京都とフィレンツェの対話 第二部 影の美と愛の言葉(今道友信)
第2部 京都を世界に、世界を京都に
影の美と愛の言葉
紫式部『源氏物語』とダンテ・アリギエーリ『神曲』の照応と背反
今道 友信 東京大学名誉教授
紫式部『源氏物語』とダンテ・アリギエリ『神曲』の照応と背反
(再生時間 14分3秒)
影の美と愛の言葉
I. 影の美
「須磨の巻」
「朝廷にかしこまりきこゆる人は、明らかなる月日の影をだに見ず」と録され、身内に不浄の人すなわち死者また罪とがなどある人がいると慎んで月日の光から己れを遠ざける。
「椎が本の巻」父君である八の宮を亡くして喪服姿の宇治の大君つまり姉の宮は薫の君の訪れにも
「あさましう、今までながらへはべるやうなれど、思ひさまさむ方なき夢にたどられはべりてなむ、心よりほかに空の光見はべらむもつつましうて、端近うもえみじろきはべらぬ」
人は光から身を退くという喪の心がけを倫理としてもつ
II. ゆかしさの秘法
(再生時間 13分1秒)
二重抑制による自己表現としての抑現(suppression)
源氏物語の倫理の美しさは服喪の儀を日月の光を絶つ壁を立てそのこちら側で厳粛に営み続ける儒教の礼のきびしい形式性とは異なって人に自然なエロティシズムの魅力を漂わせているところにある。二十一、二才かと思われる宇治の大君はあのようにことわりながらも、身の盛りびとの匂うような透影(すきかげ)を几帳(きちょう)越しに恋いしたう薫の視野の中に、距離を置いてではあるが、幻のように浮かべる。紫式部の日本語はいう、
「ほのかに一言などいらへきこえたまふさまの、げに、よろづ思ひほれたまへるけはひなれば、いとあはれと聞きたてまつりたまふ。
黒き几帳の透き影の、いと心苦しげなるに、まして、おはすらむさま、ほの見し明けくれなど思ひ出でられて、
色変はる浅茅を見ても墨染(すみぞめ)にやつるる袖を思ひこそやれ と、独り言のやうにのたまへば、
色変はる袖をば露の宿りにてわが身ぞさらに置き所なき はつるる糸はと末は言ひ消ちて、いと、いみじく忍びがたきけはひにて入り給ひぬなり。ひきとどめなどすべきほどにもあらねば、飽かずあはれにおぼゆ。」
そこには誘いに心がゆれながらも光を避けなければならない服喪の身のたしなみと、嫌って絶つのではない女性のゆかしいためらいを影と声に託した大君のはかなげな二重の抑制による自己表現としての抑現(suppression)と、踏み込めばたやすく入ることのできたすだれや几帳を隔てて、死去した尊敬する先輩の娘を守るべき身のつつしみにためらい、こちらも几帳を隔てての影と声だけによってもの問う薫の二重の抑制による自己表現としての抑現(suppression)がなやましくうごめいている。それは彼ら二人は相魅かれつつ結ばれないまま大君の思いもうけむ早い死により相互の愛は抑現のまま郷愁のあこがれのうちに永続する。そこには声と影との微妙な交流が唇と肉体との交合の闇のうごめきとは異質の香気が立ちのぼり、永続する未完の美が抑現の美の完成を示す。この点はどこかにダンテにおけるベアトリイチェとの愛に似通うものがある。
III.至高の光に於いて去ってゆく影
(再生時間 20分32秒)
周知のようにダンテは地獄門を彼の千三百年も前に死者となったローマの大詩人ウェルギリウス(『神曲』の中ではイタリア語風にヴィルジリオ<Virgilio>と呼ばれる)とともに通過して死者たちの国である地獄と煉獄を経て遂にはベアトリイチェと天国にまでもいく。死後の世界で会う人びとはもとよりみな死者であるから影に過ぎない。霊はもち続け、したがって思考を声音とはちがう語で話す影に過ぎず、そこは闇や幽暗の世界である。喪服をまとうて影に生きやがて死者の世に去る宇治の大君の薫との愛には『神曲』を読みつづけたころ何かふしぎな影と愛とが抑現の美と相思の語らいの高雅なおもむきに於いて相通うものを予感していたものであったが、今日を機会にその一端をのべうることは大きなよろこびと言わざるをえない。
『神曲』天国篇第三十歌は至高天に近く、その四十九行から五十一行には
Cosi mi circunfulse luce viva,
E lasciommi fasciato di tal velo
Del suo fulgor, che nulla m’appariva.
