エンゼル美術ラボ アートをみる目
02 北斎 「神奈川沖浪裏」編
名画と言われる作品には、たくさんの人が心を動かされる魅力があります。
魅力を見つける事が出来ると、作品を見ることがきっと楽しくなります。
いつもとちょっと視点を変えると何かが見えてくるかもしれません。
アートを⾒るって難しい!?
アートには、価値を偏差値のように点数で表したり、勝ち負けを決めるルールや物差しがありませんが、ある作品には強く心が引かれたり、大きく感動したり。名画と言われる作品には、たくさんの人が心を動かされ、面白いと感じたり、美しいと思ったり、いろいろな魅力があり、何百年も前の絵が今も人々の心を動かしているのです。何が心を引き付けているのか。自分は何を感じたのか。葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を一緒に鑑賞してみましょう。
「神奈川沖浪裏」を じっくり見てみよう
思ったこと、感じたことを言ってみよう。
・とても大きな波。台風の日の海の絵なのかな。
・おそいかかってくるような波。ギザギザした生き物の手みたい。
・こんなに荒れている海にどうして船で出かけたのかな。
・遠くに富士山が見えます。小さくてかわいい。
いろいろな感想が出てきましたね。
ちょっとだけ視点に変化を与えると、もっといろいろなことが
見えてきます。いっしょに絵を見ながら、ポイントをちょっとだけお教えしましょう。
再生時間 約6分51秒分
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浮世絵ってなんだろう?
今回見ている「神奈川沖浪裏」の絵は、浮世絵(うきよえ)と
言われています。油絵や水彩画ともちがうみたいだし、そもそも
浮世絵ってなんでしょうか?
浮世絵というのは江戸時代に生まれた庶民の芸術です。この「神奈川沖浪裏」のような版画作品や絵師が1枚1枚直筆で描いた肉筆画という一点物の作品もあれば本のようになっている作品もあります。
当時人気のあった歌舞伎役者の姿や評判の町娘など美しい女性を描いた作品は、 今で言えば“ブロマイド”のようなものでした。
そして今回ご紹介する「神奈川沖浪裏」のような風景・名所を描いたものが流行の発信として出版されていました。
とても庶民の暮らしに溶け込んでいたんですね。
いったいいくらくらいで買う事が出来たのでしょうか?
作品の大きさや、描かれているものによって違ってきますが、おおよそ「かけそば1杯」の値段くらいから買えたといわれています。現在、駅などで食べられるそばの値段を考えてみてください。手頃なものだと400円とか500円、そのくらいの値段から高いものだと数千円で買う事が出来ました。人々が手軽に買って、自分のものとして楽しむことが出来るアート作品だったのです。
浮世絵は江戸の日常を描いたアートです
瞬間をとらえろ! 波がしらに注目
今にも動き出しそうな迫力ある大きな波。
写真もない江戸時代に、波が空中で止った瞬間をどうやって見たのでしょう。
それをこんなふうに表現することができたのはどうしてでしょう?
北斎はいろいろなものを観察し続けていました。 特に“水”という決まった形のないものをどうやって捉えるかということを生涯をかけて追求していました。
大波が立ち上がる様子を描いた作品「賀奈川沖本杢之図(かながわおきほんもくのず)」を「神奈川沖浪裏」を描くより30年以上前に発表しています。この頃はまだ、先端部分が丸っこい可愛らしい形をしていて、西洋絵画を意識したような影を加えています。
それから30年もの年月をかけ、観察を積み重ね創意工夫しながら、かぎ爪形の迫力のある波頭と非常に鮮やかな色をあわせた表現にたどり着きました。
30年もかけて波の形を追求
ポイントは富士山?!
よく見ると真ん中に小さく富士山が描かれています。
どうして富士山を小さく波の真ん中に描こうを思ったのでしょう?
