源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第97回 「乙女」より その5

折口信夫と藤井春洋に触れながら国学の伝統を説いて、本文に。大殿(源氏)は五節の舞姫として惟光の娘を出した。ふさぎ込んでいた大学の君(夕霧)は、舞姫(惟光の娘)を見て惹かれ、歌を贈る。殿(源氏)は昔を思い出し、筑紫の五節の舞姫に歌を贈る。夕霧が娘に手紙を出したことを知った惟光は喜ぶ。

折口信夫・春洋の父子墓

・宮中御用係の任を終えて
・硫黄島で戦死した折口春洋(はるみ)さんのこと
・折口信夫・春洋 父子墓の墓碑銘

もっとも苦しきたたかひに  最(もっとも)くるしみ死にたるむかしの陸軍中尉折口春洋  ならびにその父信夫の墓

父子墓によせる歌 ―― 国学の師弟の伝統を踏んで

・本居宣長の奥墓 (伊勢松坂郊外・山室山)
・本居宣長と平田篤胤 没後の門人 「カリスマ性」をともなった研究者
・昭和18年、國學院で聴いた折口先生の平田篤胤論 「先見性のある学者/民俗学の先駆者」

・折口信夫・春洋の墓によせる歌

あらみたま ふたつあいよるみはかやま わがかなしみも ここにうずめん
・藤井春洋先生の源氏物語講義 折口先生の口述ノートを見ながらの講義

大殿には、今年、五節たてまつりたまふ。

 大殿には、今年、五節たてまつりたまふ。何ばかりの御いそぎならねど、童女の装束など、近うなりぬとて、急ぎせさせたまふ。
  東の院には、参りの夜の人びとの装束せさせたまふ。殿には、おほかたのことども、中宮よりも、童女、下仕への料など、えならでたてまつれたまへり。
  過ぎにし年、五節など止まれりしが、さうざうしかりし積もり取り添へ、上人の心地も、常よりもはなやかに思ふべかめる年なれば、所々挑みて、いといみじくよろづを尽くしたまふ聞こえあり。
  按察使大納言、左衛門督、上の五節には、良清、今は近江守にて左中弁なるなむ、たてまつりける。皆止めさせたまひて、宮仕へすべく、仰せ言ことなる年なれば、女をおのおのたてまつりたまふ 。

殿の舞姫は、惟光朝臣の、津守にて左京大夫かけたるが女、

 殿の舞姫は、惟光朝臣の、津守にて左京大夫かけたるが女、容貌などいとをかしげなる聞こえあるを召す。からいことに思ひたれど、
  「大納言の、外腹の女をたてまつらるなるに、朝臣のいつき女出だし立てたらむ、何の恥かあるべき」
  と苛めば、わびて、同じくは宮仕へやがてせさすべく思ひおきてたり。
  舞習はしなどは、里にていとよう仕立てて、かしづきなど、親しう身に添ふべきは、いみじう選り整へて、その日の夕つけて参らせたり。
  殿にも、御方々の童女、下仕へのすぐれたるをと、御覧じ比べ、選り出でらるる心地どもは、ほどほどにつけて、いとおもだたしげなり。
  御前に召して御覧ぜむうちならしに、御前を渡らせてと定めたまふ。捨つべうもあらず、とりどりなる童女の様体、容貌を思しわづらひて、
  「今一所の料を、これよりたてまつらばや」
  など笑ひたまふ。ただもてなし用意によりてぞ選びに入りける。

大学の君、胸のみふたがりて、物なども見入れられず、

 大学の君、胸のみふたがりて、物なども見入れられず、屈じいたくて、書も読まで眺め臥したまへるを、心もや慰むと立ち出でて、紛れありきたまふ。
  さま、容貌はめでたくをかしげにて、静やかになまめいたまへれば、若き女房などは、いとをかしと見たてまつる。
  上の御方には、御簾の前にだに、もの近うももてなしたまはず。わが御心ならひ、いかに思すにかありけむ、疎々しければ、御達なども気遠きを、今日はものの紛れに、入り立ちたまへるなめり。
  舞姫かしづき下ろして、妻戸の間に屏風など立てて、かりそめのしつらひなるに、やをら寄りてのぞきたまへば、悩ましげにて添ひ臥したり。
  ただ、かの人の御ほどと見えて、今すこしそびやかに、様体などのことさらび、をかしきところはまさりてさへ見ゆ。暗ければ、こまかには見えねど、ほどのいとよく思ひ出でらるるさまに、心移るとはなけれど、ただにもあらで、衣の裾を引き鳴らいたまふに、何心もなく、あやしと思ふに、
  「天にます豊岡姫の人も
   わが心ざすしめを忘るな
  少女子が袖振る山の瑞垣の」
  とのたまふぞ、うちつけなりける。
  若うをかしき声なれど、誰ともえ思ひたどられず、なまむつかしきに、化粧じ添ふとて、騷ぎつる後見ども、近う寄りて人騒がしうなれば、いと口惜しうて、立ち去りたまひぬ。

