源氏物語とシェイクスピア作品との対話 『源氏物語』とA.ウェイリーの英国(渡部昇一)
インタビュー
インタビュー 『源氏物語』とA.ウェイリーの英国
渡部昇一 上智大学名誉教授
- アーサー・ウェイリーの英訳『源氏物語』が与えた影響
- 大和言葉と『源氏物語』
1.アーサー・ウェイリーの英訳『源氏物語』が与えた影響
(再生時間 24分28秒)
・語学の天才だったアーサー・ウェイリー(Arthur David Waley, 1889-1966)
・ブルームズベリーの文化人たちに与えた衝撃
「彼が住んでいたところはブルームズベリーの地区で、ゴードンスクエアというところですが、ブルームズベリーというのは、第1次大戦後あたりから、ケインズとか、ああいう有名な人たち、イギリスの一番の知的エリートたちが住んでいるブロックです。ウェイリー自身はいわゆるそのメンバーではなかったけれども、そこにはケンブリッジ大学以来の友人もいますので、つき合っておったんです。その連中は、自分たちこそ一番洗練された知的な階級である、知的エリートであると思っていたわけです。本当にそうですけれども。そこにウェイリーの『源氏物語』の訳が出たら、びっくりしたわけです。威張っているというか、周囲を見下して、自分たちの感覚こそ一番優れている、自分たちの感受性、心理の動きが一番進んだ文明人の心の動きであると思っているところに、東洋からぽっと訳された女流小説家の小説の中の、登場人物の感情の動きや心理の襞が、全部自分たちと同じ、あるいは自分たちよりも進んでいるというので、これはびっくりしたんですよ」
・ウェイリーが『源氏物語』を英訳した方法
「源氏の訳も、最初に読んで、目をつぶって、どういうことが書いてあるか、イメージしたというんですよ。イメージして、そのイメージを区切ってさーっと書いたんですね。そのイメージを、余り原文から離れないように後でチェックしたけれども、そもそも一つ一つ訳していこうという翻訳家の姿勢じゃないんです。あるパラグラフならパラグラフをばーっと読んで、その情景を完全に彼の頭の中にして、彼の文章で書いて、そして後でチェックしたから、チェックが最初にあるような訳では全然ないんです」
・女流文学は平和な時代に花開く
「イギリスは、ヨーロッパでは女性の小説家が18世紀から出ている珍しい国です。19世紀になると、ジェーン・オースティンとか、夏目漱石が舌を巻いたような女流小説家も出る。だから女流小説家としては、イギリスはヨーロッパの先進国です。だから、自分たちのところ以外は女が小説を書くことはないだろうぐらいに、ある程度思っていたと思うんです。ところが、いずくんぞ知らんというわけですね。
(中略)女性が羽ばたけるのは、絶対に平和の時代ですよ。今、日本は、文学賞でも女性がもらうのが非常に多いですね。しかも、私なんか読んでも、戦後しばらくまでは大小説家というのは男だったけれども、このごろは“大”をつけてもいいのはむしろ女流にいるという感じさえします。これはやはり戦後の長い間の平和で、女性が本当に羽ばたける雰囲気だということだと思いますね。また、今の日本の女流作家、あるいはマンガ作家も含めて、頭の中には必ず、日本には『源氏物語』を書いた紫式部がいたとか清少納言がいたというのがどこかにあると思うんです。そういうのがありますと、自分たちが小説を書いてもちっともおかしくないというのがあって、紫式部という人は、現代文学の知られざるスプリングボードになっていると思うんです。」
2.大和言葉と『源氏物語』
(再生時間 18分59秒)
・漢語をほとんど使わず、大和言葉のみで書かれた『源氏物語』
