源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第89回 「薄雲」その5~「朝顔」その1

梅壺に春秋の好みを尋ねると、秋に亡くなった母を偲んでいる。『万葉集』の額田王や『古事記』の春秋争いの挿話。他方で春に心を寄せている女君(紫の上)や明石の上に心をめぐらす源氏。桃園宮に五の宮を尋ね、朝顔を訪ねる。

「はかばかしき方の望みはさるものにて、年のうち行き交はる時々の花紅葉、

 「はかばかしき方の望みはさるものにて、年のうち行き交はる時々の花紅葉、空のけしきにつけても、心の行くこともしはべりにしがな。春の花の林、秋の野の盛りを、とりどりに人争ひはべりける、そのころの、げにと心寄るばかりあらはなる定めこそはべらざなれ。
  唐土には、春の花の錦に如くものなしと言ひはべめり。大和言の葉には、秋のあはれを取り立てて思へる。いづれも時々につけて見たまふに、目移りて、えこそ花鳥の色をも音をもわきまへはべらね。
  狭き垣根のうちなりとも、その折の心見知るばかり、春の花の木をも植ゑわたし、秋の草をも堀り移して、いたづらなる野辺の虫をも棲ませて、人に御覧ぜさせむと思ひたまふるを、いづ方にか御心寄せはべるべからむ」
  と聞こえたまふに、いと聞こえにくきことと思せど、むげに絶えて御応へ聞こえたまはざらむもうたてあれば、
  「まして、いかが思ひ分きはべらむ。げに、いつとなきなかに、あやしと聞きし夕べこそ、はかなう消えたまひにし露のよすがにも、思ひたまへられぬべけれ」
  と、しどけなげにのたまひ消つも、いとらうたげなるに、え忍びたまはで、

  「君もさはあはれを交はせ人知れず
   わが身にしむる秋の夕風

  忍びがたき折々もはべりかし」
  と聞こえたまふに、「いづこの御応へかはあらむ、心得ず」と思したる御けしきなり。

古事記より ~下氷壮夫と霞壮夫の神話~

・伊豆志袁登売神(いづしおとめのかみ)に求婚した秋山の下氷壮夫(したびおとこ)と春山の霞壮夫(かすみおとこ)の神話

「はかばかしき方の望みはさるものにて、年のうち行き交はる時々の花紅葉、(1の続き)

 「はかばかしき方の望みはさるものにて、年のうち行き交はる時々の花紅葉、空のけしきにつけても、心の行くこともしはべりにしがな。春の花の林、秋の野の盛りを、とりどりに人争ひはべりける、そのころの、げにと心寄るばかりあらはなる定めこそはべらざなれ。
  唐土には、春の花の錦に如くものなしと言ひはべめり。大和言の葉には、秋のあはれを取り立てて思へる。いづれも時々につけて見たまふに、目移りて、えこそ花鳥の色をも音をもわきまへはべらね。
  狭き垣根のうちなりとも、その折の心見知るばかり、春の花の木をも植ゑわたし、秋の草をも堀り移して、いたづらなる野辺の虫をも棲ませて、人に御覧ぜさせむと思ひたまふるを、いづ方にか御心寄せはべるべからむ」
  と聞こえたまふに、いと聞こえにくきことと思せど、むげに絶えて御応へ聞こえたまはざらむもうたてあれば、
  「まして、いかが思ひ分きはべらむ。げに、いつとなきなかに、あやしと聞きし夕べこそ、はかなう消えたまひにし露のよすがにも、思ひたまへられぬべけれ」
  と、しどけなげにのたまひ消つも、いとらうたげなるに、え忍びたまはで、
  「君もさはあはれを交はせ人知れず
   わが身にしむる秋の夕風
  忍びがたき折々もはべりかし」
  と聞こえたまふに、「いづこの御応へかはあらむ、心得ず」と思したる御けしきなり。

