探究的な学習シリーズの締めくくりとなる特別対談。
東京都市大学の佐藤真久先生をお招きして、4つの学校での取組みや、
これからの探究的な学習をテーマに多方面におよぶ議論が展開されました。
東京大学にて行われた対談を収録した映像を前半、後半に分けて掲載しています。
※対談の内容を文字起こしした文章を合わせて掲載しています。
皆さん、森永エンゼルカレッジの探究学習、いかがご覧いただいたでしょうか。
森永エンゼルカレッジではですね、この度4つの学校にご協力いただきまして、
どのように探究学習を進めているのか、それぞれの学校の特徴的な取り組みをご紹介させていただきました。 既にホームページをご覧いただいた方は、なぜ探究学習なのかということはご理解いただいていると思いますが、先が見通すことが非常に難しい時代の中で、子どもたちがどのような資質・能力を身につけていくのかを考えた時に、探究的な学びの重要性というのはますます高まっているわけです。
その中で、特に今回こちらのホームページをご覧いただいている方々の中には、学校の先生や、また実際にその探究的な学習に取り組んでいる中学生、高校生の皆さんもいらっしゃると思います。
そのため皆さんが、取り組むにあたって参考になるような特徴的な探究学習を今回ご紹介いたしました。 この特集は探究的な学習シリーズの締めくくりとしまして、
本日は東京都市大学の佐藤真久先生をお招きして、この4つの学校の特徴的な取り組みについて、先生がお感じになることと同時に、探究的な学習をどのようにやるべきなのか、忌憚のないご意見をお伺いしたいと思っております。
私、本日、こちらのモデレーターを務めさせていただきます。 東京大学の北村です。 どうぞよろしくお願いいたします。
皆さん、こんにちは。東京都市大学の佐藤真久と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
はい。佐藤先生、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
佐藤先生は、SDGs教育について学びを深め、ESD持続可能な開発のための教育といった今日的な教育の取り組みにおいてですね、国内を牽引する研究者であり、実践家ですが、今回このエンゼルカレッジの探究学習、4つの学校をご覧いただいて、どのようなことをお考えになったのか、ぜひお話を伺っていきたいと考えております。
東京大学教育学部附属中等教育学校、聖徳学園中学校高等学校、横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校、そして中央大学杉並高等学校と4つの学校に今回ご協力いただきましたが、いずれの学校も探究ということを非常に大事にしているなと感じました。 特に東大附属であるとか、中央大学杉並高校の場合は大学の附属ということもありまして、大学との連携を非常に積極的に行っています。 もちろん、どの学校でも大学との連携が簡単にできるわけではないのですけれども、それと同時に高校だけでやるのではなくて、大学と連携し、地域のリソースを活用しながらということは、探究において非常に大事なことになりますので、こういった高校だけではできない取り組みについてお考えをうかがう、そこからまず始めてみたいなと思いますが、いかがでしょうか。
はい、どうもありがとうございます。
では、今のその2つの学校からは少し考察を深めていきたいなと思っています。
例えば学校も高校だけで何か探究をしていこうとか、大学は大学で、この研究という領域の中で探究をしている一つの組織ではあるわけなのですけども、やっぱり連携することそのものによってですね、自分たちの探究というものを、バトンを受け渡していくことにもなっていくのかなと思います。 様々な情報を得ながら活用するだけではなくて、自分たちの将来像を大学というところに置くことによって、自分たちのキャリアとつなげていく。
つまり探究というのは課題解決でもありながら、自分たちの在り方を問う、そんな取り組みでもあるのかなと思っています。
高大連携の取り組みというものが、決していわゆるそのリソースや、機会の共有だけではなくて、やっぱりそれそのものが自分たちの生き方とか、あとはその先人たち、つまり研究者の方々とか、大学の学生の皆さんとですね、交流することそのものによって、自分たちがどうありたいのかということを繋げることにもなっていくのかなと思っています。
