源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第92回 「朝顔」その4~「乙女」その1

藤壺とは「紫のゆゑ」ある女君(紫の上)を諭し、朝顔、朧月夜、明石、花散里について語る。大臣(源氏)はその夜藤壺の夢を見て供養をする。賀茂祭に藤の花に添え朝顔の姫君へまじめな御文を。乙女の巻に入ると、夕霧が元服することになる。

世にまた、さばかりのたぐひありなむや。

 世にまた、さばかりのたぐひありなむや。
  やはらかにおびれたるものから、深うよしづきたるところの、並びなくものしたまひしを、君こそは、さいへど、紫のゆゑ、こよなからずものしたまふめれど、すこしわづらはしき気添ひて、かどかどしさのすすみたまへるや、苦しからむ。
  前斎院の御心ばへは、またさまことにぞ見ゆる。さうざうしきに、何とはなくとも聞こえあはせ、われも心づかひせらるべきあたり、ただこの一所や、世に残りたまへらむ」
  とのたまふ。

「尚侍こそは、らうらうじくゆゑゆゑしき方は、人にまさりたまへれ。

 「尚侍こそは、らうらうじくゆゑゆゑしき方は、人にまさりたまへれ。浅はかなる筋など、もて離れたまへりける人の御心を、あやしくもありけることどもかな」
  とのたまへば、
  「さかし。なまめかしう容貌よき女の例には、なほ引き出でつべき人ぞかし。さも思ふに、いとほしく悔しきことの多かるかな。まいて、うちあだけ好きたる人の、年積もりゆくままに、いかに悔しきこと多からむ。人よりはことなき静けさ、と思ひしだに」
  など、のたまひ出でて、尚侍の君の御ことにも、涙すこしは落したまひつ。

「この、数にもあらずおとしめたまふ山里の人こそは、身のほどにはややうち過ぎ、

 「この、数にもあらずおとしめたまふ山里の人こそは、身のほどにはややうち過ぎ、ものの心など得つべけれど、人よりことなべきものなれば、思ひ上がれるさまをも、見消ちてはべるかな。いふかひなき際の人はまだ見ず。人は、すぐれたるは、かたき世なりや。
  東の院にながむる人の心ばへこそ、古りがたくらうたけれ。さはた、さらにえあらぬものを、さる方につけての心ばせ、人にとりつつ見そめしより、同じやうに世をつつましげに思ひて過ぎぬるよ。今はた、かたみに背くべくもあらず、深うあはれと思ひはべる」
  など、昔今の御物語に夜更けゆく。

 月いよいよ澄みて、静かにおもしろし。女君、

  「氷閉ぢ石間の水は行きなやみ
   空澄む月の影ぞ流るる」

外を見出だして、すこし傾きたまへるほど、似るものなくうつくしげなり。髪ざし、面様の、恋ひきこゆる人の面影にふとおぼえて、めでたければ、いささか分くる御心もとり重ねつべし。鴛鴦のうち鳴きたるに、

「かきつめて昔恋しき雪もよに
あはれを添ふる鴛鴦の浮寝か」

入りたまひても、宮の御ことを思ひつつ大殿籠もれるに、

 入りたまひても、宮の御ことを思ひつつ大殿籠もれるに、夢ともなくほのかに見たてまつるを、いみじく恨みたまへる御けしきにて、
  「漏らさじとのたまひしかど、憂き名の隠れなかりければ、恥づかしう、苦しき目を見るにつけても、つらくなむ」
  とのたまふ。御応へ聞こゆと思すに、襲はるる心地して、女君の、
  「こは、など、かくは」
  とのたまふに、おどろきて、いみじく口惜しく、胸のおきどころなく騒げば、抑へて、涙も流れ出でにけり。今も、いみじく濡らし添へたまふ。
  女君、いかなることにかと思すに、うちもみじろかで臥したまへり。

