第126回 「梅枝」より その1
源氏は、明石の姫君の裳着のことを急ぐ。春宮(朱雀院の皇子)も、同じ二月に初めて冠をつけ一人前の男になられる儀式がある。正月の月末、源氏は薫物合を企て、兵部卿宮(源氏の弟)を判者として行われた。春宮の元服は、二月二十余日のころに行われることになり、源氏は姫君の参内を少し延ばた。講義の後半に和歌の伝統、即興について解説。
講師:岡野弘彦
- 目次
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- 御裳着のこと、思しいそぐ御心おきて、世の常ならず。
- 正月の晦日なれば、公私のどやかなるころほひに、薫物合はせたまふ。
- 大臣は、寝殿に離れおはしまして、承和の御いましめの二つの方を、
- 二月の十日、雨すこし降りて、御前近き紅梅盛りに、
- 沈の筥に、瑠璃の坏二つ据ゑて、大きにまろがしつつ入れたまへり。
- 宮、「うちのこと思ひやらるる御文かな。
- 「まめやかには、好き好きしきやうなれど、またもなかめる人の上にて、
- このついでに、御方々の合はせたまふども、おのおの御使して、
- さらにいづれともなき中に、斎院の御黒方、さいへども、
- 和歌の伝統、即興の魅力
- 月さし出でぬれば、大御酒など参りて、昔の御物語などしたまふ。
- かくて、西の御殿に、戌の時に渡りたまふ。
- 春宮の御元服は、二十余日のほどになむありける。
御裳着のこと、思しいそぐ御心おきて、世の常ならず。
梅枝
御裳着のこと、思しいそぐ御心おきて、世の常ならず。春宮も同じ二月に、御かうぶりのことあるべければ、やがて御参りもうち続くべきにや。
正月の晦日なれば、公私のどやかなるころほひに、薫物合はせたまふ。
正月の晦日なれば、公私のどやかなるころほひに、薫物合はせたまふ。大弐の奉れる香ども御覧ずるに、「なほ、いにしへのには劣りてやあらむ」と思して、二条院の御倉開けさせたまひて、唐の物ども取り渡させたまひて、御覧じ比ぶるに、
「錦、綾なども、なほ古きものこそなつかしうこまやかにはありけれ」
とて、近き御しつらひの、物の覆ひ、敷物、茵などの端どもに、故院の御世の初めつ方、高麗人のたてまつれりける綾、緋金錦どもなど、今の世のものに似ず、なほさまざま御覧じあてつつせさせたまひて、このたびの綾、羅などは、人びとに賜はす。
香どもは、昔今の、取り並べさせたまひて、御方々に配りたてまつらせたまふ。
「二種づつ合はせさせたまへ」
と、聞こえさせたまへり。贈り物、上達部の禄など、世になきさまに、内にも外にも、ことしげくいとなみたまふに添へて、方々に選りととのへて、鉄臼の音耳かしかましきころなり。
大臣は、寝殿に離れおはしまして、承和の御いましめの二つの方を、
大臣は、寝殿に離れおはしまして、承和の御いましめの二つの方を、いかでか御耳には伝へたまひけむ、心にしめて合はせたまふ。
上は、東の中の放出に、御しつらひことに深うしなさせたまひて、八条の式部卿の御方を伝へて、かたみに挑み合はせたまふほど、いみじう秘したまへば、
「匂ひの深さ浅さも、勝ち負けの定めあるべし」
と大臣のたまふ。人の御親げなき御あらそひ心なり。
いづ方にも、御前にさぶらふ人あまたならず。御調度どもも、そこらのきよらを尽くしたまへるなかにも、香壷の御筥どものやう、壷の姿、火取りの心ばへも、目馴れぬさまに、今めかしう、やう変へさせたまへるに、所々の心を尽くしたまへらむ匂ひどもの、すぐれたらむどもを、かぎあはせて入れむと思すなりけり。
二月の十日、雨すこし降りて、御前近き紅梅盛りに、