私もその東大附属、そして中央大学の杉並の事例を見させていただきながら、二校とも論文をしっかりとまとめていくというところに特徴があるのかなと思っています。
とかく我々、いろいろ調べてですね、探究発表会で発表するという例はあるわけなのですけども、しっかりそれをこの一番初めの問題提起から、そして仮説設定、そして検証していきながら、最後までしっかりと、一連の学びのプロセスというものを形にしていくということはすごく重要なのかなと思っています。 とかく今日においては、よく我々はコミュニケーションとして、喋ることは多いのですけども、書くことが弱くなってきているのかなと私は思っています。
書き言葉というものをしっかりと自分たちの学びの形態としてしながら、自分たちの学びというものを意味づけ、そして価値づけ、そして言語として残していくということがすごく重要なのかなと思います。
最初からですね、非常に重要な論点をいくつも提示いただきましたが、まさにバトンを渡す、連携する中で、バトンを受け取り、また渡しっていう、その中で自分たちの将来像を描いていくキャリア教育でもあるのだというのは非常に大事なご指摘だと思います。
とかくキャリア教育というのは就職について考えるとかですね、そういった狭い視野で語られがちですけれども、本来探究的な学びをする中で、自分がどういうことに関心があって、何に向き合いたいのか、何をやりたいのかってことを考える非常にいいきっかけになっていくわけですので、まさに佐藤先生がおっしゃった生き方を考えるための探究、これは非常に大事だなと思いました。
また 2つ目はですね、論文としてまとめるというプロセス。 その学びのプロセス、これは、まさに研究のプロセスとも重なり合うわけですけれども、課題や問題を見つけて設定して、そこに対して仮説を立てたりしながら、それを検証していく。 そしてそれをしっかり最後書く。
そうですね。
AI がこれだけ便利になってくる中で、何でもAIに投げてしまって、自分の言葉で書かずにAIに頼ってしまいがちになってしまうかと思います。
どうしてもそういう場面って多くなりがちだと思うのですが、しっかり自分の言葉で書くっていうことを習慣付けていただきたいなというのを今改めて感じました。
探究に向き合うにあたって、例えば聖徳学園の場合ですと、地域の課題、聖徳の場合は武蔵野市の課題に対してですね、それをしっかりと自分たちで向き合って、そこにデータを活用して考えようということをしていて、また横浜サイエンスフロンティアで大切にしているのが、疑問とか違和感を持つということでした。
はい。
こういった地域課題としっかり向き合って、身近なところの問題に考えを寄せるとか、自分が抱いている疑問とか違和感、これを大切にする、こういったことについてはどういうふうにお考えになりますか。
ありがとうございます。 私はですね、まず探究をやる前に、「探検」が重要だと思っているのです。
つまり、我々は様々な問題を設定して、こう仮説設定しながら検証していくもので、そういう発想で探究活動というのが多いわけですけども、実は我々が探究を支える軸になるのは、やはり物事を自分事化しながら、そして自分がその中で肌感覚として、その心の揺さぶりというものがすごく重要なのかなと思っています。
そういう状況の中で、自ら地域に赴き、楽しいこと、そして辛いこと、様々なこの違和感、モヤモヤを体験するということも重要だと思いますし、その中で思ったものを大切にしていくということがすごく重要なのかなと思っています。
なるほど。 またキーワードが出てきましたね。 探究の前の探検。
とってもいい言葉だなと思ったのですが、やはりこう身近なところから、やっぱり探究、いろんな探究のもちろんやり方があると思います。 特に理系の探究の場合だと、そんなに必ずしも身近なことばかりが、常にあるわけではないかもしれませんが、それでも、特に横浜サイエンスフロンティアなどを見ていると、できるだけ身近な自然現象から科学的な興味関心もかき立てようっていうところがありますし、そういう意味では日常の中を探検することによってワクワクしたり、リアルだなって感じたりとかするものを、そことしっかり向き合いましょうっていうのが、今回取り上げたどの学校でも非常に大切にしているなというふうに思いました。