生ける輝きが私をかこみ
きらめく帷(おお)いで身を包むから
眩(まぶし)いあまりに何も見えない
喪服をまとう者や不浄の者が神事の祝典や朝廷の儀式のような晴れがましい明るさの場には行けなかったように神の聖光(みひかり)のみちるエムピリオ(天頂)の間近に入ろうとすると人はひととき正気を失うようなことがこれまでにもあった。どうしたらいいのか、この状況をどう解すべきかダンテは、すでに天国の近づいたころ、煉獄篇第三十歌でヴィルジリオが身を退き後の案内をベアトリイチェに託して去ったことなどもあり、ダンテは不安になったが、また感覚がもどり、その後千変万化の光の散華に迷い、結局どこを目あてに歩めばよいかわからず、
E in nulla parte ancor fermato il viso
いまだどこへと目を定めえぬ
と天国篇三十一歌五十四行で歌った状況でもう一度ベアトリイチェに尋ねてみようと思う。
E volgeami con voglia riaccesa
Per domandar la mia donna di cose,
Di che la mente mia era sospesa.
Uno intendea, e altro mi rispose;
Credea veder Beatrice, e vidi un sene
Vestito con le genti gloriose. (Par. XXXI. 52-60)
こうして新たな望みに焼かれ
心に浮かんだ不安の事を
淑女にきこうとふり返ったが
私の期待と答えはちがい
見ようと思ったベアトリイチェの
代わりにいたのは白衣(ひゃくえ)の翁(おきな)
このような光の散華やエンピレオの豪華な美に心も定まらず、またしてもベアトリイチェに教わろうと頼みにしてふりかえったら、彼女の影はなくそこには一人の老師父、ベアトリイチェも行けない天国の至高の場を案内するために来た聖ベルナルドである。ベアトリイチェをなつかしむダンテが Ov’e ella? (あの方はどこに?)と問うたのをあわれみ、彼女が「その功徳に応じてわりあてられた玉座にいる( Nel trono che i suoi merti le sortiro )」( Par. XXXI. 69)とその居場所を丁寧に教えてくれた。ダンテがその方を見やるとかなり遠いけれどもよく見えたのではるかに語りかける、十二行の美しい詩、その最後の三行を見てみよう(Par.XXXI.88-90)
La tua magnificenza in me custodi,
Si che l’anima mia, che fatt’hai sana,
Piacente a te dal corpo si disnodi.
あなたがいやしたこの魂が
あなたの華麗な力でいつか
肉のきずなから離れますよう
彼女の対応は次の様に書かれている。
Cosi orai; e quella, si lontana
Come parea, sorrise e riguardommi;
Poi si torno all’etterna fontana.
私が告げると彼女は遠い
ところでほほえみ私を見つめ
やがて永遠の泉に向かう。
これら I. II. III. の省察から何が告げられるであろうか。
コンテンツ名 | ダンテフォーラム in 京都「芸術文化都市の戦略―フィレンツェの魅力・京都の魅力」/ダンテフォーラム in 京都「文学と芸術の対話」 |
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収録日 | 2005年7月24日 |
講師 | 今道友信 |
簡易プロフィール | 講師:今道友信(東京大学名誉教授) 肩書などはコンテンツ収録時のものです |
会場:京都造形芸術大学・春秋座 |
連載
- 京都とフィレンツェの対話 第二部 はじめに
- 京都とフィレンツェの対話 第二部 「文学と美術」の比較文化論(高階秀爾)
- 京都とフィレンツェの対話 第二部 影の美と愛の言葉(今道友信)
- 京都とフィレンツェの対話 第二部 神話から物語へ貫いて流れているもの―古代母権社会の面影をたどって(岡野弘彦)
- 京都とフィレンツェの対話 第二部 上野の森で考えたこと―文学と芸術のルネサンスへ(樺山紘一)
- 京都とフィレンツェの対話 第二部 「盃に春の涙を注ぎける」―『新古今』の歌人式子内親王の世界(芳賀徹)
- 京都とフィレンツェの対話 第二部 シンポジウム 「楽しみ価値」追及モデル・京都を世界に
- 京都とフィレンツェの対話 第二部 『神曲』と『源氏物語』への目覚め(須賀由紀子)
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