源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第103回 「玉葛」その5~「初音」その1

年の暮れになって、正月の準備をし、女の方々に新しい着物を手配する。(紫の)上が、源氏のそばで案配している。お礼の返事の中で、末摘花からの文を読み、源氏は歌論を論じる。後半は「初音」の巻。年が改まる。物騒がしい朝を過ぎ、夕方になって、源氏は、(紫の)上、(明石)姫君、夏の御住まい(花散里)、西の対(玉葛)のところへ、年賀の挨拶に回る。

年の暮に、御しつらひのこと、人びとの装束など、

 年の暮に、御しつらひのこと、人びとの装束など、やむごとなき御列に思しおきてたる、「かかりとも、田舎びたることや」と、山賤の方にあなづり推し量りきこえたまひて調じたるも、たてまつりたまふついでに、織物どもの、我も我もと、手を尽くして織りつつ持て参れる細長、小袿の、色々さまざまなるを御覧ずるに、
 「いと多かりけるものどもかな。方々に、うらやみなくこそものすべかりけれ」
 と、上に聞こえたまへば、御匣殿に仕うまつれるも、こなたにせさせたまへるも、皆取う出させたまへり。

かかる筋はた、いとすぐれて、世になき色あひ、匂ひを染めつけたまへば、

 かかる筋はた、いとすぐれて、世になき色あひ、匂ひを染めつけたまへば、ありがたしと思ひきこえたまふ。
 ここかしこの擣殿より参らせたる擣物ども御覧じ比べて、濃き赤きなど、さまざまを選らせたまひつつ、御衣櫃、衣筥どもに入れさせたまうて、おとなびたる上臈どもさぶらひて、「これは、かれは」と取り具しつつ入る。上も見たまひて、
 「いづれも、劣りまさるけぢめも見えぬものどもなめるを、着たまはむ人の御容貌に思ひよそへつつたてまつれたまへかし。着たる物のさまに似ぬは、ひがひがしくもありかし」
 とのたまへば、大臣うち笑ひて、
 「つれなくて、人の御容貌推し量らむの御心なめりな。さては、いづれをとか思す」
 と聞こえたまへば、
 「それも鏡にては、いかでか」
 と、さすが恥ぢらひておはす。

紅梅のいと紋浮きたる葡萄染の御小袿、今様色のいとすぐれたるとは、

 紅梅のいと紋浮きたる葡萄染の御小袿、今様色のいとすぐれたるとは、かの御料。桜の細長に、つややかなる掻練取り添へては、姫君の御料なり。
 浅縹の海賦の織物、織りざまなまめきたれど、匂ひやかならぬに、いと濃き掻練具して、夏の御方に。
 曇りなく赤きに、山吹の花の細長は、かの西の対にたてまつれたまふを、上は見ぬやうにて思しあはす。「内の大臣の、はなやかに、あなきよげとは見えながら、なまめかしう見えたる方のまじらぬに似たるなめり」と、げに推し量らるるを、色には出だしたまはねど、殿見やりたまへるに、ただならず。
 「いで、この容貌のよそへは、人腹立ちぬべきことなり。よきとても、物の色は限りあり、人の容貌は、おくれたるも、またなほ底ひあるものを」
 とて、かの末摘花の御料に、柳の織物の、よしある唐草を乱れ織れるも、いとなまめきたれば、人知れずほほ笑まれたまふ。
 梅の折枝、蝶、鳥、飛びちがひ、唐めいたる白き小袿に、濃きがつややかなる重ねて、明石の御方に。思ひやり気高きを、上はめざましと見たまふ。
 空蝉の尼君に、青鈍の織物、いと心ばせあるを見つけたまひて、御料にある梔子の御衣、聴し色なる添へたまひて、同じ日着たまふべき御消息聞こえめぐらしたまふ。げに、似ついたる見むの御心なりけり。

皆、御返りどもただならず。御使の禄、心々なるに、

 皆、御返りどもただならず。御使の禄、心々なるに、末摘、東の院におはすれば、今すこしさし離れ、艶なるべきを、うるはしくものしたまふ人にて、あるべきことは違へたまはず、山吹の袿の、袖口いたくすすけたるを、うつほにてうち掛けたまへり。御文には、いとかうばしき陸奥紙の、すこし年経、厚きが黄ばみたるに、

 「いでや、賜へるは、なかなかにこそ。
  着てみれば恨みられけり唐衣
  返しやりてむ袖を濡らして」

 御手の筋、ことに奥よりにたり。いといたくほほ笑みたまひて、とみにもうち置きたまはねば、上、何ごとならむと見おこせたまへり。
 御使にかづけたる物を、いと侘しくかたはらいたしと思して、御けしき悪しければ、すべりまかでぬ。いみじく、おのおのはささめき笑ひけり。かやうにわりなう古めかしう、かたはらいたきところのつきたまへるさかしらに、もてわづらひぬべう思す。恥づかしきまみなり。

