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源氏物語全講会 | 岡野弘彦

源氏物語全講会

第183回 「幻」より その1

冒頭、日本人の文化伝統に触れ、「幻」の卷に。源氏は正月に来た方々と会おうとしないが、兵部卿の宮とは対面し、長年使えてきた女房とは昔話をする。二月になると、若宮(三の宮、匂宮)と桜を見、微笑むこともあるが、涙ぐむ。

折口信夫と柳田国男の講演

・柳田国男は講演を頼まれると、必ず、きちんと話ができるだけの枚数を原稿に書く。
 折口信夫は原稿を作らないで、手帳に簡潔な、心覚えの項目を書いておくだけ。

・この世に憤りや怨念を残して死んだ魂というものはすぐには鎮まらない。
 典型は菅原道真。怨霊そのものの姿から、整った穏やかな姿になっていく。

・折口信夫は言葉を選ぶことのがうまかった人
 まれびと神、海山のあひだ

・心と深く結びついた、重なり合った言葉は、響きから、その言葉を言ったときの心の動きから違うわけなのです。

・戦後、文語が極度に軽んじられ、和歌の言葉の造語能力が、日本人から失われていった。

・俳句と短歌、ヨーロッパの詩。
 連詩を作らせる大岡信、連句を止めさせた正岡子規

・大事にすべきだった日本人の文化伝統

春の光を見たまふにつけても、

春の光を見たまふにつけても、いとどくれ惑ひたるやうにのみ、御心ひとつは、悲しさの改まるべくもあらぬに、外には、例のやうに人びと参りたまひなどすれど、御心地悩ましきさまにもてなしたまひて、御簾の内にのみおはします。兵部卿宮渡りたまへるにぞ、ただうちとけたる方にて対面したまはむとて、御消息聞こえたまふ。

「わが宿は花もてはやす人もなし何にか春のたづね来つらむ」

宮、うち涙ぐみたまひて、

「香をとめて来つるかひなくおほかたの花のたよりと言ひやなすべき」

紅梅の下に歩み出でたまへる御さまの、いとなつかしきにぞ、これより他に見はやすべき人なくや、と見たまへる。花はほのかに開けさしつつ、をかしきほどの匂ひなり。御遊びもなく、例に変りたること多かり。

・幻の術によって導かれるような世界も幻、幻術士も幻。
 (主上)「尋ねゆくまぼろしもがなつてにてもたまのありかをそこと知るべく」
 (桐壺の巻)
 http://angel-zaidan.org/genji/004/#title-07

女房なども、年ごろ経にけるは、

女房なども、年ごろ経にけるは、墨染の色こまやかにて着つつ、悲しさも改めがたく、思ひさますべき世なく恋ひきこゆるに、絶えて、御方々にも渡りたまはず。紛れなく見たてまつるを慰めにて、馴れ仕うまつれる年ごろ、まめやかに御心とどめてなどはあらざりしかど、時々は見放たぬやうに思したりつる人びとも、なかなか、かかる寂しき御一人寝になりては、いとおほぞうにもてなしたまひて、夜の御宿直などにも、これかれとあまたを、御座のあたり引きさけつつ、さぶらはせたまふ。

・召人について

つれづれなるままに、

つれづれなるままに、いにしへの物語などしたまふ折々もあり。名残なき御聖心の深くなりゆくにつけても、さしもあり果つまじかりけることにつけつつ、中ごろ、もの恨めしう思したるけしきの、時々見えたまひしなどを思し出づるに、
「などて、戯れにても、またまめやかに心苦しきことにつけても、さやうなる心を見えたてまつりけむ。なに事もらうらうじくおはせし御心ばへなりしかば、人の深き心もいとよう見知りたまひながら、怨じ果てたまふことはなかりしかど、一わたりづつは、いかならむとすらむ」
と思したりしを、すこしにても心を乱りたまひけむことの、いとほしう悔しうおぼえたまふさま、胸よりもあまる心地したまふ。その折のことの心を知り、今も近う仕うまつる人びとは、ほのぼの聞こえ出づるもあり。

