京都とフィレンツェの対話 第二部 シンポジウム 「楽しみ価値」追及モデル・京都を世界に
第2部 京都を世界に、世界を京都に
シンポジウム
「楽しみ価値」追及モデル・京都を世界に
今道 友信 英知大学教授・東京大学名誉教授
岡野 弘彦 國學院栃木短期大学学長・國學院大學名誉教授
樺山 紘一 東京大学名誉教授
高階 秀爾 京都造形大学大学院長
芳賀 徹 京都造形大学学長
コーディネーター: 松田 義幸 実践女子大学教授
1.はじめに
(再生時間 3分12秒)
今回のダンテフォーラムのテーマについて
(コーディネーター:松田義幸)
2.言葉こそ文化であり、祖国であり、力である
(再生時間 11分54秒)
「盃に春の涙を注ぎける」は、芳賀さんがおっしゃるように、確かに「春の涙」というような言い方は、日本語でもって大変深い思いを思い起こさせてくれるんですが、そのお歌の話を聞いて、私がすぐ思い浮かべましたのは、西洋では、これは今道先生の領域になりますが、ウェルギリウスの有名な「sunt lacrimae rerum (物に涙あり)」。これは、西洋の詩の中で、春の涙だけではなくて物そのものに涙する心。西洋の叙情的な流れというのはやはりあるんです。(高階秀爾)
この『源氏物語』にしても、『神曲』の講義にしても、今道先生、岡野先生が言葉の問題の重要性を非常に強く言われているのは全くそのとおりだろうと思います。言葉というものがいかにして我々の時代まで残っているか。言葉こそ我々にとっての文化であり、祖国であり、力であるということを改めて思い知らされたわけです。(高階)
3.式子内親王の歌はどうすれば絵になるのか
(再生時間 10分39秒)
日本の場合には、伊勢にしても、源氏にしても、絵だけ見てすべてがわかるのではなくて、源氏の世界、伊勢の世界をそこで思い浮かべているのだと思います。それは岡野先生がおっしゃった源氏なり何なりをみんな心の中に持っているんです。その心の中に伝えるのに、歌というのは非常に伝えやすい。もちろん物語もそうですが、歌は追憶ないし記憶の道具として大変見事だと思うんです。詩もそうだと思います。ですから、絵だけ見て知らない世界を思い浮かべるのではなくて、絵を見ることで式子内親王の世界、既に知っている世界を思い浮かべる。そのために我々は古典に親しむ必要があるのだと思います。(高階)
『伊勢物語』や『源氏物語』のように、ある主人公がいて、相手になる異性の人物もいて、それでストーリーが展開するというと、確かに絵巻物のような形で絵画的表現もしやすいけれども、一個の歌になると、これをそのまま絵にというのはやはり無理だと思いますね。(芳賀 徹)
4.文字と画像との親和性 ヨーロッパと日本との違い
(再生時間 8分9秒)
言葉は当然文字で表現されますけれども、ヨーロッパ文字、ローマ字であれ、キリル系文字であれ、明らかに表音文字であって、26もしくはその前後の数に限られています。他方、日本語あるいは日本語の母体としてあった中国語漢字を含めまして、言うならばイメージ文字である。したがって、この文字はご承知のとおりに大きく書くことも小さく書くこともできるだけではなくて、下から書いても読める、横から書いても斜めから書いても読める。英語を下から書いたら、ほとんど読めません。要するに、順序を逆に、あるいは斜めに、渦巻きにすると、非常に読みにくい。外国語で看板もしくはネオンサインが縦に書いてあると、とても読みにくいということを私たちは経験しますけれども、文字の性格が違うということがあります。(樺山紘一)
近代になって日本にも活版印刷が導入されますけれども、この発想はずっと引き継がれていて、私たちの世代はコミックスは余り一生懸命に読みませんけれども、あれを見ますと、あえて言えば江戸時代中期、後期に開発された整版印刷のやり方、考え方を現在の方法でもって、現在はかつてとはかなり違いますけれども、引き継いでいくことができる。こうすることで、文字と画像との間の親和性を十分に保つことができるような、そんな現代表現というものが出来上がった。その辺が、恐らくヨーロッパの場合の絵と文字との親和性とはかなり違う性格、側面があったんだというふうに考えることができると思っております。(樺山)