「古代の歌詠みは、『唐衣』、『袂濡るる』かことこそ離れねな。

 「古代の歌詠みは、『唐衣』、『袂濡るる』かことこそ離れねな。まろも、その列ぞかし。さらに一筋にまつはれて、今めきたる言の葉にゆるぎたまはぬこそ、ねたきことは、はたあれ。人の中なることを、をりふし、御前などのわざとある歌詠みのなかにては、『円居』離れぬ三文字ぞかし。昔の懸想のをかしき挑みには、『あだ人』といふ五文字を、やすめどころにうち置きて、言の葉の続きたよりある心地すべかめり」  など笑ひたまふ。まろも、その列ぞかし。さらに一筋にまつはれて、今めきたる言の葉にゆるぎたまはぬこそ、ねたきことは、はたあれ。人の中なることを、をりふし、御前などのわざとある歌詠みのなかにては、『円居』離れぬ三文字ぞかし。昔の懸想のをかしき挑みには、『あだ人』といふ五文字を、やすめどころにうち置きて、言の葉の続きたよりある心地すべかめり」
 など笑ひたまふ。

「よろづの草子、歌枕、よく案内知り見尽くして、

 「よろづの草子、歌枕、よく案内知り見尽くして、そのうちの言葉を取り出づるに、詠みつきたる筋こそ、強うは変はらざるべけれ。
 常陸の親王の書き置きたまへりける紙屋紙の草子をこそ、見よとておこせたりしか。和歌の髄脳いと所狭う、病去るべきことろ多かりしかば、もとよりおくれたる方の、いとどなかなか動きすべくも見えざりしかば、むつかしくて返してき。よく案内知りたまへる人の口つきにては、目馴れてこそあれ」
 とて、をかしく思いたるさまぞ、いとほしきや。
 上、いとまめやかにて、
 「などて、返したまひけむ。書きとどめて、姫君にも見せたてまつりたまふべかりけるものを。ここにも、もののなかなりしも、虫みな損なひてければ。見ぬ人はた、心ことにこそは遠かりけれ」
 とのたまふ。
 「姫君の御学問に、いと用なからむ。すべて女は、立てて好めることまうけてしみぬるは、さまよからぬことなり。何ごとも、いとつきなからむは口惜しからむ。ただ心の筋を、漂はしからずもてしづめおきて、なだらかならむのみなむ、めやすかるべかりける」
 などのたまひて、返しは思しもかけねば、
 「返しやりてむ、とあめるに、これよりおし返したまはざらむも、ひがひがしからむ」
 と、そそのかしきこえたまふ。情け捨てぬ御心にて、書きたまふ。いと心やすげなり。

 「返さむと言ふにつけても片敷の
  夜の衣を思ひこそやれ
 ことわりなりや」

 とぞあめる。

年立ちかへる朝の空のけしき、名残なく曇らぬうららかげさには、

初音

 年立ちかへる朝の空のけしき、名残なく曇らぬうららかげさには、数ならぬ垣根のうちだに、雪間の草若やかに色づきはじめ、いつしかとけしきだつ霞に、木の芽もうちけぶり、おのづから人の心ものびらかにぞ見ゆるかし。まして、いとど玉を敷ける御前の、庭よりはじめ見所多く、磨きましたまへる御方々のありさま、まねびたてむも言の葉足るまじくなむ。

春の御殿の御前、とりわきて、梅の香も御簾のうちの匂ひに吹きまがひ、

 春の御殿の御前、とりわきて、梅の香も御簾のうちの匂ひに吹きまがひ、生ける仏の御国とおぼゆ。さすがにうちとけて、やすらかに住みなしたまへり。さぶらふ人びとも、若やかにすぐれたるは、姫君の御方にと選りたまひて、すこし大人びたる限り、なかなかよしよししく、装束ありさまよりはじめて、めやすくもてつけて、ここかしこに群れゐつつ、歯固めの祝ひして、餅鏡をさへ取り混ぜて、千年の蔭にしるき年のうちの祝ひ事どもして、そぼれあへるに、大臣の君さしのぞきたまへれば、懐手ひきなほしつつ、「いとはしたなきわざかな」と、わびあへり。

「いとしたたかなるみづからの祝ひ事どもかな。

 「いとしたたかなるみづからの祝ひ事どもかな。皆おのおの思ふことの道々あらむかし。すこし聞かせよや。われことぶきせむ」
 とうち笑ひたまへる御ありさまを、年のはじめの栄えに見たてまつる。われはと思ひあがれる中将の君ぞ、
 「『かねてぞ見ゆる』などこそ、鏡の影にも語らひはんべりつれ。私の祈りは、何ばかりのことをか」
 など聞こゆ。