二月の十日、雨すこし降りて、御前近き紅梅盛りに、色も香も似るものなきほどに、兵部卿宮渡りたまへり。御いそぎの今日明日になりにけることども、訪らひきこえたまふ。昔より取り分きたる御仲なれば、隔てなく、そのことかのこと、と聞こえあはせたまひて、花をめでつつおはするほどに、前斎院よりとて、散り過ぎたる梅の枝につけたる御文持て参れり。宮、聞こしめすこともあれば、
「いかなる御消息のすすみ参れるにか」
とて、をかしと思したれば、ほほ笑みて、
「いと馴れ馴れしきこと聞こえつけたりしを、まめやかに急ぎものしたまへるなめり」
とて、御文は引き隠したまひつ。
沈の筥に、瑠璃の坏二つ据ゑて、大きにまろがしつつ入れたまへり。
沈の筥に、瑠璃の坏二つ据ゑて、大きにまろがしつつ入れたまへり。心葉、紺瑠璃には五葉の枝、白きには梅を選りて、同じくひき結びたる糸のさまも、なよびやかになまめかしうぞしたまへる。
「艶あるもののさまかな」
とて、御目止めたまへるに、
「花の香は散りにし枝にとまらねど
うつらむ袖に浅くしまめや」
ほのかなるを御覧じつけて、宮はことことしう誦じたまふ。
宰相中将、御使尋ねとどめさせたまひて、いたう酔はしたまふ。紅梅襲の唐の細長添へたる女の装束かづけたまふ。御返りもその色の紙にて、御前の花を折らせてつけさせたまふ。
宮、「うちのこと思ひやらるる御文かな。
宮、
「うちのこと思ひやらるる御文かな。何ごとの隠ろへあるにか、深く隠したまふ」
と恨みて、いとゆかしと思したり。
「何ごとかはべらむ。隈々しく思したるこそ、苦しけれ」
とて、御硯のついでに、
「花の枝にいとど心をしむるかな
人のとがめむ香をばつつめど」
とやありつらむ。
「まめやかには、好き好きしきやうなれど、またもなかめる人の上にて、
「まめやかには、好き好きしきやうなれど、またもなかめる人の上にて、これこそはことわりのいとなみなめれと、思ひたまへなしてなむ。いと醜ければ、疎き人はかたはらいたさに、中宮まかでさせたてまつりてと思ひたまふる。親しきほどに馴れきこえかよへど、恥づかしきところの深うおはする宮なれば、何ごとも世の常にて見せたてまつらむ、かたじけなくてなむ」
など、聞こえたまふ。
「あえものも、げに、かならず思し寄るべきことなりけり」
と、ことわり申したまふ。
このついでに、御方々の合はせたまふども、おのおの御使して、
このついでに、御方々の合はせたまふども、おのおの御使して、
「この夕暮れのしめりにこころみむ」
と聞こえたまへれば、さまざまをかしうしなして奉りたまへり。
「これ分かせたまへ。誰れにか見せむ」
と聞こえたまひて、御火取りども召して、こころみさせたまふ。
「知る人にもあらずや」
と卑下したまへど、言ひ知らぬ匂ひどもの、進み遅れたる香一種などが、いささかの咎を分きて、あながちに劣りまさりのけぢめをおきたまふ。かのわが御二種のは、今ぞ取う出させたまふ。
右近の陣の御溝水のほとりになずらへて、西の渡殿の下より出づる汀近う埋ませたまへるを、惟光の宰相の子の兵衛尉、堀りて参れり。宰相中将、取りて伝へ参らせたまふ。宮、
「いと苦しき判者にも当たりてはべるかな。いと煙たしや」
と、悩みたまふ。同じうこそは、いづくにも散りつつ広ごるべかめるを、人びとの心々に合はせたまへる、深さ浅さを、かぎあはせたまへるに、いと興あること多かり。
さらにいづれともなき中に、斎院の御黒方、さいへども、
さらにいづれともなき中に、斎院の御黒方、さいへども、心にくくしづやかなる匂ひ、ことなり。侍従は、大臣の御は、すぐれてなまめかしうなつかしき香なりと定めたまふ。