入道の宮の渡りはじめたまへりしほど、

入道の宮の渡りはじめたまへりしほど、その折はしも、色にはさらに出だしたまはざりしかど、ことにふれつつ、あぢきなのわざやと、思ひたまへりしけしきのあはれなりし中にも、雪降りたりし暁に立ちやすらひて、わが身も冷え入るやうにおぼえて、空のけしき激しかりしに、いとなつかしうおいらかなるものから、袖のいたう泣き濡らしたまへりけるをひき隠し、せめて紛らはしたまへりしほどの用意などを、夜もすがら、「夢にても、またはいかならむ世にか」と、思し続けらる。
曙にしも、曹司に下るる女房なるべし、
「いみじうも積もりにける雪かな」
と言ふ声を聞きつけたまへる、ただその折の心地するに、御かたはらの寂しきも、いふかたなく悲し。

「憂き世には雪消えなむと思ひつつ思ひの外になほぞほどふる」

・うぐいすの声、ほととぎすの声
・縁語、掛詞。そして、連歌、連句。

例の、紛らはしには、

例の、紛らはしには、御手水召して行ひしたまふ。埋みたる火起こし出でて、御火桶参らす。中納言の君、中将の君など、御前近くて御物語聞こゆ。
「独り寝常よりも寂しかりつる夜のさまかな。かくてもいとよく思ひ澄ましつべかりける世を、はかなくもかかづらひけるかな」
と、うちながめたまふ。「我さへうち捨てては、この人びとの、いとど嘆きわびむことの、あはれにいとほしかるべき」など、見わたしたまふ。忍びやかにうち行ひつつ、経など読みたまへる御声を、よろしう思はむことにてだに涙とまるまじきを、まして、袖のしがらみせきあへぬまであはれに、明け暮れ見たてまつる人びとの心地、尽きせず思ひきこゆ。

「この世につけては、

「この世につけては、飽かず思ふべきこと、をさをさあるまじう、高き身には生まれながら、また人よりことに、口惜しき契りにもありけるかな、と思ふこと絶えず。世のはかなく憂きを知らすべく、仏などのおきてたまへる身なるべし。それをしひて知らぬ顔にながらふれば、かく今はの夕べ近き末に、いみじきことのとぢめを見つるに、宿世のほども、みづからの心の際も、残りなく見果てて、心やすきに、今なむ露のほだしなくなりにたるを、これかれ、かくて、ありしよりけに目馴らす人びとの、今はとて行き別れむほどこそ、今一際の心乱れぬべけれ。いとはかなしかし。悪ろかりける心のほどかな」
とて、御目おしのごひ隠したまふに、紛れず、やがてこぼるる御涙を、見たてまつる人びと、ましてせきとめむかたなし。さて、うち捨てられたてまつりなむが憂はしさを、おのおのうち出でまほしけれど、さもえ聞こえず、むせかへりてやみぬ。

かくのみ嘆き明かしたまへる曙、

かくのみ嘆き明かしたまへる曙、ながめ暮らしたまへる夕暮などの、しめやかなる折々は、かのおしなべてには思したらざりし人びとを、御前近くて、かやうの御物語などをしたまふ。
中将の君とてさぶらふは、まだ小さくより見たまひ馴れにしを、いと忍びつつ見たまひ過ぐさずやありけむ、いとかたはらいたきことに思ひて、馴れきこえざりけるを、かく亡せたまひて後は、その方にはあらず、人よりもらうたきものに心とどめたまへりし方ざまにも、かの御形見の筋につけてぞ、あはれに思ほしける。心ばせ容貌などもめやすくて、うなゐ松におぼえたるけはひ、ただならましよりは、らうらうじと思ほす。

