源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第62回 「賢木」より その5

藤壺が法華八講を修し、俄かに出家する。その後、二条に戻っても春宮を思い源氏は苦しむ。そして、改めて出家した藤壺を尋ね源氏は落涙し、その様に藤壺の周りのものもいたわしく思う。

まづ、内裏の御方に参りたまへれば、のどやかにおはしますほどにて、

 まづ、内裏の御方に参りたまへれば、のどやかにおはしますほどにて、昔今の御物語聞こえたまふ。御容貌も、院にいとよう似たてまつりたまひて、今すこしなまめかしき気添ひて、なつかしうなごやかにぞおはします。かたみにあはれと見たてまつりたまふ。
 尚侍の君の御ことも、なほ絶えぬさまに聞こし召し、けしき御覧ずる折もあれど、
 「何かは、今はじめたることならばこそあらめ。さも心交はさむに、似げなかるまじき人のあはひなりかし」
 とぞ思しなして、咎めさせたまはざりける。
 よろづの御物語、文の道のおぼつかなく思さるることどもなど、問はせたまひて、また、好き好きしき歌語りなども、かたみに聞こえ交はさせたまふついでに、かの斎宮の下りたまひし日のこと、容貌のをかしくおはせしなど、語らせたまふに、我もうちとけて、野の宮のあはれなりし曙も、みな聞こえ出でたまひてけり。

二十日の月、やうやうさし出でて、をかしきほどなるに、

 二十日の月、やうやうさし出でて、をかしきほどなるに、
 「遊びなども、せまほしきほどかな」
 とのたまはす。
 「中宮の、今宵、まかでたまふなる、とぶらひにものしはべらむ。院ののたまはせおくことはべりしかば。また、後見仕うまつる人もはべらざめるに。春宮の御ゆかり、いとほしう思ひたまへられはべりて」
 と奏したまふ。
 「春宮をば、今の皇子になしてなど、のたまはせ置きしかば、とりわきて心ざしものすれど、ことにさしわきたるさまにも、何ごとをかはとてこそ。年のほどよりも、御手などのわざとかしこうこそものしたまふべけれ。何ごとにも、はかばかしからぬみづからの面起こしになむ」
 と、のたまはすれば、
 「おほかた、したまふわざなど、いとさとく大人びたるさまにものしたまへど、まだ、いと片なりに」
 など、その御ありさまも奏したまひて、まかでたまふに、大宮の御兄の藤大納言の子の、頭の弁といふが、世にあひ、はなやかなる若人にて、思ふことなきなるべし、妹の麗景殿の御方に行くに、大将の御前駆を忍びやかに追へば、しばし立ちとまりて、
 「白虹日を貫けり。太子畏ぢたり」
 と、いとゆるるかにうち誦じたるを、大将、いとまばゆしと聞きたまへど、咎むべきことかは。后の御けしきは、いと恐ろしう、わづらはしげにのみ聞こゆるを、かう親しき人びとも、けしきだち言ふべかめることどももあるに、わづらはしう思されけれど、つれなうのみもてなしたまへり。
 「御前にさぶらひて、今まで、更かしはべりにける」
 と、聞こえたまふ。

月のはなやかなるに、「昔、かうやうなる折は、御遊びせさせたまひて、

 月のはなやかなるに、「昔、かうやうなる折は、御遊びせさせたまひて、今めかしうもてなさせたまひし」など、思し出づるに、同じ御垣の内ながら、変はれること多く悲し。
 「九重に霧や隔つる雲の上の
  月をはるかに思ひやるかな」
 と、命婦して、聞こえ伝へたまふ。ほどなければ、御けはひも、ほのかなれど、なつかしう聞こゆるに、つらさも忘られて、まづ涙ぞ落つる。
 「月影は見し世の秋に変はらぬを
  隔つる霧のつらくもあるかな
 霞も人のとか、昔もはべりけることにや」
 など聞こえたまふ。

宮は、春宮を飽かず思ひきこえたまひて、

 宮は、春宮を飽かず思ひきこえたまひて、よろづのことを聞こえさせたまへど、深うも思し入れたらぬを、いとうしろめたく思ひきこえたまふ。例は、いととく大殿籠もるを、「出でたまふまでは起きたらむ」と思すなるべし。恨めしげに思したれど、さすがに、え慕ひきこえたまはぬを、いとあはれと、見たてまつりたまふ。

