エンゼル美術ラボ アートをみる目
04 夢二が描く女性編
名画と言われる作品には、たくさんの人が心を動かされる魅力があります。
第四回は大正ロマン画家と言われた竹久夢二が描いた女性たちを見てみましょう。
アートを⾒るって難しい!?
アートには、価値を偏差値のように点数で表したり、勝ち負けを決めるルールや物差しがありません。けれども、ある作品には強く心が引き付けられたり、なんだか気になって目が離せなくなったり・・・
今回は、竹久夢二が描いた女性たちを見てみましょう。きれいで、やさしそうで、どこか寂しそうに見える、こんな女性たちをどんな思いで描いていたのでしょうか。

野澤しおりさん竹久夢二美術館 学芸員
石川桂子さん
再生時間 約13分46秒
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夢二が描いたのは最先端の女性像?
夢二は、大正ロマンの画家と言われ、美人画を数多く描きました。どんな女性を描いたのでしょうか。
夢二が活躍した大正時代は、女性が社会で活躍し始めた時代でもありました。
その時代に、人気の職業で働く女性や、憧れのファッションに身を包んだ女性の姿を夢二は描きました。多くの雑誌に掲載された夢二の美人画は、女性たちが憧れる女性像となりました。
雑誌の表紙のために描かれた「APL・FOOL」を見てみましょう。
着物に白いエプロン姿の女性が微笑んでいます。この姿は、当時仕事を求めていた女性に人気の職業だった「カフェの女給」です。
夢二の美人画にみられる、目がぱっちりとして、ほっそりとした色白の姿が特徴です。

夢二は雑誌の表紙において、流行を感じさせる最先端の女性ファッションもイラストで表現しました。当時はまだ写真技術が発達していなかったため、夢二の描くイラストは、読者である女性たちの憧れの対象だったのです。
「占」という作品を見てみましょう。
トランプ占いをする女性が描かれています。大きな特徴は髪型です。
大正時代はまだ、長い黒髪が美しい女性の条件でしたが、ボブカットの髪型はまだ珍しく、当時は「断髪」と言われていました。このようなヘアスタイルで、職業を持ち、恋愛も自由に行う彼女たちは「モダン・ガール」と呼ばれ、特別な女性と考えられていました。

夢二が描く女性イラストは、読者のあこがれ!
夢二の“かわいい”デザイン
当時の女の子たちも“かわいい”って思っていたのでしょうか?
夢二は、人物画だけでなく、広告やブックデザインの仕事も数多く手掛けていました。フルーツをモチーフにした、とてもかわいらしいデザインは、現在も営業している高級果物店“銀座千疋屋”のためのイラストです。
いまでもそのまま使われそうなデザインですね。

さらに夢二は、暮らしを彩るデザインを追求しました。1914年に港屋絵草紙店を開店。自身がデザインした千代紙や絵封筒など、オリジナルグッズを販売しました。そこでは“かわいい”というワードをチラシにキャッチコピーとして使い、アピールしました。港屋絵草紙店は、女学生に大人気で、東京名所の一つにもなりました。

小物やブックデザインのほかに、楽譜の表紙絵の仕事にも取り組みました。大正時代には大衆が音楽を楽しむために、楽譜が出版されました。とくに〈セノオ楽譜〉のシリーズは大変人気があり、楽譜として使用するだけでなく、夢二の絵がほしくて買い求める人も多かったそうです。

夢二の“かわいい”が大流行
「夢二デザイン」の誕生
どうして夢二は日用品などのデザインを手掛けたのでしょうか?
夢二は、美術学校に通わず、独学で絵を学びました。当時出版されていた「中学世界」という雑誌に絵を投稿。そこで第一賞を受賞したことがきっかけで、編集部に認められ、雑誌に絵が載るようになりました。
挿絵画家としてスタートしたので、日本画や油絵を美術学校で学んだ画家とは違うスタイルで、活躍の場を広げました。

