第121回 「真木柱」より その1
髭黒の大将は非常に喜んでいるが、玉葛の姫君は反対の気持ちで耐えている。大臣(源氏)も残念だと思っている。神事の多い十一月、女官や内司が尚侍の長官(玉葛)の決裁を仰ぐために繁々と出入りする。髭黒の大将は玉葛を迎えるための整いを改めている。講義の途中で折口信夫の源氏物語、民俗学について、解説。
講師:岡野弘彦
- 目次
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- 「内裏に聞こし召さむこともかしこし。しばし人にあまねく漏らさじ」と
- 玉葛について ― 折口信夫博士の講義から ―
- 大臣も、「心ゆかず口惜し」と思せど、いふかひなきことにて、
- いつしかと、わが殿に渡いたてまつらむことを思ひいそぎたまへど、
- 父大臣は、「なかなかめやすかめり。
- 霜月になりぬ。神事などしげく、内侍所にもこと多かるころにて、
- 女は、わららかににぎははしくもてなしたまふ本性も、もて隠して、
- 大将のおはせぬ昼つ方渡りたまへり。
- 女性の「成年戒」について ― 折口先生の民俗学 ―
- 「心幼なの御消えどころや。さても、かの瀬は避き道なかなるを、
- 内裏へ参りたまはむことを、やすからぬことに大将思せど、
- 北の方の思し嘆くらむ御心も知りたまはず、かなしうしたまひし君達をも、
- 式部卿宮聞こし召して、「今は、しか今めかしき人を渡して、
「内裏に聞こし召さむこともかしこし。しばし人にあまねく漏らさじ」と
真木柱
「内裏に聞こし召さむこともかしこし。しばし人にあまねく漏らさじ」と諌めきこえたまへど、さしもえつつみあへたまはず。ほど経れど、いささかうちとけたる御けしきもなく、「思はずに憂き宿世なりけり」と、思ひ入りたまへるさまのたゆみなきを、「いみじうつらし」と思へど、おぼろけならぬ契りのほど、あはれにうれしく思ふ。
見るままにめでたく、思ふさまなる御容貌、ありさまを、「よそのものに見果ててやみなましよ」と思ふだに胸つぶれて、石山の仏をも、弁の御許をも、並べて預かまほしう思へど、女君の、深くものしと疎みにければ、え交じらはで籠もりゐにけり。
げに、そこら心苦しげなることどもを、とりどりに見しかど、心浅き人のためにぞ、寺の験も現はれける。
玉葛について ― 折口信夫博士の講義から ―
・玉葛の運命は女性版の貴種流離譚
・折口博士による、夕顔から玉葛にいたる「あらすじ」解説
・夕顔にとりついた悪霊/昔の人は古いものには怨霊がつくと考えた
・夕顔へのつぐないに悩む光源氏
・玉葛と光源氏/プライドの高さが、「いろごのみ」に響く女性の条件
・優れた女性の存在をめぐる政治上のかけ引き/平安時代の読者の常識
・折口博士の推理/髭黒(ひげぐろ)と内大臣との密約
大臣も、「心ゆかず口惜し」と思せど、いふかひなきことにて、
大臣も、「心ゆかず口惜し」と思せど、いふかひなきことにて、「誰れも誰れもかく許しそめたまへることなれば、引き返し許さぬけしきを見せむも、人のためいとほしう、あいなし」と思して、儀式いと二なくもてかしづきたまふ。
いつしかと、わが殿に渡いたてまつらむことを思ひいそぎたまへど、
いつしかと、わが殿に渡いたてまつらむことを思ひいそぎたまへど、軽々しくふとうちとけ渡りたまはむに、かしこに待ち取りて、よくも思ふまじき人のものしたまふなるが、いとほしさにことづけたまひて、
「なほ、心のどかに、なだらかなるさまにて、音なく、いづ方にも、人のそしり恨みなかるべくをもてなしたまへ」
とぞ聞こえたまふ。
父大臣は、「なかなかめやすかめり。
父大臣は、
「なかなかめやすかめり。ことにこまかなる後見なき人の、なまほの好いたる宮仕へに出で立ちて、苦しげにやあらむとぞ、うしろめたかりし。心ざしはありながら、女御かくてものしたまふをおきて、いかがもてなさまし」
