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フィレンツェ-至高の文化の誕生 (4)

フィレンツェ-至高の文化の誕生 (4)

第1回 ダンテとフィレンツェ

対談 フィレンツェの魅力 ~序章としてのダンテ~

英知大学教授・東京大学名誉教授
今道友信

国立西洋美術館長・東京大学名誉教授
樺山紘一

コーディネーター
実践女子大学教授
松田義幸

はじめに


(再生時間 10分01秒)

・「文化を創造し、楽しむモデル」 ガルブレイス教授の提言
・クール・ジャパンの時代
・「ソフト・パワー」のモデルとしてのフィレンツェ
・成熟した職人の都市

・ダンテ・フォーラムのねらい
「…やはり古典というのは読んでこそ意味がある。今道先生にお願いして、ずっとグレートブックスの勉強会も続けています。その中で、このダンテの「神曲」に関しては、ヴォルテールが「神曲」についてこういうことを言っているのです。「この作品はだれにも読まれないで称賛されるから、この称賛はいつまでも滅びないだろう」と。これはひどい話です。やはり内容と関わってこそ人生と。」(松田)

互いの講演を振り返って


(再生時間 23分04秒)

Giustizia mosse il mio alto fattore:

fecemi la divina podestate,
la somma sapienza e ‘l primo amore.

正義は至高の主を動かして、
神の権能と最高の知と
原初の愛とがわれを創った。 (地獄篇第3歌)

Io vidi certo, e ancor par ch’io ‘l veggia,
un busto sanza capo andar si come
andavan li altri de la trista greggia;
e ‘l capo tronco tenea per le chiome,
pesol con mano a guisa di lanterna;
e quel mirava noi e dicea: ≪Oh me!≫.

たしかに見たのだ、まだ目に浮かぶ、
首なきひとつの体が進む
哀れな亡者の群につらなり、
切られた頭の髪をつかんで
提灯のように手にさげてゆく。
それはわれらを見、「おお見よ」という。 (地獄篇第28歌)

e vidi uscir de l’alto e scender giue
due angeli con due spade affocate,

見よ天上から下に降り立ち
二人の天使は火の釼をもつ。 (煉獄篇第8歌)

che la fortuna che tanto s’aspetta,
le poppe volgera u’ son le prore,
si che la classe correra diretta;
e vero frutto verra dopo ‘l fiore.

待ちに待っていた嵐がおこり、
艫(とも)を舳(へさき)の方にめぐらせ
そして船団が直航すれば
花の後からは実がなるでしょう。 (天国篇第27歌)

・古典学者ジャコモ・デヴォート教授のこと
「ジャコモ・デヴォート教授は、また同時にフィレンツェ大学の古典文学の教授で世界的な古典文学の学者です。ギリシア詩の研究家でした。同時にフィレンツェの商工会議所の会頭でした。それで、どちらが本職かといったらもちろん教授のほうだと。「商工会議所の会頭は、下にたくさん秘書のような人がいて全部してくれる。私は決断したふりをするだけだ」と。本当にそうおっしゃったのです。「フィレンツェは別にそんなにたくさん生産したり何かする町でもないから、私でも務まるのです。でも、大学はそうはいかない」。」(今道)

・執務所から美術館へ 過去を吟味する運動のなかから生まれたウフィッツィ美術館
「私たちは過去が現在残っていると、過去のままずっとその顔をして続いてきているのだと考えたくなりますけれども、そうではない。つくられた当時も、またそのあとも、いろいろな形で歴史のいろいろな刻印を刻みながら、いまに引き継がれているのだということに、とても強くこだわりたいと思っています。」(樺山)

・文化と文明 ―文明は一律化であり、文化こそ普遍性を志向する―
「文化は確かに個別的であって、多様な形を持っています。でも、文化の多様性というのは、文化が持つ本来の普遍性という仕組みの中で初めて成り立つのであって、文化は別々だ、ではなく、文化が多様だというのは、文字通り文化の普遍性、あるいは文化が普遍を志向していく、目指していく、志向性という仕組みの中で、初めて多様性の意味があるのだと。そう考えていかなければいけないのだなとかねてから考えていまして、いまお話があった事柄はフィレンツェだけに限りませんけれども、私たちが過去や、あるいは違った文化、異なった文化を考えるために大変貴重なヒントを含んでいるのだと、私としては受けとらせていただきました。」(樺山)

・市民社会と美術館・博物館の成立 ―過去を共有化する―
「ギリシアであれローマであれ、あるいはルネサンスであれ印象派であれ、こうした作品や、あるいはその他、貨幣やコインや、その他いろいろなコレクションは、皆、どれも基本的には過去の人類が、人間たちがつくりだした、そして現代まで受け継がれている社会的な財産、社会的財だということであります。その間にはもちろん何千年たったものと、まだ100年しかたたないものといろいろあるけれども、基本的には、こうしたものは社会が共有している財であって、しかし、もちろん所有権はだれかにあり、お金が足りなくなるとそれを売ってもかまわないけれども、しかし、売ってそれを買い取った人間も、それを社会的な財として考えていただきたい。考えなければいけないだろうと思うのです。」(樺山)

ヨーロッパにおける「愛」という主題


(再生時間 9分17秒)