実際ですね、先ほどの北村先生の話の中で、AI 時代に書き言葉が重要だという話にも出てきましたけども、やはり身体感覚というものも、ものすごく重要になってくるのかなと思っています。
今、その認知科学的な文脈を超えて、非認知の議論というものも進んでいる。
北村先生もその分野の中で今研究をなさっているということをお聞きしておりますけども、そういった時に、ワクワク、ドキドキ、心の揺さぶり、ここら辺のスタンスというものなしに、今という先が見えない状況の中では、自分たちでやっていく力というものが育たないのかなと思っています。 ただ、探究をして掘り下げるだけではない、その後も続ける探究というものが重要になってきますので、そこにはまさにこの探検から始まる探究が重要なのかなと思います。
なるほど。 確かにこの今の時代、単に知識やスキルを身につけるだけではなくて、
いわゆる認知的な力を育むだけではなくて、非認知だとよく言われますが、コミュニケーションの力であったり、批判的思考と呼ばれるものであったり、こういったようなものをいかに育むかということも非常に大事になってきますが、これも探究の中で非常に育めるものなのかなと思います。
ただ、そういったものを育んでいくときに、子供たちがいろんな社会問題に向き合った場合、明らかに間違ってるとか、明らかに正しいとかっていう白黒はっきりしない問題もあるかとは思うのですが。
そうですね。
こうとも言えるし、ああとも言えるとかですね。
例えばプラスチックなど典型だと思うのですけれども、あのSDGsの議論の中などでも、プラスチックというのはかなり悪者扱いされているところがあるわけですが、もちろんプラスチックを作らない、使わない、減らすとかっていうことは大切だと思うんですが、じゃあプラスチックが完全にいけないかというと、例えば生のお魚などを流通させたりする上では、プラスチックの容器は便利に機能しています。一方、太平洋にゴミベルト、プラスチックが結局自然に還らないってことで、太平洋の真ん中に非常にそのプラスチックゴミがたまってしまったりする現象があったりするわけですが、これは誰かがゴミを捨ててしまうからそういうことが起こっているのであって、もちろんそこからマイクロプラスチックの問題とか出てきていますが、そもそもゴミをしっかり処理して、自然の中に勝手に捨てなければ、こういうことは起きない。
そういうふうにプラスチックを単に悪者にするのではなく、どうプラスチックを使うのかとか、さらにはそこから進んで研究が発展していくと、自然に還るプラスチックを開発しようとかっていうふうに、物事っていうのはこう、善か悪かとか、白か黒を簡単には決められない。
探究ではそういう問題にいろいろ向き合ってほしいなと思うのですけど、この辺のことはどうお考えでしょうか?
ありがとうございます。
すごく重要なご指摘だなと思いました。 まあ、実際このプラスチックの開発もそうですし、例えば私も関心を持っている太陽光パネルもそうだと思いますけども、こういうような取り組みというのは、やはりある面、先人たちの探究の成果でもあるわけですよね。我々が考えなきゃいけないのは、物事の捉え方が今シフトしてきているということなのかなと思います。 例えば、プラスチックという技術がものすごく重要であるという、ある面、その個別の問題解決の視点に立った時には、プラスチックの有効性というものは探究として得られたわけですよね。 それが今の世の中、様々な複雑性に富んでいく中で、プラスチックの意味や、用途というものが多様化していくことになっていくわけです。
従来のその個別問題解決の発想から、よく言われるところ複雑な問題に対して対応していくという、よく言われるシステム思考の話とかですね、つなげて物事を見ていくということも重要になってきますし、今その先にあるのが WICKED という言葉がよく言われています。 厄介なという言葉が今使われている中で、問題の認識というものの捉え方が変わっていくのだと。 WICKED という、この厄介なという言葉はどういう意味かというと、今まさに北村先生がご指摘をなさったように、プラスチックゴミの問題ですね。今までの正しさで見るのではなくて、多角的に見るとか、時間的なプロセスの中で見ていくとか、利用者の多様性によってものを見ていくとかですね、そうすることによってものの捉え方が変わっていくということになるのかなと思います。
