現代への挑戦の書『神学大全』-みんなのためのトマス・アクィナス-
トマス・アクィナス『神学大全』全巻の邦訳事業が完成したことを記念する特別フォーラムの模様。
第1幕 半世紀を超えた翻訳大事業
1.ドキュメンタリー作品「学問と出版」
学問と出版
トマス・アクィナス『神学大全』全訳の歩み
作品概要:
ヨーロッパ中世神学の大著、トマス・アクィナスの『神学大全』の翻訳に挑戦し、半世紀を費やして日本語への完訳を達成した哲学者たちと出版者の記録。
「西洋中世は知の暗黒時代」という誤解をただすために、戦後の京都で開始された学術翻訳のプロジェクト。翻訳作業は、研究者たちの予想を大きく裏切り、数々の困難に直面した。
2012年、第1巻の刊行から53年を経て最終巻が刊行され、2013年3月、新しい法王が誕生したばかりのヴァチカン法王庁図書館に全巻が受領された。
ドキュメンタリーでは、稲垣良典九州大学名誉教授への取材を軸に、翻訳に携わったドメニコ会の修道士や京都大学の哲学者たちの奮闘をふりかえるとともに、全45巻にもわたる学術翻訳書の出版を引き受けた、気骨の出版人・久保井理津男の仕事を紹介する。
ディレクター:熊倉次郎(リベラルアーツ総合研究所)
制作:一般財団法人森永エンゼル財団
2.偉業の出版人・久保井理津男翁
新田満夫 雄松堂書店会長
- 久保井理津男と創文社に敬意を表する
- トマス・アクィナス『神学大全』全巻翻訳の偉業
- 売れない本でも世に出せ/出版人の気骨と責任感について
3.稀覯書『神学大全』の価値について
籠田奉昭 日本ビブリオフィル協会会員
- 稀覯書の価値とはなにか
- 知的財産としての価値について
- 研究対象としての価値について
- ものとしての価値について
- 『神学大全』の稀覯書の市場的価値について
4.贈呈式|創文社版邦訳全巻をローマ法王庁図書館へ贈呈
挨拶:久保井浩俊 創文社代表取締役
5.贈呈式にあたって
ヘルヴォイエ・シュクルレッツ ローマ法王庁一等書記官
第2幕 みんなのためのトマス・アクィナス
1.私にとってのトマス・アクィナス
講師:渡部昇一 上智大学名誉教授
- 学生時代、トマス哲学との出会い
- ジルソンも絶賛したチェスタトン著『トマス・アクィナス伝』
- プラトンとアリストテレスはどう違うか
- 「トマス・アクィナスはアリストテレスに洗礼を施した」
- アウグスティヌス派とトマス・アクィナス派
- 戦場を体験するとカトリックに改宗する人が増える
- グレート・ブックスにおいても重要なトマスとアリストテレス
2.Great Booksにおけるトマスの位置づけ
講師:渡部昇一 上智大学名誉教授
- 米国で1940年代以降ブームとなったグレート・ブックス運動
- グレート・ブックスの索引書「シントピコン」のすごさ
- ブームはなぜ続かなかったか
- グレート・ブックスの中心人物・アドラーについて
- グレート・ブックスの根幹はトマス・アクィナスとアリストテレス
- 自然科学を生んだ文明と生まなかった文明
- 西洋思想の根幹はアリストテレス以来の自然科学
3.ダイアローグ|みんなのためのトマス・アクィナス
司会:松田義幸 尚美学園大学学長/片山 寛 西南学院大学教授
- 日本における余暇研究の歩みとグレート・ブックス
- Adler-Aquinas Institute(米国)について
- TIME誌の表紙になった頃のモーティマ・J・アドラーについて
- グレート・ブックスの索引・シントピコンは現代の神学大全
- グレート・ブックスに「トマス・アクィナス」が2冊含まれる理由
- 第2次世界大戦後の米国とグレート・ブックス運動
- プラトンとアリストテレスの思想の違いについて
- ヨゼフ・ピーパーの余暇論について
- 余暇は余りの時間ではなく人間にとって大切な時間
第3幕 現代への挑戦の書『神学大全』
