源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第124回 「真木柱」より その4

折口信夫に関して書いたエッセイ(父子墓と没後の門人)から本文に。年改まってから、髭黒大将は、尚侍の君(玉葛)を宮中に参上させたが、宮仕えを心配する髭黒は退出を急き立て、自分の屋敷へ移した。二月になって、源氏と玉葛は文を交わす。

折口信夫没後の門人

・江戸時代―和歌文学の衰退

・折口信夫『短歌滅亡論』

・國學最後の人と言われた三矢重松、それを受継いだ折口信夫

・折口信夫の心の門人として

かかることどもの騷ぎに、尚侍の君の御けしき、

 かかることどもの騷ぎに、尚侍の君の御けしき、いよいよ晴れ間なきを、大将は、いとほしと思ひあつかひきこえて、
 「この参りたまはむとありしことも、絶え切れて、妨げきこえつるを、内裏にも、なめく心あるさまに聞こしめし、人びとも思すところあらむ。公人を頼みたる人はなくやはある」
 と思ひ返して、年返りて、参らせたてまつりたまふ。男踏歌ありければ、やがてそのほどに、儀式いといかめしく、二なくて参りたまふ。
 かたがたの大臣たち、この大将の御勢ひさへさしあひ、宰相中将、ねむごろに心しらひきこえたまふ。兄弟の君達も、かかる折にと集ひ、追従し寄りて、かしづきたまふさま、いとめでたし。

承香殿の東面に御局したり。西に宮の女御はおはしければ、

 承香殿の東面に御局したり。西に宮の女御はおはしければ、馬道ばかりの隔てなるに、御心のうちは、遥かに隔たりけむかし。御方々、いづれとなく挑み交はしたまひて、内裏わたり、心にくくをかしきころほひなり。ことに乱りがはしき更衣たち、あまたもさぶらひたまはず。
 中宮、弘徽殿女御、この宮の女御、左の大殿の女御などさぶらひたまふ。さては、中納言、宰相の御女二人ばかりぞさぶらひたまひける。

踏歌は、方々に里人参り、さまことに、けににぎははしき見物なれば、

 踏歌は、方々に里人参り、さまことに、けににぎははしき見物なれば、誰も誰もきよらを尽くし、袖口の重なり、こちたくめでたくととのへたまふ。春宮の女御も、いとはなやかにもてなしたまひて、宮は、まだ若くおはしませど、すべていと今めかし。
 御前、中宮の御方、朱雀院とに参りて、夜いたう更けにければ、六条の院には、このたびは所狭しとはぶきたまふ。朱雀院より帰り参りて、春宮の御方々めぐるほどに、夜明けぬ。

ほのぼのとをかしき朝ぼらけに、いたく酔ひ乱れたるさまして、

 ほのぼのとをかしき朝ぼらけに、いたく酔ひ乱れたるさまして、「竹河」謡ひけるほどを見れば、内の大殿の君達は、四、五人ばかり、殿上人のなかに、声すぐれ、容貌きよげにて、うち続きたまへる、いとめでたし。
 童なる八郎君は、むかひ腹にて、いみじうかしづきたまふが、いとうつくしうて、大将殿の太郎君と立ち並みたるを、尚侍の君も、よそ人と見たまはねば、御目とまりけり。やむごとなくまじらひ馴れたまへる御方々よりも、この御局の袖口、おほかたのけはひ今めかしう、同じものの色あひ、襲なりなれど、ものよりことにはなやかなり。
 正身も女房たちも、かやうに御心やりて、しばしは過ぐいたまはまし、と思ひあへり。
 皆同じごと、かづけわたす綿のさまも、匂ひ香ことにらうらうじうしないたまひて、こなたは水駅なりけれど、けはひにぎははしく、人びと心懸想しそして、限りある御饗などのことどもも、したるさま、ことに用意ありてなむ、大将殿せさせたまへりける。

宿直所にゐたまひて、日一日、聞こえ暮らしたまふことは、

 宿直所にゐたまひて、日一日、聞こえ暮らしたまふことは、
 「夜さり、まかでさせたてまつりてむ。かかるついでにと、思し移るらむ御宮仕へなむ、やすからぬ」
 とのみ、同じことを責めきこえたまへど、御返りなし。さぶらふ人びとぞ、
 「大臣の、『心あわたたしきほどならで、まれまれの御参りなれば、御心ゆかせたまふばかり。許されありてを、まかでさせたまへ』と、聞こえさせたまひしかば、今宵は、あまりすがすがしうや」
 と聞こえたるを、いとつらしと思ひて、
 「さばかり聞こえしものを、さも心にかなはぬ世かな」
 とうち嘆きてゐたまへり。

