第78回 「蓬生」より その2
この姫は父宮の心定めに添い古風に仏道の勤めもせず律儀に先祖伝来の心のありように従っている。侍従が受領階級の妻になっており、娘の後見役にしようかとさえ思い筑紫まで連れていこうとしている。
講師:岡野弘彦
- 目次
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- はかなき古歌、物語などやうのすさびごとにてこそ、
- 古歌とても、をかしきやうに選り出で、
- 侍従などいひし御乳母子のみこそ、
- もとよりありつきたるさやうの並々の人は、
- かかるほどに、かの家主人、大弐になりぬ。
- 「今は限りなりけり。年ごろ、あらぬさまなる御さまを、
- (休憩)ダンテフォーラムin京都「文学と芸術の対話」について
- 大弐の北の方、「さればよ。まさに、かくたづきなく、人悪ろき御ありさまを、
- 侍従も、かの大弐の甥だつ人、語らひつきて、
- 冬になりゆくままに、いとど、かき付かむかたなく、悲しげに眺め過ごしたまふ。
- 例はさしもむつびぬを、誘ひ立てむの心にて、
- 「出で立ちなむことを思ひながら、心苦しきありさまの見捨てたてまつりがたきを。
- 「いとうれしきことなれど、世に似ぬさまにて、何かは。
- されど、動くべうもあらねば、よろづに言ひわづらひ暮らして、
はかなき古歌、物語などやうのすさびごとにてこそ、
はかなき古歌、物語などやうのすさびごとにてこそ、つれづれをも紛らはし、かかる住まひをも思ひ慰むるわざなめれ、さやうのことにも心遅くものしたまふ。わざと好ましからねど、おのづからまた急ぐことなきほどは、同じ心なる文通はしなどうちしてこそ、若き人は木草につけても心を慰めたまふべけれど、親のもてかしづきたまひし御心掟のままに、世の中をつつましきものに思して、まれにも言通ひたまふべき御あたりをも、さらに馴れたまはず、古りにたる御厨子開けて、『唐守』、『藐姑射の刀自』、『かぐや姫の物語』の絵に描きたるをぞ、時々のまさぐりものにしたまふ。
古歌とても、をかしきやうに選り出で、
古歌とても、をかしきやうに選り出で、題をも読人をもあらはし心得たるこそ見所もありけれ、うるはしき紙屋紙、陸奥紙などのふくだめるに、古言どもの目馴れたるなどは、いとすさまじげなるを、せめて眺めたまふ折々は、ひき広げたまふ。今の世の人のすめる、経うち読み、行なひなどいふことは、いと恥づかしくしたまひて、見たてまつる人もなけれど、数珠など取り寄せたまはず。かやうにうるはしくぞものしたまひける。
侍従などいひし御乳母子のみこそ、
侍従などいひし御乳母子のみこそ、年ごろあくがれ果てぬ者にてさぶらひつれど、通ひ参りし斎院亡せたまひなどして、いと堪へがたく心細きに、この姫君の母北の方のはらから、世におちぶれて受領の北の方になりたまへるありけり。
娘どもかしづきて、よろしき若人どもも、「むげに知らぬ所よりは、親どももまうで通ひしを」と思ひて、時々行き通ふ。この姫君は、かく人疎き御癖なれば、むつましくも言ひ通ひたまはず。
「おのれをばおとしめたまひて、面伏せに思したりしかば、姫君の御ありさまの心苦しげなるも、え訪らひきこえず」
など、なま憎げなる言葉ども言ひ聞かせつつ、時々聞こえけり。
もとよりありつきたるさやうの並々の人は、
もとよりありつきたるさやうの並々の人は、なかなかよき人の真似に心をつくろひ、思ひ上がるも多かるを、やむごとなき筋ながらも、かうまで落つべき宿世ありければにや、心すこしなほなほしき御叔母にぞありける。
「わがかく劣りのさまにて、あなづらはしく思はれたりしを、いかで、かかる世の末に、この君を、わが娘どもの使人になしてしがな。心ばせなどの古びたる方こそあれ、いとうしろやすき後見ならむ」と思ひて、
