第79回 「蓬生」より その3
源氏が花散里を訪ねる折り末摘花の邸宅を通り、姫は父君の夢から覚め泣いていたが、惟光に主を確かめさせ、源氏はかわらぬ様を知り躊躇するが、さりげなく現れ、花散里の様に感じるものあり、二条の東の院で大切に扱う。
講師:岡野弘彦
- 目次
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- 霜月ばかりになれば、雪、霰がちにて、ほかには消ゆる間もあるを、
- かの殿には、めづらし人に、いとどもの騒がしき御ありさまにて、
- 卯月ばかりに、花散里を思ひ出できこえたまひて、
- ここには、いとど眺めまさるころにて、つくづくとおはしけるに、
- 惟光入りて、めぐるめぐる人の音する方やと見るに、いささかの人気もせず。
- 内には、思ひも寄らず、狩衣姿なる男、忍びやかにもてなし、
- 「などかいと久しかりつる。いかにぞ。昔のあとも見えぬ蓬のしげさかな」
- 姫君は、さりともと待ち過ぐしたまへる心もしるく、うれしけれど、
- 「かかる草隠れに過ぐしたまひける年月のあはれも、おろかならず、
- 月入り方になりて、西の妻戸の開きたるより、
- かの花散里も、あざやかに今めかしうなどは花やぎたまはぬ所にて、
- 祭、御禊などのほど、御いそぎどもにことつけて、
- なげの御すさびにても、おしなべたる世の常の人をば、
- 二年ばかりこの古宮に眺めたまひて、東の院といふ所になむ、
霜月ばかりになれば、雪、霰がちにて、ほかには消ゆる間もあるを、
霜月ばかりになれば、雪、霰がちにて、ほかには消ゆる間もあるを、朝日、夕日をふせぐ蓬葎の蔭に深う積もりて、越の白山思ひやらるる雪のうちに、出で入る下人だになくて、つれづれと眺めたまふ。はかなきことを聞こえ慰め、泣きみ笑ひみ紛らはしつる人さへなくて、夜も塵がましき御帳のうちも、かたはらさびしく、もの悲しく思さる。
かの殿には、めづらし人に、いとどもの騒がしき御ありさまにて、
かの殿には、めづらし人に、いとどもの騒がしき御ありさまにて、いとやむごとなく思されぬ所々には、わざともえ訪れたまはず。まして、「その人はまだ世にやおはすらむ」とばかり思し出づる折もあれど、尋ねたまふべき御心ざしも急がであり経るに、年変はりぬ。
卯月ばかりに、花散里を思ひ出できこえたまひて、
卯月ばかりに、花散里を思ひ出できこえたまひて、忍びて対の上に御暇聞こえて出でたまふ。日ごろ降りつる名残の雨、いますこしそそきて、をかしきほどに、月さし出でたり。昔の御ありき思し出でられて、艶なるほどの夕月夜に、道のほど、よろづのこと思し出でておはするに、形もなく荒れたる家の、木立しげく森のやうなるを過ぎたまふ。
大きなる松に藤の咲きかかりて、月影になよびたる、風につきてさと匂ふがなつかしく、そこはかとなき香りなり。橘に変はりてをかしければ、さし出でたまへるに、柳もいたうしだりて、築地も障はらねば、乱れ伏したり。
「見し心地する木立かな」と思すは、早う、この宮なりけり。いとあはれにて、おし止めさせたまふ。例の、惟光はかかる御忍びありきに後れねば、さぶらひけり。召し寄せて、
「ここは、常陸の宮ぞかしな」
「しかはべる」
と聞こゆ。
「ここにありし人は、まだや眺むらむ。訪らふべきを、わざとものせむも所狭し。かかるついでに、入りて消息せよ。よく尋ね入りてを、うち出でよ。人違へしては、をこならむ」
とのたまふ。
ここには、いとど眺めまさるころにて、つくづくとおはしけるに、
ここには、いとど眺めまさるころにて、つくづくとおはしけるに、昼寝の夢に故宮の見えたまひければ、覚めて、いと名残悲しく思して、漏り濡れたる廂の端つ方おし拭はせて、ここかしこの御座引きつくろはせなどしつつ、例ならず世づきたまひて、
「亡き人を恋ふる袂のひまなきに
荒れたる軒のしづくさへ添ふ」
も、心苦しきほどになむありける。
惟光入りて、めぐるめぐる人の音する方やと見るに、いささかの人気もせず。
惟光入りて、めぐるめぐる人の音する方やと見るに、いささかの人気もせず。「さればこそ、往き来の道に見入るれど、人住みげもなきものを」と思ひて、帰り参るほどに、月明くさし出でたるに、見れば、格子二間ばかり上げて、簾動くけしきなり。わづかに見つけたる心地、恐ろしくさへおぼゆれど、寄りて、声づくれば、いともの古りたる声にて、まづしはぶきを先にたてて、
「かれは誰れそ。何人ぞ」
と問ふ。名のりして、
「侍従の君と聞こえし人に、対面賜はらむ」