このついでに、え籠めたまはで、恨みきこえたまふことどもあるべし。

  このついでに、え籠めたまはで、恨みきこえたまふことどもあるべし。
  今すこし、ひがこともしたまひつべけれども、いとうたてと思いたるも、ことわりに、わが御心も、「若々しうけしからず」と思し返して、うち嘆きたまへるさまの、もの深うなまめかしきも、心づきなうぞ思しなりぬる。
  やをらづつひき入りたまひぬるけしきなれば、
  「あさましうも、疎ませたまひぬるかな。まことに心深き人は、かくこそあらざなれ。よし、今よりは、憎ませたまふなよ。つらからむ」
  とて、渡りたまひぬ。
  うちしめりたる御匂ひのとまりたるさへ、疎ましく思さる。人びと、御格子など参りて、
  「この御茵の移り香、言ひ知らぬものかな」
  「いかでかく取り集め、柳の枝に咲かせたる御ありさまならむ」
  「ゆゆしう」
  と聞こえあへり。

対に渡りたまひて、とみにも入りたまはず、いたう眺めて、端近う臥したまへり。

  対に渡りたまひて、とみにも入りたまはず、いたう眺めて、端近う臥したまへり。燈籠遠くかけて、近く人びとさぶらはせたまひて、物語などせさせたまふ。
  「かうあながちなることに胸ふたがる癖の、なほありけるよ」
  と、わが身ながら思し知らる。
  「これはいと似げなきことなり。恐ろしう罪深き方は多うまさりけめど、いにしへの好きは、思ひやりすくなきほどの過ちに、仏神も許したまひけむ」と、思しさますも、「なほ、この道は、うしろやすく深き方のまさりけるかな」
  と、思し知られたまふ。

女御は、秋のあはれを知り顔に応へ聞こえてけるも、「悔しう恥づかし」と、

 女御は、秋のあはれを知り顔に応へ聞こえてけるも、「悔しう恥づかし」と、御心ひとつにものむつかしうて、悩ましげにさへしたまふを、いとすくよかにつれなくて、常よりも親がりありきたまふ。
  女君に、
  「女御の、秋に心を寄せたまへりしもあはれに、君の、春の曙に心しめたまへるもことわりにこそあれ。時々につけたる木草の花によせても、御心とまるばかりの遊びなどしてしがなと、公私のいとなみしげき身こそふさはしからね、いかで思ふことしてしがなと、ただ、御ためさうざうしくやと思ふこそ、心苦しけれ」
  など語らひきこえたまふ。

「山里の人も、いかに」など、絶えず思しやれど、所狭さのみまさる御身にて、

 「山里の人も、いかに」など、絶えず思しやれど、所狭さのみまさる御身にて、渡りたまふこと、いとかたし。
  「世の中をあぢきなく憂しと思ひ知るけしき、などかさしも思ふべき。心やすく立ち出でて、おほぞうの住まひはせじと思へる」を、「おほけなし」とは思すものから、いとほしくて、例の、不断の御念仏にことつけて渡りたまへり。
  住み馴るるままに、いと心すごげなる所のさまに、いと深からざらむことにてだに、あはれ添ひぬべし。まして、見たてまつるにつけても、つらかりける御契りの、さすがに、浅からぬを思ふに、なかなかにて慰めがたきけしきなれば、こしらへかねたまふ。
  いと木繁き中より、篝火どもの影の、遣水の螢に見えまがふもをかし。
  「かかる住まひにしほじまざらましかば、めづらかにおぼえまし」
  とのたまふに、