例えば太陽光発電に関しましても、初めはですね、やはり環境にいいからやってきたわけなのですけども、結果的にそれが今自然環境を破壊していることにもなっています。 環境に良いことをやっていることが、環境に悪いことをしているといった時に、環境の捉え方が多角化しているということに気づいていくことになります。
つまり、問題そのものの再定義や、捉え方というものをシフトしていく中で、我々が従来の正しさにこだわる時代から、それを乗り越えた中での最適解の更新というのが重要なのかなと思います。
ありがとうございます。 また、非常に大事なキーワードをいくつか共有していただいたかなと。
その物事の捉え方をシフトしていく。 その中で、より複雑な問題とですね、向き合っていく。 その複雑な問題が持っている厄介さ、WICKEDと、それについてどう向き合い、問題を再定義するのか。
この辺のところを考えると、今のお話だけだと、じゃあそこまで中学生、高校生にできるのかっていうふうに思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実際今回、各学校の取り組みを見た時に、例えば東大附属で生徒さんたちが個人研究した中で、制服がどうなのか、制服っていうのはなぜ必要なのかと、あと道徳の教科化っていうのがなぜ必要だったのかどうかとか、まずは身近なところでこう素朴に疑問を立てて、そこから異なる見方を踏まえて、そのものについて向き合おうっていうことがあったのかなと。 また、聖徳学園のようにデータを踏まえながら、自分の頭で考えたこととか、思い感じたこと、思い込んでいることだけではなくて、しっかりと、データを踏まえて議論しよう、あるいは、横浜サイエンスの場合は、それをサイエンスリテラシーという言葉でさらに突き詰めた形で論じたりしているわけですけども、中高生がこういった複雑な問題を複雑なままに向き合う時に気をつけなければいけないこと、これは中高生自身もそうかもしれないですし、中高生と向き合う先生方が気をつけなければいけないことっていうのはどんなことがあるのかなというのをおうかがいしたいのですが。
ありがとうございます。やはり我々、この探究のプロセスというのはある程度のステップというのがあるのかなと思っています。
まず、自分たちの心の揺さぶりを経験しながらですね、その中でワクワクドキドキを経験するという、本当にそういうような、この心であったり身体であったりというような感覚に基づく体験というものがすごく重要になってくるのかなと思っています。
それを通しながらですね、やはり考えていかなきゃいけないのは、探究において、私は思考と経験というものをしっかりと捉えていくということが重要なのかなと思います。 思考というものは、自分でしっかり物事を考える、例えば推論を導き出していく、それを検証していくというプロセスにおいては、思考というものがすごく重要になるということになります。
そして経験というものはどういうことなのかというと、やはりフィールドに行きながら実験をし、他者と議論をしているというような中で、何らかのそういうようなインタラクティブが出てくるといった時に、我々はそこで探検もしながらですね、そこに出てくるのは、やはり思考の経験と、経験の経験をしていくということです。 この 2つの反復をしていかないと、やっぱりこの思考だけでも物事は進まないと思いますし、いわゆる教育改革の中でも「這い回る経験主義」という言葉が以前ありましたけども、経験だけやればいいというものではないということになります。
とかく、この AI の時代において、我々が考えなきゃいけないのは、しっかりと物事を考えるということと、しっかりと経験をするという、この文脈、すごく重要なのかなと。そういうようなことを踏まえた時に、まずは一度探究で掘り下げてみるというアプローチが、この探検の後に重要なのかなと思っています。 まずは探究をやってみるってことになってくるわけですね。 そういう状況の中でいろんなワークが出てくるわけですけども、それを踏まえた上で、一度その自分が求めた正しさというものを