「時々ここに渡らせたまひて。御琴の音もうけたまはらまほしがる人なむはべる」
と聞こえけり。この侍従も、常に言ひもよほせど、人にいどむ心にはあらで、ただこちたき御ものづつみなれば、さもむつびたまはぬを、ねたしとなむ思ひける。
かかるほどに、かの家主人、大弐になりぬ。
かかるほどに、かの家主人、大弐になりぬ。娘どもあるべきさまに見置きて、下りなむとす。この君を、なほも誘はむの心深くて、
「はるかに、かくまかりなむとするに、心細き御ありさまの、常にしも訪らひきこえねど、近き頼みはべりつるほどこそあれ、いとあはれにうしろめたくなむ」
など、言よがるを、さらに受け引きたまはねば、
「あな、憎。ことことしや。心一つに思し上がるとも、さる薮原に年経たまふ人を、大将殿も、やむごとなくしも思ひきこえたまはじ」
など、怨じうけひけり。
さるほどに、げに世の中に赦されたまひて、都に帰りたまふと、天の下の喜びにて立ち騒ぐ。我もいかで、人より先に、深き心ざしを御覧ぜられむとのみ、思ひきほふ男、女につけて、高きをも下れるをも、人の心ばへを見たまふに、あはれに思し知ること、さまざまなり。かやうに、あわたたしきほどに、さらに思ひ出でたまふけしき見えで月日経ぬ。
「今は限りなりけり。年ごろ、あらぬさまなる御さまを、
「今は限りなりけり。年ごろ、あらぬさまなる御さまを、悲しういみじきことを思ひながらも、萌え出づる春に逢ひたまはなむと念じわたりつれど、たびしかはらなどまで喜び思ふなる、御位改まりなどするを、よそにのみ聞くべきなりけり。悲しかりし折のうれはしさは、ただわが身一つのためになれるとおぼえし、かひなき世かな」と、心くだけて、つらく悲しければ、人知れず音をのみ泣きたまふ。
(休憩)ダンテフォーラムin京都「文学と芸術の対話」について
・ダンテフォーラムin京都「文学と芸術の対話」(2005年7月開催)について
「京都でシンポジウムがあったわけですけれども、松田先生のプランが非常に見事でありまして、多様性を持っていながら、京都とフィレンツェとを結んで、違った文化、違った文化の中に共通して流れている心を考えることができて楽しかったんです。そういう固有の伝統の心というものが、実は孤立したものではなくて、深く考えていくと、いろんなところで共通性を持っている。」
[ご案内]
・ダンテフォーラムin京都「文学と芸術の対話」の模様は下記URLにてブロードバンド配信中です。
ダンテフォーラム 「芸術都市の創造 ―京都とフィレンツェの対話」
https://angel-zaidan.org/contents/kyoto_firenze_1_1/
また、このシンポジウムの内容は、書籍としてもエンゼル叢書にまとめられ、PHP研究所より刊行されています。
エンゼル叢書(9) 『芸術都市の創造 京都とフィレンツェの対話』(PHP研究所 2006)
大弐の北の方、「さればよ。まさに、かくたづきなく、人悪ろき御ありさまを、
大弐の北の方、
「さればよ。まさに、かくたづきなく、人悪ろき御ありさまを、数まへたまふ人はありなむや。仏、聖も、罪軽きをこそ導きよくしたまふなれ、かかる御ありさまにて、たけく世を思し、宮、上などのおはせし時のままにならひたまへる、御心おごりの、いとほしきこと」
と、いとどをこがましげに思ひて、
「なほ、思ほし立ちね。世の憂き時は、見えぬ山路をこそは尋ぬなれ。田舎などは、むつかしきものと思しやるらめど、ひたぶるに人悪ろげには、よも、もてなしきこえじ」
など、いと言よく言へば、むげに屈んじにたる女ばら、
