源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第94回 「乙女」より その2

源氏は、大宮(夕霧の祖母)や周りの人たちが、意外に思い、反対する中、夕霧を文章博士、文章道を大学で学ばせることにする。夕霧は二条の東院で勉学に努め、大学寮の試験に合格する。斎宮女御(梅壺女御)が后になり、大臣(源氏)が太政大臣に、(右)大将(昔の頭中将)が内大臣になる。冠者の君(夕霧)と姫君(雲居雁)は離され、手紙をやりとりする。大宮の許を訪ねた内大臣は姫君を呼び、琴を弾き、語る。

字つくることは、東の院にてしたまふ。

 字つくることは、東の院にてしたまふ。東の対をしつらはれたり。上達部、殿上人、珍しくいぶかしきことにして、我も我もと集ひ参りたまへり。博士どももなかなか臆しぬべし。
 「憚るところなく、例あらむにまかせて、なだむることなく、厳しう行なへ」
 と仰せたまへば、しひてつれなく思ひなして、家より他に求めたる装束どもの、うちあはず、かたくなしき姿などをも恥なく、面もち、声づかひ、むべむべしくもてなしつつ、座に着き並びたる作法よりはじめ、見も知らぬさまどもなり。

若き君達は、え堪へずほほ笑まれぬ。

 若き君達は、え堪へずほほ笑まれぬ。さるは、もの笑ひなどすまじく、過ぐしつつ静まれる限りをと、選り出だして、瓶子なども取らせたまへるに、筋異なりけるまじらひにて、右大将、民部卿などの、おほなおほな土器とりたまへるを、あさましく咎め出でつつおろす。
 「おほし、垣下あるじ、はなはだ非常にはべりたうぶ。かくばかりのしるしとあるなにがしを知らずしてや、朝廷には仕うまつりたうぶ。はなはだをこなり」
 など言ふに、人びと皆ほころびて笑ひぬれば、また、
 「鳴り高し。鳴り止まむ。はなはだ非常なり。座を引きて立ちたうびなむ」
 など、おどし言ふも、いとをかし。
 見ならひたまはぬ人びとは、珍しく興ありと思ひ、この道より出で立ちたまへる上達部などは、したり顔にうちほほ笑みなどしつつ、かかる方ざまを思し好みて、心ざしたまふがめでたきことと、いとど限りなく思ひきこえたまへり。
 いささかもの言ふをも制す。無礼げなりとても咎む。かしかましうののしりをる顔どもも、夜に入りては、なかなか今すこし掲焉なる火影に、猿楽がましくわびしげに、人悪ろげなるなど、さまざまに、げにいとなべてならず、さまことなるわざなりけり。
 大臣は、
 「いとあざれ、かたくななる身にて、けうさうしまどはかされなむ」
 とのたまひて、御簾のうちに隠れてぞ御覧じける。
 数定まれる座に着きあまりて、帰りまかづる大学の衆どもあるを聞こしめして、釣殿の方に召しとどめて、ことに物など賜はせけり。

事果ててまかづる博士、才人ども召して、またまた詩文作らせたまふ。

 事果ててまかづる博士、才人ども召して、またまた詩文作らせたまふ。上達部、殿上人も、さるべき限りをば、皆とどめさぶらはせたまふ。博士の人びとは、四韻、ただの人は、大臣をはじめたてまつりて、絶句作りたまふ。興ある題の文字選りて、文章博士たてまつる。短きころの夜なれば、明け果ててぞ講ずる。左中弁、講師仕うまつる。容貌いときよげなる人の、声づかひものものしく、神さびて読み上げたるほど、いとおもしろし。おぼえ心ことなる博士なりけり。
 かかる高き家に生まれたまひて、世界の栄花にのみ戯れたまふべき御身をもちて、窓の螢をむつび、枝の雪を馴らしたまふ心ざしのすぐれたるよしを、よろづのことによそへなずらへて、心々に作り集めたる句ごとにおもしろく、「唐土にも持て渡り伝へまほしげなる夜の詩文どもなり」となむ、そのころ世にめでゆすりける。
 大臣の御はさらなり。親めきあはれなることさへすぐれたるを、涙おとして誦じ騷ぎしかど、女のえ知らぬことまねぶは憎きことをと、うたてあれば漏らしつ。