雑誌に投稿したイラストがきっかけでデビュー!
画壇に属さなかった夢二“自分の進むべき道”
夢二は、なぜ画壇に属さなかったのでしょうか?
美術学校に通わなかったことが大きく影響しています。絵の研究所に通った経験もありましたが、3日程通って絵を消すためのパンだけ食べて辞めてしまったというエピソードもあります。
個性的なイラストや、絵はがきのデザインは人気がありましたが、画家として、このままでよいのかと悩みました。そして、岡田三郎助という高名な画家にアドバイスを求めにいきました。岡田先生は夢二が持ってきた絵を見て、アドバイスをしています。

このアドバイスで夢二は自分の進むべき道を悟り、美人画やかわいいデザインの仕事を発展させて、どんどん人気者になっていきました。
「自分を自分で育ててゆかなくちゃいけない」
再生時間 約13分24秒
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若い女性を描いたのはどうして?
夢二は美人画をたくさん描いていますが、どうして若い女性に焦点を当てたのでしょうか?
夢二は若い頃、自分の恋人をモデルにして美人画を描きました。
雑誌の表紙絵では、時代を象徴する若く美しい女性の姿が求められました。美しい女性の表紙やイラストが載った雑誌は注目されて、夢二が描く美人画は人気を集めます。雑誌に載った夢二の絵を百貨店の着物売り場に持ち込む女性も存在し、「この絵と同じような羽織を作ってください。」と頼んだりすることもあった程、ファッション面においても、夢二の絵は世の女性たちに大きな影響を与えました。

夢二式美人を体現したモデル“お葉”
“夢二式美人”のモデルになったのは、どんな人だったのでしょうか?
夢二は、絵だけでなく本人も女性にとても人気があり、恋もたくさんしました。
恋人の一人、美人画のモデルになった女性・お葉は、美しい秋田美人でした。
日本画の「稲荷山」に描かれたお葉は、肌が白く、すんなりとした立ち姿、どこか寂しげなセンチメンタルな表情の典型的な夢二式美人です。
彼女は、“夢二の絵から抜け出してきたような人”と言われたくらい、夢二の理想の女性像に近い人でした。

夢二の絵から抜け出してきたような人
“夢二式美人”の特徴
“夢二式美人”ってどんな特徴がありますか?
夢二が描く女性は、“夢二式美人”と言われ、顔立ちや容姿に特徴があります。作品「緑玉の指環」を取り上げて考察してみましょう。
【顔】 うりざね顔で、色白。
【目】 三白眼でまつ毛が長く、伏し目がちで遠くをぼんやり見ている。
【鼻】 鼻筋が通り、小鼻が小さめ。
【口】 唇は赤く、とても小さい。いつも閉じている。
この時代はもの静かな女性が好まれ、閉じている口元は、おとなしく何か意見をすることを感じさせない印象を作り出しています。
【手】 「手や足は人間の感情を語っている」という思いから、
顔や体のバランスに比べると、表情豊かにとても大きく描かれている。
特に指は、中指と薬指をくっつけた描き方を好みました。優雅な動きを感じさせ、女性の指がきれいに見えるからだと思います。
夢二作品の女性像は、こたつにもたれかかっていたり、壁に寄りかかっていたり、何かにもたれかかり、静かにたたずむポーズがよく描かれています。この「緑玉の指環」も木にもたれかかっています。女性が一人で自立することが難しい時代だったため、支えてもらえるような頼る人が必要なのではないかと想像することができます。

当時の女学生は夢二の描いた少女を好ましく思い
自分自身に重ねて深く共感しました
夢二が描きたかった“山”
夢二さんは本当は、風景が描きたかったんですか?
夢二は風景、特に山を描きたかったという強い思いがありました。
親しい友人に「山の絵じゃ世間が承知しないんだよ。女の子の絵じゃなきゃ売れないよ。」と話していましたが、本当は、女の子の絵に限らずいろいろな絵を描きたいと思っていました。夢二は岡山県ののどかな場所で生まれ育ったため、山が恋しい気持ちもありました。
山をメインにした作品のほかに、少女を主題にしても背景に山が描かれた作品が数多くあります。自分が好きで描いた山の絵が評価されない苦しみもあったようです。そういう葛藤する気持ちがあったから、人の心に共感できるような作品を表現できたのではないでしょうか。

