今に生きる江戸のかるた遊び 百人一首の魅力(岡野弘彦)
講和 百人一首の魅力
岡野弘彦 國學院大学名誉教授
内容
(再生時間 33分00秒)
1.幼少時代の百人一首の思い出
三歳ころから始めて、得意な取り札や好きな歌を覚えたのは五歳のころ。
好きになった歌
恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思ひそめしか 壬生忠見
得意札
村さめの 露もまだひぬ まきの葉に
霧たちのぼる 秋の夕暮れ 寂蓮法師
2.和歌史の中の百人一首
日本の和歌史の中で、濃密な形のアンソロジーが「百人一首」というコンパクトな「かるた」の形で、庶民の生活に広く普及したのは素晴らしいこと。
農村の若者の心豊かな遊びは「かるた取り」に及ぶものはないあろう。昔の農村で男女が公然と席を同じくして、恋歌の多い百人一首をとることは、活力に満ち満ちた想いを村の若者達に与えた。
3.和歌との触れあい
戦争が一つの境になってかるた取りの熱気がすーっと寂しくなり、家庭ではだんだんかるた取りをしなくなった。
皇學館大学附属中学で徹底的に古典を教え込まれ、中学三年頃から短歌を作らされた。本格的に短歌を作り出したのは、折口信夫の文学と学問に憧れた國學院大學の予科に入ってから。
4.丸谷才一著『新々百人一首』を読んで
英文学者で小説家の丸谷さんが、濃密で、緻密な考証と評価を加えた、日本人にとって大事な見事な本を書かれた。
丸谷さんは英国留学後、急に日本文学に対して濃密な視野を示され、イギリス文学のバックボーンは詩であり、日本文学のバックボーンは和歌であることを発見された。
『新々百人一首』のはしがきより
近代詩の父親といって良い萩原朔太郎の詩「旅よりある女に贈る」は、大弐三位の
「有馬やま」の影響下に書いたものではないか。
旅よりある女に贈る
山の山頂にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんで居た。
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口にあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた、
おれはいまでも、お前のことを思つてゐのだ。
有馬やま猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする 大弐三位
丸谷さんは素晴らしい発見をした。そして、大弐三位の「有馬やま」の歌は柿本人麻呂の歌を本歌取りしている。
笹の葉は み山もさやに さやげども、われは妹思ふ。
別れきぬれば
5.恋歌の多い、定家の選んだ百人一首
もともと歌というのは、神の言葉とその言葉を受けて神に対して誓いと感謝を述べる人間側の代表の聖なる女性の言葉とその問答が、短歌定型のもとになっていく。定型が確立してから千五百年、現代文学としてなお生きている。これは、世界で類をみない心の伝承であり、静かな心の誇り、心の重しのようになってくれる。
百人一首にはさわやかな四季の歌もあるが、我々の心に強く響くのは恋歌。生きていく上での活き活きとした情熱の源泉は恋。恋の情熱を失った民族は衰弱していくしかしようがない。
コンテンツ名 | 小江戸川越フォーラム 「今に生きる江戸のかるた遊び」 |
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収録日 | 2009年3月13日 |
講師 | 岡野弘彦 |
簡易プロフィール | 講師:岡野弘彦(國學院大學名誉教授) 肩書などはコンテンツ収録時のものです |
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