対の上の御は、三種ある中に、梅花、はなやかに今めかしう、すこしはやき心しつらひを添へて、めづらしき薫り加はれり。
「このころの風にたぐへむには、さらにこれにまさる匂ひあらじ」
とめでたまふ。
夏の御方には、人びとの、かう心々に挑みたまふなる中に、数々にも立ち出でずやと、煙をさへ思ひ消えたまへる御心にて、ただ荷葉を一種合はせたまへり。さま変はりしめやかなる香して、あはれになつかし。
冬の御方にも、時々によれる匂ひの定まれるに消たれむもあいなしと思して、薫衣香の方のすぐれたるは、前の朱雀院のをうつさせたまひて、公忠朝臣の、ことに選び仕うまつれりし百歩の方など思ひ得て、世に似ずなまめかしさを取り集めたる、心おきてすぐれたりと、いづれをも無徳ならず定めたまふを、
「心ぎたなき判者なめり」
と聞こえたまふ。
和歌の伝統、即興の魅力
・梅が枝 第四段 薫物合せの後の宴遊
月さし出でぬれば、大御酒など参り給ひて、昔の御物語などし給ふ。霞める月の 影心にくきを、雨の名残の風すこし吹きて、花の香なつかしきに、御殿の辺りいひ知らず匂ひ満ちて、人の御心地いとえんなり。
(略)
御車かくる程に追ひて、
「珍しと故里人も待ちぞ見む花の錦を着て帰る君
又なき事と思さるらむ」と、あれば、いといたうからがり給うふ。次々の君達にも、ことごとしからぬ様に、細長小袿などかづけ給ふ。
歌を歌い和歌を読む楽しみ、当時の貴族社会の遊びの場面。
今はほとんどなくなっている、即興の歌を楽しみあう。
・和歌の伝統
日本の本来の歌の伝統は、神話に出てくる古代歌謡やその後に出てくる万葉集。
古今、新古今は、古代の和歌が持っている言葉の多義性を縁語や掛詞で技巧的な形で見事に発達している。それを現代語訳して膨らみを持たせるのは至難の技。 折口信夫は「むく犬の洗濯」と言っていた。
和歌は、奈良から平安時代には、漢詩・漢語の影響で乱れた時代があった。近代に入るとヨーロッパの文芸主潮が非常に大きな感化を与えた。
現代の短歌はヨーロッパの詩の表現や日本の近代以降の新体詩に影響を与えられ、そちらに惹かれるのは無理もないが、それを過ぎた後で、短歌の表現が本来の方向に帰ってきた後で、どういう形が短歌の上に確立してくるかを期待と夢を持って考えている。
・即興の魅力
即興の歌は意外に大事。自分の心に感受した、湧き上がってきた心の濃密な動きを、それをすっと言葉でとらえて、詩の定型に残そうとする、伝えようとする。短歌の一つの魅力であり、日本人の心を他者に伝える響きあいを深くしてきた。
縁語、掛詞、本歌取りは、かなり即興性を要求せらるる作り方。調べも推敲を重ねることで深まることもあるが、心の反応の鋭いすばやさが生み出すことが多い。
月さし出でぬれば、大御酒など参りて、昔の御物語などしたまふ。
月さし出でぬれば、大御酒など参りて、昔の御物語などしたまふ。霞める月の影心にくきを、雨の名残の風すこし吹きて、花の香なつかしきに、御殿のあたり言ひ知らず匂ひ満ちて、人の御心地いと艶あり。
蔵人所の方にも、明日の御遊びのうちならしに、御琴どもの装束などして、殿上人などあまた参りて、をかしき笛の音ども聞こゆ。
内の大殿の頭中将、弁少将なども、見参ばかりにてまかづるを、とどめさせたまひて、御琴ども召す。
宮の御前に琵琶、大臣に箏の御琴参りて、頭中将、和琴賜はりて、はなやかに掻きたてたるほど、いとおもしろく聞こゆ。宰相中将、横笛吹きたまふ。折にあひたる調子、雲居とほるばかり吹きたてたり。弁少将、拍子取りて、「梅が枝」出だしたるほど、いとをかし。童にて、韻塞ぎの折、「高砂」謡ひし君なり。宮も大臣もさしいらへしたまひて、ことことしからぬものから、をかしき夜の御遊びなり。