浅葱の心やましければ、内裏へ参ることもせず、

 浅葱の心やましければ、内裏へ参ることもせず、もの憂がりたまふを、五節にことつけて、直衣など、さま変はれる色聴されて参りたまふ。きびはにきよらなるものから、まだきにおよすけて、されありきたまふ。帝よりはじめたてまつりて、思したるさまなべてならず、世にめづらしき御おぼえなり。
  五節の参る儀式は、いづれともなく、心々に二なくしたまへるを、「舞姫の容貌、大殿と大納言とはすぐれたり」とめでののしる。げに、いとをかしげなれど、ここしううつくしげなることは、なほ大殿のには、え及ぶまじかりけり。
  ものきよげに今めきて、そのものとも見ゆまじう仕立てたる様体などの、ありがたうをかしげなるを、かう誉めらるるなめり。例の舞姫どもよりは、皆すこしおとなびつつ、げに心ことなる年なり。
  殿参りたまひて御覧ずるに、昔御目とまりたまひし少女の姿を思し出づ。辰の日の暮つ方つかはす。御文のうち思ひやるべし。
  「少女子も神さびぬらし天つ袖
   古き世の友よはひ経ぬれば」
  年月の積もりを数へて、うち思しけるままのあはれを、え忍びたまはぬばかりの、をかしうおぼゆるも、はかなしや。
  「かけて言へば今日のこととぞ思ほゆる
   日蔭の霜の袖にとけしも」
  青摺りの紙よくとりあへて、紛らはし書いたる、濃墨、薄墨、草がちにうち交ぜ乱れたるも、人のほどにつけてはをかしと御覧ず。
  冠者の君も、人の目とまるにつけても、人知れず思ひありきたまへど、あたり近くだに寄せず、いとけけしうもてなしたれば、ものつつましきほどの心には、嘆かしうてやみぬ。容貌はしも、いと心につきて、つらき人の慰めにも、見るわざしてむやと思ふ。

やがて皆とめさせたまひて、宮仕へすべき御けしきありけれど、

 やがて皆とめさせたまひて、宮仕へすべき御けしきありけれど、このたびはまかでさせて、近江のは辛崎の祓へ、津の守は難波と、挑みてまかでぬ。大納言もことさらに参らすべきよし奏せさせたまふ。左衛門督、その人ならぬをたてまつりて、咎めありれど、それもとどめさせたまふ。
  津の守は、「典侍あきたるに」と申させたれば、「さもや労らまし」と大殿も思いたるを、かの人は聞きたまひて、いと口惜しと思ふ。
  「わが年のほど、位など、かくものげなからずは、乞ひ見てましものを。思ふ心ありとだに知られでやみなむこと」
  と、わざとのことにはあらねど、うち添へて涙ぐまるる折々あり。

せうとの童殿上する、常にこの君に参り仕うまつるを、

 せうとの童殿上する、常にこの君に参り仕うまつるを、例よりもなつかしう語らひたまひて、
  「五節はいつか内裏へ参る」
  と問ひたまふ。
  「今年とこそは聞きはべれ」
  と聞こゆ。
  「顔のいとよかりしかば、すずろにこそ恋しけれ。ましが常に見るらむも羨ましきを、また見せてむや」
  とのたまへば、
  「いかでかさははべらむ。心にまかせてもえ見はべらず。男兄弟とて、近くも寄せはべらねば、まして、いかでか君達には御覧ぜさせむ」
  と聞こゆ。
  「さらば、文をだに」
  とて賜へり。「先々かやうのことは言ふものを」と苦しけれど、せめて賜へば、いとほしうて持て往ぬ。
  年のほどよりは、されてやありけむ、をかしと見けり。緑の薄様の、好ましき重ねなるに、手はまだいと若けれど、生ひ先見えて、いとをかしげに、
  「日影にもしるかりけめや少女子が
   天の羽袖にかけし心は」
  二人見るほどに、父主ふと寄り来たり。恐ろしうあきれて、え引き隠さず。
  「なぞの文ぞ」
  とて取るに、面赤みてゐたり。
  「よからぬわざしけり」
  と憎めば、せうと逃げて行くを、呼び寄せて、
  「誰がぞ」
  と問へば、
  「殿の冠者の君の、しかしかのたまうて賜へる」
  と言へば、名残なくうち笑みて、
  「いかにうつくしき君の御され心なり。きむぢらは、同じ年なれど、いふかひなくはかなかめりかし」
  など誉めて、母君にも見す。
  「この君達の、すこし人数に思しぬべからましかば、宮仕へよりは、たてまつりてまし。殿の御心おきて見るに、見そめたまひてむ人を、御心とは忘れたまふまじきとこそ、いと頼もしけれ。明石の入道の例にやならまし」
  など言へど、皆急ぎ立ちにたり。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第97回 「乙女」より その5
収録日 2007年9月8日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成19年春期講座

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