うち続き、入学といふことせさせたまひて、やがて、この院のうちに御曹司作りて、

 うち続き、入学といふことせさせたまひて、やがて、この院のうちに御曹司作りて、まめやかに才深き師に預けきこえたまひてぞ、学問せさせたてまつりたまひける。
 大宮の御もとにも、をさをさ参うでたまはず。夜昼うつくしみて、なほ稚児のやうにのみもてなしきこえたまへれば、かしこにては、えもの習ひたまはじとて、静かなる所に籠めたてまつりたまへるなりけり。
 「一月に三度ばかりを参りたまへ」
 とぞ、許しきこえたまひける。

つと籠もりゐたまひて、いぶせきままに、

  つと籠もりゐたまひて、いぶせきままに、殿を、
 「つらくもおはしますかな。かく苦しからでも、高き位に昇り、世に用ゐらるる人はなくやはある」
 と思ひきこえたまへど、おほかたの人がら、まめやかに、あだめきたるところなくおはすれば、いとよく念じて、
 「いかでさるべき書どもとく読み果てて、交じらひもし、世にも出でたらむ」
 と思ひて、ただ四、五月のうちに、『史記』などいふ書、読み果てたまひてけり。

今は寮試受けさせむとて、まづ我が御前にて試みさせたまふ。

 今は寮試受けさせむとて、まづ我が御前にて試みさせたまふ。
 例の、大将、左大弁、式部大輔、左中弁などばかりして、御師の大内記を召して、『史記』の難き巻々、寮試受けむに、博士のかへさふべきふしぶしを引き出でて、一わたり読ませたてまつりたまふに、至らぬ句もなく、かたがたに通はし読みたまへるさま、爪じるし残らず、あさましきまでありがたければ、
 「さるべきにこそおはしけれ」
 と、誰も誰も、涙落としたまふ。大将は、まして、
 「故大臣おはせましかば」
 と、聞こえ出でて泣きたまふ。殿も、え心強うもてなしたまはず、
 「人のうへにて、かたくななりと見聞きはべりしを、子のおとなぶるに、親の立ちかはり痴れゆくことは、いくばくならぬ齢ながら、かかる世にこそはべりけれ」
 などのたまひて、おし拭ひたまふを見る御師の心地、うれしく面目ありと思へり。
 大将、盃さしたまへば、いたう酔ひ痴れてをる顔つき、いと痩せ痩せなり。
 世のひがものにて、才のほどよりは用ゐられず、すげなくて身貧しくなむありけるを、御覧じ得るところありて、かくとりわき召し寄せたるなりけり。
 身に余るまで御顧みを賜はりて、この君の御徳に、たちまちに身を変へたると思へば、まして行く先は、並ぶ人なきおぼえにぞあらむかし。

大学に参りたまふ日は、寮門に、上達部の御車ども数知らず集ひたり。

 大学に参りたまふ日は、寮門に、上達部の御車ども数知らず集ひたり。おほかた世に残りたるあらじと見えたるに、またなくもてかしづかれて、つくろはれ入りたまへる冠者の君の御さま、げに、かかる交じらひには堪へず、あてにうつくしげなり。
 例の、あやしき者どもの立ちまじりつつ来ゐたる座の末をからしと思すぞ、いとことわりなるや。
 ここにてもまた、おろしののしる者どもありて、めざましけれど、すこしも臆せず読み果てたまひつ。
 昔おぼえて大学の栄ゆるころなれば、上中下の人、我も我もと、この道に志し集れば、いよいよ、世の中に、才ありはかばかしき人多くなむありける。文人擬生などいふなることどもよりうちはじめ、すがすがしう果てたまへれば、ひとへに心に入れて、師も弟子も、いとど励みましたまふ。
 殿にも、文作りしげく、博士、才人ども所得たり。すべて何ごとにつけても、道々の人の才のほど現はるる世になむありける。

