桐壺の帝に女御の一人として使えていた麗景殿の女御と御妹の三の君(花散里)を訪れ、女御と桐壺の帝が在世であったころの御物語などをあれこれとする。
・講義より

橘の香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ

昔のゆかりを思わせる橘の香を懐かしんで、ほととぎすが花散る里をたづねてぞとふ。これもほととぎすに自分を託したような歌ですね。ただ、この橘の花の香りから連想せられる、いにしえの人、古き人は、万葉集以来の歌の持っている内容を幅広く感じさせる、連想させるものですね。

澪標 (みをつくし)

みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひけるえには深しな 光源氏

数ならで難波のこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ 明石君

・歌の背景
光源氏二十九歳。源氏が住吉神社に参詣したとき、明石の君の参詣も偶然重なってしまった。源氏の君の一行の素晴らしさに気おされてしまった明石君に、源氏は歌を贈る。
・講義より

みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひけるえには深しな

みをつくして恋い焦がれているその印として、その効果があって、こんなところまでもめぐり逢った、そのあなたと私との、「え」というのは、難波の堀江の「え」と縁(えにし)の「え」。縁(えん)のことも『え』ですね。縁が深いことだな。この難波の堀江の「え」、それも深いだろうけれども、あなたと私の間の縁も深いことだな。気持ちいいですよね。こんな歌がさっとできて、サラサラっと懐紙に書いて持たせてやれれば、かいがありますね。

数ならで難波のこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ

明石の君からの返しの歌です。「数ならで」、この人らしい自分を卑下する気分がまず出てくるわけですね。私のような数ならぬ身の境遇のもので、「難波のこともかひなきに」、これも、今こんな悲しい体験をしている難波という地名と、何は、何かにつけてということとを掛け詞で言っているわけです。もちろん「かひがない」というのは、難波の海辺の「貝」を出してきているわけです。数にも入らぬ身で、何につけてもかひのない身でございますのに、何事につけてもかひのない私の身でありますのに、どうして「みをつくし思ひそめけむ」、こんなに我が身を尽くして、深く深くあなた様を思いそめてしまったのでございましょう。この人らしい、あるわびしい悲しみと恨みの気分を込めた歌ですね。でも、しっとりと思いは伝わってくるわけです。

松風 (まつかぜ)

身を変へて一人帰れる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く 明石の尼君

・歌の背景
光源氏三十一歳。明石の君の一行は上洛し大堰に住むが、源氏はあまり訪れない。明石君はかつて源氏から贈られた琴を奏し、明石君の母の尼上はその音を耳にして、わびしさを歌に詠む。
・講義より

身を変へて一人帰れる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く

自分の境遇を変えて、こうして一人帰ってきた山里に。山里は大堰の屋敷、周りの情景が山里のような感じで、松が茂っていて、ものわびた感じのところなんですね。今まで明石の浦で聞いて、聞きなじんでいた松風に似た松風が吹くことだ。自分の境遇をこうしてすっかり違えて、一人帰ってきたこの山里で、知る人もないわびしい山里で、かつてあの明石の浦で聞きなじんだ松風が吹くことだ。この松風も、もちろん人を「待つ」と「松」とをかけているわけです。そして同時に、この巻全体の松風の巻という源氏をひたすら待っている明石の君の心をあらわしているのでもあるわけです。

薄雲 (うすぐも)

入り日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがへる 光源氏

・歌の背景
光源氏三十二歳。藤壺の宮が崩御される。源氏は念仏堂に籠もり、一日中泣き暮らしている。
・講義より

入り日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがへる 人聞かぬ所なれば、かひなし。

入り日が射してくるその山の峰に、一面にたなびいてかかっている薄雲の色は、こうして亡き人を忍んで、その喪に服している。「もの思ふ」、喪服の袖ですね。喪に服している薄墨の衣の袖に色が紛れ入る、そういう色だ。雲も薄墨色をしていることだ。この世全体が、空も雲も悲しみに沈んでいることだというふうな思いですね。

朝顔 (あさがほ)

見し折のつゆ忘られぬ朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらむ 光源氏

秋果てて霧の籬にむすぼほれあるかなきかに移る朝顔 朝顔

・歌の背景
光源氏三十二歳。長い年月、朝顔の姫君に心を受け入れてもらえない源氏。朝霧の中、秋深い気配の中で、花も小さく衰えて咲いている朝顔を折らせて、姫君へ届ける。
・講義より

見し折のつゆ忘られぬ朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらむ

これはちょっと意地悪い歌ですね。こういう歌を見ていると、『源氏物語』の表には語られていないけれども、朝顔の姫君との間には、いろんな経過があったんだろうなという想像がせられるわけです。「見し折の」というのは、あなたとお会いしたときのということですね。「見し」というのは、ただ単にあなたをちらっと見たとかいう程度、あるいは散歩していてちょっとすれ違ったという、もちろんそのころは散歩してすれ違いませんけれども、偶然ちらっと会ったという程度ではないわけで、恋歌の中で「見し」というのは、あなたと恋人同士としてお会いしましたときのという思い入れですから、「見し折のつゆ忘られぬ朝顔の」、それから後、ふっつりとも忘れることのできない、夢忘れることのできないあなたの朝顔、朝顔の花のようなあなたの朝顔の花の盛りは、「過ぎやしぬらむ」、もう過ぎてしまいましたのかしら。この歌は、女の人に贈る歌としてはちょっとむごい歌だし、僕たちの知らないところでいろいろあるのじゃないかなという連想をさせる歌ですね。こういうのもね、文章で言われていると、まごまごと長く言葉が要って、それほど効果がないんですけれども、こんなふうに歌でぽかっと出されてくると効果が大きいですね。

秋果てて霧の籬にむすぼほれあるかなきかに移る朝顔

「むすぼほれ」という言葉が効いていますね。秋が果てて、その庭の霧の籬(まがき)に、霧の立ち込めている庭の垣根に「むすぼほれ」、心が鬱々として晴れないことですけれども、同時にここでは、朝顔の蔓が籬に絡みついていることですね。当然心理的な「むすぼほれ」と草花の蔓が垣にまつわりついている具体的な状態と、両方兼ねて言われているわけです。その霧の籬に絡みついて、「むすぼほれあるかなきかに移る朝顔」、心むすぼほれて、あるかなきかの思いで衰えていく朝顔でございます。「朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらむ」というのを一層しっとりと素直に受けたわけですね。

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