もう一度解きほぐすというプロセスが重要なのかなと。 それがまさにせっかく自分が追求してきた正しさというものを、一回崩すプロセスが重要なのかなと思います。
私はそこにはシステム思考とデザイン思考という言葉が重要だなと思っているんですね。
物事をいろんな文脈でつなげていくという力とですね、やはりただ積み上げ型だけじゃない、日本がとかく弱いと言われているような、ありたい社会を描く力というものを組み合わせていくことが重要なのかなと思います。 システム思考、そしてデザイン思考というものを考えた時に、当然ここで重要なのは他者との関わりが重要になってくる。 つまり探究というと、とかく科学的な探究アプローチを採用しながら、論理的に物事を考えるということがベースに捉えられていますけども、一般的にこれ、科学哲学の言葉の中では論理的合理性という言い方をします。 様々なデータサイエンスもしながら、論理的な合理を蓄積するのだけれども、先ほど北村先生からもお話があったとおり、そのデータそのものの確からしさ、意味解釈を他者と共に考えていくということですね。 これをまた科学的な哲学の中ではコミュニケーション合理という言葉が出てくるわけです。 他者と関わりながら、その中で解を更新していく、論理的合理とコミュニケーション合理をセットとして考えていく中で、まさに探検から始まりながら思考と経験、そしてシステム思考とデザイン思考を組み合わせることによって、他者との共同探究を生み出していくことが重要なのかなと思っています。
非常に面白い話を伺って、今ですね、この4つの学校、それぞれが今のお話に非常に合致するような取り組みをしているなと思うのですが、例えば中央大学杉並高校の場合ですね、3年間を通してCSジャーニーという言葉を使って、3年間の経験の中でいろいろ考えていくわけですよね。 最初、 SDGsについて学び、その後研修旅行や、大学の先生の授業を受けたりとかして、最後それを踏まえた上で個人の関心に基づき論文にまとめていくわけですが、その最初に学んだことを踏まえながら、例えば沖縄だとかにですね、研修旅行に行くと、それまで考えていた沖縄が経験した歴史的なことなどを頭の中だけではなくて、まさに探検のように体験をするわけです。 そしてそれをただ行う前には、その関係の方たち、例えば東京にいる沖縄の関係の人たちから必ず話を聞く。そういうプロセスがあったりして、また現地に行って実際に見る。
そしてまた戻ってきて、それを振り返る。 振り返ったものをそのままテーマにする人もいますけれども、必ずしもみんながみんな沖縄に行ったから沖縄のことを書くわけではむしろなくて、ほとんどの子は違うことを書くわけですが、新しい自分の卒業論文のテーマと向き合った時に、その沖縄で感じたこと、学んだこと、体験したことをやはりどこかで踏まえて、自分の卒論テーマと向き合っているのだと思います。
自分の研究テーマの中で、じゃあ生かしていくっていう、先ほどのシステム思考からデザイン思考だとか、そういったところにも関わるのかなと思いながらお話を伺っていました。
3年間通して探究学習をどう位置付けていくかっていうのは、多くの学校にとって難しいところだと思うのですけど、佐藤先生から何かこうですね、アドバイスというか、学校として考えるべきことみたいなのをアドバイスいただけると。
ありがとうございます。 1点としてはですね、やっぱり我々が考えなきゃいけないのは、この探究というものは別に高校だけでやるものではないわけですね。
実は今、小学校、中学校でもそういうような取り組みが始まって、あとは大学そのものも大きな改革をされているわけです。
実際に大学の中でPBLを活用していくとかですね、学部横断型の取り組みをした時に、実はこの探究というものは1つのこのプロセスであるということになります。
