源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第185回 「幻」より その3

葵祭りの日に中将の君と語らい、五月雨のころは大将の君(夕霧)と語る。暑いころは、涼しい部屋で物思いに沈んでいる。講義の途中で、折口信夫『死者の書』について触れ、山本 健吉『基本季語五〇〇選』を紹介する。

祭の日、いとつれづれにて、

祭の日、いとつれづれにて、「今日は物見るとて、人びと心地よげならむかし」とて、御社のありさまなど思しやる。
「女房など、いかにさうざうしからむ。里に忍びて出でて見よかし」などのたまふ。

中将の君の、東面にうたた寝したるを、

中将の君の、東面にうたた寝したるを、歩みおはして見たまへば、いとささやかにをかしきさまして、起き上がりたり。つらつきはなやかに、匂ひたる顔をもて隠して、すこしふくだみたる髪のかかりなど、をかしげなり。紅の黄ばみたる気添ひたる袴、萱草色の単衣、いと濃き鈍色に黒きなど、うるはしからず重なりて、裳、唐衣も脱ぎすべしたりけるを、とかく引きかけなどするに、葵をかたはらに置きたりけるを寄りて取りたまひて、
「いかにとかや。この名こそ忘れにけれ」とのたまへば、

「さもこそはよるべの水に水草ゐめ今日のかざしよ名さへ忘るる」

と、恥ぢらひて聞こゆ。げにと、いとほしくて、

「おほかたは思ひ捨ててし世なれども葵はなほや摘みをかすべき」

など、一人ばかりをば思し放たぬけしきなり。

五月雨は、いとど眺めくらしたまふより他のことなく、

五月雨は、いとど眺めくらしたまふより他のことなく、さうざうしきに、十余日の月はなやかにさし出でたる雲間のめづらしきに、大将の君御前にさぶらひたまふ。
花橘の、月影にいときはやかに見ゆる薫りも、追風なつかしければ、千代を馴らせる声もせなむ、と待たるるほどに、にはかに立ち出づる村雲のけしき、いとあやにくにて、いとおどろおどろしう降り来る雨に添ひて、さと吹く風に灯籠も吹きまどはして、空暗き心地するに、「窓を打つ声」など、めづらしからぬ古言を、うち誦じたまへるも、折からにや、妹が垣根におとなはせまほしき御声なり。
「独り住みは、ことに変ることなけれど、あやしうさうざうしくこそありけれ。深き山住みせむにも、かくて身を馴らはしたらむは、こよなう心澄みぬべきわざなりけり」などのたまひて、「女房、ここに、くだものなど参らせよ。男ども召さむもことことしきほどなり」などのたまふ。

 

・伝統行事と信仰
 日本人の神
  柳田国男 「後狩詞記」

・歌と歌を合わせる
 和漢朗詠集、連句連歌

・狭くなった日本人の教養

心には、ただ空を眺めたまふ御けしきの、

心には、ただ空を眺めたまふ御けしきの、尽きせず心苦しければ、「かくのみ思し紛れずは、御行ひにも心澄ましたまはむこと難くや」と、見たてまつりたまふ。「ほのかに見し御面影だに忘れがたし。ましてことわりぞかし」と、思ひゐたまへり。
「昨日今日と思ひたまふるほどに、御果てもやうやう近うなりはべりにけり。いかやうにかおきて思しめすらむ」
と申したまへば、
「何ばかり、世の常ならぬことをかはものせむ。かの心ざしおかれたる極楽の曼陀羅など、このたびなむ供養ずべき。経などもあまたありけるを、なにがし僧都、皆その心くはしく聞きおきたなれば、また加へてすべきことどもも、かの僧都の言はむに従ひてなむものすべき」などのたまふ。
「かやうのこと、もとよりとりたてて思しおきてけるは、うしろやすきわざなれど、この世にはかりそめの御契りなりけりと見たまふには、形見といふばかりとどめきこえたまへる人だにものしたまはぬこそ、口惜しうはべれ」
と申したまへば、
「それは、仮ならず、命長き人びとにも、さやうなることのおほかた少なかりける。みづからの口惜しさにこそ。そこにこそは、門は広げたまはめ」などのたまふ。

 

・折口信夫『死者の書』
 20年以上前(1988年)にNHK「 国宝への旅」で訪れた当麻寺の蓮糸曼荼羅
 折口は評論がでなかったことを不満に思っていた。

何ごとにつけても、忍びがたき御心弱さのつつましくて、

何ごとにつけても、忍びがたき御心弱さのつつましくて、過ぎにしこといたうものたまひ出でぬに、待たれつる山ほととぎすのほのかにうち鳴きたるも、「いかに知りてか」と、聞く人ただならず。

「亡き人を偲ぶる宵の村雨に濡れてや来つる山ほととぎす」

とて、いとど空を眺めたまふ。大将、

「ほととぎす君につてなむふるさとの花橘は今ぞ盛りと」

女房など、多く言ひ集めたれど、とどめつ。大将の君は、やがて御宿直にさぶらひたまふ。寂しき御一人寝の心苦しければ、時々かやうにさぶらひたまふに、おはせし世は、いと気遠かりし御座のあたりの、いたうも立ち離れぬなどにつけても、思ひ出でらるることも多かり。

 

・豊富な連想の世界
 山本 健吉『基本季語五〇〇選』

・『源氏物語』の読み方
 連歌師、賀茂真淵、本居宣長

いと暑きころ、涼しき方にて眺めたまふに、

いと暑きころ、涼しき方にて眺めたまふに、池の蓮の盛りなるを見たまふに、「いかに多かる」など、まづ思し出でらるるに、ほれぼれしくて、つくづくとおはするほどに、日も暮れにけり。ひぐらしの声はなやかなるに、御前の撫子の夕映えを、一人のみ見たまふは、げにぞかひなかりける。

「つれづれとわが泣き暮らす夏の日を

「つれづれとわが泣き暮らす夏の日をかことがましき虫の声かな」

蛍のいと多う飛び交ふも、「夕殿に蛍飛んで」と、例の、古事もかかる筋にのみ口馴れたまへり。

「夜を知る蛍を見ても悲しきは時ぞともなき思ひなりけり」

コンテンツ名 源氏物語全講会 第185回 「幻」より その3
収録日 2013年8月24日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

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