源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第21回 「空蝉」より その1

空蝉の弟の小君を遣いに、思いをあきらめられぬ源氏が、空蝉に逢いに行く。空蝉とその継娘の軒端荻が碁をうつ場面を垣間見ており二人の描写が綴られている。

寝られ給はぬまゝには、(源氏)「われはかく人に憎まれても慣らはぬを、

 寝られたまはぬままには、「我は、かく人に憎まれてもならはぬを、今宵なむ、初めて憂しと世を思ひ知りぬれば、恥づかしくて、ながらふまじうこそ、思ひなりぬれ」などのたまへば、涙をさへこぼして臥したり。いとらうたしと思す。手さぐりの、細く小さきほど、髪のいと長からざりしけはひのさまかよひたるも、思ひなしにやあはれなり。あながちにかかづらひたどり寄らむも、人悪ろかるべく、まめやかにめざましと思し明かしつつ、例のやうにものたまひまつはさず。夜深う出でたまへば、この子は、いといとほしく、さうざうしと思ふ。

女も、「なみなみならずかたはらいたし」と思ふに、

 女も、並々ならずかたはらいたしと思ふに、御消息も絶えてなし。思し懲りにけると思ふにも、「やがてつれなくて止みたまひなましかば憂からまし。しひていとほしき御振る舞ひの絶えざらむもうたてあるべし。よきほどに、かくて閉ぢめてむ」と思ふものから、ただならず、ながめがちなり。
 君は、心づきなしと思しながら、かくてはえ止むまじう御心にかかり、人悪ろく思ほしわびて、小君に、「いとつらうも、うれたうもおぼゆるに、しひて思ひ返せど、心にしも従はず苦しきを。さりぬべきをり見て、対面すべくたばかれ」とのたまひわたれば、わづらはしけれど、かかる方にても、のたまひまつはすは、うれしうおぼえけり。

幼きこゝちに、「いかならむ折り」と、待ちわたるに、

 幼き心地に、いかならむ折と待ちわたるに、紀伊守国に下りなどして、女どちのどやかなる夕闇の道たどたどしげなる紛れに、わが車にて率てたてまつる。

 この子も幼きを、いかならむと思せど、さのみもえ思しのどむまじければ、さりげなき姿にて、門など鎖さぬ先にと、急ぎおはす。
 人見ぬ方より引き入れて、降ろしたてまつる。童なれば、宿直人などもことに見入れ追従せず、心やすし。

ひんがしの妻戸に立て奉りて、われは南のすみのまより、

 東の妻戸に、立てたてまつりて、我は南の隅の間より、格子叩きののしりて入りぬ。御達、

 「あらはなり」と言ふなり。

 「なぞ、かう暑きに、この格子は下ろされたる」と問へば、

 「昼より、西の御方の渡らせたまひて、碁打たせたまふ」と言ふ。

 さて向かひゐたらむを見ばや、と思ひて、やをら歩み出でて、簾のはさまに入りたまひぬ。
 この入りつる格子はまだ鎖さねば、隙見ゆるに、寄りて西ざまに見通したまへば、この際に立てたる屏風、端の方おし畳まれたるに、紛るべき几帳なども、暑ければにや、うち掛けて、いとよく見入れらる。

燈、近うともしたり。

 火近う灯したり。母屋の中柱に側める人やわが心かくると、まづ目とどめたまへば、濃き綾の単衣襲なめり。何にかあらむ表に着て、頭つき細やかに小さき人の、ものげなき姿ぞしたる。顔などは、差し向かひたらむ人などにも、わざと見ゆまじうもてなしたり。手つき痩せ痩せにて、いたうひき隠しためり。
 いま一人は、東向きにて、残るところなく見ゆ。白き羅の単衣襲、二藍の小袿だつもの、ないがしろに着なして、紅の腰ひき結へる際まで胸あらはに、ばうぞくなるもてなしなり。いと白うをかしげに、つぶつぶと肥えて、そぞろかなる人の、頭つき額つきものあざやかに、まみ口つき、いと愛敬づき、はなやかなる容貌なり。

髪はいとふさやかにて、長くはあらねど、

髪はいとふさやかにて、長くはあらねど、下り端、肩のほどきよげに、すべていとねぢけたるところなく、をかしげなる人と見えたり。

 むべこそ親の世になくは思ふらめと、をかしく見たまふ。心地ぞ、なほ静かなる気を添へばやと、ふと見ゆる。かどなきにはあるまじ。碁打ち果てて、結さすわたり、心とげに見えて、きはぎはとさうどけば、奥の人はいと静かにのどとめて、