と言ふ。
「それは、ほかになむものしたまふ。されど、思しわくまじき女なむはべる」
と言ふ声、いたうねび過ぎたれど、聞きし老人と聞き知りたり。
内には、思ひも寄らず、狩衣姿なる男、忍びやかにもてなし、
内には、思ひも寄らず、狩衣姿なる男、忍びやかにもてなし、なごやかなれば、見ならはずなりにける目にて、「もし、狐などの変化にや」とおぼゆれど、近う寄りて、
「たしかになむ、うけたまはらまほしき。変はらぬ御ありさまならば、尋ねきこえさせたまふべき御心ざしも、絶えずなむおはしますめるかし。今宵も行き過ぎがてに、止まらせたまへるを、いかが聞こえさせむ。うしろやすくを」
と言へば、女どもうち笑ひて、
「変はらせたまふ御ありさまならば、かかる浅茅が原を移ろひたまはでははべりなむや。ただ推し量りて聞こえさせたまへかし。年経たる人の心にも、たぐひあらじとのみ、めづらかなる世をこそは見たてまつり過ごしはべれ」
と、ややくづし出でて、問はず語りもしつべきが、むつかしければ、
「よしよし。まづ、かくなむ、聞こえさせむ」
とて参りぬ。
「などかいと久しかりつる。いかにぞ。昔のあとも見えぬ蓬のしげさかな」
「などかいと久しかりつる。いかにぞ。昔のあとも見えぬ蓬のしげさかな」
とのたまへば、
「しかしかなむ、たどり寄りてはべりつる。侍従が叔母の少将といひはべりし老人なむ、変はらぬ声にてはべりつる」
と、ありさま聞こゆ。いみじうあはれに、
「かかるしげき中に、何心地して過ぐしたまふらむ。今まで訪はざりけるよ」
と、わが御心の情けなさも思し知らる。
「いかがすべき。かかる忍びあるきも難かるべきを、かかるついでならでは、え立ち寄らじ。変はらぬありさまならば、げにさこそはあらめと、推し量らるる人ざまになむ」
とはのたまひながら、ふと入りたまはむこと、なほつつましう思さる。ゆゑある御消息もいと聞こえまほしけれど、見たまひしほどの口遅さも、まだ変らずは、御使の立ちわづらはむもいとほしう、思しとどめつ。惟光も、
「さらにえ分けさせたまふまじき、蓬の露けさになむはべる。露すこし払はせてなむ、入らせたまふべき」
と聞こゆれば、
「尋ねても我こそ訪はめ道もなく
深き蓬のもとの心を」
と独りごちて、なほ下りたまへば、御先の露を、馬の鞭して払ひつつ入れたてまつる。
雨そそきも、なほ秋の時雨めきてうちそそけば、
「御傘さぶらふ。げに、木の下露は、雨にまさりて」
と聞こゆ。御指貫の裾は、いたうそほちぬめり。昔だにあるかなきかなりし中門など、まして形もなくなりて、入りたまふにつけても、いと無徳なるを、立ちまじり見る人なきぞ心やすかりける。
姫君は、さりともと待ち過ぐしたまへる心もしるく、うれしけれど、
姫君は、さりともと待ち過ぐしたまへる心もしるく、うれしけれど、いと恥づかしき御ありさまにて対面せむも、いとつつましく思したり。大弐の北の方のたてまつり置きし御衣どもをも、心ゆかず思されしゆかりに、見入れたまはざりけるを、この人びとの、香の御唐櫃に入れたりけるが、いとなつかしき香したるをたてまつりければ、いかがはせむに、着替へたまひて、かの煤けたる御几帳引き寄せておはす。
入りたまひて、
「年ごろの隔てにも、心ばかりは変はらずなむ、思ひやりきこえつるを、さしもおどろかいたまはぬ恨めしさに、今までこころみきこえつるを、杉ならぬ木立のしるさに、え過ぎでなむ、負けきこえにける」
とて、帷子をすこしかきやりたまへれば、例の、いとつつましげに、とみにも応へきこえたまはず。かくばかり分け入りたまへるが浅からぬに、思ひ起こしてぞ、ほのかに聞こえ出でたまひける。
「かかる草隠れに過ぐしたまひける年月のあはれも、おろかならず、
「かかる草隠れに過ぐしたまひける年月のあはれも、おろかならず、また変はらぬ心ならひに、人の御心のうちもたどり知らずながら、分け入りはべりつる露けさなどを、いかが思す。年ごろのおこたり、はた、なべての世に思しゆるすらむ。今よりのちの御心にかなはざらむなむ、言ひしに違ふ罪も負ふべき」
など、さしも思されぬことも、情け情けしう聞こえなしたまふことども、あむめり。
立ちとどまりたまはむも、所のさまよりはじめ、まばゆき御ありさまなれば、つきづきしうのたまひすぐして、出でたまひなむとす。引き植ゑしならねど、松の木高くなりにける年月のほどもあはれに、夢のやうなる御身のありさまも思し続けらる。
「藤波のうち過ぎがたく見えつるは
松こそ宿のしるしなりけれ