兵部卿宮、御前の御遊びにさぶらひたまひて、静心なく、

 兵部卿宮、御前の御遊びにさぶらひたまひて、静心なく、この御局のあたり思ひやられたまへば、念じあまりて聞こえたまへり。大将は、司の御曹司にぞおはしける。「これより」とて取り入れたれば、しぶしぶに見たまふ。

 「深山木に羽うち交はしゐる鳥の
  またなくねたき春にもあるかな
 さへづる声も耳とどめられてなむ」

 とあり。いとほしう、面赤みて、聞こえむかたなく思ひゐたまへるに、主上渡らせたまふ。

月の明かきに、御容貌はいふよしなくきよらにて、

 月の明かきに、御容貌はいふよしなくきよらにて、ただ、かの大臣の御けはひに違ふところなくおはします。「かかる人はまたもおはしけり」と、見たてまつりたまふ。かの御心ばへは浅からぬも、うたてもの思ひ加はりしを、これは、などかはさしもおぼえさせたまはむ。いとなつかしげに、思ひしことの違ひにたる怨みをのたまはするに、面おかむかたなくぞおぼえたまふや。顔をもて隠して、御いらへもえ聞こえたまはねば、
 「あやしうおぼつかなきわざかな。よろこびなども、思ひ知りたまはむと思ふことあるを、聞き入れたまはぬさまにのみあるは、かかる御癖なりけり」
 とのたまはせて、

 「などてかく灰あひがたき紫を
  心に深く思ひそめけむ
 濃くなり果つまじきにや」

 と仰せらるるさま、いと若くきよらに恥づかしきを、「違ひたまへるところやある」と思ひ慰めて、聞こえたまふ。宮仕への労もなくて、今年、加階したまへる心にや。

「いかならむ色とも知らぬ紫を心してこそ人は染めけれ

「いかならむ色とも知らぬ紫を
  心してこそ人は染めけれ
 今よりなむ思ひたまへ知るべき」

 と聞こえたまへば、うち笑みて、
 「その、今より染めたまはむこそ、かひなかべいことなれ。愁ふべき人あらば、ことわり聞かまほしくなむ」
 と、いたう怨みさせたまふ御けしきの、まめやかにわづらはしければ、「いとうたてもあるかな」とおぼえて、「をかしきさまをも見えたてまつらじ、むつかしき世の癖なりけり」と思ふに、まめだちてさぶらひたまへば、え思すさまなる乱れごともうち出でさせたまはで、「やうやうこそは目馴れめ」と思しけり。

大将は、かく渡らせたまへるを聞きたまひて、いとど静心なければ、

 大将は、かく渡らせたまへるを聞きたまひて、いとど静心なければ、急ぎまどはしたまふ。みづからも、「似げなきことも出で来ぬべき身なりけり」と心憂きに、えのどめたまはず、まかでさせたまふべきさま、つきづきしきことづけども作り出でて、父大臣など、かしこくたばかりたまひてなむ、御暇許されたまひける。
 「さらば。物懲りして、また出だし立てぬ人もぞある。いとこそからけれ。人より先に進みにし心ざしの、人に後れて、けしき取り従ふよ。昔のなにがしが例も、引き出でつべき心地なむする」
 とて、まことにいと口惜しと思し召したり。

聞こし召ししにも、こよなき近まさりを、

 聞こし召ししにも、こよなき近まさりを、はじめよりさる御心なからむにてだにも、御覧じ過ぐすまじきを、まいていとねたう、飽かず思さる。
 されど、ひたぶるに浅き方に、思ひ疎まれじとて、いみじう心深きさまにのたまひ契りて、なつけたまふも、かたじけなう、「われは、われ、と思ふものを」と思す。

御輦車寄せて、こなた、かなたの、御かしづき人ども心もとながり、

 御輦車寄せて、こなた、かなたの、御かしづき人ども心もとながり、大将も、いとものむつかしうたち添ひ、騷ぎたまふまで、えおはしまし離れず。
 「かういと厳しき近き守りこそむつかしけれ」
 と憎ませたまふ。

