至高の文化の誕生 対談 ダンテからロダンへ
第3回 ダンテからロダンへ
対談 ダンテからロダンへ
英知大学教授・東京大学名誉教授
今道友信
国立西洋美術館長・東京大学名誉教授
樺山紘一
コーディネーター
実践女子大学教授
松田義幸
今道友信の「ダンテ『神曲』連続講義」について
(再生時間 16分27秒)
・エンゼル財団と『神曲』への取り組み
「エンゼル財団が設立されてから、エンゼル財団は当時の経済企画庁に認可していただいた財団で、経済企画庁としてエンゼル財団を認可してくださったというのは、本当に例外のような認可でありました。つまり、本来これは文部省の認可の財団のようなコンテンツなのですけれども、経済企画庁が、これからは人間の本質を研究する財団が必要だということで認可してくださいました。そしてエンゼル財団では、angel mind without body、身体を持たない精神の研究、そこでダンテの「神曲」の貴重書のコレクションと、すぐダンテフォーラムということを開催いたしました。それは、樺山先生にずっと全体の企画、協力、司会をお願いしてまいりました」(松田)
・マルコ・ポーロ賞を受賞した「ダンテ『神曲』講義」(みすず書房)
選評
今道友信『ダンテ「神曲」講義』(みすず書房、2002)は、今道教授が私的に行った『神曲』についての講義に、聴講者との質疑応答を加えて、整理した本である。『神曲』にはすでにいくつかの日本語訳があり、解説や内外の著者による論及も少なくないが、この古典は日本の読者にとって必ずしも近づき易くはない。
今道教授の講義とダンテやイタリア文学の専門家ではない聴講者の質問は、一般読者が『神曲』をその時代と文化のなかに正確に位置づけて理解するために、また私たちの当面する環境と私たち自身の問題を考えるためにも、大いに役立つだろう。
著者はそういう仕事のためにおそらく最適の資格を備えている。西洋の哲学、殊に美学を専門とする学者であり、同時に古典ギリシャ・ローマの文学に精通し、カトリック神学に博学で、日本の伝統的美意識についても広い知識をもつ。そういう知的道具のすべてがこの本の中では自在に活用されているのである。今年(2003年)のマルコ・ポーロ賞選考委員会は、候補作品に今道教授の“「神曲」講義”を得たことをよろこび、ためらうことなく受賞作としてこれを推すものである。
マルコ・ポーロ賞選考委員
加藤周一
大谷啓治
都留重人
(アルファベット順)
- 森永エンゼルカレッジが配信する今道友信の「ダンテ『神曲』連続講義」について
『神曲』の現代意義について
(再生時間 22分34秒)
・近代国家終末期と都市国家と前近代国家を通して見るダンテ
「ダンテの時代はまだ都市国家の伝統が残っていまして、必ずしも都市国家とは言えず、それぞれの国のようなものがあって王様がいたりしたのですが、フィレンツェなどもまだ都市国家のようなところがあって、都市国家だったから、ダンテのような人でもプリオーレになれたのでしょう。あれはイタリア全体からいったら、やはりちょっとダンテは政治の資格がないだろうと思います。
ですから、そういうことを考えてみますと、都市国家の時代というのは、前近代国家、つまり近代国家のできる前と、近代国家終末期、3つを通じてダンテを見てみて、そのどれにもダンテは意味があった。つまり、都市国家の枠を超えて、前近代国家になろうとしているイタリアということも考えているからこそ、いろいろな問題を、つまり都市国家から開かれた国家観をつくろうとしていたということ。」(今道)
・美学・解釈の哲学への萌芽
「作品を通して作品が開示する深い意味を喚起すること、そして、作品をして語らしめて、その輝き出てくる理念を味わうことができれば解釈は成功するということになります。ですから、思い入れというのをするのは意味付与といって、作品に私の持っている意味を付与するのは解釈ではありません。大変な作品に対して、私が考えている意味が付与するのではなくて、作品の中にある意味を発見することが解釈の意味ですので、そういうことをしてもらいたいということを、ダンテは盛んに言っています。ですから今日の解釈学の先駆のようなものが、ここにあるのではないかと思います。」(今道)
・ダンテの天国観は躍動的である
