第113回 特別講義 六月晦日大祓-折口信夫と源氏物語
水無月の大祓の祝詞を『古典文学大系1』(岩波)武田祐吉の訳で講義。祓と禊の違いや青草人が農耕をする上で持つ罪障観を素戔嗚の神話に擬え慎んでいたのではと解釈する。また源氏物語に内包されている罪障観に言及。
講師:岡野弘彦
六月晦日の大祓
・大祓(おおはらえ)とはどんなものか
・一年に2回、この世の罪が浄化せられる日
・日本古代の感動的な叙事詩を三つあげるならば
口上
「集侍はれる親王・諸王・諸臣・百の官人等、諸聞しめせ」と宣る
「天皇が朝廷に仕へまつる、領巾挂くる伴の男・手襁挂くる伴の男・靫負ふ伴の男・剱佩く伴の男、伴の男の八十伴の男を始めて、官官に仕へまつる人等の 過ち犯しけむ雑雑の罪を、今年の六月の晦の大祓に、祓へたまひ清めたまふ事を、諸聞しめせ」と宣る。
大祓の祝詞 本文
「高天の原に神留ります、皇親神ろき・神ろみの命もちて、八百萬の神等を神集へ集へたまひ、神議り議りたまひて、『我が皇御孫の命は、豊葦原の水穂の國を安國と平らけく知ろしめせ』と事依さしまつりき。かく依さしまつりし國中に、荒ぶる神等をば神問はしに問はしたまひ、神掃ひに掃ひたまひて、語問ひし磐ね樹立、草の片葉をも語止めて、天の磐座放れ、天の八重雲をいつの千別きに千別きて、天降し依さしまつりき。かく依さしまつりし四方の國中に、大倭日高見の國を安國と定めまつりて、下つ磐ねに宮柱太敷き立て、高天の原に千木高知りて、皇御孫の命の瑞の御舎仕へまつりて、天の御蔭・日の御蔭と隠りまして、安國と平らけく知ろしめさむ國中に、成り出でむ天の益人等が過ち犯しけむ雑雑の罪事は、天つ罪と、畦放ち・溝埋み・樋放ち・頻蒔き・串刺し・生け剥ぎ・逆剥ぎ・屎戸、許多の罪を天つ罪と法り別けて、國つ罪と、生膚断ち・死膚断ち・白人・こくみ・おのが母犯せる罪・おのが子犯せる罪・母と子と犯せる罪・子と母と犯せる罪・畜犯せる罪・昆ふ虫の災・高つ神の災・高つ鳥の災・畜仆し、蠱物する罪、許多の罪出でむ。かく出でば、天つ宮事もちて、大中臣、天つ金木を本うち切り末うち断ちて、千座の置座に置き足はして、天つ菅曾を本苅り断ち末苅り切りて、八針に取り辟きて、天つ祝詞の太祝詞事を宣れ。かく宣らば、天つ神は天の磐門を押し披きて天の八重雲をいつの千別きに千別きて聞しめさむ 國つ神は高山の末・短山の末に上りまして、高山のいゑり・短山のいゑりを撥き別けて聞しめさむ。かく聞しめしては皇御孫の命の朝廷を始めて、天の下四方の國には、罪といふ罪はあらじと、科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く、朝の御霧・夕べの御霧を朝風・夕風の吹き掃ふ事の如く、大津邊に居る大船を、舳解き放ち・艫解き放ちて、大海の原に押し放つ事の如く、彼方の繁木がもとを、焼鎌の敏鎌もちて、うち掃ふ事の如く、遺る罪はあらじと祓へたまひ清めたまふ事を、高山・短山の末より、さくなだりに落ちたぎつ速川の瀬に坐す瀬織つひめといふ神、大海の原に持ち出でなむ。かく持ち出で往なは、荒塩の塩の八百道の、八塩道の塩の八百会に坐す速開つひめといふ神、持ちかか呑みてむ。かくかか呑みては、気吹戸に坐す気吹戸主といふ神、根の國・底の國に気吹き放ちてむ。かく気吹き放ちては、根の國・底の国に坐す速さすらひめといふ神、持ちさすらひ失ひてむ。かく失ひては、天皇が朝廷に仕へまつる官官の人等を始めて、天の下四方には、今日より始めて罪といふ罪はあらじと、高天の原に耳振り立てて聞く物と馬牽き立てて、今年の六月の晦の日の夕日の降ちの大祓に、祓へたまひ清めたまふ事を、諸聞しめせ」と宣る。
「四国の卜部等、大川道に持ち退り出でて、祓へ却れ」と宣る。
須佐の男の神話と日本農民の「原罪」意識
・「禊ぎ」と「祓い」はどう違う
・「天つ罪」と「国つ罪」について
・須佐の男神話からくる日本的な原罪意識
・「おのが母犯せる罪・おのが子犯せる罪」に悩む