この作品は、「冨嶽三十六景」というシリーズです。「冨嶽」 というのは富士山を意味しています。 富士山を描くためのシリーズですので必ずこのシリーズには富士山が入っています 。
手前に波を大きく描くことによって、小さな富士山との間に遠近感が生まれ、風景に広がりが出ています。動きのある波に対して富士山は静かに佇んでいて “動と静”の対比にもなっています。波の躍動感や激しい動きをより引き立たせるために富士山が役立っています。
富士山がテーマのシリーズなので、必ず富士山が入っています。この絵の場合、大波の大きなうねりの先に富士山があり、 視線が先へと誘導されます。小さな富士山が引き立て役というよりは、非常に要になっています。とても工夫して構図が練り上げられています。
静と動の対比
ブルーへのこだわり
この絵では波の青い色がとても印象的です。あと、空の色が不思議な感じ。
薄い肌色から徐々に黒い空に変わっていっています。
これも富士山を引き立てるための工夫なのでしょうか?
まず目につくのは藍色です。濃い藍色の“ベロ藍”は、いまの絵の具の名前だと “プルシアンブルー” です。江戸時代に外国から入ってきました。その外国製の絵の具を使っていると考えられます。
とても藍色にこだわったので、普通は黒で描く輪郭線も藍色で描きました。この藍色は、ジーンズなどを染める、植物の藍色を使っています。
富士山のまわりには、白い雪をかぶっている富士山の姿を強調するために、墨のぼかしが入っています。また、波しぶきを効果的にみせてもいます。空の明るい色は、朱鷺色(ときいろ)という鳥の朱鷺のお腹のきれいな色をあらわす名前の色が使われています。複数枚残っている神奈川沖浪裏の作品の中で、この朱鷺色が残っている作品というのはあまりないので、とても貴重な色が残っている作品です。
もっと青く!
再生時間 約7分50秒分
船はどこへ行こうとしているの?
今にも波に飲み込まれそうな船があって、
それに必死でしがみついている人たち。
この船は何の船でどこに行こうとしているのでしょう。
富士山の絵なのにどうして船にしがみついている人たちを
描いたのでしょうか?
この船は“押送船”(おしおくりぶね)という船で 江戸の近くの漁村から新鮮な魚介類を運ぶための高速船です。そのため、船を漕ぐたくさんの人が乗っています。この必死でしがみついている様子を描く事で、大きな波に翻弄されてすごく危機迫る感じを演出しています。波の表現を見てください。船頭の乗る船に襲いかかっている ような迫力があります。特に波の先端部に注目すると、つかみかかるような“かぎ爪”のようです。前半で見ていただいた作品「賀奈川沖本杢之図」から北斎が30年間かけて波に迫力を出そうと思って工夫を凝らした結果が出ています。
波の表現の集大成!
グレートウェーブの人気の秘密
ゴッホのひまわりを鑑賞した時に、ゴッホが浮世絵を描いている作品を見ました。海外の人たちにとって浮世絵はどんな印象だったのでしょうか?
浮世絵は、とても衝撃的でした。西洋の絵画は、遠近感や陰影をつけた写実的な作風が多かったのですが、浮世絵は平面的でありながら、シンプルな色使いや大胆な構図で、西洋の人たちにとってとてもインパクトが強かったようです。今でも海外の人たちにこの作品は非常に人気があり、“グレートウェーブ”という愛称で呼ばれたりしています。浮世絵のインパクトを取り込んで自らの作品に活かそうとした人もたくさんいました。例えば、フランスの作曲家ドビュッシーは、《海/ラ・メール》という曲を作曲するときに「神奈川沖浪裏」からインスピレーションを受けたと言われています。また、フランス後期印象派の画家たちにも大きな影響を与えたり、ゴッホも浮世絵を見て、影響を受けたと考えられています。
北斎は奇人変人?天才画人?
海外の人たちにも影響を与えた北斎はどんな人だったんだろう。
そして、北斎は神奈川沖浪裏を何歳くらいの時に描いたのでしょうか?