大将、頭の弁の誦じつることを思ふに、

 大将、頭の弁の誦じつることを思ふに、御心の鬼に、世の中わづらはしうおぼえたまひて、尚侍の君にも訪れきこえたまはで、久しうなりにけり。
 初時雨、いつしかとけしきだつに、いかが思しけむ、かれより、
 「木枯の吹くにつけつつ待ちし間に
  おぼつかなさのころも経にけり」
 と聞こえたまへり。折もあはれに、あながちに忍び書きたまへらむ御心ばへも、憎からねば、御使とどめさせて、唐の紙ども入れさせたまへる御厨子開けさせたまひて、なべてならぬを選り出でつつ、筆なども心ことにひきつくろひたまへるけしき、艶なるを、御前なる人びと、「誰ればかりならむ」とつきじろふ。
 「聞こえさせても、かひなきもの懲りにこそ、むげにくづほれにけれ。身のみもの憂きほどに、
  あひ見ずてしのぶるころの涙をも
  なべての空の時雨とや見る
 心の通ふならば、いかに眺めの空ももの忘れしはべらむ」
 など、こまやかになりにけり。
 かうやうにおどろかしきこゆるたぐひ多かめれど、情けなからずうち返りごちたまひて、御心には深う染まざるべし。

中宮は、院の御はてのことにうち続き、

 中宮は、院の御はてのことにうち続き、御八講のいそぎをさまざまに心づかひせさせたまひけり。
 霜月の朔日ごろ、御国忌なるに、雪いたう降りたり。大将殿より宮に聞こえたまふ。
 「別れにし今日は来れども見し人に
  行き逢ふほどをいつと頼まむ」
 いづこにも、今日はもの悲しう思さるるほどにて、御返りあり。
 「ながらふるほどは憂けれど行きめぐり
  今日はその世に逢ふ心地して」
 ことにつくろひてもあらぬ御書きざまなれど、あてに気高きは思ひなしなるべし。筋変はり今めかしうはあらねど、人にはことに書かせたまへり。今日は、この御ことも思ひ消ちて、あはれなる雪の雫に濡れ濡れ行ひたまふ。

十二月十余日ばかり、中宮の御八講なり。

 十二月十余日ばかり、中宮の御八講なり。いみじう尊し。日々に供養ぜさせたまふ御経よりはじめ、玉の軸、羅の表紙、帙簀の飾りも、世になきさまにととのへさせたまへり。さらぬことのきよらだに、世の常ならずおはしませば、ましてことわりなり。仏の御飾り、花机のおほひなどまで、まことの極楽思ひやらる。
 初めの日は、先帝の御料。次の日は、母后の御ため。またの日は、院の御料。五巻の日なれば、上達部なども、世のつつましさをえしも憚りたまはで、いとあまた参りたまへり。今日の講師は、心ことに選らせたまへれば、「薪こる」ほどよりうちはじめ、同じう言ふ言の葉も、いみじう尊し。親王たちも、さまざまの捧物ささげてめぐりたまふに、大将殿の御用意など、なほ似るものなし。常におなじことのやうなれど、見たてまつるたびごとに、めづらしからむをば、いかがはせむ。

果ての日、わが御ことを結願にて、

 果ての日、わが御ことを結願にて、世を背きたまふよし、仏に申させたまふに、皆人びと驚きたまひぬ。兵部卿宮、大将の御心も動きて、あさましと思す。
 親王は、なかばのほどに立ちて、入りたまひぬ。心強う思し立つさまのたまひて、果つるほどに、山の座主召して、忌むこと受けたまふべきよし、のたまはす。御伯父の横川の僧都、近う参りたまひて、御髪下ろしたまふほどに、宮の内ゆすりて、ゆゆしう泣きみちたり。何となき老い衰へたる人だに、今はと世を背くほどは、あやしうあはれなるわざを、まして、かねての御けしきにも出だしたまはざりつることなれば、親王もいみじう泣きたまふ。
 参りたまへる人々も、おほかたのことのさまも、あはれ尊ければ、みな、袖濡らしてぞ帰りたまひける。

故院の御子たちは、昔の御ありさまを思し出づるに、

 故院の御子たちは、昔の御ありさまを思し出づるに、いとど、あはれに悲しう思されて、みな、とぶらひきこえたまふ。大将は、立ちとまりたまひて、聞こえ出でたまふべきかたもなく、暮れまどひて思さるれど、「などか、さしも」と、人見たてまつるべければ、親王など出でたまひぬる後にぞ、御前に参りたまへる。

やうやう人静まりて、女房ども、鼻うちかみつつ、所々に群れゐたり。

 やうやう人静まりて、女房ども、鼻うちかみつつ、所々に群れゐたり。月は隈なきに、雪の光りあひたる庭のありさまも、昔のこと思ひやらるるに、いと堪へがたう思さるれど、いとよう思し静めて、
 「いかやうに思し立たせたまひて、かうにはかには」
 と聞こえたまふ。
 「今はじめて、思ひたまふることにもあらぬを、ものさわがしきやうなりつれば、心乱れぬべく」
 など、例の、命婦して聞こえたまふ。
 御簾のうちのけはひ、そこら集ひさぶらふ人の衣の音なひ、しめやかに振る舞ひなして、うち身じろきつつ、悲しげさの慰めがたげに漏り聞こゆるけしき、ことわりに、いみじと聞きたまふ。
 風、はげしう吹きふぶきて、御簾のうちの匂ひ、いともの深き黒方にしみて、名香の煙もほのかなり。大将の御匂ひさへ薫りあひ、めでたく、極楽思ひやらるる夜のさまなり。
 春宮の御使も参れり。のたまひしさま、思ひ出できこえさせたまふにぞ、御心強さも堪へがたくて、御返りも聞こえさせやらせたまはねば、大将ぞ、言加はへ聞こえたまひける。