・トルバドゥール詩 -12・13世紀 騎士道精神における愛―

・トマス・アクィナスの神学から深い影響を受けたダンテの世界観・価値観
「通常、神への愛はともかくとして、世俗的な、人間的な愛は、人間世界における愛は、しばしば当時、それ以前にあっては否定的な、あるいは少なくともなるべく軽く見たいという傾向がなくはありませんでしたけれども、トマス神学以後、確実に人間生活の、あるいは人間の行動の中における愛というものを積極的に評価する、考える。ただし、それはどのような愛が最も永遠性を持ち得るかという設問の中ででありますけれども、こうしてダンテが、当時としてはまだ新しく、場合によってはほとんど異端に近いと見られていたトマス神学と関わったということが、実は大きなきっかけだったのではないかと、中世史家としては考えています。」(樺山)

・地獄さえ、神の愛によってできている
「神の愛がこの「神曲」の中でまずどうなっているかということを見ることは、愛の宗教としてのキリスト教の文学、それからおよそ愛から離れることのない宗教の文学としての「神曲」にふさわしいテーマではないか。
地獄のようなものさえ、神の愛によってできている。そして、できている地獄の中で、どんな愛がいちばん嫌われているかというと、裏切りとか、あるいは愛しているものを割くようなものが、やはりいちばん悪いことになっていて、そういう人はどんな罰を受けているかというと、顔を取られてちょうちんのようにして歩かなければならないということは、時間がありませんでしたからあまり詳しいことを申しませんでしたけれども、顔というのはペルソーナ、面です。顔を奪われた肉体として歩かなければならないということは、ある意味で、非人間化されている。愛をこぼつものは非人間であるという思想につながるだろうということです。 」(今道)

博物館、美術館へ期待すること


(再生時間 13分57秒)

・美術館への期待
「美術館に来ると確かに保存はよいし、合理的である。ただフィレンツェに行くと、やはり全体が生きているというのは、何もウフィッツィに行くだけではなくて、そこで営まれてきた環境と価値観、ライフスタイルの意味、それをどう継承していくか、そういうところも問題ではないか。イタリア全体がそうですし、フィレンツェへ行くとその意味は非常によくわかるような気がするのです。」(松田)

・子供たちの教育の場としての美術館
「子供さんたちが一度美術館、博物館でものを見たら、必ず大きくなってもう一度来てくれる。ほとんどです。事実、子供の時に美術館や博物館に行ったことのない人は、本当に最後まで来ない。これは、どこか経験がある、それは先生から話を聞いてわかった人もわからない人も、美術館を見て、「子供の時に見たな」というあの経験が大人になって必ず生きてくるのです。ですから、確かに子供たちが時々うるさい。なるべく静かにしてくれとは言うけれども、子供は走るものです。うるさい。でもこのことが、社会的な利益全体を考えると、この人たちが5年、10年たって美術館に行き、あるいは美術を大事にし、そうやって社会の底を上げていくのだということをお考えいただいて、できれば少しご寛容にと申し上げています。 」(樺山)

聴講者からの質問


(再生時間 18分56秒)

Q. 創造的発見(inventione)の意味についてもう少し詳しく
「アリストレスが学問はタウマゼインから始まると言っているのですが、タウマゼインというのは「驚き」で、すなわち好奇心のようなものだと近代は言われているのですが、それこそ樺山先生がおっしゃったトマスなどは、そのタウマゼインをadmiratioと訳しているのです。賛嘆です。賛美する心があって、よいものをつくりあげていく。本当に意味のあるものをつくりあげていかなければいけない。意味があるというのは、人を殺すことに非常に強力な薬を見つけることにどのくらい意味があるのだろうということを考えなければならないと思いますので、それで創造的発見という場合に、やはりcuriosityではなくて、もう少しモラルの面の入ったようなものがなければならないのではないかということです。」(今道)

Q. ヨーロッパの都市の各所に見うけられる広場(piazza)は、forumと同じ意味に考えてよろしいでしょうか?

Q. ダンテは国内追放をされたわけですが、当時、国内という概念、また範囲はどうだったのでしょうか?

Q. 黒党と白党ですけれども、頭巾でも被っていたのでしょうか?

Q.ルネサンスのきっかけとして聖フランチェスコの存在が影響したと聞きましたが、ダンテの『神曲』にもそれはあるのでしょうか?

Q.ジョットは聖母を描いているけれども、その聖母は人間的だ。それにフランチェスコの存在が影響しているか、ダンテが影響しているか?

Q.『神曲』の訳本で最もすぐれているものをご紹介ください。

コンテンツ名 ダンテフォーラム「フィレンツェ―至高の文化の誕生」(全3回)
収録日 2004年10月3日
講師 今道友信、樺山紘一、松田義幸

会場:東京都美術館講堂
主催:財団法人エンゼル財団・日本経済新聞社・東京都美術館
収録映像:著作権者 財団法人エンゼル財団
本コンテンツでは、2004年10月~12月、東京都美術館で開催された「フィレンツェ―芸術都市の誕生展」を記念して行なわれたダンテフォーラム「フィレンツェ―至高の文化の誕生」(全3回)の模様を配信しています。

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プロフィール

講師:今道友信

(英知大学教授・東京大学名誉教授)

講師:樺山紘一

(国立西洋美術館長・東京大学名誉教授)

コーディネーター:松田義幸

(実践女子大学教授)

肩書などはコンテンツ収録時のものです

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