など、忍びてのたまひけり。げに、帝と聞こゆとも、人に思し落とし、はかなきほどに見えたてまつりたまひて、ものものしくももてなしたまはずは、あはつけきやうにもあべかりけり。
三日の夜の御消息ども、聞こえ交はしたまひけるけしきを伝へ聞きたまひてなむ、この大臣の君の御心を、「あはれにかたじけなく、ありがたし」とは思ひきこえたまひける。
かう忍びたまふ御仲らひのことなれど、おのづから、人のをかしきことに語り伝へつつ、次々に聞き洩らしつつ、ありがたき世語りにぞささめきける。内裏にも聞こし召してけり。
「口惜しう、宿世異なりける人なれど、さ思しし本意もあるを。宮仕へなど、かけかけしき筋ならばこそは、思ひ絶えたまはめ」
などのたまはせけり。
霜月になりぬ。神事などしげく、内侍所にもこと多かるころにて、
霜月になりぬ。神事などしげく、内侍所にもこと多かるころにて、女官ども、内侍ども参りつつ、今めかしう人騒がしきに、大将殿、昼もいと隠ろへたるさまにもてなして、籠もりおはするを、いと心づきなく、尚侍の君は思したり。
宮などは、まいていみじう口惜しと思す。兵衛督は、妹の北の方の御ことをさへ、人笑へに思ひ嘆きて、とり重ねもの思ほしけれど、「をこがましう、恨み寄りても、今はかひなし」と思ひ返す。
大将は、名に立てるまめ人の、年ごろいささか乱れたるふるまひなくて過ぐしたまへる、名残なく心ゆきて、あらざりしさまに好ましう、宵暁のうち忍びたまへる出で入りも、艶にしなしたまへるを、をかしと人びと見たてまつる。
女は、わららかににぎははしくもてなしたまふ本性も、もて隠して、
女は、わららかににぎははしくもてなしたまふ本性も、もて隠して、いといたう思ひ結ぼほれ、心もてあらぬさまはしるきことなれど、「大臣の思すらむこと、宮の御心ざまの、心深う、情け情けしうおはせし」などを思ひ出でたまふに、「恥づかしう、口惜しう」のみ思ほすに、もの心づきなき御けしき絶えず。
殿も、いとほしう人びとも思ひ疑ひける筋を、心きよくあらはしたまひて、「わが心ながら、うちつけにねぢけたることは好まずかし」と、昔よりのことも思し出でて、紫の上にも、
「思し疑ひたりしよ」
など聞こえたまふ。「今さらに人の心癖もこそ」と思しながら、ものの苦しう思されし時、「さてもや」と、思し寄りたまひしことなれば、なほ思しも絶えず。
大将のおはせぬ昼つ方渡りたまへり。
大将のおはせぬ昼つ方渡りたまへり。女君、あやしう悩ましげにのみもてないたまひて、すくよかなる折もなくしをれたまへるを、かくて渡りたまへれば、すこし起き上がりたまひて、御几帳にはた隠れておはす。
殿も、用意ことに、すこしけけしきさまにもてないたまひて、おほかたのことどもなど聞こえたまふ。すくよかなる世の常の人にならひては、まして言ふ方なき御けはひありさまを見知りたまふにも、思ひのほかなる身の、置きどころなく恥づかしきにも、涙ぞこぼれける。
やうやう、こまやかなる御物語になりて、近き御脇息に寄りかかりて、すこしのぞきつつ、聞こえたまふ。いとをかしげに面痩せたまへるさまの、見まほしう、らうたいことの添ひたまへるにつけても、「よそに見放つも、あまりなる心のすさびぞかし」と口惜し。
「おりたちて汲みは見ねども渡り川
人の瀬とはた契らざりしを
思ひのほかなりや」
とて、鼻うちかみたまふけはひ、なつかしうあはれなり。
女は顔を隠して、
「みつせ川渡らぬさきにいかでなほ
涙の澪の泡と消えなむ」
女性の「成年戒」について ― 折口先生の民俗学 ―
・「みつせ川」を「三途の川」と混同するのはおかしい。
・「成年戒」/古代の結婚習俗について
・古代における仲人(なこうど)の存在の大きさ
・「心意伝承」の民俗学/聖なる女性の力の根源を問い続けた折口信夫
・光源氏と玉葛とのやりとりに隠されている古代の結婚習俗
・「柳田国男・折口信夫」後の日本の民俗学に対する谷川健一氏の評価
・折口没後に柳田先生が寄せた追悼文のこと/「孤独で苦しい旅を短歌に凝縮させた」
・柳田先生と折口先生/方法論は違っていても、民俗学の究極の目標は同じだった
