至高の文化の誕生 対談 ダンテとルネサンスをめぐって

至高の文化の誕生 対談 ダンテとルネサンスをめぐって

第2回 ダンテとルネサンス

対談 ダンテとルネサンスをめぐって

英知大学教授・東京大学名誉教授
今道友信

国立西洋美術館長・東京大学名誉教授
樺山紘一

コーディネーター
実践女子大学教授
松田義幸

互いの講演を振り返って


(再生時間 22分30秒)

  • イスラムを取り入れることによって、キリスト教は世界文化になることができた
    「トマス・アクィナスも、アラビアの哲学者のイブン・シーナーのような人たちの書いたものを、アラビア語がよくできて、そしてギリシア語もよくできる、語学の天才のような人がトマスの友人にいました、ギヨーム・ド・メルベケという人なのですが、メルベケのウィリアムスと言ってもよいのですが、このギヨーム・ド・メルベケと一緒にギリシア語のテキストとアラビア語のテキストとを読み合わせて、ラテン語のテキスト、アリストテレスのラテン語訳を完成していったのがトマスの仕事の1つです。トマスが訳したのではなくて、ギヨーム・ド・メルベケが訳すのですが、トマスはそれに註釈を加えていくということがありました。」(今道)
  • Giovanni Papini 『Dante Vivo』(生けるダンテ)
    「『世の中が貧しいとき、世の中が苦しいとき、世の中が乱れているとき、精神の豊かさと、精神の平和と、精神の秩序を築き上げていくのが文化だ。プラトンを読め。ダンテを読め。二人ともそういう人であった』という言葉があります。私はこの言葉を肝に銘じて生きていこうと、その本を読んだときに思いました。」(今道)
  • キリスト教世界とイスラム教世界との関係
    「すでに12世紀の半ばにはコーランのラテン語訳も行われています。また、当然のことながら、イスラム世界の哲学者の作品はいくつも翻訳され、特にアリストテレスの多くの作品などは、直接ギリシア語で読めなかったヨーロッパ人たちが、アラビア語を通したラテン語訳で、つまり、いったんアラビア語に翻訳されていたものをもう一度ラテン語訳して読んでいたというような事情がありますので、その当時からきわめて密接な関係ができあがっていったことは、もはや否定できないと思います。」(樺山)
  • ダンテにおける「愛」
    「…この貴婦人への愛は、何も貴婦人を性的な対象として見ているという趣旨ではなく、むしろ貴婦人が持っている女性としての高貴さに対する尊敬、尊崇だと説明されてきました。そして、それは実は、決してダンテがこのときに急に思いついた事柄ではなくて、遡れば100年もしくは200年前、南西フランスで始まったトルバドゥールの詩人たちの表現における貴婦人への愛、あるいは女神への愛というような、いわば精神的な愛として表現されてきた言葉です。
    しかも、その清新体においてダンテたちは、貴婦人たちに対する愛情がどのように表現されるか以上に、自分の内面、自分が、相手の貴婦人だけではなく、むしろ神や世界、自然、人間といったものに対して抱いている愛をどのように表現するかという、その表現の仕方をめぐって、新しい清新体というスタイル、dolce stil nuovoが生まれたのだと考えられます。 」(樺山)

『神曲』の文体の美しさについて


(再生時間 19分59秒)

Per me si va nella citta dolente
われを過ぎ、ひとは嘆きの都市に   (地獄篇第3歌)

  • 地獄は絶望の府である
    「ダンテの「神曲」というと、何か生活から離れた遠いもののようにお思いになる方がいらっしゃるかもしれませんけれども、前にお話ししましたけれども、ダンテは地獄というのは“Lasciate ogne speranza”「ここにすべての望みを捨てていきなさい」と、“voi ch’intrate”「ここに入ろうとする人は」と、まさに地獄門に入るときには望みを持って行けないと言っているのですから、言い直してみると、絶望の府というのが地獄だということです。ですから、自分で望みを捨ててしまっても大変だし、それから大事なことは、人が絶望するようなことを言ったりしたりしてはならないということになります。それは人を地獄に突き落とすことになります。」(今道)
  • 1472年に出版されるまで、ダンテの「神曲」はどのように読まれたのか
    「もともと中世の多くの詩、韻文のほうの詩ですけれども、韻文は、口でとなえられる、口唱されるべきものでした。当時、ラテン語であれ、あるいはこのトスカーナ語、イタリア語であれ、文字を読める人はきわめて限られていました。でも、それを口で語ることによって、全部文法的にわからないまでも、音の長さ、短さ、あるいはその音がL、L、Cで続いていくというような語呂のよさという形で耳へ入っていくという、本来、韻文は口唱されるべきものだったのです。
    (中略) ですから、これが印刷されるまで、フィレンツェで刊行されるまでに150年ほどかかりますけれども、これはもちろん活版印刷術がなかったからなのですが、仮にあったとしても、この「神曲」が伝えられていくのはやはり口唱と通してだった、そちらのほうがはるかにウエートが大きかっただろうと思うのです。 」(樺山)
  • ダンテとボッカッチョ、芭蕉と蕪村
    「ダンテとボッカッチョの関係に非常に似ていることが日本でもありまして、芭蕉の「奥の細道」、蕪村と芭蕉とでは全く俳句の趣が違うのですが、蕪村は芭蕉を尊敬していましたので、全文を写して、蕪村がところどころに絵を書いています。これは、私がいま勤めている英知大学、尼崎にあるのですが、その近くに池田市というところがあって、そこに逸翁美術館という、小林一三の集められたものを展示している美術館がありますけれども、そこにありますし、そのほかにもあるのですが、確か蕪村はそれを3つぐらいやっているのです。ですから、写すうちに口でも覚えていくということもあったと思いますし、印刷がそれほど盛んではないときに、とにかくそうやって手で写す作業というのは、ダンテの時代からしたら300年ぐらいあとかと思いますが、そういう時代にもそういう人たちがいたということも、申し上げておきたいと思います。 」(今道)