誰も誰も、ある限り心収まらぬほどなれば、

 誰も誰も、ある限り心収まらぬほどなれば、思すことどもも、えうち出でたまはず。
 「月のすむ雲居をかけて慕ふとも
  この世の闇になほや惑はむ
 と思ひたまへらるるこそ、かひなく。思し立たせたまへる恨めしさは、限りなう」
 とばかり聞こえたまひて、人々近うさぶらへば、さまざま乱るる心のうちをだに、え聞こえあらはしたまはず、いぶせし。
 「おほふかたの憂きにつけては厭へども
  いつかこの世を背き果つべき
 かつ、濁りつつ」
 など、かたへは御使の心しらひなるべし。あはれのみ尽きせねば、胸苦しうてまかでたまひぬ。

殿にても、わが御方に一人うち臥したまひて、

 殿にても、わが御方に一人うち臥したまひて、御目もあはず、世の中厭はしう思さるるにも、春宮の御ことのみぞ心苦しき。
 「母宮をだに朝廷がたざまにと、思しおきしを、世の憂さに堪へず、かくなりたまひにたれば、もとの御位にてもえおはせじ。我さへ見たてまつり捨てては」など、思し明かすこと限りなし。
 「今は、かかるかたざまの御調度どもをこそは」と思せば、年の内にと、急がせたまふ。命婦の君も御供になりにければ、それも心深うとぶらひたまふ。詳しう言ひ続けむに、ことことしきさまなれば、漏らしてけるなめり。さるは、かうやうの折こそ、をかしき歌など出で来るやうもあれ、さうざうしや。
 参りたまふも、今はつつましさ薄らぎて、御みづから聞こえたまふ折もありけり。思ひしめてしことは、さらに御心に離れねど、まして、あるまじきことなりかし。

年も変はりぬれば、内裏わたりはなやかに、内宴、踏歌など聞きたまふも、

 年も変はりぬれば、内裏わたりはなやかに、内宴、踏歌など聞きたまふも、もののみあはれにて、御行なひしめやかにしたまひつつ、後の世のことをのみ思すに、頼もしく、むつかしかりしこと、離れて思ほさる。常の御念誦堂をば、さるものにて、ことに建てられたる御堂の、西の対の南にあたりて、すこし離れたるに渡らせたまひて、とりわきたる御行なひせさせたまふ。

大将、参りたまへり。改まるしるしもなく、宮の内のどかに、

 大将、参りたまへり。改まるしるしもなく、宮の内のどかに、人目まれにて、宮司どもの親しきばかり、うちうなだれて、見なしにやあらむ、屈しいたげに思へり。
 白馬ばかりぞ、なほ牽き変へぬものにて、女房などの見ける。所狭う参り集ひたまひし上達部など、道を避きつつひき過ぎて、向かひの大殿に集ひたまふを、かかるべきことなれど、あはれに思さるるに、千人にも変へつべき御さまにて、深うたづね参りたまへるを見るに、あいなく涙ぐまる。

客人も、いとものあはれなるけしきに、

 客人も、いとものあはれなるけしきに、うち見まはしたまひて、とみに物ものたまはず。さま変はれる御住まひに、御簾の端、御几帳も青鈍にて、隙々よりほの見えたる薄鈍、梔子の袖口など、なかなかなまめかしう、奥ゆかしう思ひやられたまふ。「解けわたる池の薄氷、岸の柳のけしきばかりは、時を忘れぬ」など、さまざま眺められたまひて、「むべも心ある」と、忍びやかにうち誦じたまへる、またなうなまめかし。

ながめかる海人のすみかと見るからに

 「ながめかる海人のすみかと見るからに
  まづしほたるる松が浦島」
 と聞こえたまへば、奥深うもあらず、みな仏に譲りきこえたまへる御座所なれば、すこしけ近き心地して、
 「ありし世のなごりだになき浦島に
  立ち寄る波のめづらしきかな」
 とのたまふも、ほの聞こゆれば、忍ぶれど、涙ほろほろとこぼれたまひぬ。世を思ひ澄ましたる尼君たちの見るらむも、はしたなければ、言少なにて出でたまひぬ。
 「さも、たぐひなくねびまさりたまふかな」
 「心もとなきところなく世に栄え、時にあひたまひし時は、さる一つものにて、何につけてか世を思し知らむと、推し量られたまひしを」
 「今はいといたう思ししづめて、はかなきことにつけても、ものあはれなるけしけさへ添はせたまへるは、あいなう心苦しうもあるかな」
 など、老いしらへる人々、うち泣きつつ、めできこゆ。宮も思し出づること多かり。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第62回 「賢木」より その5
収録日 2005年4月23日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

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