疎き人にはさらに見えたまはず。

疎き人にはさらに見えたまはず。上達部なども、むつましき御兄弟の宮たちなど、常に参りたまへれど、対面したまふことをさをさなし。
「人に向かはむほどばかりは、さかしく思ひしづめ、心収めむと思ふとも、月ごろにほけにたらむ身のありさま、かたくなしきひがことまじりて、末の世の人にもて悩まれむ、後の名さへうたてあるべし。思ひほれてなむ人にも見えざむなる、と言はれむも、同じことなれど、なほ音に聞きて思ひやることのかたはなるよりも、見苦しきことの目に見るは、こよなく際まさりてをこなり」
と思せば、大将の君などにだに、御簾隔ててぞ対面したまひける。かく、心変りしたまへるやうに、人の言ひ伝ふべきころほひをだに思ひのどめてこそはと、念じ過ぐしたまひつつ、憂き世をも背きやりたまはず。御方々にまれにもうちほのめきたまふにつけては、まづいとせきがたき涙の雨のみ降りまされば、いとわりなくて、いづ方にもおぼつかなきさまにて過ぐしたまふ。

后の宮は、内裏に参らせたまひて、

后の宮は、内裏に参らせたまひて、三の宮をぞ、さうざうしき御慰めには、おはしまさせたまひける。
「婆ののたまひしかば」
とて、対の御前の紅梅は、いと取り分きて後見ありきたまふを、いとあはれと見たてまつりたまふ。
如月になれば、花の木どもの盛りなるも、まだしきも、梢をかしう霞みわたれるに、かの御形見の紅梅に、鴬のはなやかに鳴き出でたれば、立ち出でて御覧ず。

「植ゑて見し花のあるじもなき宿に知らず顔にて来ゐる鴬」

と、うそぶき歩かせたまふ。

春深くなりゆくままに、

春深くなりゆくままに、御前のありさま、いにしへに変らぬを、めでたまふ方にはあらねど、静心なく、何ごとにつけても胸いたう思さるれば、おほかたこの世の外のやうに、鳥の音も聞こえざらむ山の末ゆかしうのみ、いとどなりまさりたまふ。
山吹などの、心地よげに咲き乱れたるも、うちつけに露けくのみ見なされたまふ。他の花は、一重散りて、八重咲く花桜盛り過ぎて、樺桜は開け、藤は後れて色づきなどこそはすめるを、その遅く疾き花の心をよく分きて、いろいろを尽くし植ゑおきたまひしかば、時を忘れず匂ひ満ちたるに、若宮、
「まろが桜は咲きにけり。いかで久しく散らさじ。木のめぐりに帳を立てて、帷子を上げずは、風もえ吹き寄らじ」
と、かしこう思ひ得たり、と思ひてのたまふ顔のいとうつくしきにも、うち笑まれたまひぬ。
「覆ふばかりの袖求めけむ人よりは、いとかしこう思し寄りたまへりしかし」など、この宮ばかりをぞもてあそびに見たてまつりたまふ。
「君に馴れきこえむことも残り少なしや。命といふもの、今しばしかかづらふべくとも、対面はえあらじかし」
とて、例の、涙ぐみたまへれば、いとものしと思して、
「婆ののたまひしことを、まがまがしうのたまふ」
とて、伏目になりて、御衣の袖を引きまさぐりなどしつつ、紛らはしおはす。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第183回 「幻」より その1
収録日 2013年7月6日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成25年春期講座

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「源氏物語巻名歌」から

プロフィール

講師:岡野弘彦
(国学院大学名誉教授)

歌人。大正13年(1924年)、三重県に生まれる。國學院大學国文科に在学中より折口信夫に学び、雑誌「鳥船」に参加。折口の没年まで師事する。 昭和42年、処女歌集「冬の家族」で現代歌人協会賞を受賞。昭和54年から宮中歌会始の選者を努める。
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