  「漁りせし影忘られぬ篝火は
   身の浮舟や慕ひ来にけむ
  思ひこそ、まがへられはべれ」

  と聞こゆれば、

  「浅からぬしたの思ひを知らねばや
   なほ篝火の影は騒げる
  誰れ憂きもの」

  と、おし返し恨みたまへる。
  おほかたもの静かに思さるるころなれば、尊きことどもに御心とまりて、例よりは日ごろ経たまふにや、すこし思ひ紛れけむ、とぞ。

「朝顔の巻」について

・「朝顔の巻」について

斎院は、御服にて下りゐたまひにきかし。

朝顔

  斎院は、御服にて下りゐたまひにきかし。大臣、例の、思しそめつること、絶えぬ御癖にて、御訪らひなどいとしげう聞こえたまふ。宮、わづらはしかりしことを思せば、御返りもうちとけて聞こえたまはず。いと口惜しと思しわたる。
  長月になりて、桃園宮に渡りたまひぬるを聞きて、女五の宮のそこにおはすれば、そなたの御訪らひにことづけて参うでたまふ。故院の、この御子たちをば、心ことにやむごとなく思ひきこえたまへりしかば、今も親しく次々に聞こえ交はしたまふめり。同じ寝殿の西東にぞ住みたまひける。ほどもなく荒れにける心地して、あはれにけはひしめやかなり。
  宮、対面したまひて、御物語聞こえたまふ。いと古めきたる御けはひ、しはぶきがちにおはす。年長におはすれど、故大殿の宮は、あらまほしく古りがたき御ありさまなるを、もて離れ、声ふつつかに、こちごちしくおぼえたまへるも、さるかたなり。

「院の上、隠れたまひてのち、よろづ心細くおぼえはべりつるに、

 「院の上、隠れたまひてのち、よろづ心細くおぼえはべりつるに、年の積もるままに、いと涙がちにて過ぐしはべるを、この宮さへかくうち捨てたまへれば、いよいよあるかなきかに、とまりはべるを、かく立ち寄り訪はせたまふになむ、もの忘れしぬべくはべる」
  と聞こえたまふ。
  「かしこくも古りたまへるかな」と思へど、うちかしこまりて、
  「院隠れたまひてのちは、さまざまにつけて、同じ世のやうにもはべらず、おぼえぬ罪に当たりはべりて、知らぬ世に惑ひはべりしを、たまたま、朝廷に数まへられたてまつりては、またとり乱り暇なくなどして、年ごろも、参りていにしへの御物語をだに聞こえうけたまはらぬを、いぶせく思ひたまへわたりつつなむ」
  など聞こえたまふを、
  「いともいともあさましく、いづ方につけても定めなき世を、同じさまにて見たまへ過ぐす命長さの恨めしきこと多くはべれど、かくて、世に立ち返りたまへる御よろこびになむ、ありし年ごろを見たてまつりさしてましかば、口惜しからましとおぼえはべり」
  と、うちわななきたまひて、
  「いときよらにねびまさりたまひにけるかな。童にものしたまへりしを見たてまつりそめし時、世にかかる光の出でおはしたることと驚かれはべりしを、時々見たてまつるごとに、ゆゆしくおぼえはべりてなむ。内裏の上なむ、いとよく似たてまつらせたまへりと、人びと聞こゆるを、さりとも、劣りたまへらむとこそ、推し量りはべれ」
  と、長々と聞こえたまへば、
  「ことにかくさし向かひて人のほめぬわざかな」と、をかしく思す。

 

「山賤になりて、いたう思ひくづほれはべりし年ごろののち、

 「山賤になりて、いたう思ひくづほれはべりし年ごろののち、こよなく衰へにてはべるものを。内裏の御容貌は、いにしへの世にも並ぶ人なくやとこそ、ありがたく見たてまつりはべれ。あやしき御推し量りになむ」
  と聞こえたまふ。
  「時々見たてまつらば、いとどしき命や延びはべらむ。今日は老いも忘れ、憂き世の嘆きみな去りぬる心地なむ」
  とても、また泣いたまふ。
  「三の宮うらやましく、さるべき御ゆかり添ひて、親しく見たてまつりたまふを、うらやみはべる。この亡せたまひぬるも、さやうにこそ悔いたまふ折々ありしか」
  とのたまふにぞ、すこし耳とまりたまふ。

 

「さも、さぶらひ馴れなましかば、今に思ふさまにはべらまし。

 「さも、さぶらひ馴れなましかば、今に思ふさまにはべらまし。皆さし放たせたまひて」
  と、恨めしげにけしきばみきこえたまふ。

 

コンテンツ名 源氏物語全講会 第89回 「薄雲」その5~「朝顔」その1
収録日 2007年2月3日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成18年秋期講座

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