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世界文学としての源氏物語-源氏物語を世界中の人々に伝えたい (3)

世界文学としての源氏物語-源氏物語を世界中の人々に伝えたい (3)

第1部 「世界文学としての源氏物語の魅力」

講演 「歌物語としての源氏物語」

okano[1]

岡野弘彦(歌人・國學院大学名誉教授)

  1. 歌と語りが組み合わさって、力ある物語がうまれる/『古事記』
  2. 神話を語る夜 時間と空間を超えた古代のひとびと
  3. 日本文学の特色は歌と物語の働きにある/『伊勢物語』

1.歌と語りが組み合わさって、力ある物語がうまれる


(再生時間 12分27秒)

「日本文学史を考えれば、延々として、100年余り前まで、常に物語の中に必ず和歌があった。やがてある時期からは、俳句もそれに加わってきた。詩がやはり核として存在していたということは言えるだろうと思いますね。

その歌と物語の関係ですけれども、歌というのは、もちろん叙情的に、短歌以前の古代歌謡を見ましても、非常に短い定型意識というふうなものがかなり早くから働いていて、その短い定型の中に凝縮した感情を盛り込んでいこう。また、そのためのいろんな仕掛けを日本人は考えていたわけです。それから、その歌を核にして、その前後の叙事的なことを語っていく。それが「語り」ということになるわけですが、その歌と語りとがいつでも組み合わさって、力ある物語を形成していたと言ってもいいだろうと思います」

『古事記』より、八千矛(やちほこ)の神の歌語り

八千矛(やちほこ)の 神(かみ)の命(みこと)は
八島國(やしまくに)  妻枕(つまま)きかねて
遠々(とほどほ)し 高志(こし)の國(くに)に
賢(さかし)し女(め)を 有(あ)りと聞(き)かして
麗(くは)し女(め)を 有(あ)りと聞(き)こして
さ婚(よば)ひに 在立(ありた)たし
婚(よば)ひに 在通(ありかよ)はせ
太刀(たち)が緒(を)も いまだ解(と)かずて
襲(おすひ)をも いまだ解(と)かねば
嬢子(をとめ)の 寝(な)すや板戸(いたど)を
押(お)そぶらひ 我(わ)が立(た)たせれば
引(ひ)こづらひ 我(わ)が立(た)たせれば
青山(あおやま)に ぬえは鳴(な)きぬ
さ野(の)つ鳥(とり) 雉(きざし)は響(とよ)む
庭(には)つ鳥(とり) 鶏(かけ)は鳴(な)く
うれたくも 鳴(な)くなる鳥(とり)か
この鳥(とり)も 打(う)ち止(や)めこせね
いしたふや 海人馳使(あまはせづかひ)
事(こと)の 語(かた)り言(こと)も こをば

2.神話を語る夜 時間と空間を超えた古代のひとびと


(再生時間 12分19秒)

「夜、語りの媼(おうな)なり、あるいは語りの翁(おきな)なりが、村人たちに語って聞かせる。そういう場を想像してくださればいいと思うんです。古代の濃密な共同体の中で、そういう語りの夕べが、時を定めてある。そういう中で、時間、空間をふーっと超えて、そして村人たち一人ひとりが須佐之男になり、大国主になり、あるいは求婚せられる聖なる人間の代表の乙女になり、村を代表する乙女になりするわけですね。 これは語るというよりも、より歌の形に近い、歌の形の濃密さに近いものです。」

『古事記』より、八千矛(やちほこ)の神の歌語り つづき

八千矛(やちほこ)の 神(かみ)の命(みこと)
萎(ぬえ)え草(くさ)の 女(め)にしあれば
我(わ)が心(こころ) 浦渚(うらす)の鳥(とり)ぞ
今(いま)こそは 我鳥(わどり)にあらめ
後(のち)は 汝鳥(などり)にあらむを
命(いのち)は な死(し)せたまひそ
いしたふや 海人馳使(あまはせづかひ)
事(こと)の 語(かた)り言(こと)も こをば
青山(あおやま)に 日(ひ)が隠(かく)らば
ぬばたまの 夜(よ)は出(い)でなむ
朝日(あさひ)の 笑(ゑ)み榮(さか)え来(き)て
栲綱(たくづな)の 白(しろ)き腕(ただむき)
沫雪(あわゆき)の 若(わか)やる胸(むね)を
素手抱(そだた)き 手抱(ただ)き抜(まな)がり
眞玉手(またまで) 玉手(たまて)さし枕(ま)き
股長(ももなが)に 寝(い)は寝(な)さむを
あやに な戀(こ)ひ聞(き)こし
八千矛(やちほこ)の 神(かみ)の命(みこと)
事(こと)の 語(かた)り言(こと)も こをば

3.日本文学の特色は歌と物語の働きにある/『伊勢物語』


(再生時間 21分42秒)

「『源氏物語』は、ご承知のように、あんなふうに物語の部分が非常に長くなっています。長くなっていますけれども、その要所要所の主人公の一番叙情の心を表現するところでは、必ず歌が楔のように、あるいは柱のように立っていて、それが物語に見事な緩急、あるいは規則の濃密さを与えているわけです。こういう歌物語の歌と物語の働きぐあいというものが、日本文学の大きな特色を示しているのだというふうに思います。」

『伊勢物語』より 二十一

むかし、お(を)とこ女、いとかしこく思ひかはして、異(こと)心なかりけり。さるをいかなる事かありけむ、いさゝかなることにつけて、世(の)中をうしと思ひて、出(い)て去(い)なんと思ひて、かゝる歌をなんよみて、物に書きつけける。

出(い)でて去(い)なば心軽(かる)しといひやせん世のありさまを人は知らねば
とよみを(お)きて、出でし去(い)にけり。この女かく書きを(お)きたるを、異(け)しう、心を(お)くべきことともおぼえぬを、何によりてかゝらむと、いといたう泣きて、いづかたに求め行かむと門(かど)に出でて、と見かう見みけれど、いづこをはかりとも覚(おぼ)えざりければ、かへり入りて、

思ふかひなき世なりけり年月をあだにちぎりて我や住(す)まひし
といひてながめ居(を)り。

人はいさ思いやすらん玉かづら面影(おもかげ)にのみいとゞ見えつゝ
この女いと久しくありて、念(ねむ)じわびてにやありけん、いひを(お)こせたる。

今はとて忘(わす)るゝ草のたねをだに人(ひと)の心にまかせずも哉(がな)
返し、

忘草植(う)ふ(う)とだに聞(き)く物ならば思(ひ)けりとは知(し)りもしなまし
又又ありしより異(け)にいひかはして、おとこ、

わする覽(らん)と思(ふ)心のうたがひにありしよりけに物ぞかなしき
返し、

中空(なかぞら)に立ちゐる雲のあともなく身のはかなくもなりにける哉(かな)
とはいひけれど、をのが世々になりにければ、うとくなりにけり。

コンテンツ名 Genjiフォーラム・スペシャル2 世界文学としての『源氏物語』~源氏英訳の課題と可能性をめぐって~
収録日 2004年2月28日
講師 岡野弘彦、ピーター・ミルワード、渡部昇一、コーディネーター:松田義幸

会場:東京・学士会館
主催: 中央公論新社、財団法人エンゼル財団
協賛:森永製菓株式会社、森永乳業株式会社
2004年2月「Genjiフォーラム・スペシャル2 世界文学としての『源氏物語』~源氏英訳の課題と可能性をめぐって~」が、東京・学士会館で開催されました。このコンテンツでは、当日の模様をお伝えしています。

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