「さもなびきたまはなむ。たけきこともあるまじき御身を、いかに思して、かく立てたる御心ならむ」
と、もどきつぶやく。
侍従も、かの大弐の甥だつ人、語らひつきて、
侍従も、かの大弐の甥だつ人、語らひつきて、とどむべくもあらざりければ、心よりほかに出で立ちて、
「見たてまつり置かむが、いと心苦しきを」
とて、そそのかしきこゆれど、なほ、かくかけ離れて久しうなりたまひぬる人に頼みをかけたまふ。御心のうちに、「さりとも、あり経ても、思し出づるついであらじやは。あはれに心深き契りをしたまひしに、わが身は憂くて、かく忘られたるにこそあれ、風のつてにても、我かくいみじきありさまを聞きつけたまはば、かならず訪らひ出でたまひてむ」と、年ごろ思しければ、おほかたの御家居も、ありしよりけにあさましけれど、わが心もて、はかなき御調度どもなども取り失はせたまはず、心強く同じさまにて念じ過ごしたまふなりけり。
音泣きがちに、いとど思し沈みたるは、ただ山人の赤き木の実一つを顔に放たぬと見えたまふ、御側目などは、おぼろけの人の見たてまつりゆるすべきにもあらずかし。詳しくは聞こえじ。いとほしう、もの言ひさがなきやうなり。
冬になりゆくままに、いとど、かき付かむかたなく、悲しげに眺め過ごしたまふ。
冬になりゆくままに、いとど、かき付かむかたなく、悲しげに眺め過ごしたまふ。かの殿には、故院の御料の御八講、世の中ゆすりてしたまふ。ことに僧などは、なべてのは召さず、才すぐれ行なひにしみ、尊き限りを選らせたまひければ、この禅師の君参りたまへりけり。
帰りざまに立ち寄りたまひて、
「しかしか。権大納言殿の御八講に参りてはべるなり。いとかしこう、生ける浄土の飾りに劣らず、いかめしうおもしろきことどもの限りをなむしたまひつる。仏菩薩の変化の身にこそものしたまふめれ。五つの濁り深き世に、などて生まれたまひけむ」
と言ひて、やがて出でたまひぬ。
言少なに、世の人に似ぬ御あはひにて、かひなき世の物語をだにえ聞こえ合はせたまはず。「さても、かばかりつたなき身のありさまを、あはれにおぼつかなくて過ぐしたまふは、心憂の仏菩薩や」と、つらうおぼゆるを、「げに、限りなめり」と、やうやう思ひなりたまふに、大弐の北の方、にはかに来たり。
例はさしもむつびぬを、誘ひ立てむの心にて、
例はさしもむつびぬを、誘ひ立てむの心にて、たてまつるべき御装束など調じて、よき車に乗りて、面もち、けしき、ほこりかにもの思ひなげなるさまして、ゆくりもなく走り来て、門開けさするより、人悪ろく寂しきこと、限りもなし。左右の戸もみなよろぼひ倒れにければ、男ども助けてとかく開け騒ぐ。いづれか、この寂しき宿にもかならず分けたる跡あなる三つの径と、たどる。
わづかに南面の格子上げたる間に寄せたれば、いとどはしたなしと思したれど、あさましう煤けたる几帳さし出でて、侍従出で来たり。容貌など、衰へにけり。年ごろいたうつひえたれど、なほものきよげによしあるさまして、かたじけなくとも、取り変へつべく見ゆ。
「出で立ちなむことを思ひながら、心苦しきありさまの見捨てたてまつりがたきを。
「出で立ちなむことを思ひながら、心苦しきありさまの見捨てたてまつりがたきを。侍従の迎へになむ参り来たる。心憂く思し隔てて、御みづからこそあからさまにも渡らせたまはね、この人をだに許させたまへとてなむ。などかうあはれげなるさまには」
とて、うちも泣くべきぞかし。されど、行く道に心をやりて、いと心地よげなり。