5.『源氏物語』光源氏の時代と「宇治十帖」の時代との違い
(再生時間 19分10秒)
・和歌に凝縮せられた日本人の心の伝統
花は散てその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる
ながむれば思ひやるかたぞなき春のかぎりの夕暮の空 (式子内親王)
光源氏というのは、先ほども申しましたように、非常に揺らぎない『源氏物語』の巨大な主人公ですが、光源氏は、一度愛した女性、一度契りを持った女性は絶対に見放さない。それがたとえ大変なおばあさんであっても、あるいは末摘花の姫君のように醜女と言ってもいいような人であっても、決して突き放さない。そして末長く、心長く見守っていく、そういうところが途方もなく大きな物語の主人公ですが、そこに古風な一時代、二時代前の神話の時代から糸を引いている大きな日本の神話・物語の主人公のスケール、資格、力というふうなものが当然あるわけです。ところが、薫や匂宮、大君、中君、浮舟というふうな人の時代になりますと、急に中古から中世に入ったような感じがすーっと色濃くなってきて、大君にしても薫君にしても大変聡明で、他者に対する配慮も細やかで、反省力もあるわけです。(岡野弘彦)
・口承言語芸術の重要性も認識すべき
中国では、孔子の前の時代から「文学」という言葉がございましたので、朗詠する口承芸術、言語芸術という言葉よりも、文学と芸術というのでよろしいんですけれども、西洋、その他のことを考えますと、日本も含めて、非常に長い間、口承言語芸術というものがあって、そして源氏の終わりの方と言われるところでも、「「色変はる朝茅を見ても墨染にやつるる袖を思ひこそやれ」と独り言のやうにのたまへば」と言って、大君もそれに答えて、最後に「「はつるる糸は」と末は言ひ消ちて」と言って、やはり口承言語芸術の伝統が生きておりますので、文学と芸術の対話というよりも、詩と造形美術の対話とか何かというふうにしませんと、口承言語芸術自体はどうであったかというと、舞踊が一緒に伴っていることが多うございましたし、音楽が伴っているということが多うございました。「文学」という言葉は、ヨーロッパにはローマの時代になるまでございませんでしたので、そのこともちょっと考えておかなければならない問題ではないかと思いました。(今道友信)
6.ソフトパワー グローバル化の中で文化・芸術の果たす役割とは
(再生時間 13分30秒)
・芸術文化都市の戦略
フィレンツェも京都も、長く、また高度な伝統文化を持った国々が、これまで社会や文化を維持してきた仕組みやからくりは一体どこにあるのかということに始まり、今後、それらのものをどのような方向でくみ上げ、それを他者との間で交換していくことができるかということを考えようではないか、そういう意味合いだというふうにご理解いただければと思います。「戦略」という言葉を使うと、すぐ戦争だという話になりますが、そうではなくて――したがって、「計略」と言いたいけれども、「計略」と言うと、まるでインチキをするようで、これもまずいんですが、そうした方向でこれから私たちも考えていく。その際に、フィレンツェと京都というのは、少なくとも物を考えるための極めていい素材であることは間違いない。(樺山紘一)
今、樺山さんがソフトパワーという言葉をお使いになりましたが、京都は十分な、世界にも稀なほどの充実した文化的ソフト、いわゆるソフトパワーを持っている。ところが、そのソフトパワーを、現在、21世紀になったばかりの京都という大都市に十分生かしているかというと、生かしていない。むしろソフトパワーの伝統、文化芸術の伝統をないがしろにしたり、忘れたり、壊したり、侵したりしつつあるのではないか。その点が、私、京都の人間ではないだけに一層気になって、やはり戦略も考えていただきたいなと思っております。(芳賀 徹)
7.シンポジウムのおわりに
(再生時間 24分34秒)
・古典の力を外国の人にどう伝えるか