フィレンツェにおけるプラトニズム/聴講者からの質問


(再生時間 23分35秒)

  • 1468年 マルシリオ・フィチーノ、プラトン全対話篇の翻訳完了
    「とにかく、マルシリオ・フィチーノという人がプラトンを全部翻訳します。そういう仕事は非常に偉大な仕事であって、皆がそれでプラトンを読めるようになってくるのですが、プラトンの考え方というのを、直接にダンテの「神曲」の中で「これがプラトニズムだ」というようなことはなかなか言いにくいことなのです。なぜかというと、ダンテの神学や哲学は、基本的にはトマス・アクィナスを受け継いでいて、そしてトマス・アクィナスは実際、アラビアのアリストテレス研究に従って深めていった人です。ですから、ダンテの「神曲」と直接に哲学的あるいは神学的に関わるのはアリストテレスのほうですが、またアリストテレスがプラトンの弟子でもあったということを見ますと、やはりどうしてもプラトニズムの大事さは、フィレンツェの15世紀からの文化にとって忘れてはならないことになります。」(今道)
  • 「理念」と「理想」はどう違うか
    「理念と理想の違いは、理念というのは人間がこしらえあげるというよりも、それに向かって一生懸命考えて、少しずつ迫っていく、考えが浄化していくようなものであって、どんな人も理念をそのままに捕まえることはできません。でも、この理念と理想の違いをはっきりと理解することは大事で、両方ともあこがれの対象だと思いますが、理念はこの世に絶対にないものです。
    (中略) プラトンはそういう絶対的な存在で、しかも人間のあこがれの究極に輝いているようなものを、哲学の世界に明瞭に表現し得た最初の人ではなかったかと思います。ですから、プラトニズムというと、現実を離れた観念主義とか、理想主義と言われますけれども、理想主義ではなくて理念主義なのです。 」(今道)
  • ただ生きることではなく、よく生きることが大事
    「「生きる力を学べ」と言うのでしたら、私は「ゴキブリに倣いなさい」と言っているのです。「ただ生きるのではなくて、よく生きることが大事だ」とプラトンは言っているのです。よく生きるためにはどうしたらよいかというと、理想を追求し、理想がわかってきたら、理念を考えるようにしろと。そうすると、一生のうちに「もうこれでいい」ということはない、無限の進歩というのが自分の中に、形として現れなくても、考えとして出てくるだろうと言っています。」(今道)

Q. ダンテの『神曲』に表れた文体、清新体はプロバンス、カタロニア等でもあったけれども、実際にどういう作品があるのか?

Q. ダンテの『神曲』をテーマとした絵画をもっと紹介してください。

Q. 当時の人々は『神曲』をどの程度読んでいただろうか。どのように評価していただろうか?

Q.ミケリーノのダンテ『神曲』の詩人が大聖堂に掲げられているけれども、そもそも『神曲』の中には地獄に落ちた教皇様のこともあるではないか。こんな問題のある表現も、大聖堂で大丈夫だったのか?

Q.ノスタルジーを『郷愁』と訳したのと同様、“La Divina Commedia”を『神曲』と訳したこともすばらしい。小学生の頃、神の曲、音楽なのだと思っていた頃が懐かしい。文字による音楽もあり得るのではないか?

Q.ダンテは『神曲』の中にキリスト教世界観を解釈していると同時に、中世を覆うキリスト教神学から脱却するために、1つの新しい時代の展望と場所としたと考えますが、いかがでしょうか?

Q.今道先生が生涯でお会いになった方の中で、知・情・意、冷静で、印象に残る方をお聞かせください。

コンテンツ名 ダンテフォーラム「フィレンツェ―至高の文化の誕生」(全3回)
収録日 2004年11月14日
講師 今道友信、樺山紘一、コーディネーター松田義幸
簡易プロフィール

講師:今道友信

(英知大学教授・東京大学名誉教授)

講師:樺山紘一

(国立西洋美術館長・東京大学名誉教授)

コーディネーター:松田義幸

(実践女子大学教授)

肩書などはコンテンツ収録時のものです

会場:東京都美術館講堂
主催:財団法人エンゼル財団・日本経済新聞社・東京都美術館
収録映像:著作権者 財団法人エンゼル財団
本コンテンツでは、2004年10月~12月、東京都美術館で開催された「フィレンツェ―芸術都市の誕生展」を記念して行なわれたダンテフォーラム「フィレンツェ―至高の文化の誕生」(全3回)の模様を配信しています。

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