源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第10回 「帚木」より その1

折口信夫、丸谷才一、大野晋の帚木書出しの文章に対する解釈に触れ、講義へ。中将の位であり、桐壷に控えていた源氏は、葵の上のもとをあまり訪れない。長雨忌みの折り、うちとけられる頭の中将に御厨子のなかの文を見せてほしいと言われる。

はじめに

桐壺から帚木へ

・「いろこのみ」という言葉について
・「いろせ(夫)」「いろも(妹)」「いろね」「いろと」

光る源氏、名のみことごとしう

 光る源氏、名のみことごとしう、言ひ消たれ給ふとが多かなるに、いとゞ、かゝるすきごとどもを末の世にも聞き伝へて、かろびたる名をや流さむと、しのび給ひける隠ろへ事をさへ、語り伝へけむ人のものいひさがなさよ。さるは、いといたく世をはゞかり、まめだち給ひけるほど、なよびかにをかしき事はなくて、交野の少将には笑はれ給ひけむかし。

まだ中将などにものし給ひし時は

 まだ中将などにものし給ひし時は、うちにのみさぶらひようし給ひて、おほいとのにはたえだえまかで給ふ。しのぶの乱れやと疑ひ聞ゆる事もありしかど、さしもあだめき目なれたるうちつけのすきずきしさなどは、好ましからぬ御本性にて、まれには、あながちにひきたがへ、心づくしなる事を、御心におぼしとどむる癖なむあやにくにて、さるまじき御ふるまひもうちまじりける。

なが雨はれまなき頃、うちの御物忌さしつゞきて

 なが雨はれまなき頃、うちの御物忌さしつゞきて、いとゞながゐ侍ひ給ふを、おほいとのにはおぼつかなくうらめしくおぼしたれど、よろづの御よそひ、なにくれとめづらしきさまに、調じ出で給ひつゝ、御むすこの君たち、たゞこの御とのゐ所の宮仕へを勤め給ふ。宮腹の中将は、なかに親しくなれ聞こえ給ひて、遊びたはぶれをも、人よりは心やすくなれなれしくふるまひたり。右のおとゞのいたはりかしづき給ふ住みかは、この君もいとものうくして、すきがましきあだ人なり。里にても我がかたのしつらひまばゆくして、君の出で入りし給ふに、うちつれ聞こえ給ひつゝ、よるひる、学問をもあそびをももろともにして、をさをさたちおくれず、いづくにてもまつはれ聞こえ給ふほどに、おのづからかしこまりもえおかず、心のうちに思ふ事をも隠しあへずなむ、むつれ聞こえ給ひける。

つれづれと降り暮らして、しめやかなるよひの雨に

 つれづれと降り暮らして、しめやかなるよひの雨に、殿上にもをさをさ人ずくなに、御とのゐ所もれいよりはのどやかなる心ちするに、おほとなぶら近くて、書どもなど見給ふ。近き御厨子なる色々の紙なる文どもを引きいでて、中将わりなくゆかしがれば、(源氏)「さりぬべき少しは見せむ。かたはなるべきもこそ」と許し給はねば、(中将)「そのうちとけてかたはらいたしとおぼされむこそゆかしけれ。おしなべたるおほかたのは、数ならねど、ほどほどにつけて、書きかはしつゝも見侍りなむ。おのがじゝうらめしき折々、待ち顔ならむ夕暮などのこそ、み所はあらめ」と怨ずれば、やむごとなく切に隠し給ふべきなどは、かやうにおほぞうなる御厨子などに、うち置きちらし給ふべくもあらず、深く取り置き給ふべかめれば、二のまちの心やすきなるべし。

かたはしづつ見るに、(中将)「よくさまざまなるものどもこそ...

 かたはしづつ見るに、(中将)「よくさまざまなるものどもこそ侍りけれ」とて、心あてに(中将)「それか、かれか」など問ふなかに、言ひ当つるもあり、もてはなれたる事をも思ひよせて、疑ふもをかしとおぼせど、こと少なにて、とかく紛らはしつゝ、とり隠し給ひつ。
(源氏)「そこにこそ多くつどへ給ふらめ。少し見ばや。さてなむ此の厨子も心よく開くべき」との宣へば、(中将)「御覧じどころあらむこそかたく侍らめ」など聞こえ給ふついでに、
(中将)「女の、これはしもと難つくまじきは、かたくもあるかな、と、やうやうなむ見給へ知る。たゞうはべばかりのなさけにて走り書き、をりふしのいらへ、心えてうちし、などばかりは、随分によろしきも多かり、と見給ふれど、そも、まことにその方をとりいでむ選びに、必ず漏るまじきはいとかたしや。我が心えたる事ばかりを、おのがじし心をやりて、人をばおとしめなど、かたはらいたきこと多かり。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第10回 「帚木」より その1
収録日 2001年11月1日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

講座名:平成13年秋期講座

収録講義映像著作権者:実践女子大学生活文化学科生活文化研究室

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