式子内親王のお歌にしても、源氏にしても、言葉の持っている非常に微妙な古典の力というものが文化を支えている。しかし、我々でさえもそこから縁遠くなってきていますから、それを外国の人に知らせるのはなかなか難しいんです。言葉はその意味では一番障害があるんです。(中略)わかるのは絵なんです。例えば光琳の『かきつばた』を見ると、なるほど美しい、見事なデザインであるし、優れた作品だということがすぐわかるんですが、実はその背後に伊勢があるということを説明していけばいい。共通してわかる部分から説明していく。あれは単なるデザインではなくて、実は平安以来の伝統文化が後ろにあって、そこにはこういう歌もあるしということで、これは戦略というか、謀だと思うんです。いきなり日本語を言っても通じないわけです。(高階)
・古典をめぐる危機のなかで
日本の古典を文語で原文のまま読める人は、極めて希有のことになるだろうと思います。翻訳で古典を読まなければならないという。我々は近代のヨーロッパを翻訳で大体知ったわけですけれども、そのときに非常に大事なものを取りこぼしてしまった、あるいは取り違えてしまった、その反省を今1世紀半たってしみじみと感じ始めているわけですけれども、同じような悔しさを日本の我々の古典に対してやがて持たなければならないのかと思うと、何とも寂しい思いがしてまいりますけれども、そんなこともどうぞここの場にお集まりくださった方々は心にとめて、それを何とか次の時代に少しでも生き生きとした形で伝えることにお力添えをいただきたいと思うのです。(岡野)
・思索や詩、日常の行動を律する「母語」の大切さ
母語の強みは、母語でできた詩が何となくわかるというところにあるんじゃないかと思います。(中略)母語で詩がつくれなくても、詩がしみじみと理解できるという、そういう勉強だけは続けておきませんと、800年続いた国というのはめったにございませんので、日本が日本らしくなってから800年ぐらいたったんじゃないかと思いますから、今年、来年あたりが第1回の危機だと思いますね。仮に日本の国家が国家として独立を失うことがあっても、私どもは私どもの思索、考えとか、詩とか、日常の行動を律していく日本語を大事にするということ、そしてその日本語を育てた都会というのはたくさんあって、どの都会もそれなりに育てたんですが、京都が一番大きな力を果たしてきていると思いますので、この都を大事にして、私は「戦略」ではないんですが、計画を立てて、人類のために日本の文化の中にも意味があるものがあったら、それを今後も育てていこうではございませんか。(今道友信)
コンテンツ名 | ダンテフォーラム in 京都「芸術文化都市の戦略―フィレンツェの魅力・京都の魅力」/ダンテフォーラム in 京都「文学と芸術の対話」 |
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収録日 | 2005年7月24日 |
講師 | 今道友信、岡野弘彦、樺山紘一、高階秀爾、芳賀徹、コーディネーター:松田義幸 |
簡易プロフィール | 講師:今道友信(東京大学名誉教授) 講師:岡野弘彦(國學院栃木短期大学学長・國學院大學名誉教授) 講師:樺山紘一(東京大学名誉教授) 講師:高階秀爾(京都造形大学大学院長) 講師:芳賀徹(京都造形大学学長) コーディネーター:松田義幸(実践女子大学教授)
肩書などはコンテンツ収録時のものです |
会場:京都造形芸術大学・春秋座 |
連載
- 京都とフィレンツェの対話 第二部 はじめに
- 京都とフィレンツェの対話 第二部 「文学と美術」の比較文化論(高階秀爾)
- 京都とフィレンツェの対話 第二部 影の美と愛の言葉(今道友信)
- 京都とフィレンツェの対話 第二部 神話から物語へ貫いて流れているもの―古代母権社会の面影をたどって(岡野弘彦)
- 京都とフィレンツェの対話 第二部 上野の森で考えたこと―文学と芸術のルネサンスへ(樺山紘一)
- 京都とフィレンツェの対話 第二部 「盃に春の涙を注ぎける」―『新古今』の歌人式子内親王の世界(芳賀徹)
- 京都とフィレンツェの対話 第二部 シンポジウム 「楽しみ価値」追及モデル・京都を世界に
- 京都とフィレンツェの対話 第二部 『神曲』と『源氏物語』への目覚め(須賀由紀子)
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