 「九重に霞隔てば梅の花
  ただ香ばかりも匂ひ来じとや」

 殊なることなきことなれども、御ありさま、けはひを見たてまつるほどは、をかしくもやありけむ。
 「野をなつかしみ、明いつべき夜を、惜しむべかめる人も、身をつみて心苦しうなむ。いかでか聞こゆべき」
 と思し悩むも、「いとかたじけなし」と、見たてまつる。

 「香ばかりは風にもつてよ花の枝に
  立ち並ぶべき匂ひなくとも」

 さすがにかけ離れぬけはひを、あはれと思しつつ、返り見がちにて渡らせたまひぬ。

やがて今宵、かの殿にと思しまうけたるを、

 やがて今宵、かの殿にと思しまうけたるを、かねては許されあるまじきにより、漏らしきこえたまはで、
 「にはかにいと乱り風邪の悩ましきを、心やすき所にうち休みはべらむほど、よそよそにてはいとおぼつかなくはべらむを」
 と、おいらかに申しないたまひて、やがて渡したてまつりたまふ。
 父大臣、にはかなるを、「儀式なきやうにや」と思せど、「あながちに、さばかりのことを言ひ妨げむも、人の心おくべし」と思せば、
 「ともかくも。もとより進退ならぬ人の御ことなれば」
 とぞ、聞こえたまひける。

六条殿ぞ、「いとゆくりなく本意なし」と思せど、などかはあらむ。

 六条殿ぞ、「いとゆくりなく本意なし」と思せど、などかはあらむ。女も、塩やく煙のなびきけるかたを、あさましと思せど、盗みもて行きたらましと思しなずらへて、いとうれしく心地おちゐぬ。
 かの、入りゐさせたまへりしことを、いみじう怨じきこえさせたまふも、心づきなく、なほなほしき心地して、世には心解けぬ御もてなし、いよいよけしき悪し。

かの宮にも、さこそたけうのたまひしか、いみじう思しわぶれど、

 かの宮にも、さこそたけうのたまひしか、いみじう思しわぶれど、絶えて訪れず。ただ思ふことかなひぬる御かしづきに、明け暮れいとなみて過ぐしたまふ。

二月にもなりぬ。大殿は、「さても、つれなきわざなりや。

 二月にもなりぬ。大殿は、
 「さても、つれなきわざなりや。いとかう際々しうとしも思はで、たゆめられたるねたさを」
 人悪ろく、すべて御心にかからぬ折なく、恋しう思ひ出でられたまふ。
 「宿世などいふもの、おろかならぬことなれど、わがあまりなる心にて、かく人やりならぬものは思ふぞかし」
 と、起き臥し面影にぞ見えたまふ。
 大将の、をかしやかに、わららかなる気もなき人に添ひゐたらむに、はかなき戯れごともつつましう、あいなく思されて、念じたまふを、雨いたう降りて、いとのどやかなるころ、かやうのつれづれも紛らはし所に渡りたまひて、語らひたまひしさまなどの、いみじう恋しければ、御文たてまつりたまふ。
 右近がもとに忍びてつかはすも、かつは、思はむことを思すに、何ごともえ続けたまはで、ただ思はせたることどもぞありける。

 「かきたれてのどけきころの春雨に
  ふるさと人をいかに偲ぶや
 つれづれに添へて、うらめしう思ひ出でらるること多うはべるを、いかでか分き聞こゆべからむ」

 などあり。

隙に忍びて見せたてまつれば、うち泣きて、わが心にも、

 隙に忍びて見せたてまつれば、うち泣きて、わが心にも、ほど経るままに思ひ出でられたまふ御さまを、まほに、「恋しや、いかで見たてまつらむ」などは、えのたまはぬ親にて、「げに、いかでかは対面もあらむ」と、あはれなり。
 時々、むつかしかりし御けしきを、心づきなう思ひきこえしなどは、この人にも知らせたまはぬことなれば、心ひとつに思し続くれど、右近は、ほのけしき見けり。いかなりけることならむとは、今に心得がたく思ひける。
 御返り、「聞こゆるも恥づかしけれど、おぼつかなくやは」とて、書きたまふ。

 「眺めする軒の雫に袖ぬれて
  うたかた人を偲ばざらめや
 ほどふるころは、げに、ことなるつれづれもまさりはべりけり。あなかしこ」

 と、ゐやゐやしく書きなしたまへり。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第124回 「真木柱」より その4
収録日 2009年4月25日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成21年春期講座

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