至高の文化の誕生 近代のよみがえるダンテ(樺山紘一)
第3回 ダンテからロダンへ
講演 近代のよみがえるダンテ
国立西洋美術館長・東京大学名誉教授
樺山紘一
1.地獄のイメージはどのように生まれたか
(再生時間 15分12秒)
・時代の証言 ―雑録としても価値の高い『神曲』―
「この時代、14世紀の初めだけではなくてその前後、ほぼ12世紀から15世紀までのいわゆる中世の後半期、末期といわれる時代には、実はこのように固有名詞や事件がいろいろに書き記される、今風に言えば「雑録」とでもいえる書物、書き物がたくさん存在いたしました。雑録、miscellaneousと英語で言われるもので、雑録の雑というのはいかにもつたない表現であるかに思われますけれども、雑誌の「雑」でありまして、いろいろなことが書かれているという意味です。ダンテのこの「神曲」も、その意味では雑録でありまして、その時代に起こったいろいろな事件がいろいろな角度から表現されていまして、この「神曲」を通して当時の人々、当時のイタリア人が何を考え、どのように行動したかということをうかがうことができるという意味では、まさしく時代の証言でもあります。」
・当時のヨーロッパ人が持っていた地獄のイメージと大悪魔ルシフェル
「『神曲』でも、またその前後にさまざまに書かれた文字や図像を通しましても、この地獄の中で主役を成しているのは、ふつうルシフェルという、イタリア語でルチフェーロと言うことになりますが、ここではルシフェルと呼んでいきましょう。ルシフェルという大悪魔がいました。後ほど図像でごらんいただきますけれども、本当に怖そうな悪魔でありまして、口が大きく、ときには口が3つ付いていて、その3つの口はそれぞれ人間をくわえている。口が大きいものだからくわえられる人間は1人ではない。皆くわえていて、くわえられた人間は、手足をバタバタさせながら、このルシフェルに苛められている。口から落ちると、下には水があったり、血の池があったり、いろいろなところに落とされるという、言うならば地獄を司っている大悪魔ルシフェルというのがいました。一体そのルシフェルというのは、どこでどんなヒントから生み出されていったのだろうか。だれも見たことがないわけですから、当然何かとても怖いものについての人々の想像力がそこに結晶したのです。」
・地獄に落ちる病 ペストの大流行
「多くのヨーロッパ人たちを説得したのは、結局このペスト、今風に私たちはペスト菌などというように考えますが、当時ペスト菌という細菌が発見されたわけでありませんので、ペスト菌に相当するものがいた。死神でありました。この死神は、通常真っ黒の、洋服を着てと言っても洋服ではないのですが、真っ黒の肢体をして、胴体をして、大きな長い鎌を持っていました。牧草を刈るような、「大鎌」と言われますけれども、大鎌を持っていました。この大鎌で人間たちをけしかけ、殺し、死に追いやり、そして多くの人々を地獄へ押しやる、こういう死神というものが、想像力の中で登場してきました。
(中略) 地獄自体の中に死神がいるわけではないが、でも、人々を地獄に追いやり、また押しやる、そういう主体として死神を構想し、そして押しやられた人間は、そこで待ち受けるルシフェル、大悪魔によって迎えられるという、このような説明を加えることによって、自分たちを苦しめるペストのことを理解しようとしたのです。」
2.煉獄の誕生
(再生時間 10分6秒)
・煉獄は、それまでヨーロッパキリスト教の教義には存在しなかった
「長きにわたってヨーロッパのキリスト教会が構想し、教えてきたのは、人々の死後には地獄と天国があると。現世において多くの罪を犯した人間は皆地獄に行き、そこで苦しめられていく。天国に行くことのできる人もいるが、これはきわめてまれな人々だから、皆ほとんど地獄に行ってルシフェルに食われ、そして水の中へ血の中へ、針の山へ落とされるという、こういう死後のことを思い、その苦しみは現世の苦しみよりもはるかに大きいものだと想像し、また教えられてきました。
しかし、これではあまりに人々は救われないのではないかと考える人々が当然生まれてきました。地獄と天国の間に真ん中の、少しゆるやかな責め苦の世界がないだろうかと考える。どこにでもそういう知恵ある人がいるのです。 」
・ジャック・ル・ゴフ 『煉獄の誕生』
「当時のキリスト教会の聖職者たちが、神父さんたちが、信徒たちに「死んだあとは皆地獄だぞ」と説明して、ほとんどの人が天国に行けないとしたら、これでは皆も怖くて怖くて教会に行けない。たぶん現場の聖職者、司祭たちが、現場のキリスト教徒、信徒たちに立ち向かいながら、「でも、君たち、日常の行いをちゃんとして、しかも死んだあともし別の所に行ったとしても、まだまだその罪をぬぐい落としていけば、必ず最後の審判で再臨したイエス・キリストはあなたを救ってくれるはずだ」と、そういう説明を必要としたはずだ。
そのために実は、ちょうどこの煉獄というものが発想された頃、聖職者たちが信徒たちに説明するための、言うなれば説明マニュアルというものが発明されました。 」
・煉獄はシチリアにある?