「天照という最高の神の弟の須佐の男の命が高天が原で犯した農耕生活を阻害する罪を、その子孫で、百姓として田んぼをつくっている自分たちが日本的な原罪意識でもって身に負っているんだという感じで、日本人の罪、あるいは一番大きな罪障感の根底はあったんだと言ってもいいだろうと思うんです」
一番大事な祝詞は声に出さない
・文字化・言語化していない「天つ祝詞の太祝詞事」
・戦時中、「天つ罪」と「国つ罪」のくだりが禁じられたのなぜか
「伊勢神宮なんかでご遷宮のときに奉仕して体験しましたけれども、いよいよこれから新しい御殿へ移っていただくというときに、大宮司が言う祝詞中の一番大事な祝詞は、声に出さないで言うんです。神様と、申し上げる大宮司との間だけで通じればいい言葉ですから、声に出さないで、一般の儀式に参加している神宮の神主さんたちにも聞こえない形で言うんです。そういう祝詞が古代には当然あったはずです。ですから「天つ祝詞の太祝詞事」を、ここでは文字化していないんだ、言語化していないんだという伝えも、なかなか大事なあれだと思います」
血を流すことは大きな罪と考えていた我々の祖先
・血を流す場面が一つもない『源氏物語』
・『源氏物語』の中の「おのが母犯せる罪・おのが子犯せる罪」
「自分の腹を切るというのは、武士の階級が起こってからであって、あの習俗は、平安の貴族たち、『源氏物語』の世界を構成している人たちの世界とは違った世界から来たものだというふうに折口信夫は言っています。
そういうことも考え合わせてみると、延喜式の大祓の祝詞が日本人の遠い古代から、自分たちが時に犯すことがあるかもしれない、しかし、それを犯すことは大きな罪である、また穢れであるというふうに意識していた、その心は、殊更めいて表に、言葉に出さなくても、思いの底で深いものが普遍化して、人々の胸の中にあったんだということは当然だろうと思います」
折口信夫と師・三矢重松
・折口信夫『日本の創意-源氏物語を知らぬ人々に寄す』
・三矢先生の志を継いで「源氏物語全講会」を開講
・國學院大學と慶應義塾大学、二つの大学で行った「源氏物語全講会」
帰りこむときをなしと思ふひたぶるに踏みてわがおり冬草の上
学校の庭冬深くそよぐ草の穂や何を憚りていたるわれぞも
学校の屋敷を限る寺林冬に入りぬるゆずり葉のタリ
何ゆえの涙ならぬつくばいてわが入る前の砂に落ちつつ
休み日の講堂に立ちて至りけりみるみるに心軽くなるらし
折口信夫『春のことぶれ』より
折口信夫の『源氏物語』研究
・『源氏物語』を読む人は「若葉」の巻をぜひ読んでほしい
・『源氏物語』以前の日本人の心理の深い層を読もうとした折口信夫
・折口信夫の生い立ち
「・・・延喜式の祝詞の中の「おのが母犯せる罪」というふうなことに響いていく少年折口信夫の思いというものが、意外に深刻なものだっただろうという気がするわけです。そういう中で、折口の自己愛といいますか、自分への不思議な心の集中とナルシシズム的な感情、あるいは同性愛の習癖というものが育っていっただろうと思うんです」
先生が亡くなってみて分かったこと
・先生が亡くなってみて分かったこと
・加藤守雄さんの『わが師 折口信夫』
・常識的な生き方というものが、一面ではいかに意味のないものであるか、自然と教えらることが多かった
「『源氏物語』の、殊に光源氏の心というものを非常に深く自分の心で読み解いて、自分が生きていく上で、それをただ単に古典の中の物語の世界というふうには考えていなかった。自分の中へ引き込んで読んでいた、自分と重ね合わせて生きようとしていた、そういう人ですね。そういうところが、『源氏物語』を読み解くにも、あるいは『万葉集』をはじめ古典の歌を読み解くにも、あの人の心の中にはいつでも働いていたと思うんです」
コンテンツ名 | 源氏物語全講会 第113回 特別講義 六月晦日大祓-折口信夫と源氏物語 |
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収録日 | 2008年8月9日 |
講師 | 岡野弘彦(國學院大學名誉教授) |
平成20年春期講座 |
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