数ふれば、こよなう積もりぬらむかし。都に変はりにけることの多かりけるも、さまざまあはれになむ。今、のどかにぞ鄙の別れに衰へし世の物語も聞こえ尽くすべき。年経たまへらむ春秋の暮らしがたさなども、誰にかは愁へたまはむと、うらもなくおぼゆるも、かつは、あやしうなむ」
など聞こえたまへば、
「年を経て待つしるしなきわが宿を
花のたよりに過ぎぬばかりか」
と忍びやかにうちみじろきたまへるけはひも、袖の香も、「昔よりはねびまさりたまへるにや」と思さる。
月入り方になりて、西の妻戸の開きたるより、
月入り方になりて、西の妻戸の開きたるより、障はるべき渡殿だつ屋もなく、軒のつまも残りなければ、いとはなやかにさし入りたれば、あたりあたり見ゆるに、昔に変はらぬ御しつらひのさまなど、忍草にやつれたる上の見るめよりは、みやびかに見ゆるを、昔物語に塔こぼちたる人もありけるを思しあはするに、同じさまにて年古りにけるもあはれなり。ひたぶるにものづつみしたるけはひの、さすがにあてやかなるも、心にくく思されて、さる方にて忘れじと心苦しく思ひしを、年ごろさまざまのもの思ひに、ほれぼれしくて隔てつるほど、つらしと思はれつらむと、いとほしく思す。
かの花散里も、あざやかに今めかしうなどは花やぎたまはぬ所にて、
かの花散里も、あざやかに今めかしうなどは花やぎたまはぬ所にて、御目移しこよなからぬに、咎多う隠れにけり。
祭、御禊などのほど、御いそぎどもにことつけて、
祭、御禊などのほど、御いそぎどもにことつけて、人のたてまつりたる物いろいろに多かるを、さるべき限り御心加へたまふ。中にもこの宮にはこまやかに思し寄りて、むつましき人びとに仰せ言賜ひ、下部どもなど遣はして、蓬払はせ、めぐりの見苦しきに、板垣といふもの、うち堅め繕はせたまふ。かう尋ね出でたまへりと、聞き伝へむにつけても、わが御ため面目なければ、渡りたまふことはなし。御文いとこまやかに書きたまひて、二条院近き所を造らせたまふを、
「そこになむ渡したてまつるべき。よろしき童女など、求めさぶらはせたまへ」
など、人びとの上まで思しやりつつ、訪らひきこえたまへば、かくあやしき蓬のもとには、置き所なきまで、女ばらも空を仰ぎてなむ、そなたに向きて喜びきこえける。
なげの御すさびにても、おしなべたる世の常の人をば、
なげの御すさびにても、おしなべたる世の常の人をば、目止め耳立てたまはず、世にすこしこれはと思ほえ、心地にとまる節あるあたりを尋ね寄りたまふものと、人の知りたるに、かく引き違へ、何ごともなのめにだにあらぬ御ありさまを、ものめかし出でたまふは、いかなりける御心にかありけむ。これも昔の契りなめりかし。
今は限りと、あなづり果てて、さまざまに迷ひ散りあかれし上下の人びと、我も我も参らむと争ひ出づる人もあり。心ばへなど、はた、埋もれいたきまでよくおはする御ありさまに、心やすくならひて、ことなることなきなま受領などやうの家にある人は、ならはずはしたなき心地するもありて、うちつけの心みえに参り帰り、君は、いにしへにもまさりたる御勢のほどにて、ものの思ひやりもまして添ひたまひにければ、こまやかに思しおきてたるに、にほひ出でて、宮の内やうやう人目見え、木草の葉もただすごくあはれに見えなされしを、遣水かき払ひ、前栽のもとだちも涼しうしなしなどして、ことなるおぼえなき下家司の、ことに仕へまほしきは、かく御心とどめて思さるることなめりと見取りて、御けしき賜はりつつ、追従し仕うまつる。
二年ばかりこの古宮に眺めたまひて、東の院といふ所になむ、
二年ばかりこの古宮に眺めたまひて、東の院といふ所になむ、後は渡したてまつりたまひける。対面したまふことなどは、いとかたけれど、近きしめのほどにて、おほかたにも渡りたまふに、さしのぞきなどしたまひつつ、いとあなづらはしげにもてなしきこえたまはず。
かの大弐の北の方、上りて驚き思へるさま、侍従が、うれしきものの、今しばし待ちきこえざりける心浅さを、恥づかしう思へるほどなどを、今すこし問はず語りもせまほしけれど、いと頭いたう、うるさく、もの憂ければなむ。今またもついであらむ折に、思ひ出でて聞こゆべき、とぞ。
コンテンツ名 | 源氏物語全講会 第79回 「蓬生」より その3 |
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収録日 | 2006年6月24日 |
講師 | 岡野弘彦(國學院大學名誉教授) |
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