御土器参るに、宮、
「鴬の声にやいとどあくがれむ
心しめつる花のあたりに
千代も経ぬべし」
と聞こえたまへば、
「色も香もうつるばかりにこの春は
花咲く宿をかれずもあらなむ」
頭中将に賜へば、取りて、宰相中将にさす。
「鴬のねぐらの枝もなびくまで
なほ吹きとほせ夜半の笛竹」
宰相中将、
「心ありて風の避くめる花の木に
とりあへぬまで吹きや寄るべき
情けなく」
と、皆うち笑ひたまふ。弁少将、
「霞だに月と花とを隔てずは
ねぐらの鳥もほころびなまし」
まことに、明け方になりてぞ、宮帰りたまふ。御贈り物に、みづからの御料の御直衣の御よそひ一領、手触れたまはぬ薫物二壷添へて、御車にたてまつらせたまふ。宮、
「花の香をえならぬ袖にうつしもて
ことあやまりと妹やとがめむ」
とあれば、
「いと屈したりや」
と笑ひたまふ。御車かくるほどに、追ひて、
「めづらしと故里人も待ちぞ見む
花の錦を着て帰る君
またなきことと思さるらむ」
とあれば、いといたうからがりたまふ。次々の君達にも、ことことしからぬさまに、細長、小袿などかづけたまふ。
かくて、西の御殿に、戌の時に渡りたまふ。
かくて、西の御殿に、戌の時に渡りたまふ。宮のおはします西の放出をしつらひて、御髪上の内侍なども、やがてこなたに参れり。上も、このついでに、中宮に御対面あり。御方々の女房、押しあはせたる、数しらず見えたり。
子の時に御裳たてまつる。大殿油ほのかなれど、御けはひいとめでたしと、宮は見たてまつれたまふ。大臣、
「思し捨つまじきを頼みにて、なめげなる姿を、進み御覧ぜられはべるなり。後の世のためしにやと、心狭く忍び思ひたまふる」
など聞こえたまふ。宮、
「いかなるべきこととも思うたまへ分きはべらざりつるを、かうことことしうとりなさせたまふになむ、なかなか心おかれぬべく」
と、のたまひ消つほどの御けはひ、いと若く愛敬づきたるに、大臣も、思すさまにをかしき御けはひどもの、さし集ひたまへるを、あはひめでたく思さる。母君の、かかる折だにえ見たてまつらぬを、いみじと思へりしも心苦しうて、参う上らせやせましと思せど、人のもの言ひをつつみて、過ぐしたまひつ。
かかる所の儀式は、よろしきにだに、いとこと多くうるさきを、片端ばかり、例のしどけなくまねばむもなかなかにやとて、こまかに書かず。
春宮の御元服は、二十余日のほどになむありける。
春宮の御元服は、二十余日のほどになむありける。いと大人しくおはしませば、人の女ども競ひ参らすべきことを、心ざし思すなれど、この殿の思しきざすさまの、いとことなれば、なかなかにてや交じらはむと、左の大臣なども、思しとどまるなるを聞こしめして、
「いとたいだいしきことなり。宮仕への筋は、あまたあるなかに、すこしのけぢめを挑まむこそ本意ならめ。そこらの警策の姫君たち、引き籠められなば、世に映えあらじ」
とのたまひて、御参り延びぬ。次々にもとしづめたまひけるを、かかるよし所々に聞きたまひて、左大臣殿の三の君参りたまひぬ。麗景殿と聞こゆ。
コンテンツ名 | 源氏物語全講会 第126回 「梅枝」より その1 |
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収録日 | 2009年6月13日 |
講師 | 岡野弘彦(國學院大學名誉教授) |
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