 「待ちたまへや。そこは持にこそあらめ。このわたりの劫をこそ」など言へど、
 「いで、このたびは負けにけり。隅のところ、いでいで」と指をかがめて、「十、二十、三十、四十」などかぞふるさま、伊予の湯桁もたどたどしかるまじう見ゆ。すこし品おくれたり。

たとしへなく口おほひて、さやかにも見せねど、

 たとしへなく口おほひて、さやかにも見せねど、目をしつけたまへれば、おのづから側目も見ゆ。目すこし腫れたる心地して、鼻などもあざやかなるところなうねびれて、にほはしきところも見えず。言ひ立つれば、悪ろきによれる容貌をいといたうもてつけて、このまされる人よりは心あらむと、目とどめつべきさましたり。

にぎはゝしう、あいぎやうづき、をかしげなるを、

 にぎははしう愛敬づきをかしげなるを、いよいよほこりかにうちとけて、笑ひなどそぼるれば、にほひ多く見えて、さる方にいとをかしき人ざまなり。あはつけしとは思しながら、まめならぬ御心は、これもえ思し放つまじかりけり。

見給ふ限りの人は、うちとけたるよなく、

 見たまふかぎりの人は、うちとけたる世なく、ひきつくろひ側めたるうはべをのみこそ見たまへ、かくうちとけたる人のありさまかいま見などは、まだしたまはざりつることなれば、何心もなうさやかなるはいとほしながら、久しう見たまはまほしきに、小君出で来る心地すれば、やをら出でたまひぬ。

わたどのの戸ぐちに寄りゐ給へり。

 渡殿の戸口に寄りゐたまへり。いとかたじけなしと思ひて、

 「例ならぬ人はべりて、え近うも寄りはべらず」

 「さて、今宵もや帰してむとする。いとあさましう、からうこそあべけれ」とのたまへば、

 「などてか。あなたに帰りはべりなば、たばかりはべりなむ」と聞こゆ。

 「さもなびかしつべき気色にこそはあらめ。童なれど、ものの心ばへ、人の気色見つべくしづまれるを」と、思すなりけり。

碁うちはてつるにやあらむ、うちそよめくこゝちして、

 碁打ち果てつるにやあらむ、うちそよめく心地して、人びとあかるるけはひなどすなり。

 「若君はいづくにおはしますならむ。この御格子は鎖してむ」とて、鳴らすなり。
 「静まりぬなり。入りて、さらば、たばかれ」とのたまふ。

この子も、「妹の御心は、たわむ所なく、

 この子も、いもうとの御心はたわむところなくまめだちたれば、言ひあはせむ方なくて、人少なならむ折に入れたてまつらむと思ふなりけり。

 「紀伊守の妹もこなたにあるか。我にかいま見せさせよ」とのたまへど、

 「いかでか、さははべらむ。格子には几帳添へてはべり」と聞こゆ。

 さかし、されどもをかしく思せど、「見つとは知らせじ、いとほし」と思して、夜更くることの心もとなさをのたまふ。

こたみは妻戸をたゝきて入る。みな人々しづまり寝にけり。

 こたみは妻戸を叩きて入る。皆人びと静まり寝にけり。

 「この障子口に、まろは寝たらむ。風吹きとほせ」とて、畳広げて臥す。御達、東の廂にいとあまた寝たるべし。戸放ちつる童もそなたに入りて臥しぬれば、とばかり空寝して、灯明かき方に屏風を広げて、影ほのかなるに、やをら入れたてまつる。

 「いかにぞ、をこがましきこともこそ」と思すに、いとつつましけれど、導くままに、母屋の几帳の帷子引き上げて、いとやをら入りたまふとすれど、皆静まれる夜の、御衣のけはひやはらかなるしも、いとしるかりけり。

女はさこそ忘れ給ふを嬉しきに思ひなせど、

 女は、さこそ忘れたまふをうれしきに思ひなせど、あやしく夢のやうなることを、心に離るる折なきころにて、心とけたる寝だに寝られずなむ、昼はながめ、夜は寝覚めがちなれば、春ならぬ木の芽も、いとなく嘆かしきに、碁打ちつる君、「今宵は、こなたに」と、今めかしくうち語らひて、寝にけり。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第21回 「空蝉」より その1
収録日 2002年9月19日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成14年秋期講座

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