かくて、后ゐたまふべきを、

 かくて、后ゐたまふべきを、
 「斎宮女御をこそは、母宮も、後見と譲りきこえたまひしかば」
 と、大臣もことづけたまふ。源氏のうちしきり后にゐたまはむこと、世の人許しきこえず。
 「弘徽殿の、まづ人より先に参りたまひにしもいかが」
 など、うちうちに、こなたかなたに心寄せきこゆる人々、おぼつかながりきこゆ。
 兵部卿宮と聞こえし、今は式部卿にて、この御時にはましてやむごとなき御おぼえにておはする、御女、本意ありて参りたまへり。同じごと、王女御にてさぶらひたまふを、
 「同じくは、御母方にて親しくおはすべきにこそは、母后のおはしまさぬ御代はりの後見に」
 とことよせて、似つかはしかるべく、とりどりに思し争ひたれど、なほ梅壷ゐたまひぬ。御幸ひの、かく引きかへすぐれたまへりけるを、世の人おどろききこゆ。

大臣、太政大臣に上がりたまひて、大将、内大臣になりたまひぬ。

 大臣、太政大臣に上がりたまひて、大将、内大臣になりたまひぬ。世の中のことども政りごちたまふべく譲りきこえたまふ。人がら、いとすくよかに、きらきらしくて、心もちゐなどもかしこくものしたまふ。学問を立ててしたまひければ、韻塞には負けたまひしかど、公事にかしこくなむ。
 腹々に御子ども十余人、おとなびつつものしたまふも、次々になり出でつつ、劣らず栄えたる御家のうちなり。女は、女御と今一所なむおはしける。わかむどほり腹にて、あてなる筋は劣るまじけれど、その母君、按察使大納言の北の方になりて、さしむかへる子どもの数多くなりて、「それに混ぜて後の親に譲らむ、いとあいなし」とて、とり放ちきこえたまひて、大宮にぞ預けきこえたまへりける。女御にはこよなく思ひおとしきこえたまひつれど、人がら、容貌など、いとうつくしくぞおはしける。

冠者の君、一つにて生ひ出でたまひしかど、

 冠者の君、一つにて生ひ出でたまひしかど、おのおの十に余りたまひて後は、御方ことにて、
 「むつましき人なれど、男子にはうちとくまじきものなり」
 と、父大臣聞こえたまひて、けどほくなりにたるを、幼心地に思ふことなきにしもあらねば、はかなき花紅葉につけても、雛遊びの追従をも、ねむごろにまつはれありきて、心ざしを見えきこえたまへば、いみじう思ひ交はして、けざやかには今も恥ぢきこえたまはず。
 御後見どもも、
 「何かは、若き御心どちなれば、年ごろ見ならひたまへる御あはひを、にはかにも、いかがはもて離れはしたなめきこえむ」
 と見るに、女君こそ何心なくおはすれど、男は、さこそものげなきほどと見きこゆれ、おほけなく、いかなる御仲らひにかありけむ、よそよそになりては、これをぞ静心なく思ふべき。
 まだ片生なる手の生ひ先うつくしきにて、書き交はしたまへる文どもの、心幼くて、おのづから落ち散る折あるを、御方の人びとは、ほのぼの知れるもありけれど、「何かは、かくこそ」と、誰にも聞こえむ。見隠しつつあるなるべし。

 