「山の絵じゃ世間が承知しないんだよ」
歌集「山へよする」と“彦乃”
「山へよする」の“山”というのは夢二の恋人のことですか?
夢二の山に対する思いは絵だけではなく、詩や文章にも書かれていています。
夢二の恋人に笠井彦乃という女性がいました。夢二は自分の恋人に好きな名前を付けていて、彦乃を“山”と呼びました。彦乃は肺を悪くして、23歳で亡くなってしまいます。
「山へよする」は彦乃と過ごした日々を歌とイラストで綴り、夢二の彦乃に対する強い愛情が一冊に詰まっています。

夢二の山や恋人への思いが絵に表れている
夢二が描く女性を鑑賞して
夢二の作品をたくさん鑑賞して、人となりを知っていかがでしたか?
夢二さんが描いたかわいい作品が、女の子たちの憧れだったし、私も楽譜とか本当にかわいいと思いました。
先生の話を聞いて、美人画だけじゃなく山や風景画にも興味を持っていたと知り、驚きました。夢二さんの山に対する思いだったり、恋人に対する思いだったり、そういう思いが絵に表れているんだなって感じてすごく感動しました。
私が考えた夢二さんの印象は、、「女性の心をつかむことが上手なインフルエンサー」だと思いました。
夢二の描く女性をじっくり楽しんで見ることができたでしょうか。
少しずつ自分なりの視点を持つことが大切です。
そうすればきっと楽しくなってくるはず。
美術館は新しい発見と冒険に満ちています。
自分ならではの新しい発見や感動を探してみよう。
まずは近くの美術館に足を運んでみてください。
| 転載 | 竹久夢二「私が歩いてきた道」(『中学生』第8巻第1号1923年) |
|---|---|
| 協力 | 金沢湯涌夢二館、静岡市美術館 |
美術館へ⾏こう!
「APL・FOOL」を描いた竹久夢二

岡山県生まれ画家・詩人
センチメンタルな画風の〈夢二式美人画〉作品を生み出すかたわら、恋愛遍
歴を重ね、旅を好み、大正ロマンを象徴する存在として広く知られる。明治・大正期の雑誌に発表した数々のイラストレーションをはじめ、日本画・水彩画・油彩画・木版画、さらにデザイン分野の作品を手掛け、詩、童謡の創作にも才能を発揮し、詩画を融合させた芸術を開花させた。
美術館へ行こう!
竹久夢二の話をしてくださった石川桂子先生
竹久夢二美術館学芸員
石川桂子(いしかわ・けいこ)
竹久夢二美術館学芸員。國學院大學文学部 史学科卒業。1991年より現職。
編著書に『大正ロマン手帖ノスタルジック&モダンの世界』『竹久夢二恋の言葉』(河出書房新社)、『竹久夢二《デザイン》-モダンガールの宝箱』(講談社)、『竹久夢二詩画集』(岩波文庫)、『竹久夢二という生き方-人生と恋愛100の言葉』(春陽堂書店)、『夢二の東京さんぽ手帖』(中央公論新社)、共著に『大正史講義【文化篇】』(ちくま新書)など。

美術館へ行こう!
夢二の作品を所蔵・展示する竹久夢二美術館
1990年11月3日開館。創設者・鹿野琢見(1919-2009)の夢二コレクションを公開しています。館が建つ東京・本郷は、夢二が滞在した〈菊富士ホテル〉がかつてあり、最愛の女性・笠井彦乃と逢瀬を重ねた場所で、今なお昔の風情を留めて静けさと木々の緑に包まれています。
都内で夢二作品を鑑賞できる唯一の当館では年4回3ヵ月ごとに企画展を行い、夢二の生涯や芸術より様々なテーマを採り上げ、常時約200~250点の夢二作品を展示しています。

竹久夢二美術館
〒113-0032東京都文京区弥生2-4-2
https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/
TEL 03-5689-0462
| コンテンツ名 | 04 夢二が描く女性編 |
|---|---|
| 公開日 | 2026年3月31日 |
| 講師 | 講師:竹久夢二美術館 学芸員 石川 桂子 聞き手:野澤しおり |
|
制作協力:株式会社NHKアート |
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さまざまな分野に精通し、経験、知識豊富な講師の方々をご紹介します。