  「とけて寝ぬ寝覚さびしき冬の夜に
   むすぼほれつる夢の短さ」

 なかなか飽かず、悲しと思すに、とく起きたまひて、さとはなくて、所々に御誦経などせさせたまふ。
  「苦しき目見せたまふと、恨みたまへるも、さぞ思さるらむかし。行なひをしたまひ、よろづに罪軽げなりし御ありさまながら、この一つことにてぞ、この世の濁りをすすいたまはざらむ」
  と、ものの心を深く思したどるに、いみじく悲しければ、
  「何わざをして、知る人なき世界におはすらむを、訪らひきこえに参うでて、罪にも代はりきこえばや」
  など、つくづくと思す。
  「かの御ために、とり立てて何わざをもしたまふむは、人とがめきこえつべし。内裏にも、御心の鬼に思すところやあらむ」
  と、思しつつむほどに、阿弥陀仏を心にかけて念じたてまつりたまふ。「同じ蓮に」とこそは、

  「亡き人を慕ふ心にまかせても
   影見ぬ三つの瀬にや惑はむ」

  と思すぞ、憂かりけるとや。

NHKの国際放送番組への出演について

2007年3月、NHKの国際放送(ラジオジャパン)で岡野弘彦先生へのインタビュー番組が放送されました。番組では、歌集『バグダッド燃ゆ』(岡野弘彦著・砂子屋書房)に収録されている和歌が紹介されたほか、太平洋戦争時の思い出や、作者のなかでそれと重なって見えたというイラク戦争への心境などが語られました。また、この番組は、英語やドイツ語、アラビア語など21か国語に翻訳され、放送されました。

年変はりて、宮の御果ても過ぎぬれば、世の中色改まりて、

乙女

  年変はりて、宮の御果ても過ぎぬれば、世の中色改まりて、更衣のほどなども今めかしきを、まして祭のころは、おほかたの空のけしき心地よげなるに、前斎院はつれづれと眺めたまふを、前なる桂の下風、なつかしきにつけても、若き人びとは思ひ出づることどもあるに、大殿より、
  「御禊の日は、いかにのどやかに思さるらむ」
  と、訪らひきこえさせたまへり。

  「今日は、
   かけきやは川瀬の波もたちかへり
   君が禊の藤のやつれを」

  紫の紙、立文すくよかにて、藤の花につけたまへり。折のあはれなれば、御返りあり。

  「藤衣着しは昨日と思ふまに
   今日は禊の瀬にかはる世を
  はかなく」

  とばかりあるを、例の、御目止めたまひて見おはす。
  御服直しのほどなどにも、宣旨のもとに、所狭きまで、思しやれることどもあるを、院は見苦しきことに思しのたまへど、
  「をかしやかに、けしきばめる御文などのあらばこそ、とかくも聞こえ返さめ、年ごろも、おほやけざまの折々の御訪らひなどは聞こえならはしたまひて、いとまめやかなれば、いかがは聞こえも紛らはすべからむ」
  と、もてわづらふべし。

女五の宮の御方にも、かやうに折過ぐさず聞こえたまへば、いとあはれに、

 女五の宮の御方にも、かやうに折過ぐさず聞こえたまへば、いとあはれに、
  「この君の、昨日今日の稚児と思ひしを、かくおとなびて、訪らひたまふこと。容貌のいともきよらなるに添へて、心さへこそ人にはことに生ひ出でたまへれ」
  と、ほめきこえたまふを、若き人びとは笑ひきこゆ。
  こなたにも対面したまふ折は、
  「この大臣の、かくいとねむごろに聞こえたまふめるを、何か、今始めたる御心ざしにもあらず。故宮も、筋異になりたまひて、え見たてまつりたまはぬ嘆きをしたまひては、思ひ立ちしことをあながちにもて離れたまひしことなど、のたまひ出でつつ、悔しげにこそ思したりし折々ありしか。
  されど、故大殿の姫君ものせられし限りは、三の宮の思ひたまはむことのいとほしさに、とかく言添へきこゆることもなかりしなり。今は、そのやむごとなくえさらぬ筋にてものせられし人さへ、亡くなられにしかば、げに、などてかは、さやうにておはせましも悪しかるまじとうちおぼえはべるにも、さらがへりてかくねむごろに聞こえたまふも、さるべきにもあらむとなむ思ひはべる」
  など、いと古代に聞こえたまふを、心づきなしと思して、
  「故宮にも、しか心ごはきものに思はれたてまつりて過ぎはべりにしを、今さらに、また世になびきはべらむも、いとつきなきことになむ」
  と聞こえたまひて、恥づかしげなる御けしきなれば、しひてもえ聞こえおもむけたまはず。
  宮人も、上下、みな心かけきこえたれば、世の中いとうしろめたくのみ思さるれど、かの御みづからは、わが心を尽くし、あはれを見えきこえて、人の御けしきのうちもゆるばむほどをこそ待ちわたりたまへ、さやうにあながちなるさまに、御心破りきこえむなどは、思さざるべし。