「驚くべきことは、10世紀に生まれた女性、11世紀の初めまで、あの膨大な『源氏物語』の中に、漢語はないと言ってもいいんです。もちろん「頭の中将は」とか言って出るときは、中将というのは官職として、大宝律令何とかかんとかで支那の制度を入れていますから、その位を持っている人が出てくるときは、その位をつけて言わなければいけないけれども、地の文章は98~99%大和言葉だけ。だから、これだけ見ましても、あの時代にほとんど漢語を入れないで、これだけの大文学が日本にできたということは、やはり“日本文明”なんですよ」
・英語における雅語と通俗語
「よく言われますけれども、お百姓さんが飼っている間はオックスであり、カウであるけれども、ちゃんと料理するとビーフになるとか、飼っている間はスワインであり、ピッグであるけれども、料理するとポークになるとか、その辺で牧畜しているときはシープ(羊)だけれども、テーブルに上がるとマトンだとか、食べ物で言えばそのように、それから、ちゃんとした椅子はチェアだけれども、これはフランス語系ですね。一番粗末な椅子はスツールと言うでしょう。スツールの方は大和言葉なんですよ。ところが、そんな(イギリスの)「大和言葉」だけを並べると、とても通俗というか、低いものしか残っていないんですよ。何と言っても、王朝も、フランス王朝になった時代――ノルマン王朝ですけれども――がありますから、その辺、(ウェイリーの英訳した『源氏物語』では)日本の大和言葉がイギリスの大和言葉に相当する言葉では表現されていません」
・文明の極点に同類性を感じる
「僕は、妙な話ですけれども、一つの文明の極点というのは、どこかで変な同類性を感じることがあるなと思ったのは、これは証明しようがないので、私の感覚だけなんですけれども、たまたま娘のためにお雛様を飾ったときに、バッハの『ブランデンブルグ協奏曲』をかけたんです。そうすると、お雛様の雰囲気に合うんですね。何だろうと考えると、お雛様が発達したのは、江戸という非常に平和な時代に、さらに1000年前か数百年前の平和な平安朝をあこがれてつくったものですね。江戸時代の大名とか大町人の家の女たちの世界というのは、やはり贅沢であり、今とは多少ずれているけれども、茶の湯でも、お香でも、何でもかんでも、局地的な洗練はあったと思うんです。そうすると、西洋音楽の最高峰の時代、ハイドンが出、モーツアルトが出、バッハが出るというような時代の音楽は、日本の平安朝をあこがれて、徳川時代の平安朝の豊かな階層がつくった人形遊びと合うんですね、私の感覚では。これは面白いと思うんです」
・第一次世界大戦後だから受け入れられた源氏物語
「ミルワード先生に、『ヴィクトリアン朝だったら、源氏を訳しても影響力がなかったでしょう』と言ったら、はっと驚いたような顔をして『そうだったでしょう』とおっしゃいましたけれども、やはりあれは第1次大戦後のインテリ階級からなんですよ。あのインテリ階級の中では、あそこに出てくるように、ヴァージニア・ウルフなんかも男に交じってやれるわけですよ。それは日本では平安朝でやっていた話なんですね。(中略)恋愛の歌ですから、生々しいのもあります。
朝寝髪吾はけづらじ愛(うるは)しき君が手枕(たまくら)触れてしものを 柿本人麻呂
朝の髪は自分は梳かしたくないんだ、あなたが夕べ手で触れたんだから、などという歌は生々しいよね。ところが、
しるべせよ跡なきなみに漕ぐ舟の行方も知らぬ八重のしほ風 式子内親王
というのは、恋も愛も何にも出てこないんですが、何となく舟で漂った気持ちで、どうしたらいいかわからないという気持ちがそこにある。これは恋歌ですから、このぐらいの象徴性になると、20世紀のフランスの象徴詩の一番優れたものよりも優れているぐらいの洗練度ですね」
コンテンツ名 | 第3回 Genjiフォーラム・スペシャル 源氏物語とシェイクスピア作品との対話 |
---|---|
収録日 | 2006年3月14日 |
講師 | 渡部昇一 |
簡易プロフィール | 講師:渡部昇一(上智大学名誉教授) 肩書などはコンテンツ収録時のものです |
会場:東京・上智大学中央図書館 |
さまざまな分野に精通し、経験、知識豊富な講師の方々をご紹介します。