「13世紀頃、ちょうどダンテが生まれた頃に、この話は少しずつ具体化していきまして、だれがそう言ったのかはわからないのですが、煉獄はシチリアにあるとか、煉獄はアイルランドにあるとか、何か非常に無責任な話ですが、そういう書き物をする人々が現れてきました。
シチリアにあるというのは、実はシチリアにあるエトナ火山という火山があります。古代以来ずっと噴火を続けている火山でありまして、最近でもエトナ火山が噴火しまして麓にあるカターニアに灰が降ったり、溶岩が流れたりして被害が続いています。そんなエトナ火山にあるというものだから、見に行った人がいる。そして、本当にこれは記録に残っていまして、エトナ火山にあると言って、エトナ火山を登っていきます。溶岩が冷えて固まったような所を上がっていって、そこで本当に煉獄からいま出て来た人に会ったと。ここがミソで自分が見たとは書いてないのですが、いま煉獄から出てきた人に会ったと。 」
3.天国のイメージ / 4.十九世紀 ダンテ・ルネッサンス
(再生時間 16分23秒)
・天国を具体的に説明しようとする動きと千年王国説
「千年王国とは、私たちが死後、多くの場合煉獄へ、場合によっては天国か地獄へ行くとして、しかし最終的にはそこにイエス・キリストが再臨、再び現れ、そして最後に人間たちを最後の審判、最終審判することで全人類の、そして宇宙の歴史は終わる、こう書かれています。けれどもイエス・キリストが再臨、再び現れて、そして「君は地獄でよい」のだと。「君は煉獄だ」「君は天国だ」と、その最後の審判をしたあと、なお千年間、世界の終末、人類の終末には千年間の猶予があると。これは千年であれ800年であれよいのですが、象徴的な数字として千年間あると。もしイエス・キリストが人類に対して憐れみを施し、またそこに至った人間たちが自分たちの罪を償い、そして善きもの善いものを実現しようという、この希望、期待が実現するならば、イエス・キリストが再臨した後に千年間は人間たちは希望と安全に満ちた世界に生きていくことができるはずだと。
また、そのような千年の王国が生まれてくるために人々は戦わなければならないとも考える。千年の王国が実現するために、悪しきものたちと戦わなければならないという議論も、またじっと待っていれば来るという議論も含めて、千年王国に対するいろいろな種類の期待、希望、願望が生まれてきました。」
・19世紀ロマン派の詩人たちによるダンテの読み返し -「永遠の女性」-
「永遠の女性というものの中に、人間が生きていくある種の活力を見出すことができるのだという発想は、一貫してダンテの中に流れ、また受け継がれてきたとはいえ、とりわけ19世紀の初め、いわゆるロマン派の作家たち詩人たちあいだで新しく組み直されるようになってきました。
永遠の女性、しかしその永遠の女性は、女性が永遠であるだけではなくて、詩人たち、作家たち、そして人間全体を、個人個人を皆刺激し、人間の心の中の愛を生み出していくための、そういう女性というものがあるのだという、こんな考え方がロマン派の作家たちに現れてきます。ロマン派の作家たちは、一方ではいわゆる運命の女、ファム・ファタールという、はなはだしく男たちを堕落させ、男たちを誤らせる女性がいると考えた。その片方で、しかしそれとは違う、人間の心の中に愛を灯してくれるような永遠の女性もいるのだと。この運命の女性と永遠の女性と、この2つを生み出し、その手がかりとしてダンテのベアトリーチェを語り続けることになりました。 」
・幻視への関心
「ロマン派の作家たちにとって「神曲」は、現実にダンテが見たわけではない、でもダンテがウェルギリウスとベアトリーチェとを導きとして、3つの世界を見ていくあいだに自分が発見したものであり、それは言うならばダンテにとっては幻視、幻を視たのだと。同じような幻を、近代人もそれぞれのやり方でできるはずだと考えた。だから、ダンテを読んだ人々、またダンテを表現した人々は、この世界を、地獄も煉獄もそして天国も幻、つまり幻視の対象として説明しようとし始めました。これは19世紀の近代人以降の人々のきわめて特徴的な発想だと思います。」
・そもそも人間の世界になぜ悪があり罪があるのか。
「人間はできるべくは善意でありたい。しかし、悪を通してこそ、人間の本質を描き出すことができると、詩人たち、作家たちは考え始めました。ですから、19世紀以降の近代文学の多くは善意よりはむしろ悪を主題としました。
悪を主題とすることによって、何も人々は「さあ、皆で悪をやろう。罪をやろう」と言ったわけではない、そうではなくて悪や罪を分析することによって初めて、人間の本来のあり方というものがわかってくるはずだと人々は考えた。そしてはたと気がついてみると、文字通り「神曲」は罪や悪のオンパレードです。どんな悪が人間の存在に関わっているのかということを一つひとつ解き明かす手段として、この「神曲」は文字通りロマン派の人々のバイブルになっていきました。」
コンテンツ名 | ダンテフォーラム「フィレンツェ―至高の文化の誕生」(全3回) |
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収録日 | 2004年12月5日 |
講師 | 樺山紘一 |
簡易プロフィール | 講師:樺山紘一(国立西洋美術館長・東京大学名誉教授) 肩書などはコンテンツ収録時のものです |
会場:東京都美術館講堂 |
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