大殿腹の若君の御元服のこと、思しいそぐを、

 大殿腹の若君の御元服のこと、思しいそぐを、二条の院にてと思せど、大宮のいとゆかしげに思したるもことわりに心苦しければ、なほやがてかの殿にてせさせたてまつりたまふ。
  右大将をはじめきこえて、御伯父の殿ばら、みな上達部のやむごとなき御おぼえことにてのみものしたまへば、主人方にも、我も我もと、さるべきことどもは、とりどりに仕うまつりたまふ。おほかた世ゆすりて、所狭き御いそぎの勢なり。

四位になしてむと思し、世人も、さぞあらむと思へるを、

 四位になしてむと思し、世人も、さぞあらむと思へるを、
  「まだいときびはなるほどを、わが心にまかせたる世にて、しかゆくりなからむも、なかなか目馴れたることなり」
  と思しとどめつ。
  浅葱にて殿上に帰りたまふを、大宮は、飽かずあさましきことと思したるぞ、ことわりにいとほしかりける。

御対面ありて、このこと聞こえたまふに、

 御対面ありて、このこと聞こえたまふに、
  「ただ今、かうあながちにしも、まだきに老いつかすまじうはべれど、思ふやうはべりて、大学の道にしばしならはさむの本意はべるにより、今二、三年をいたづらの年に思ひなして、おのづから朝廷にも仕うまつりぬべきほどにならば、今、人となりはべりなむ。
  みづからは、九重のうちに生ひ出ではべりて、世の中のありさまも知りはべらず、夜昼、御前にさぶらひて、わづかになむはかなき書なども習ひはべりし。ただ、かしこき御手より伝へはべりしだに、何ごとも広き心を知らぬほどは、文の才をまねぶにも、琴笛の調べにも、音耐へず、及ばぬところの多くなむはべりける。
  はかなき親に、かしこき子のまさる例は、いとかたきことになむはべれば、まして、次々伝はりつつ、隔たりゆかむほどの行く先、いとうしろめたなきによりなむ、思ひたまへおきてはべる。
  高き家の子として、官位爵位心にかなひ、世の中盛りにおごりならひぬれば、学問などに身を苦しめむことは、いと遠くなむおぼゆべかめる。戯れ遊びを好みて、心のままなる官爵に昇りぬれば、時に従ふ世人の、下には鼻まじろきをしつつ、追従し、けしきとりつつ従ふほどは、おのづから人とおぼえて、やむごとなきやうなれど、時移り、さるべき人に立ちおくれて、世衰ふる末には、人に軽めあなづらるるに、取るところなきことになむはべる。
  なほ、才をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ。さしあたりては、心もとなきやうにはべれども、つひの世の重鎮となるべき心おきてを習ひなば、はべらずなりなむ後も、うしろやすかるべきによりなむ。ただ今は、はかばかしからずながらも、かくて育みはべらば、せまりたる大学の衆とて、笑ひあなづる人もよもはべらじと思うたまふる」
  など、聞こえ知らせたまへば、うち嘆きたまひて、
  「げに、かくも思し寄るべかりけることを。この大将なども、あまり引き違へたる御ことなりと、かたぶけはべるめるを、この幼心地にも、いと口惜しく、大将、左衛門の督の子どもなどを、我よりは下臈と思ひおとしたりしだに、皆おのおの加階し昇りつつ、およすげあへるに、浅葱をいとからしと思はれたるに、心苦しくはべるなり」
  と聞こえたまへば、うち笑みひたまひて、
  「いとおよすげても恨みはべるななりな。いとはかなしや。この人のほどよ」
  とて、いとうつくしと思したり。
  「学問などして、すこしものの心得はべらば、その恨みはおのづから解けはべりなむ」
  と聞こえたまふ。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第92回 「朝顔」その4~「乙女」その1
収録日 2007年3月17日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成18年秋期講座

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