1.なぜ現代への挑戦の書なのか
講師:稲垣良典 九州大学名誉教授
- 『神学大全』を一冊の書物として読む
- 『神学大全』の第3部を翻訳して気づいたこと
- トマスは『神学大全』で何を伝えたかったのか
- 人間は生まれながらに知ることを欲している(アリストテレス)
- 知の探究と人間の幸福について
- 好奇心と野心について
- 信仰を共有しないひとにも知の探究は開かれている
2.人間の生き方に対して―究極の幸福への道
講師:稲垣良典 九州大学名誉教授
- イエスは幸福なひとだったか
- トマス・アクィナスが考えていた幸福のありかた
- 神の本性にあずかるということが人間の幸福である
- アリストテレスの幸福論とトマス・アクィナスの幸福論の違い
- 不完全な幸福と完全な幸福
- 「神をみる」ということはどういうことか
- 地上の徳目「正義・思慮・節制・剛毅」と
- 天上の徳目「信仰・希望・愛」
- 人間の限界を超えたところにあるものへの憧れ
3.ダイアローグ|現代への挑戦の書『神学大全』
- 幸福概念の一般化と達成方法をめぐる思想史
- 幸福を追求する権利、人権を基礎づけるものは何に由来するか
- 人権を基礎づけるものは自然法である(ジャック・マリタン)
- 自然法を大胆に位置づけた日本国憲法の前文
- 信仰とは何か/信仰は特権ではない
- 信仰は感情的なものか
- 自然法が現代であまり議論されない理由
- 自然法と自然法則はどう違うか
4.社会の在り方に対して―政治哲学の中心概念『共通善』
講師:稲垣良典 九州大学名誉教授
- トマスの社会思想とアリストテレスの社会思想の違い
- 人格と社会性は一体のものである
- ロールズが言うように「人間は利己的な存在」か
- 「他者と共有できる善いもの」を追い求めるのが人間の本性
- 人格の完成と共通善の追求は一体のもの
- お金の理想的な使いかたについて
- 知識はみんなで共有するもので財産ではない
- 共通善(common good)が人格の目的であり、社会の根本である
- 国家観をめぐるトマスとアウグスティヌスの違い
- 国家もまた人間の社会的な本性にもとづいている
- トマスの自然法についての考えはキケロの思想に近い
- 神への愛と共通善の追求は連続的につながっている
- 共通善を大事にすることが正義である
5.質疑応答
- 『神学大全』が第2巻の第2部から刊行されたのはなぜか
- トマスはドメニコ会から当時どのように評価されていたのか
第4幕 まとめ『神学大全』全巻完訳を祝う
渡部昇一 上智大学名誉教授
- 『神学大全』の全巻翻訳・出版を成し遂げた人々に感謝
- 大きな翻訳事業や全集の翻訳が文化のレベルを高めていく
- 中世が暗黒の時代と呼ばれた理由
- 中世は文化の創造力にみちていた
本企画の意図
- 「岩下壮一神父は、1932年出版の『新スコラ哲学』の中で、トマスが『神学大全』を、特殊的現象や事実の説明に関してはアリストテレスをよりどころに、全体的世界理解においてはプラトンと、新プラトン哲学をよりどころにしていると記している。これは当時の日本のトマス研究としては卓見である」(稲垣先生の人類の知的遺産『トマス・アクィナス』講談社1979)
- 日本の西洋哲学の教養教育は、まずプラトン、アリストテレスの著作に力点を置いて始まるが、この二人の著作とトマスの著作を関連付けたスコラ哲学を詳しく扱うことは少ない。そうした中にあって、第2次世界大戦後、プラトン、アリストテレスに精通し、中世スコラ哲学を研究していた高田三郎博士が、創文社の久保井理津男社長と組み、トマスの『神学大全』の翻訳と研究のプロジェクトをスタートさせたのである。このプロジェクトは次に山田晶博士、稲垣良典博士に引き継がれ、半世紀を越えて、このたび全巻完訳を終えたのである。