「ダンテの天国観は本当に躍動的であって、天国というと先ほど「おお永遠の光、あなたに憩い、あなたを聴きつつあなたが知られ、知りつつ愛しほほえみたもう」という、神が自己自身を楽しんでおられるような状況で、もうそれで自己満足をしているという状態、「でも神よ、いまだ世は救われていないのだ」ということをダンテは言っていますので、古典的な神学だと神はもうそこで何も不足はないという考え方なのですが、そうではないということを、彼はこういうことを言ったあとも繰り返し言い続けている。ですから、神にはそういう面もあるけれども、そして至福が完成したらそうなるし、人間もそれでよいのだけれども、自分が天国に行ったから、もうそれでこの浮き世に苦しんでいる人を放っておいてよいというのではないということを、ベアトリーチェは示して、そして、ダンテはそれで天国まで旅行することができて、そして天国というのはいままで考えられていたようなものとは違うのだということを、私どもに教えてくれている。ですから、嵐を待つ革命の待降節というのが、私はダンテが天国に与えた意味ではないかと思っています。」(今道)
ロダンは『神曲』をどう受け止めたか
(再生時間 20分44秒)
・『神曲』地獄篇を表現した、オーギュスト・ロダンの代表作「地獄の門」
「(地獄の門は)かつてパリの装飾美術館の入り口の扉をということで構想されたものでありまして、しかし1880年に委嘱されて以来、亡くなるまで37年間やりながら、結局、それが鋳造されて、装飾美術館の門に据えられることはありませんでした。ロダンが生きています間は、いわゆるマケットといわれる粘土で造った原型と、それを基にして石膏を組み立てていくところまでできましたけれども、それを鋳造する時間はとうとうありませんでした。」(樺山)
・「地獄の門」と「考える人」
「この中には正確に数えた人によりますと、250人ほど人間が彫り込まれているそうです。そして、このいちばん上の部分には、門の上から地獄の光景を見下ろす「考える人」がいます。当初、ロダンのはじめの構想の中では、この「考える人」は、詩の言葉を紡ぎ出すダンテその人としてつくり始められたそうです。そのようにつくり始めたようでありますけれども、結果として、ダンテという固有名詞ではなくて、一般名詞、つまり「考える人」という、そもそも地獄を見、また世界と人間を考える人の普遍的な形として描こうという構想に変わっていったということであります。」(樺山)
- ロダン 美しかりしオーミエール
- ロダン 3人の踊り子
- ロダン 瞑想
- ロダン 私は美しい
- ロダン オルフェウスとマイナスたち
- ロダン フギット・アモール
- ロダン パオロとフランチェスカ
聴講者からの質問
(再生時間 16分51秒)
Q.永遠の女性ベアトリーチェとありますが、永遠の男性って何でしょう?
Q.十字軍王国について説明してください。
Q.写本を見ると印刷されたものと同じようにきちんとそろった字で書かれていますが、専門の職人がいたのですか?
Q.今後、別の形式であっても継続した読む会、あるいは講座の計画などあればうれしいのですが、何か当事者の皆様方に企画があるのでしょうか?
Q.“Perme si va nella citta dolente”の一語一語の意味をぜひ知りたいと思います。
Q.躍動的天国観についてご説明ください。
Q.医学、免疫学、精神医学、経済学が発達した現代において、ダンテはどのように受け継がれていますか?
Q.ダンテの中では自由意思が大事だと言っていますが、その自由意思とはどういうことか。
Q.『神曲』はイタリアではとのような位置づけになっているのですか?
Q.ダンテの“Divina Commedia”の表現形態は超現実的であるというので、シュールリアリズムとの関係のようなことがあるのですか?
Q.アウグスティヌスは非常に大きな影響をいろいろな人に与えていると思うが、ダンテへの影響はどのようなものですか?
Q.「芸術の手綱にひきとめられて」ということについて説明してください。
Q.資本主義のメカニズムを解明した大著「資本論」の序文にマルクスがダンテの言葉を引いているようですが?
Q.近現代においてダンテに近い問題意識で表現された作品がほかにありますか?
コンテンツ名 | ダンテフォーラム「フィレンツェ―至高の文化の誕生」(全3回) |
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収録日 | 2004年12月5日 |
講師 | 今道友信、樺山紘一、コーディネーター:松田義幸 |
簡易プロフィール | 講師:今道友信(英知大学教授・東京大学名誉教授) 講師:樺山紘一(国立西洋美術館長・東京大学名誉教授) コーディネーター:松田義幸
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会場:東京都美術館講堂 |
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