北斎はこの絵を70代前半に描きました。北斎は非常に長生きをした人なのですが画業のなかでも後半にあたる時期になります。75歳くらいの時に「70歳くらいまでの絵は取るに足らなかった。これからもっと上手くなりたい」という言葉を遺しています。
晩年は娘のお栄さんと一緒に暮らしていましたが、
実はお栄さんも絵師でした。
衣食住にはこだわらず食事も3食すべて外から買ってきて食べていたり、絵に集中するために部屋の片付けもあまりしないという状況で生活していました。
二人とも片付けが苦手だったようで、散らかると引越ししていたと言われ、その回数は一説になんと93回!描く事だけに集中するために引越しを繰り返していたと伝えられています。
こちらの作品は絵を北斎が描き、俳句をお栄と北斎の2人が書いています。酔(えい)はお栄さんの俳号(俳句をよむときの名前)です。本名の栄をもじって酔の字を使っています。北斎は卍という画号をもじって万字と書いています。絵師だったお栄さんはお父さんと同じく絵を描くことを中心に暮らしていました。北斎は満88歳で亡くなるまで画業に励み、高みを目指していました。
あと10年、あと5年長生きさせてくれれば、
もっと本物の絵師になれたのに
「神奈川沖浪裏」を 鑑賞して
北斎の「神奈川沖浪裏」を
じっくり楽しんで見ることができたでしょうか。
少しずつ自分なりの視点を持つことが大切です。
そうすればきっと楽しくなってくるはず。
美術館は新しい発見と冒険に満ちています。
自分ならではの新しい発見や感動を探してみよう。
まずは近くの美術館に足を運んでみてください。
美術館へ⾏こう!
「神奈川沖浪裏」を描いた葛飾北斎
北斎は本所割下水(現在の北斎通り)付近で生まれ、6歳から絵を描くことに興味を覚え、1778年、浮世絵師の勝川春章(かつかわしゅんしょう)に弟子入りし絵師となった。1794年に琳派の頭領となり、4年後にそこからも独立し、どの琳派にも属さないことを宣言。「ホクサイ・スケッチ」の名で世界的に有名な『北斎漫画』を制作するほか、「冨嶽三十六景」の大流行により従来、浮世絵のジャンルになかった風景画を確立したことは、北斎の偉大な業績の一つ。後年、肉筆画へ傾倒し、病を得てもなお筆を握り、真の絵師となることを切望していたが、 1849年、90歳で亡くなった
美術館へ行こう!
「神奈川沖浪裏」の話をしてくださった奥田先生
すみだ北斎美術館
主任学芸員 奥田敦子さん
東京学芸大学大学院修了。日本美術史専攻。太田記念美術館主任学芸員を経て現職。すみだ北斎美術館の立ち上げから関わり、開館記念展ほか多数の展覧会を開催。著書『広重の団扇絵 知られざる浮世絵』(芸艸堂)、『THE 北斎 冨嶽三十六景 ARTBOX』(講談社)、『北斎 百鬼見参』(講談社)のほか論文・解説多数。
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葛飾北斎の作品を所蔵・展示するすみだ北斎美術館
すみだ北斎美術館(墨田区亀沢)は、浮世絵師・葛飾北斎(1760~1849)が生まれ、生涯のほとんどを過ごしたゆかりの地に2016年に開館しました。
開館以来、展覧会事業や教育普及事業を通して北斎の生涯や作品を発信しています。AURORA(常設展示室)は、すみだと北斎のつながりにはじまり、北斎の画業を、代表作の実物大高精細レプリカやタッチパネルを活用した展示で紹介しています。コマ送りの『北斎漫画』や一筆書きに挑戦できるゲーム、
「北斎のアトリエ」再現模型などがあり、楽しみながら北斎について知ることができます。
すみだ北斎美術館
〒130-0014 東京都墨田区亀沢2-7-2
https://hokusai-museum.jp/
TEL 03-6658-8936
コンテンツ名 | 02 北斎 「神奈川沖浪裏」編 |
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公開日 | 2025.1.7 |
講師 | 講師:すみだ北斎美術館 主任学芸員 奥田敦子 聞き手:野澤しおり |
さまざまな分野に精通し、経験、知識豊富な講師の方々をご紹介します。