所々の大饗どもも果てて、世の中の御いそぎもなく、のどやかになりぬるころ、

 所々の大饗どもも果てて、世の中の御いそぎもなく、のどやかになりぬるころ、時雨うちして、荻の上風もただならぬ夕暮に、大宮の御方に、内大臣参りたまひて、姫君渡しきこえたまひて、御琴など弾かせたてまつりたまふ。宮は、よろづのものの上手におはすれば、いづれも伝へたてまつりたまふ。
 「琵琶こそ、女のしたるに憎きやうなれど、らうらうじきものにはべれ。今の世にまことしう伝へたる人、をさをさはべらずなりにたり。何の親王、くれの源氏」
 など数へたまひて、
 「女の中には、太政大臣の、山里に籠め置きたまへる人こそ、いと上手と聞きはべれ。物の上手の後にはべれど、末になりて、山賤にて年経たる人の、いかでさしも弾きすぐれけむ。かの大臣、いと心ことにこそ思ひてのたまふ折々はべれ。こと事よりは、遊びの方の才はなほ広う合はせ、かれこれに通はしはべるこそ、かしこけれ、独り事にて、上手となりけむこそ、珍しきことなれ」
 などのたまひて、宮にそそのかしきこえたまへば、
 「柱さすことうひうひしくなりにけりや」
 とのたまへど、おもしろう弾きたまふ。
 「幸ひにうち添へて、なほあやしうめでたかりける人なりや。老いの世に、持たまへらぬ女子をまうけさせたてまつりて、身に添へてもやつしゐたらず、やむごとなきに譲れる心おきて、こともなかるべき人なりとぞ聞きはべる」
 など、かつ御物語聞こえたまふ。

 

「女はただ心ばせよりこそ、世に用ゐらるるものにはべりけれ」

 「女はただ心ばせよりこそ、世に用ゐらるるものにはべりけれ」
 など、人の上のたまひ出でて、
 「女御を、けしうはあらず、何ごとも人に劣りては生ひ出でずかしと思ひたまへしかど、思はぬ人におされぬる宿世になむ、世は思ひのほかなるものと思ひはべりぬる。この君をだに、いかで思ふさまに見なしはべらむ。春宮の御元服、ただ今のことになりぬるをと、人知れず思うたまへ心ざしたるを、かういふ幸ひ人の腹の后がねこそ、また追ひ次ぎぬれ。立ち出でたまへらむに、ましてきしろふ人ありがたくや」
 とうち嘆きたまへば、
 「などか、さしもあらむ。この家にさる筋の人出でものしたまはで止むやうあらじと、故大臣の思ひたまひて、女御の御ことをも、ゐたちいそぎたまひしものを。おはせましかば、かくもてひがむることもなからまし」
 など、この御ことにてぞ、太政大臣をも恨めしげに思ひきこえたまへる。
 姫君の御さまの、いときびはにうつくしうて、箏の御琴弾きたまふを、御髪のさがり、髪ざしなどの、あてになまめかしきをうちまもりたまへば、恥ぢらひて、すこしそばみたまへるかたはらめ、つらつきうつくしげにて、取由の手つき、いみじう作りたる物の心地するを、宮も限りなくかなしと思したり。掻きあはせなど弾きすさびたまひて、押しやりたまひつ。

大臣、和琴ひき寄せたまひて、律の調べのなかなか今めきたるを、

 大臣、和琴ひき寄せたまひて、律の調べのなかなか今めきたるを、さる上手の乱れて掻い弾きたまへる、いとおもしろし。御前の梢ほろほろと残らぬに、老い御達など、ここかしこの御几帳のうしろに、かしらを集へたり。
 「風の力蓋し寡し」
 と、うち誦じたまひて、
 「琴の感ならねど、あやしくものあはれなる夕べかな。なほ、あそばさむや」
 とて、「秋風楽」に掻きあはせて、唱歌したまへる声、いとおもしろければ、皆さまざま、大臣をもいとうつくしと思ひきこえたまふに、いとど添へむとにやあらむ、冠者の君参りたまへり。

 

コンテンツ名 源氏物語全講会 第94回 「乙女」より その2
収録日 2007年6月9日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成19年春期講座

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