「故宮おはせしとき、おのれをば面伏せなりと思し捨てたりしかば、疎々しきやうになりそめにしかど、年ごろも、何かは。やむごとなきさまに思しあがり、大将殿などおはしまし通ふ御宿世のほどを、かたじけなく思ひたまへられしかばなむ、むつびきこえさせむも、憚ること多くて、過ぐしはべるを、世の中のかく定めもなかりければ、数ならぬ身は、なかなか心やすくはべるものなりけり。及びなく見たてまつりし御ありさまの、いと悲しく心苦しきを、近きほどはおこたる折も、のどかに頼もしくなむはべりけるを、かく遥かにまかりなむとすれば、うしろめたくあはれになむおぼえたまふ」
など語らへど、心解けても応へたまはず。
「いとうれしきことなれど、世に似ぬさまにて、何かは。
「いとうれしきことなれど、世に似ぬさまにて、何かは。かうながらこそ朽ちも失せめとなむ思ひはべる」
とのみのたまへば、
「げに、しかなむ思さるべけれど、生ける身を捨て、かくむくつけき住まひするたぐひははべらずやあらむ。大将殿の造り磨きたまはむにこそは、引きかへ玉の台にもなりかへらめとは、頼もしうははべれど、ただ今は、式部卿宮の御女よりほかに、心分けたまふ方もなかなり。昔より好き好きしき御心にて、なほざりに通ひたまひける所々、皆思し離れにたなり。まして、かうものはかなきさまにて、薮原に過ぐしたまへる人をば、心きよく我を頼みたまへるありさまと尋ねきこえたまふこと、いとかたくなむあるべき」
など言ひ知らするを、げにと思すも、いと悲しくて、つくづくと泣きたまふ。
されど、動くべうもあらねば、よろづに言ひわづらひ暮らして、
されど、動くべうもあらねば、よろづに言ひわづらひ暮らして、
「さらば、侍従をだに」
と、日の暮るるままに急げば、心あわたたしくて、泣く泣く、
「さらば、まづ今日は。かう責めたまふ送りばかりにまうではべらむ。かの聞こえたまふもことわりなり。また、思しわづらふもさることにはべれば、中に見たまふるも心苦しくなむ」
と、忍びて聞こゆ。
この人さへうち捨ててむとするを、恨めしうもあはれにも思せど、言ひ止むべき方もなくて、いとど音をのみたけきことにてものしたまふ。
形見に添へたまふべき身馴れ衣も、しほなれたれば、年経ぬるしるし見せたまふべきものなくて、わが御髪の落ちたりけるを取り集めて、鬘にしたまへるが、九尺余ばかりにて、いときよらなるを、をかしげなる箱に入れて、昔の薫衣香のいとかうばしき、一壷具して賜ふ。
「絶ゆまじき筋を頼みし玉かづら
思ひのほかにかけ離れぬる
故ままの、のたまひ置きしこともありしかば、かひなき身なりとも、見果ててむとこそ思ひつれ。うち捨てらるるもことわりなれど、誰に見ゆづりてかと、恨めしうなむ」
とて、いみじう泣いたまふ。この人も、ものも聞こえやらず。
「ままの遺言は、さらにも聞こえさせず、年ごろの忍びがたき世の憂さを過ぐしはべりつるに、かくおぼえぬ道にいざなはれて、遥かにまかりあくがるること」とて、
「玉かづら絶えてもやまじ行く道の
手向の神もかけて誓はむ
命こそ知りはべらね」
など言ふに、
「いづら。暗うなりぬ」
と、つぶやかれて、心も空にて引き出づれば、かへり見のみせられける。
年ごろわびつつも行き離れざりつる人の、かく別れぬることを、いと心細う思すに、世に用ゐらるまじき老人さへ、
「いでや、ことわりぞ。いかでか立ち止まりたまはむ。われらも、えこそ念じ果つまじけれ」
と、おのが身々につけたるたよりども思ひ出でて、止まるまじう思へるを、人悪ろく聞きおはす。
コンテンツ名 | 源氏物語全講会 第78回 「蓬生」より その2 |
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収録日 | 2006年6月10日 |
講師 | 岡野弘彦(國學院大學名誉教授) |
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