至高の文化の誕生 ダンテとフィレンツェと私(樺山紘一)
第1回 ダンテとフィレンツェ
講演 ダンテとフィレンツェと私
国立西洋美術館長・東京大学名誉教授
樺山紘一
はじめに
(再生時間 12分51秒)
・「フィレンツェ ―芸術都市の誕生」展のみどころ
・観光客を惹きつけるフィレンツェの魅力
・行列の絶えないウフィッツィ美術館
・フィレンツェの秋の味覚
・話題の本『ダンテ・クラブ』
「…このように、新世界のアメリカでもすでに19世紀にダンテを読み込もうという人たちがいて、もちろんこの「神曲」についての解釈はさまざまであり、そのためにロングフェローをはじめとして、ダンテ・クラブの周りの人々は、時にはいろいろな雑音を受けながら、しかし、一方ではダンテの英語訳を作っていき、そして他方ではこのように殺人事件の謎を解いていくという、なかなかすばらしい思索だと思うのですけれども、こういう『ダンテ・クラブ』(新潮社 2004)のミステリーをはじめとして、アメリカ、イギリス、あるいはその他ヨーロッパのイタリア以外の国々でも、ダンテが、そしてとりわけ「神曲」が読み継がれてきたということを示す、とてもよい証拠であるかもしれません。」
詩人はなぜ政争に巻き込まれたか
(再生時間 17分13秒)
・歴史家にとって気がかりな書、ダンテ『神曲』
・1302年 イタリア、フィレンツェ
「さて、ダンテがなぜ、この詩人が1302年、フィレンツェの政治の争い、政争に巻き込まれなければならないのだろうか。政治の争い、政争はどこの時代にもある。いまでも永田町にもあります。このようなさまざまな政争の中で、とりわけこの1302年に起こったダンテが関わった政争は、単に一詩人が関わった事件である以上に、実はその時代、14世紀の始めのイタリア、あるいはもう少し広く言うと14世紀初めのヨーロッパ全体を映し出す鏡のような意味を持っています。」
・逆転また逆転 白党(ビアンキ)と黒党(ネリ)との政治抗争
・複雑な時代背景 当時イタリアを二分していた教皇派と皇帝派
・捕縛されたローマ教皇ボニファティウス8世 「10分の1税」をめぐるフランス国王との対立
「1302年、ダンテ追放が起こったその少しあとの初夏、8月に、ローマ教皇ボニファティウス8世は拠点のローマを離れて避暑のためにローマ郊外のアナーニという町に滞在していました。このアナーニという町に、ある夜突然、数人の馬に乗った騎兵と、そして歩兵、合わせて20人ちょっとだったようですが、襲撃してきまして、ボニファティウス8世の館を取り囲み、侵入し、ボニファティウス8世を捕縛し、教皇に厳しい政治の要求を突きつけます。」
「実際にダンテが後になってこの亡命、放浪の中で書いた「神曲」を見ると、あちこちにボニファティウス8世に対する罵倒が出てきます。フィリップ4世との間の争いについてはあまり具体的なことを書いていませんが、しかしながら、教皇が自分たちフィレンツェに対して行った行いや、あるいはイタリアのいろいろな都市に対して行った政策について、ダンテは真っ向から反対でありました。そのように「神曲」を読むこともできます。
もちろん「神曲」はポエム、詩でありますので、決して政治文書ではありません。政治的なデマゴギーを書き記したものではないけれども、しかしながら、その詩の形の中に、実はダンテが自分のフィレンツェにおける政治の問題、イタリアにおける問題、あるいはもう少し広く言うと全西ヨーロッパに広がったいろいろな問題が、その視野の中に入っているということを考えざるを得ません。 」
「神曲」には当時の事件がぎっしりと詰まっている
(再生時間 15分49秒)
・Novaraの異端者 ドルチーノとその集団の籠城事件
「ダンテが1302年にフィレンツェを出てから、ちょうどその時期から始まって約5年間、北イタリアの現在のNovaraという町の北方の山の中に、その当時ドルチーノという人物がいました。正確にはドルチーノが率いた数多くの異端たちの集団が籠城していました。城に籠もっていました。この人々は、当時のキリスト教会に対して強い異議、申し立てをしました。…」
・チマーブエの時代からジョットの時代へ
「ダンテが北イタリアを流浪し、亡命の暮らしをやっているときに、このジョットは北イタリアで作品を描いていましたので、どこかで会ったということは十分あり得ます。とりわけ1304年から1306年、つまりダンテがフィレンツェを離れて2年あと、北イタリアのパドヴァという町で、スクロヴェーニ礼拝堂の有名な壁画をジョットは制作中でありました。すでにその当時かなり評判でありましたので、ことによるとダンテはある時期、このパドヴァで制作途上である作品を見たかもしれない。」
・パオロとフランチェスカの事件/ウゴリーノと子供たち
「「神曲」の中には、1302年から始まり1321年に至る20年間、イタリアで、とりわけ北イタリアで起こったいろいろな事件がぎっしりと詰まっています。現在であれば、おそらく週刊誌が取り上げるような話、パオロとフランチェスカの不義の物語などは、いまの週刊誌だったら本当に喜んで飛びつきそうな話です。ウゴリーノと子供たちも、ついこの間どこかであったような事件です。ドルチーノたちの反乱の事件は、日本でしたらさしずめ浅間山麓だか富士山麓でついこの前起こったような事件と全く同じ話でありまして、週刊誌だったら飛びつきそうな話です。でも、それを週刊誌のゴシップネタではなくて、文字通り、当時のヨーロッパ全体を組み込むような巨大な詩の形にして仕上げていった。このようなダンテに、私たちはとても強い関心と、また興味をいだいてきたのであります。」
コンテンツ名 | ダンテフォーラム「フィレンツェ―至高の文化の誕生」(全3回) |
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収録日 | 2004年10月3日 |
講師 | 樺山紘一 |
簡易プロフィール | 講師:樺山紘一(国立西洋美術館長・東京大学名誉教授) 肩書などはコンテンツ収録時のものです |
会場:東京都美術館講堂 |
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