つまり3年間で成果を出そうという意図は当然各学校にはあるわけですけども、その先にはバトンがあるということになるわけですよね。 つまり、探究プロセスとした時に、我々はどういうふうに捉えていかなきゃいけないのか。 といった時に、私自身が高校改革にも深く関わっていく中で、多くの高校が探究の高度化を目指しているわけです。 整合性を取りながら、そしてその中でこの様々なことを掘り下げ、そして広く捉えていくというような探究の高度化というものを目指す傾向がすごく強いのですが、昨今のこの教育改革、そして学習指導要領の改定の議論の中においても、探究の自立化というものが、より重要視されてきているのかなという印象を受けています。
それが先ほどの北村先生のご指摘の、まさに非認知の側面であったりですね、ワクワクドキドキであったりという、何かしら心のエンジンなしに、複雑な問題に向き合っていけないということになっていくわけですね。 いわゆる我々は簡単にその高校だけで解を出すとか、その単位で考えるのではなくて、もう少し広いスパンの中で考えるものでもありますし、それは社会に出てもこの探究モードというのはつながっていくのかなと思います。 こういうことを考えた時に、一つは探究というものは決して新しいものではないという捉え方にもなってくるのかなと思います。
戦前の大正デモクラシーを例にとると、大正デモクラシーの議論も、我々の価値観の揺さぶりであるわけです。 一体我々何をやっていくのかということになっていくわけです。 例えばここで、今回事例としてあるような私学の学校におかれましても、多くの私学がその役割を持って、総じて大正デモクラシーの教育運動に関わってきたわけです。
我々が考えなきゃいけないのは、探究というものは継続してあるということです。 その中でもしかしたら這い回る経験主義かもしれない、「新幹線教育」かもしれない、いろんな議論がなされていく中で、我々は探究というもの自体を探究してきた歴史でもあるわけですよね。 といった時に、やはり我々は新しいものがやってきたという自覚ではなくて、やはり今まで積み重ねてきた結果として、この探究があるのかなと思っています。 特に2000年ぐらいから始まってきた総合学習の時間、こういうような文脈の中で、他の国ではない、いわゆるこの総合探究という特徴を持った、今の文化が日本の中で生まれてきていると。 多くの海外の事例というものが教科探究をベースに動いている今日において、この様々な複雑性に向き合い、厄介な問題に向き合うという素地が2000年ぐらいから出てきたということについても、我々も自負すべきだと思いますし、それを最大限に生かしていく必要があるのかなと思います。
また、私が思うのは、探究というものが決して教科だけではないと思います。 例えば、先ほどの先生ご指摘があった杉並でしたっけ、この修学旅行で行くとかですね、こういうようなこともすごく重要なことで、探究というものの従来の教科だけの文脈を超えて、様々な学習活動の中の探究的意味というものを掘り下げていく必要があるのかなと。 私、以前ですね、『探究モードへの挑戦』という本を書きましたけども、
この本の中ではこんなことが言われています。 部活動も探究なのだと。 なぜならば、修羅場体験をしてきているのだということになっていくわけですね。 つまり、様々な最適解というものを、先輩後輩関係なく、この更新をしてきながら、他者との更新、そして最適解の更新をしてきているわけです。 そういった時に、従来の教科だけで見るのではなくて、多様な領域が探究になり得るということもすごく重要なのかなと思います。 もう一点あるのは、私自身いろんな探究活動を見てきて、いくつかの高校は探究というものを科学的な探究アプローチという手段で見ている傾向があるのかなと思います。 様々なリサーチクエスチョン、仮説、そして検証していくようなプロセスの中で、最終的に解を導くプロセスとして探究というのを手段として見ていく、そんな高校も多く見られます。
一方、それだけではない高校も多く見られます。 先ほどのサイエンスフロンティアのこの疑問や、違和感というものを考えたときに、これはもしかしたら権利としての探究という捉え方にもなってくるのかなと思います。
つまり、自分たちがモヤモヤしている、ワクワクしているという素朴な質問に対して、そこを一つの自分の探究活動のエンジンにしていくということになります。 権利として考えたときに、まさに探究が学習権になり得るということ、そして2020年ぐらいから指摘をされてきている、まさに子供の意見表明権というものが出てきました。 従来のこの児童福祉法から子ども基本法へと変わっていく中で、子どもたち自身の意見というものを最大限に尊重していこうという機運が生まれてきていると。探究というものを従来のこの科学的探究アプローチだけではなくて、1つの学習権として、彼らの内発性を尊重しながら参加と協働を保障していこうという、そんな取り組みもすごく重要なのかなと思います。