朝のほどは人びと参り混みて、もの騒がしかりけるを、

 朝のほどは人びと参り混みて、もの騒がしかりけるを、夕つ方、御方々の参座したまはむとて、心ことにひきつくろひ、化粧じたまふ御影こそ、げに見るかひあめれ。
 「今朝、この人びとの戯れ交はしつる、いとうらやましく見えつるを、上にはわれ見せたてまつらむ」
 とて、乱れたる事どもすこしうち混ぜつつ、祝ひきこえたまふ。

 「薄氷解けぬる池の鏡には
  世に曇りなき影ぞ並べる」

 げに、めでたき御あはひどもなり。

 「曇りなき池の鏡によろづ代を
  すむべき影ぞしるく見えける」

 何事につけても、末遠き御契りを、あらまほしく聞こえ交はしたまふ。今日は子の日なりけり。げに、千年の春をかけて祝はむに、ことわりなる日なり。

姫君の御方に渡りたまへれば、童女、下仕へなど、

 姫君の御方に渡りたまへれば、童女、下仕へなど、御前の山の小松引き遊ぶ。若き人びとの心地ども、おきどころなく見ゆ。北の御殿より、わざとがましくし集めたる鬚籠ども、破籠などたてまつれたまへり。えならぬ五葉の枝に移る鴬も、思ふ心あらむかし。

 「年月を松にひかれて経る人に
  今日鴬の初音聞かせよ
 『音せぬ里の』」

 と聞こえたまへるを、「げに、あはれ」と思し知る。言忌もえしあへたまはぬけしきなり。
 「この御返りは、みづから聞こえたまへ。初音惜しみたまふべき方にもあらずかし」
 とて、御硯取りまかなひ、書かせたてまつりたまふ。いとうつくしげにて、明け暮れ見たてまつる人だに、飽かず思ひきこゆる御ありさまを、今までおぼつかなき年月の隔たりにけるも、「罪得がましう、心苦し」と思す。

 「ひき別れ年は経れども鴬の
  巣立ちし松の根を忘れめや」

 幼き御心にまかせて、くだくだしくぞあめる。

夏の御住まひを見たまへば、時ならぬけにや、いと静かに見えて、

 夏の御住まひを見たまへば、時ならぬけにや、いと静かに見えて、わざと好ましきこともなくて、あてやかに住みたるけはひ見えわたる。
 年月に添へて、御心の隔てもなく、あはれなる御仲なり。今は、あながちに近やかなる御ありさまも、もてなしきこえたまはざりけり。いと睦ましくありがたからむ妹背の契りばかり、聞こえ交はしたまふ。御几帳隔てたれど、すこし押しやりたまへば、またさておはす。
 「縹は、げに、にほひ多からぬあはひにて、御髪などもいたく盛り過ぎにけり。やさしき方にあらぬと、葡萄鬘してぞつくろひたまふべき。我ならざらむ人は、見醒めしぬべき御ありさまを、かくて見るこそうれしく本意あれ。心軽き人の列にて、われに背きたまひなましかば」など、御対面の折々は、まづ、「わが心の長きも、人の御心の重きをも、うれしく、思ふやうなり」
 と思しけり。こまやかに、ふる年の御物語など、なつかしう聞こえたまひて、西の対へ渡りたまひぬ。

まだいたくも住み馴れたまはぬほどよりは、けはひをかしくしなして、

 まだいたくも住み馴れたまはぬほどよりは、けはひをかしくしなして、をかしげなる童女の姿なまめかしく、人影あまたして、御しつらひ、あるべき限りなれど、こまやかなる御調度は、いとしも調へたまはぬを、さる方にものきよげに住みなしたまへり。
 正身も、あなをかしげと、ふと見えて、山吹にもてはやしたまへる御容貌など、いとはなやかに、ここぞ曇れると見ゆるところなく、隈なく匂ひきらきらしく、見まほしきさまぞしたまへる。もの思ひに沈みたまへるほどのしわざにや、髪の裾すこし細りて、さはらかにかかれるしも、いとものきよげに、ここかしこいとけざやかなるさましたまへるを、「かくて見ざらましかば」と思すにつけても、えしも見過ぐしたまふまじ。
 かくいと隔てなく見たてまつりなれたまへど、なほ思ふに、隔たり多くあやしきが、うつつの心地もしたまはねば、まほならずもてなしたまへるも、いとをかし。

「年ごろになりぬる心地して、見たてまつるにも心やすく、

 「年ごろになりぬる心地して、見たてまつるにも心やすく、本意かなひぬるを、つつみなくもてなしたまひて、あなたなどにも渡りたまへかし。いはけなき初琴習ふ人もあめるを、もろともに聞きならしたまへ。うしろめたく、あはつけき心持たる人なき所なり」
 と聞こえたまへば、
 「のたまはせむままにこそは」
 と聞こえたまふ。さもあることぞかし。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第103回 「玉葛」その5~「初音」その1
収録日 2008年2月2日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

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