・古代の女性は聖なる「早乙女(さおとめ)」の資格を得るために山籠りの修行をした
「心幼なの御消えどころや。さても、かの瀬は避き道なかなるを、
「心幼なの御消えどころや。さても、かの瀬は避き道なかなるを、御手の先ばかりは、引き助けきこえてむや」
と、ほほ笑みたまひて、
「まめやかには、思し知ることもあらむかし。世になき痴れ痴れしさも、またうしろやすさも、この世にたぐひなきほどを、さりともとなむ、頼もしき」
と聞こえたまふを、いとわりなう、聞き苦しと思いたれば、いとほしうて、のたまひ紛らはしつつ、
「内裏にのたまはすることなむいとほしきを、なほ、あからさまに参らせたてまつらむ。おのがものと領じ果てては、さやうの御交じらひもかたげなめる世なめり。思ひそめきこえし心は違ふさまなめれど、二条の大臣は、心ゆきたまふなれば、心やすくなむ」
など、こまかに聞こえたまふ。あはれにも恥づかしくも聞きたまふこと多かれど、ただ涙にまつはれておはす。いとかう思したるさまの心苦しければ、思すさまにも乱れたまはず、ただ、あるべきやう、御心づかひを教へきこえたまふ。かしこに渡りたまはむことを、とみにも許しきこえたまふまじき御けしきなり。
内裏へ参りたまはむことを、やすからぬことに大将思せど、
内裏へ参りたまはむことを、やすからぬことに大将思せど、そのついでにや、まかでさせたてまつらむの御心つきたまひて、ただあからさまのほどを許しきこえたまふ。かく忍び隠ろへたまふ御ふるまひも、ならひたまはぬ心地に苦しければ、わが殿のうち修理ししつらひて、年ごろは荒らし埋もれ、うち捨てたまへりつる御しつらひ、よろづの儀式を改めいそぎたまふ。
北の方の思し嘆くらむ御心も知りたまはず、かなしうしたまひし君達をも、
北の方の思し嘆くらむ御心も知りたまはず、かなしうしたまひし君達をも、目にもとめたまはず、なよびかに情け情けしき心うちまじりたる人こそ、とざまかうざまにつけても、人のため恥がましからむことをば、推し量り思ふところもありけれ、ひたおもむきにすくみたまへる御心にて、人の御心動きぬべきこと多かり。
女君、人に劣りたまふべきことなし。人の御本性も、さるやむごとなき父親王の、いみじうかしづきたてまつりたまへるおぼえ、世に軽からず、御容貌なども、いとようおはしけるを、あやしう、執念き御もののけにわづらひたまひて、この年ごろ、人にも似たまはず、うつし心なき折々多くものしたまひて、御仲もあくがれてほど経にけれど、やむごとなきものとは、また並ぶ人なく思ひきこえたまへるを、めづらしう御心移る方の、なのめにだにあらず、人にすぐれたまへる御ありさまよりも、かの疑ひおきて、皆人の推し量りしことさへ、心きよくて過ぐいたまひけるなどを、ありがたうあはれと、思ひましきこえたまふも、ことわりになむ。
式部卿宮聞こし召して、「今は、しか今めかしき人を渡して、
式部卿宮聞こし召して、
「今は、しか今めかしき人を渡して、もてかしづかむ片隅に、人悪ろくて添ひものしたまはむも、人聞きやさしかるべし。おのがあらむこなたは、いと人笑へなるさまに従ひなびかでも、ものしたまひなむ」
とのたまひて、宮の東の対を払ひしつらひて、「渡したてまつらむ」と思しのたまふを、「親の御あたりといひながら、今は限りの身にて、たち返り見えたてまつらむこと」と、思ひ乱れたまふに、いとど御心地もあやまりて、うちはへ臥しわづらひたまふ。
本性は、いと静かに心よく、子めきたまへる人の、時々、心あやまりして、人に疎まれぬべきことなむ、うち混じりたまひける。
コンテンツ名 | 源氏物語全講会 第121回 「真木柱」より その1 |
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収録日 | 2009年2月28日 |
講師 | 岡野弘彦(國學院大學名誉教授) |
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