手段、そして権利。 もう1個、私は目的があると思って、探究というものをしっかりと自分で運用していくことそのものが、我々の人生を豊かにしていくのかなと思っています。 一番初めの話のように、まさに探究がこのキャリアともつながるということの背景には、我々が今何を経験して、何を思考し、何をその中で捉えながら、他者とどういうような解を見つけ出してきているのかというプロセスそのものを運用していく能力、そういう意味で考えたときに、従来の主題だけじゃない、権利、そして目的という様々なこの探究の意味があるのかなと思います。
つまり、探究を何のためにやっているのかという自覚をしっかりと議論した上で探究を進めていく必要があるのかなと思います。
はい、ありがとうございます。これをご覧いただいた先生方、いろいろと今お考えになられているかなと思います。 今回ですね、エンゼルカレッジではこういう形で探究学習をテーマとして、4つの学校にご協力いただきまして、様々な取り組みを通して、我々ももう一度探究の学習のあり方を、考える良いきっかけになったのかなというふうに思っております。 最後に、今、佐藤先生におっしゃっていただいたように、まあ価値観を揺さぶられる体験をどれだけたくさんするか。
そうですね。
これはやはり教科学習だけではなくて、様々な教育活動の中、また学校だけではなく、学校外でも、人生を通してやっていくことなのかなと思います。 その意味でも、この森永エンゼルカレッジというこのウェブサイトも、まさにそういった機会を皆さんに提供しているウェブサイトだというふうに考えております。 新しいものに出会ってですね、非常にワクワクする体験をしていただけるようなコンテンツ、たくさん提供し、学校での学び、そしてこういった学校外での学び、それをまたうまくつなげていただいてですね、先生方には活用していただけるといいなというふうに感じております。最後に、探究学習の重要性について佐藤先生にかなり強調していただきましたけれども、おそらく語り尽くせないと思うのですが、最後ちょっと一言でこう、締めのお言葉いただけるとありがたいのですがいかがでしょうか。
ありがとうございます。 つまりその探究というものは、学校の教育だけでやるものではないということにもなってくるのかなと思います。 北村先生のご指摘の通り、それはもしかしたら地域のフィールドかもしれない、もしかしたら我々の大人の社会の中でも探究モードが重要になってくるわけです。 私はその書籍の中でも生涯探究社会という言葉を使っています。 今まで生涯学習社会という言葉はありましたけども、学習にやはり他者と関わる共同というものを考えた時に、まさにこの探究モードというものを他者とやりながら、そして解を更新していくという、こんなこう、模索を一緒にやっていく必要があるのかなと思っています。こういうふうに考えていきますと、探究、いきなり我々は先生も、そして学校の生徒たちも解を求める、求めたがる傾向がありますけども、このモヤモヤをどうやって維持できるか、それを共有できる仲間がどれぐらいいるかというのが重要になってきます。 まさにこのような言葉、ネガティブケイパビリティなんていう言葉があるように、モヤモヤを持ちながら、それを共有できる仲間たち、そんな文化を作っていけば、常に皆さんがアンテナを立てながら他者とコミュニケーションを取っていくことになってくるのかなと思います。 自身の正解にこだわるから生じる分断を超えて、持続可能な社会に貢献しうる、そんな営みになるのかなと思います。
はい、ありがとうございます。 まさに生涯探究社会と。 ぜひこのウェブサイトをご覧の皆さん一緒にこれからも考えていけると嬉しいなと思います。 そういった場としてもこの森永エンゼルカレッジが活用していっていただけると嬉しいなと考えております。 本日はとても貴重なお話、佐藤先生、ありがとうございました。
どうもありがとうございました。