- シカゴ大学のR.M.ハッチンスとM.J.アドラーが中心になって1927年から取り組んだリベラル・アーツ教育のための西洋教養古典のGreat Booksプロジェクトでは、とくにプラトンとアリストテレスとトマス・アクィナスを重視している。このGreat Booksプロジェクトから、政・財・官のリーダーのためのアメリカ・コロラド州のアスペン・セミナーが始まり、現在、日本でもアスペン研究所が設立され、セミナー活動が行われている。R.M.ハッチンスは、このGreat Books学習は、民主政治のクオリティを担保する国民一人ひとりの生涯にわたる大切な課題であり、学校だけでなく、社会全体が学習支援をするべきだということで、1968年に生涯学習社会(Learning Society)づくりを提案したのである。この流れに沿って、OECDは働くことと、学ぶことと、レジャーを楽しむことを生涯にわたって柔軟に選択できるリカレント教育プロジェクトを推進し、ユネスコは21世紀の教育目標を人間らしく生きることとを学ぶLearning to beにおいたのである。
- 日本では、1972年に、労働時間の短縮、自由時間の増大の時代に向けて、通産省(現・経済産業省)が余暇開発センターを設立し、「物の豊かさから心の豊かさ重視・追求の時代」に備える環境づくりの政策研究プロジェクトを推進したのである。その時の政策理念づくりにドイツ・ミュンスター大学の哲学者であるヨゼフ・ピーパーが物の豊かさを求めてワーカホリックの世俗主義、人間中心主義に陥らないようにするために著した『文化の基礎としてのレジャー』を参考にするようにというアドバイスを、土居健郎先生、渡部昇一先生、稲垣良典先生、村上陽一郎先生からいただいた。幸いなことにヨゼフ・ピーパー先生にも政策理念づくりになんども協力していただき、プラトン、アリストテレス、そしてトマスの幸福論、祝祭論の大切さについて学ぶことができた。また、Great BooksプロジェクトのリーダーのM.J.アドラー先生からも、教養古典の学習支援の理念と方法について直接指導を受けることができた。
- 日本の学校教育で、トマス・アクィナス『神学大全』、ダンテ『神曲』など、著者と著書の関係については学ぶが、一般には近寄りがたい古典と思われている。しかし、キリスト教文化圏では、『みんなのための教養古典』である。Great BooksプロジェクトのM.J.アドラーの著書に『みんなのためのアリストテレス(Aristotle for Everybody)』という優れた入門書がある。稲垣先生が『神学大全』全巻完訳に合わせて出版された『トマス・アクィナス<神学大全>』(講談社2009)は、専門家、研究者のための著作ではなく、まさに「みんなのためのトマス・アクィナス」という教養入門書である。
- 稲垣先生のこの「みんなのためのトマス・アクィナス」を手引き書にして、信仰と理性が同じ目標を目指して合流し、総合・統一されていた西洋中世の世界遺産を訪れてみると、人間中心主義的な価値としての快楽と物質的豊かさを求める世俗生活から自由になり、聖なる祝祭の中で、人間にとっての究極の幸福は、憩いであり、悦びであることを実感できる。
- 以上、このたびのフォーラムは、稲垣先生と渡部先生を中心に『みんなのためのトマス・アクィナス』と題して、ダイアローグを楽しんでもらいたいと願って企画したものである。
松田義幸 (尚美学園大学学長・森永エンゼル財団理事)
より深く学ぶために ―参考図書―
今回の企画に関連する稲垣先生のご著書をご紹介します。
参考書
1.『トマス・アクィナス<神学大全>』講談社選書メチエ2009
2.『人間文化基礎論』長崎純心大学学術叢書/九州大学出版会2003
3.『問題としての神―経験・存在・神―』長崎純心レクチャーズ/創文社2002
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